4-3・探偵と探偵
まさか本当にそんな事態になるとは思わず全然少しもまったくもって心の準備ができていなかったため開いた襖から本当に明崎さんが入ってきたときには口から心臓が飛び出す心地だった。
「お、お邪魔します……!」
緊張した声色の明崎さんは普段よりぎくしゃくとした動作でお辞儀した。今日の明崎さんはフリル多めの白いロングワンピースに、同じく白のジャケットを着ていた。ジャケットは裾がマントのように広がったデザインで、色を合わせたコーディネートは奇しくも往年の探偵が着るインバネスコートを思わせた。
慌てて荷物を寄せ端にズレようとすると、つまり明崎さんが座るためのスペースを開けようとすると、しかし明崎さんは俺の隣ではなく紅邑寅絵の隣に座った。
……。は?
「早めに来てもらってて助かったよ~! 明ちゃんがいなかったらお昼ご飯食べ逃してたかも! ありがとね!」
「いえいえ! こちらこそ、黒繰さんと寅絵さんのお見合いなのにお邪魔してしまってすみません……! えっと、予定している勝負は、このあともう?」
「ううん、食事が先かな。朔夜さん、朝ご飯食べてないみたいだから」
うん、いや待って。は?
呆然としている間に料理が運ばれてきた。三人分だ。つまり、明崎さんの登場は予定調和を意味している。
手を回していた、否、手を出していたのだ。紅邑寅絵は、あろうことか、俺の探偵、明崎さんに。
料理を運んできたのは三人だった。一人は外島、もう一人はおそらく店員、三人目は初めて見る人物で、料理の解説は彼女が行った。
「フォアグラのパテ・アンクルート。海老しんじょのお吸い物。お造りは鮪、鯛、烏賊になります」
「ありがとう、釘木野」
寅絵が三人目にそう声をかけたので、紅邑の使用人だとわかった。長い黒髪を高い位置で結わえた地味な黒いパンツスーツの女性だ。鼻から両頬にかけてそばかすが広がっている。
「食べ終えた頃に次を持って参ります。何かあればトランシーバーでご用命ください」
テーブルには料理三皿とナイフ、フォーク、そして箸が並んでいた。料理もまた和洋折衷というわけだ。
前菜、パテ・アンクルート。フォアグラとパテ(肉や魚の練り物という認識で問題ない)をパイ生地で包み焼きにしたものが二センチ幅に切り分けられ白の平皿に並んでいる。外見イメージに一番近いのは十センチほどの食パンだろうか。中身にあたる部分にパテとフォアグラが層状に美しく並び、耳にあたる部分をサクサクのパイ生地が覆っている。
スープ相当、海老しんじょの吸い物。そもそも、しんじょとは何か。山芋の入ったかまぼこという説明がもっとも近いように思う。食感はやわらかく、箸で切れる。五百円玉より二回りほどの大きな海老しんじょが吸い物に浸るようにして黒の椀中央に鎮座していた。
そしてお造り。分厚く切られた赤や白の身が映えるように、飾り切りされたきゅうりと大葉とがあしらわれている。四角く黒い板状の皿の端にはわさびが小さな山を築いていた。
慣れないのか、明崎さんがおろおろしているのが見える。ナイフ、フォーク、箸。どれを使えばいいのかわからないのだ。
なのに、そんな明崎さんに助け船も出さず平然と烏龍茶のグラスを取った寅絵は「乾杯でもしましょうか」と宣言した。明崎さんはハッとして、料理と一緒に運ばれてきた自分の烏龍茶を両手で取る。
俺はまだ承服しかねていたが、自分のグラスを掴んだ。
「それじゃ、お互いの前途を祝して、乾杯」
「乾杯! です!」
明崎さんと寅絵がグラスを軽く触れ合わせる。俺はグラスを軽く掲げるだけに留めた。
お茶を一口飲むと、寅絵は早々に箸を取り刺身を食べ始める。その様子に、明崎さんは同じように箸を手に刺身を口に運んだ。
「ん! おいしい!」
その表情が花でも咲くようにパッと明るくなる。が、そんな明崎さんを愛でる気分には今はとてもなれなかった。
「お二人の馴れ初めを聞いても?」
刺々しくそう切り出せば、寅絵が平然と答える。
「朔夜さんが趣味で探偵助手をしているというのは存じておりました。しかし、一体誰のもとで助手を? どんな人物ならアナタを助手として使える? 自分の下に置いておける? アタシは推理しようとしました。が、結局わからなかったんです。だから、直接会いに行った」
次いで、明崎さんが口を開く。
「大型連休が終わったあと、金曜だったでしょうか? 寅絵さんが大学までいらっしゃったんです。黒繰さんとお見合いすると聞いて、なんだか、私まで緊張しちゃって……。秘密の調査ということでしたので、しばらく黒繰さんへの連絡は控えていました。そうしたら、お見合い当日も来てほしいと相談されて……、ええと、探偵勝負をする、んですよね?」
寅絵はにんまり笑って、一度箸を置いた。
「そう、アタシと明ちゃんは探偵同士。どちらがより優れた探偵なのか、勝負してみたくなっちゃって。賞品も、実はもう決めてあるの」
「あ、あんまり高価なものだと困りますよ?」
おっかなびっくりの明崎さんに、寅絵はからから笑った。
「大丈夫。賞品は物じゃないの。朔夜さんよ。勝者は助手として朔夜さんを手に入れるの」
「えっ!?」
「だから、明ちゃんにとっては防衛戦ね。朔夜さんは勝負なんか受けないって不機嫌そうだけど、明ちゃんはどうする?」
明崎さんは箸を持ったまま俺を見たり寅絵を見たりした。顔には困惑が浮かんでいる。
「えっと……お見合いの余興で探偵勝負をしたいという相談は……受けていて……でも、その、流石に……もっと別のものじゃ駄目なんですか?」
「朔夜さんを取られるのが怖い? 自信がない?」
寅絵の挑発に、しかし明崎さんは乗らなかった。
「黒繰さんが賛成ならまだしも、嫌がっているのなら、ちょっと、どうかと……黒繰さんが私の助手をしてくれているのは、黒繰さん本人の希望でもあるはずで……今回の勝負はそれを捻じ曲げる可能性のあるもので……ええと、だから、私の一存では決められません」
寅絵は「ふうん」と頷いたあと、目をぐるりとこちらに向けた。
「じゃあ、朔夜さんに聞こうかな。朔夜さんは、アタシの助手、やりたくないんですよね? それって、明ちゃんが勝てばそんな心配はしなくていいですよね? それでも勝負を受けたくないっていうのは、明ちゃんが負けるかもしれないからですか?」
は?
「いや、明崎さんはあなたなんかに負けませんけど」
「じゃあ、賞品になっても問題ないですよね?」
「もちろん問題ないですけど」
「く、黒繰さん!?」
わたわたと、慌てた様子の明崎さんは自分が箸を持ったままだということにようやく気付いたのかテーブルに揃えて置いてから言う。
「無理することないんですよ。人が賞品という状況自体、その、どうかと思いますし……。それに、寅絵さんの言うように、私、自信がないんです。私から探偵のときの話をしたように、寅絵さんからも探偵のときの話を聞いています。寅絵さん、すごいんですよ。これまで、行方不明の人や、盗まれた絵を見つけていて……」
「だから?」
「だ、だから! 黒繰さんが私の助手をしてくれることは嬉しいですし、これからも、その、支えてもらえると嬉しいですし……、でも、私が寅絵さんに負けちゃったら……、負けちゃうかも、しれませんし……」
自信をなくし、徐々に俯く明崎さん。余興としての勝負ならまだしも、賞品――助手のかかった勝負へ転じたことで、生来の優しさが邪魔をしているらしい。このままでは俺が賞品にならない代わりに戦わずして負けを認めると言い出しかねない。それでは駄目だ。
誇示し続けなければならない。己の実力を、身の丈を、プライドを。
どちらが上なのか、わからせなければならない。
「この勝負お受けします、寅絵さん」
俺の宣言に、明崎さんは驚いたように顔を上げた。
「明日から勝ったほうの探偵の助手になります。繰り返すようですが、俺は明崎さんの助手のままでいたい。けれど、あなたが勝てば俺は明日からあなたの助手だ、寅絵さん」
「く――黒繰さん!」
明崎さんと目が合う。彼女の瞳は、動揺していて、緊張していて、不安そうで、自信なさげで、普段の煌めくような星々の輝きは今はどこにもなかった。
それでも、俺は彼女から目を逸らさなかった。
「勝負を受けよう、明崎さん。そして、勝とう」
「で、でも」
「君が勝つと信じてる」
明崎さんは言葉を飲み込むと、俯き、目を伏せた。それから数度の深呼吸。
「わかりました」
顔を上げた彼女の瞳に、決意秘める星が明滅する。
「勝負しましょう、寅絵さん。助手の黒繰さんをかけて」
紅邑寅絵は優雅に微笑んだ。
「お互い頑張ろうね」




