4-2・二人目の探偵
ということで、お見合い当日である。
五月第三週、日曜日。大型連休以降、明崎さんと連絡を取り合う機会はとうとう訪れなかった。俺から連絡するには口実がなく、明崎さんからの音沙汰も特になかったのだ。事件さえ起きればきっと明崎さんから助手依頼の連絡が来る。しかし、しばらく肝心の事件が起きていないのだった。
ここで俺は、そういえば例の店を閉め切ったまま少しも開いていないことにようやく気付いた。別に閉めたままでも構わない――というより火消しの意味ではしばらく閉じたままのほうが効果的だったのだろう――が、そろそろ開けていい頃合いに思う。
朝七時三十分。朝食代わりのコーヒーを傾けながらパソコンを立ち上げる。お見合い自体は午前十一時から昼食を伴うかたちで開催される。十時には外島が迎えに来るから、それまでは自由時間だ。
「ひとつだけ店を開けるか」
単に店とだけ形容しているトリック売買サイトは特定の掲載場所を確保しない代わりに複数の形態を持つ。うち、無作為に選んだひとつを開放する。誰かがトリックを購入したときと口座に入金を確認したときだけ暗号文面のメールが来る設定だ。どの商品がどの程度売れているのか、デジタル帳簿を確認しなくても通知の多寡でおおよそ把握できた。
さりとて、今日の主題はお見合いである。
パソコンを立ち上げたついでに紅邑寅絵についてのファイルを開き、再度目を通す。公開プロフィールに、略歴、職歴、主な成果。中でも、解決した主な事件という項目には『山富黄小梢嬢失踪事件』『絵画「あらたな光」盗難事件』『碧海家相続分配相談役』等々、無駄に仰々しい名前が滔々と並んでいる。おそらく外島の名付けだろう。その印象は探偵というより外部顧問に近い。
資料の最後には顔写真が載っている。釣り目の美人だ。黒い髪を肩口で切り揃え、黒のスーツをきっちり着込んでいる。写真は肩までしかなかったが、外島の情報を信じるなら控えめらしい。いや、知らんがな。
開いていたファイルを閉じ、椅子の上で一伸びする。今日のネクタイを選んだら、外島の忠告通り、お断り用の台本を考えてみるつもりだった。
会場は和洋折衷風レストランの個室だった。靴を脱いで座敷に上がると、紅邑寅絵はまだだった。床の間に花の活けられた掘りごたつの六人席。それぞれの使用人はおそらく部屋の外に控えるだろう。二人で話すには十分すぎる広さがある。
外島に案内されるまま上座に腰を下ろす。こういうときは女性が上座じゃないのかと非難するように視線を送ると、ウインクされた。紅邑側の意向かもしれない。外島はすでに紅邑側と打ち合わせているのだ。
その証拠に、外島が退室して五分と経たず紅邑寅絵は現れた。
資料で見たときよりずっと華やかに着飾っていた。黒地に牡丹模様の着物と鮮やかな紅の袴を黒のコルセットで着付けている。袖口と襟には白のレースがあしらわれ、指先には赤のマニキュアが艶めく。肩口で切り揃えられた黒髪には赤のインナーカラーが入っており、和風リボンの髪飾りを左右揃いでつけていた。
やはり、釣り目の美人だ。外島の情報通り控えめだが、その分、和服がよく似合っている。肌に映える色合いの紅が弧を描き、言葉を紡いだ。
「お久しぶりです、朔夜さん。紅邑寅絵です」
「……黒繰朔夜です」
一拍遅れて名乗る。紅邑家の次女、寅絵は気にしたふうもなく正面に座った。
お久しぶりです、か。
完全に初対面だと思い込んでいた。どうやって断るか、いつ断るか、食事だけはしてやれということだったから食事のあとか――これまでの問題すべてが些事に成り下がった。
俺は一体いつ、どこで、どんなふうに紅邑寅絵と接触したのか。
寅絵は俺の様子に、にんまり勝気に微笑んだ。
「思い出せないのですね? いつ、アタシと出会ったか」
返事できないでいると「大丈夫です」と寅絵は手を振る。
「忘れてしまって当然のごく些細なことです。が、予言しておきましょう。帰るまでにはきっと思い出します。思い出させますとも」
「はあ」
「それにしても、写真で見るよりずっと素敵ですね、朔夜さん」
向こうも俺の資料と写真を入手しているに違いない。いや、吟味しているに違いない。政略結婚なのだ。お互い相手に瑕疵があっては今後支障が出る。
相手からの世辞を「どうも」と受け流しメニュー表を探す。が、寅絵は「今日はコースです」と制した。
「飲み物だけお伺いします。料理もアタシの合図で運ばれてきます。しばらく二人きりでお話がしたいな」
随分と用意周到なことで。
「じゃあ、烏龍茶を」
寅絵は袖口から小型のトランシーバーを取り出し「烏龍茶二つ」と注文した。
烏龍茶が運ばれてくるまで寅絵は話題を切り出そうとしなかった。ただ、組んだ手の上に顎を乗せ俺を見ている。寅絵と見つめ合うよりマシだろうと、俺はスマホを手に取った。寅絵は注意しなかった。
「ご趣味は?」
烏龍茶が揃う頃、寅絵がジャブを放った。一番典型的なやつだったが、俺には趣味という趣味がなかった。
「経済の動向は常にチェックしてます。役職柄、数字を追うことが多いので」
「今その手に持っているスマホでですか?」
「その通りです」
「顔認証でロックが解除されるタイプですね。ロック画面やホーム画面はほぼ初期設定、アプリも少ない。コンパクトにまとめたいタイプのようで。コーヒーか紅茶ならコーヒー派。今日は朝食を食べていない。そもそも今回のお見合いにはそれほど興味がない」
スマホから顔を上げ、紅邑寅絵を見た。ようやく目が合って、その表情がほころんだのがわかった。
「探偵ですから。ある程度は見ていればわかるんです。アナタは指を使うことなくスマホを使い始めた。しかし今どきロックもかけないほどリテラシーがないとは思えない。傾けたスマホ画面がアタシの位置から軽く見える。普段使いの香水に混じって微かにコーヒーの香り。朝食を食べているにしては血色が悪い。外島さんからアナタがたまに朝食を抜くのだと愚痴を零しているのを聞いています。アタシと二人なのに話題も振らずスマートフォンで経済の動向をチェック? 今回のお見合いに興味がないことは推理するまでもありません」
俺はスマホを上着の内ポケットにしまいながら「お見事」と言った。
「けど、その程度のことでドヤ顔されても困りますね。その特技、何の役に立つんです?」
「事件の解決に役立ちます。朔夜さん、探偵助手なんてしている癖に探偵の特技を否定するんですか?」
「探偵の特技を否定したのではなく、寅絵さん、あなたの特技を否定したんですよ」
寅絵は目を開いて数度瞬きしたあと、笑い出した。
「もしかして、アタシのことえらい嫌いみたいですね。断るための練習でもしてきてます?」
「食事を待たず解散にしますか?」
「いいえ」
寅絵はトランシーバーを取り出し、食事を運んでくるよう指示した。
ふむ、負けず嫌いと見た。
「楽しい食事になるとは思えませんね」
そう鎌をかけてみると、寅絵は「そうでしょうか」と俺に向け微笑んだ。
「切り札があります。こんなに早く切ることになるとは思いませんでしたが、予定はしていましたし、準備もしていました。きっと楽しい食事になると思いますよ」
寅絵は宣言した。
宣戦布告だった。
「朔夜さん、勝負をしましょう。アタシが勝ったら明日からアタシの助手になってください。探偵紅邑寅絵と、その助手黒繰朔夜。きっとアタシたち、いいコンビになれると思うんです」
「断ります。そもそも勝負を受けません。俺は今、別の探偵の助手をやっているんです。あなたは知らないと思いますが、とても優秀な」
「知っていますよ」
俺の言葉を遮ると、目の前の探偵はその笑みを深くする。
「明崎明さん。ゴールデンウィークに殺人事件を解決していますよね。助手のアナタを伴って。非常にスピーディーな解決だったと聞いています」
眉が不機嫌に寄るのも抑えず、女を睨んだ。こいつ、調べたのか。明崎さんのことを。
「勝負は受けません。断ります。なんなら、帰ってもいい」
「アナタは帰りませんよ、朔夜さん。それに、アタシが勝負するのはアナタじゃない」
紅邑寅絵はトランシーバーに向け言った。
「予定していたよりずっと早いけど、来てもらえるかな? 明ちゃん」




