3-17・北風と太陽
午前九時三十分。まず士道が容疑者の家を訪ねる。容疑者は寝起きだったらしく、想像通り、士道は追い返されて車へと戻ってきた。一般車両に擬態した覆面パトカーには俺、明崎さん、士道、そして外島が乗っていた。外島に関しては、燕尾服から一般的に私服と呼べる服装へ着替えさせている。シンプルな白Tシャツに、グレーのジャケット、青いデニム。靴は革靴のままだが色が黒なのでジャケットと合わせると違和感というほどではない。
士道は「たしかに、黒繰さんの言っていたものは確認できた。あとは証拠だ」と言って運転席に深くもたれた。
「ガサ入れすれば証拠なンかわんさか出てきそうなモンだが、それをするにも根拠がなきゃいけねェ。昨日の貴志の足取りは別動隊が追ってる。嬢ちゃんの推理だと、奴さんも同行してたンだな?」
「はい、おそらくは」
後部座席、俺の隣に座る明崎さんが首肯する。
「だから、昨日の日中、貴志さんと彼女が千葉にいたことを示す証拠が欲しいんです。目撃証言でも、防犯カメラ映像でも構いません。それを根拠に事情聴取なり家宅捜索なりをするのが確実だと思います。できるだけ早く、です。時間が経過するほど証拠は処分されていくでしょう」
ここまでは昨日話した通りだ。問題はどうやってボロを出させるか。
今回立案された作戦はいわゆる『北風と太陽』だ。容疑者に親しむ太陽役と容疑者を責める北風役とに分かれ、双方同時に容疑者へ接触する。太陽役は、もちろん我らが探偵明崎さん……のつもりでいたのだが、本人いわく、明崎さんでは役として弱いのだという。そこで外島だ。事件と無関係の外島が容疑者に接触し、北風役とは初対面という体で見せかけの対立を演じる。その過程でなんらかの証拠を引き出すのだ。
話し合いの結果、太陽役は外島、北風役は俺と明崎さんがペアで行うこととなった。士道は、三人が持つ通信機越しに状況を見ながらひとまず待機。そもそも合法捜査ではない。今回の作戦は、あくまで民間人でありながら探偵として動く明崎さんが偶然にも証拠を見つけ、警察に通報することで士道が駆けつけるという脚本なのだ。
相手は稀代の名女優だ。同じ舞台に立つ以上、三文芝居は許されない。
「それでは、行きましょう」
明崎さんの合図に、全員が頷いた。
外島が車を出てから、十分ほど待つ。この間、容疑者の住むマンションを訪ね、隣の部屋に引っ越してくることになった者だと自己紹介する手筈になっている。彼女の隣室は今、ちょうど空き部屋だ。外島は簡単なお土産を持って、ふつつかものですが仲良くしてやってくださいと持ち前のコミュニケーション能力(というか、たらし力)で彼女に近付くのだ。
やがてその場面を、事件について聞きたくて個人的に彼女の家を訪ねた俺と明崎さんが目撃する。
「……なに? 流石にウザいんですけど」
容疑者――姫宮海心。寝起きというだけあり、可愛らしげな色彩のプリントTシャツに黒のスウェット、その上に申し訳程度に派手なビビッドピンクのMA-1を羽織っている。足元は裸足にスリッパ。服装は適当なのに今日もメイクをバッチリと決め髪の毛をゆるくふわふわに巻いていた。
「知り合い?」
開け放たれる玄関扉の正面に立つ外島が、訝しげに聞いた。
「そうですねぇ~、もしかしてストーカー……」
なのかもと彼女が言い切る前に「なるほど」と俺は言った。
「一昨日の相手って、もしかしてその人? 恋人が亡くなった日の夜に別の男性と過ごすだなんて、姫宮さんもスミに置けないね」
「!」
無意識なのだろう、姫宮はMA-1の襟元を押さえた。露出した首筋には赤いキスマークが小さくアザとして浮かんでいる。
追い打ちをかけるように、明崎さんが言う。
「まりんちゃん、昨日と一昨日なにをして過ごしていたのか、話が聞きたいの。私が探偵みたいなことしてるって、知ってるよね。王鞍さんが亡くなった件について、知ってること全部話してほしい」
「……ウッザ~~~! 統治が死んだからって私のこと疑ってんの!? 覚えてない!? 一昨日はぁ、私はホールには行ってない! 統治が死ぬ場面を見てもない! 帰ってよ! 私は事件には関係ない!」
「王鞍さんの件については、そうかもしれない。でも、貴志さんの件については?」
「……! 知らない! なんにも知らない!」
姫宮は両手で耳を塞ぐと頭を左右に振る。その様子に外島が、姫宮の肩に手を置いて守るように一歩前に出た。
「ちょっといいかな? 事情はよくわからないんだけど、彼女、嫌がってるよね」
「白兎さぁん……!」
媚びるような甘い声で、外島の腕を取る。それから姫宮は「私、怖ぁい……!」と胸を押し付けながら絡みつく。
外島はそんな姫宮の肩を空いた右腕で掻き抱いて「帰ってもらえますか」と俺たちを強く睨みつけた。
「帰りません。ただ、話を聞くだけです。怖がるようなことはしません」
「でも、怖がってるよね。あんまりしつこいと警察呼ぶけど」
外島が『警察』という単語を出した一瞬、姫宮は身体を硬直させたが発言はしなかった。
「白兎くん、でいいのかな? 君は一昨日、姫宮さんと過ごしたの?」
俺の言葉に、外島は不審そうな顔つきで「いや……僕は今日、たまたま……」と歯切れ悪く答える。
「一昨日の日中、姫宮さんの彼氏だった男性が亡くなってね。でも昨日、つまり事件翌日の姫宮さんは首元にキスマークをつけて登場したんだ。一昨日はなかったのにね。これって、彼氏が死んだ日の夜に彼氏じゃない人間と夜を過ごしたってことだと思うんだけど」
「……それが、なんだっていうんですか?」
「これだけじゃただのアバズレエピソードなんだけど、問題は昨日も死体が出てることなんだ」
明崎さんが、一歩、姫宮に近付いた。
「王鞍さんを殺害した貴志さんが遺書と共に死体で発見されました。でも、これがもし偽装されたものなら。王鞍さんを殺した日の夜、家に帰らなかった貴志さんがまりんちゃんの家に泊まったと仮定したのなら。そうすれば、首元のキスマークにも、貴志さんの動機にも、説明がつきます」
姫宮が顔をあげる。見開かれた目には焦燥と苦悶が浮かんでおり、外島の腕を掴む手に力が込められる。
そんな彼女へ嘲笑と侮蔑を込めて俺は言う。
「要するに二股かけてたんでしょ、姫宮さん? で、めんどくさくなったからどっちも殺した。片方に片方を殺させて、残ったほうも自殺に見せかける。まさに名女優! ああ、白兎くん、今すぐ彼女から離れたほうがいい。新しく男を見つけることに関して、姫宮海心は天才だ!」
「証拠はあるの!?」
姫宮が怒鳴る。
「証拠! 証拠証拠証拠! なにかある!? 私が貴志くんを使って統治を殺したとか、全部想像だよね! っていうか妄想!? 事実じゃない! 探偵ごっこもいい加減にして! 私は事件とは無関係なの!」
と、ここで外島が姫宮から離れようとした。それに気付いた姫宮は信じられないという顔で立ちすくむ。その一瞬の隙に、外島は姫宮の拘束から左腕を抜け出させると一歩、俺たちの側へと後退した。
「ひ、姫宮、さん……今の話、本当……? そんな……嘘、だよね?」
外島は、一度俺たちを見たあと、姫宮へ手を伸ばした。
「君は……そんな子じゃないよね……?」
俺たちが来るまでの十分間、外島は姫宮と親しく会話した。内容は全部、車内で聞いていた。いい雰囲気ですらあった。心を通わせたと姫宮が錯覚しても、おかしくない。
姫宮は。
「……帰って」
震えるような声で呟いた。
「帰って! 全員、帰って! もう誰とも話したくない!」
扉を閉めようとしたのを、咄嗟に、外島が掴んで止める。半開きの玄関扉の中にいる姫宮の顔は外島に隠れ見えなくなった。
「姫宮さん、本当のことを教えて。君は……君は本当に人を殺したの?」
外島と姫宮は、しばし見つめ合っているようだった。しかしそれも一瞬のことで。
「帰って!」
姫宮が、着ていたMA-1を脱ぎそれを外島の顔に思い切りぶつけた。
「うわっ!?」
視界が遮られたことで反射的に扉から手を離した。途端、大きな音を立てて扉が閉ざされ、鍵がかけられる。
場には北風と太陽と、裏返ったモスグリーンのMA-1だけが残された。
「……、失敗ですか?」
小声で、外島が言った。明崎さんは無言で外島に近寄ると、彼が手にしたままのMA-1を預かった。
そのまま、ポケットを漁り始めた。
「明崎さん?」
俺が声をかけても、彼女は動きを止めない。やがて。
「あった……!」
ビビッドピンクとモスグリーン、リバーシブルのMA-1にはそれぞれ裏表左右四つのポケットがついており、そのくしゃくしゃに丸められたレシートはモスグリーン側の右ポケットに入っていた。
昨日、千葉県内の海岸線沿いに建つコンビニで発行された一枚だ。
明崎さんが見つけたレシートを根拠に士道が令状を請求し、やがて、姫宮海心は逮捕された。




