3-16・黒幕と白兎
五月五日、こどもの日。
朝七時三十分。俺はリビングでコーヒーを飲みながら昨日の事情聴取と、その後の情報共有、そして今日の作戦についてを思い返していた。
言ってしまうとある程度真犯人の目星がついている。もちろん目星をつけたのは探偵の明崎さん、今日の作戦の発案者でもある。
ただ、目星はついていても現状のままだと証拠がない。状況証拠はあるのだが――だからこそ真犯人としての目星をつけられたのだが――しかし物的証拠がない。
そこで、作戦だ。真犯人を罠に嵌め、証拠、あるいはボロを出させる。
必ず今日中に解決されなければならない。具体的には、今日の夕方六時三十分までに。
……と、ここで家のチャイムが鳴った。
俺は、多少なりとも驚いて壁にかかる時計を見た。七時三十分だ。来客にしては朝が早い。
俺はコーヒーをテーブルに置くとテレビドアホンの前へ向かう。このマンションはオートロックだ。まず、誰が訪ねてきたのか確認しなければ話が始まらない。
……もしかして、明崎さんか? いや、住所を教えた覚えはない。が、彼女は探偵だ。俺の家を割り出すことなんて造作もないのかもしれない。作戦が開始される前、警察署での合流前に、なにか話しておきたいことがあるのかもしれない。であれば迎え入れて……いや待て、俺はゴールデンウィークだというのにここ数日忙しくまともに掃除機もかけていない。そこまで散らかしているつもりはないが、だらしない印象は与えたくない。迎え入れてもいいものか。いや、まだ明崎さんと決まったわけではない。しかし明崎さん以外に誰も思い浮かばない。
逸る気持ちを抑えながら、ドアホンのボタンを押す。そこに映ったのは。
低い位置で結われた長く尾を引く赤い髪。白シャツ、黒タイ、白手袋に、黒の燕尾服。はっきりした目鼻立ちに爽やかな笑顔を湛えた若い男はカメラに向かって一層破顔した。
「おはようございます、朔夜様」
外島白兎――黒繰の家の使用人であり本日の制限時間がなぜか十一時間も前に俺を迎えに来た。
「……外島、なぜ来た?」
自分でも顔が引きつっているのがわかる。ドアホンはその構造上、訪ねてくる客の顔は見えても迎えるこちらの顔は見えないため問題は生じない。が、声が硬かったことは認める。
外島は笑顔を崩さず、想定される中でも比較的マシなものを口にした。
「もちろん、朔夜様を時間通り本邸へお送りするためです。今から夕方六時半まで同行を許可してください。いわゆる監視役だと思っていただいて差し支えありません。時間になり次第、本邸へ強制連行させていただきます。時間になるまでの私は空気あるいは運転手だと思っていただければ」
「……悪いな、外島。実は今日も警察署に行く予定があるんだ。関係者じゃないお前は締め出しを食らうかもしれない」
「構いませんよ。外で何時間でもお待ちしています」
コイツ、本気だ。本気で俺を時間通りに本邸へ送り届ける気だ。なにがそこまで外島に使命感を燃やさせているのか。まったくもって理解できない。
「それに」
と、外島は表情をやわらげて言葉を続けた。
「朔夜様のお顔を直接見たいと思っていました。心配していたんですよ」
返す言葉に窮した。
なにも、いたずらに心配をかけさせたかったわけでは、なかった。
「……とりあえず上がれ。コーヒーを飲む時間くらいはある」
「はい。どうせ朝食を抜いていらっしゃるだろうと、コンビニで買ったサンドイッチをお持ちしています」
なにもかもお見通しというわけだ。
「これがホントの朝ごパン……ってね」
なにか言っているが。
施錠された玄関ロックを開け、外島を招き入れる。
朝食にサンドイッチを食べながら事件のあらましを、俺が黒幕だとバレない程度にボカして説明した。外島はコーヒー片手にそれを聞いて、ときどき「姫宮さんという方はGカップなんですね?」と謎の確認をしたり「安曇さんにツッコミを入れられたい。瑞木さんは……支えてあげたい……」と謎の感想を述べたりしていた。やがて説明が終わると外島は「なるほど。ほかには?」と催促した。
「ほか、というと?」
「明崎探偵の事件簿ですよ。朔夜様は、助手として事件解決の瞬間をいくつも見てきたんでしょう? もっと詳しく聞いてみたいですね」
俺は、不機嫌さを自覚しながら「手を出すなよ」と牽制した。
「わかっています。私がいくら女性が好きでも、明崎探偵には手を出しません。誓います」
外島は「それより、ほらほら、ほかの事件は?」とワクワクした様子で聞いてくる。
しかし明崎さんの活躍を他人に自慢するのは、俺としても悪い気分ではない。そこまで熱望するなら、やぶさかでもない。
集合時間の八時三十分になるまで、俺は外島と歓談していた。それは楽しく、心安らぐ時間だった。
午前八時三十分。外島の運転するオブシディアンブラックのメルセデス・マイバッハで警察署へ到着する。外島はどうしても明崎さんや士道に挨拶がしたいらしく「連れて行ってもらえないと、泣き出してしまいますよ!」などと笑顔で脅してくるので渋々同行を許した。
「いい年齢の男がそんな脅し文句を使うな。俺と同い年だろ、お前」
「男には泣いてもいい瞬間が三つ存在します。生まれたとき、親が死んだとき、そして女性を紹介してもらえなかったときです」
「ものすごい頻度で泣いてるじゃないか」
警察署三階にある第一会議室へ向かうため、エレベーターに乗り込む。その際、女性警察官の一人と乗り合わせるかたちとなった。外島はエレベーターの扉が閉まらないようボタンを押しながら「何階ですか?」と爽やかに声をかける。
「あ、ええと、四階です……」
資料の入ったクリアファイルを両手で抱きしめながら警察官は答えた。多少、緊張しているようだ。声が上擦って頬が赤い。
「お仕事お疲れ様です。一市民として、懸命に働く警察官の姿というのはとても心強いものに感じられますね。女性だと特に。仕事終わりのあなたを癒すことが私の仕事ならどんなに幸福だったでしょう。今からでも執事を雇うご予定は?」
「流れるように口説くんじゃない」
女性警察官は、可哀想に、外島と俺とを交互に見ておろおろするばかりでなにも発言できなかった。エレベーターという狭い空間に175センチ前後の男二人と押し込められ口説かれる精々160センチほどの女性警察官。ここが警察署ということを差し引いても心細いだろう。
顔を真っ赤にしながら茫然自失といった様子の彼女を置き去りに、三階でエレベーターを降りる。外島が四階に向かう彼女へ小さく手を振るのを横目に、第一会議室へ歩き出す。道中、外島がまた別の女性警察官に声をかけようとするのを阻止しながら会議室へ入ると、士道と明崎さんはすでに揃って待っていた。
今日の明崎さんはパステルブルーのシフォンブラウスにネイビーのジャケット、そしてネイビーのガウチョパンツを合わせたワンカラーコーデのようだ。足元は、昨日と変わって白のスニーカーになっている。肩からはいつもの白いショルダーバッグをまっすぐに提げていた。
「おはようございます、黒繰さん。……そちらの方は?」
「おはよう、明崎さん。こっちにいるのは……」
なんと説明するか考えていなかった。俺は外島の姿を改めて確認する。赤髪燕尾服の男。なんて目立つんだ。俺自身わりと注目を集めやすいタイプではあるが、場違いな正装の外島ほどではない。
外島は「ああ、あなたが明崎探偵!」と嬉しそうに笑うと一礼した。
「はじめまして。黒繰家が使用人、外島白兎でございます。本日は一日朔夜様のお側で監視役のようなことを務めます。具体的には、午後六時三十分になり次第、外せないご予定に向け強制的に連行させていただくことになります。もちろん邪魔はいたしませんので、どうか見学を許してやってください」
「はあ……」
茫然の明崎さん。そうして明崎さんが流されそうになっているところへ、黙って頭を抱えていた士道が待ったをかけた。
「いや、見学なンか許せるわけねーだろ! 使用人だかなンだか知らねえが、部外者に立ち入られちゃ困るンだよなァ!」
もっともな意見だと思う。
「というわけで外島、駐車場で待っていろ。解決したら向かうから」
外島は一瞬だけ「ウッ!」と泣き真似をしたあと「わかりました……」とメソメソ言った。
「ちなみに、女性警察官との合コンって企画できませんか、士道刑事? なんなら待ち時間のうちに女性陣に声をかけておくこともやぶさかではありません。いえ、むしろ任せてください。ハーレムを作ることへの情熱は誰にも負けません」
「恐ろしい決意表明とともに女性警官へのナンパを画策すンな! 公務執行妨害で逮捕するぞ!」
「なぁに、黒繰の名前を使えばみなさん目をつむってくださいますよ」
そんなことに黒繰の名前を使うな。使用人だろお前。
とは、口に出さず「どうします、士道さん」と声をかける。
「たぶん、手元に置いて監視していたほうが余計なことをしませんよ」
「アンタもアンタでしっかり手綱を握れ! アンタの使用人なンだろ!」
正確を期すなら外島は俺に仕えているわけではなく黒繰という家に仕えているだけなのだが、まあ、外部の人間からすれば同じことか。
「外島、余計なことをせずに待てるか?」
「うさぎは寂しいと死んじゃうピョン……」
「裏声やめろ」
「うさぎは寂しいと死んじゃうピョン……」
「低音で言い直せという意味じゃない」
さて、どうしたものか。外島に余計なことをする暇を与えず、時間内に、証拠を掴むための作戦を実行に移したい。
ここで、しばらく黙って様子を見ていた明崎さんが言った。
「あの……失礼ですが、外島さん、女性の方との交流がお好きなんでしょうか?」
「はい! 大好きです!」
笑顔で言い切る外島。躊躇とかうしろめたさとかないのだろうか。
しかし、明崎さんはそんな外島の様子に「なるほど」と頷いて俺と士道へ提案した。
「今回の作戦、外島さんにも協力をお願いするのはどうでしょう?」




