3-13・看破
ここで、スマートフォンへの着信に気付く。スーツの内ポケットから取り出すと、相手は士道のようだった。
「もしもし」
「ああ、黒繰さん。今日はご苦労だったな。できれば明日も、午前中の早いうちに署で話を聞きたいんだ。大丈夫そうか?」
「構いませんよ」
言いながら、俺は通話をスピーカーにして明崎さんに「士道さんです」と紹介する。
「ん! お疲れ様です!」
明崎さんは頬張っていたオムライスを飲み込みながら言った。
「なんだ、嬢ちゃんも一緒なのか。今日はいろいろ助かったよ」
「いえ、一般市民として当然のことをできる限りしただけです」
「それが一番助かるよ」
士道は笑ったあと「さて、用件らしい用件は実は以上なんだな。明日、午前中のうちに署に来てくれってだけだ」と俺に向け言う。
「了解です。ちなみに、貴志くんが犯人で間違いなさそうなんですか?」
「そんなの一般人にゃ言えねえよ。でも、ま、そうさなあ……」
士道は考えあぐねるような声色だった。
「正直、まだ犯人だって決まったわけじゃねえ。それこそ明日、午前中の早いうちに署に来るように言ってある。今日は一回、家に返したンだ。ハチを持ち込んだっつっても、だからなンだって話だし……仮にハチを使って殺そうとしたとして、なンつーかな、ピンとこねえっていうか……」
その言葉に、明崎さんが「ちょっと待ってください」と割り込んだ。
「現場からハチが見つかったわけではないんですか?」
「? そうだな、そういった報告は今のところまだない。死因っつーか検案書っつーか、そっちのほうも作成中みたいだし。案外、証拠固めのほうが難航するんじゃ……」
「バミリテープの下です」
明崎さんは言った。
「王鞍さんが倒れていた舞台中央、バミリテープの下にハチが潰れていないか調べてください」
「なンだって?」
聞き返す士道に向け、明崎さんは説明する。
「包丁で刺された王鞍さんは、舞台中央のバミリテープを目指して倒れる演技をしたはずです。その下に、針を上に向けた状態のハチをテープと一緒に貼っておけば王鞍さんは自動的に、針に刺されるように倒れてきます。ジャケットの下はTシャツでした。スズメバチの針の長さなら、十分貫通します」
「……!」
士道はしばらく言葉を失っていたが、やがて「だとしても、明日だ」と言った。
「今日は無理だ。撤収しちまってる。明日、朝一で現場を確認させる。貴志のこともパトカーで迎えに行く。流石に、人間なンだから家に帰って寝ねえと活動できねえだろ。今日このあとすぐ逮捕ってのは、手続き上は無理だ。できない」
「そうですか……。すみません、もっと早く連絡すべきでしたね」
「いや、嬢ちゃんが悪いわけじゃねえ。が……そうか、あのテープの下、か……」
士道はなにやら考えているようだったが、やがて「情報提供、感謝する」と言って電話を切った。
俺はスマホを手元に戻しながら「テープの下にハチを貼っておく、か……なるほどね」と呟いた。
「確認がまだなので間違っている可能性もあるんですけど、一応、王鞍さんに触れることなくハチの針を刺すことができるかと」
「いや、すごいな。さっきの会話で思いついたの?」
「そうですね。黒繰さんのおかげです」
明崎さんはあくまで俺のお手柄みたいな顔で微笑んでいる。が、実際には彼女の推理は俺のトリックを超えるものだ。今回、バミリテープの下にハチを設置しろなんてトリック原案には書いていない。つまり、貴志のアレンジ――正しく翻案なのだ。いくつか提案していたはずのハチの使い方は演劇中に使える代物では到底なかった。それを、劇の脚本に合わせ貴志が独自に生み出したのがおそらく今回のトリックだ。だから俺にはハチを使ったことはわかっても、どう使ったのか思いもよらなかった。それを、明崎さんは見抜いてみせた。
素晴らしい働き、まさに探偵だ。この瞬間を目の前で見るためだけに彼女の助手をやっていると言っても過言ではない。ぞくぞくする。
「これで明日の朝一番、バミリテープの下からハチが見つかったら、犯人は貴志くんで決まりだね」
食事はほとんど終わったと判断し、発言する。しかし明崎さんは「それなんですけど」と相談するような声色で言った。
「いまいち、動機がわからないんです。もちろん、私自身が貴志さんをよく知らないというのもあるんですけど、そもそもどうして貴志さんは王鞍さんを殺そうと思ったんでしょう?」
「それは警察が調べてくれるんじゃない?」
「私個人として、知りたいんです」
なるほど。では、明崎さんは明日、貴志の身辺調査を行うつもりなのだろう。そこまで大規模なものである必要はない。たとえば貴志と交友のある人間数人から、彼がどういった人間だったのか聞き出すくらいが精々といったところか。
「わかった。もし調査するなら手伝うよ。明日、警察の事情聴取が終わったら合流する」
「ありがとうございます」
明崎さんは微笑んだあと「そういえば」となにか思い出したように鞄からラッピングされた小箱を取り出した。
「忘れるところでした。これ、前回の助手のお礼です」
俺は笑みのほころびを自覚しながら「ありがとう」と言って受け取った。可愛らしい白い小箱は縦十五センチ横十センチに厚みが五センチほど、赤のリボンが巻かれている。手元で小さく傾けてみると中身は微かな音を立てた。
「アップルパイです。一口サイズが二個入ってます。レンジやトースターなんかで温めてもおいしいかと」
「そうなんだね。帰ってからいただくよ」
市販ではないアップルパイ、もしかして人生で初めて食べるかもしれない。というか、手作りできるものなのか。黒繰朔夜の人生における初めての手作りアップルパイ、その栄誉ある玉座は明崎さんのものだ。ああ、また俺の中に明崎さん専用の椅子が増えてしまった。なんとも喜ばしい。
しばらく箱を眺めていたが、ふと顔をあげると明崎さんと目が合う。明崎さんは小さく笑いながら「黒繰さん、実は甘いものお好きなんですか?」と言った。
「普段、コーヒーをブラックで飲んでいらっしゃるイメージだったので、その、助手のお礼にお菓子を提案したときも、内心断られるんじゃないかって思っていたんです。でも、実際にお菓子を振る舞ってみると、いつも楽しそうっていうか、嬉しそうっていうか」
そんなに楽しそうだったり嬉しそうだったりするのか。
俺は小箱をテーブルに置きながら「甘いもの自体は、そこまで。普通だよ」と返す。
「でも……じゃあ、アップルパイが特別にお好きなんですか? なにか、思い入れがあるとか」
「はずれ」
「む……でも、無理して嬉しそうにしている感じではなさそうですし……」
悩み始める探偵さんへ、答えを教えてあげることにした。難しく考えるようなことではない。それは非常にシンプルだ。
「明崎さんが俺のために作ってくれたお菓子だから嬉しいんだよ。だから、甘いもの単体でも駄目だし、他の人間から渡されたとしてもピンと来ない。明崎さんからの感謝の気持ちがかたちになってるから、楽しかったり嬉しかったりするんだ」
明崎さんは悩み俯かせていた顔をあげる。その拍子に俺と目が合う。目が合った途端、明崎さんは瞬きを繰り返しながら頬を一気に紅潮させた。
「え、えと、えっと……! そ、それは、大変光栄というか……! なんというか……!」
目を泳がせながら手をテーブルに置いたり前髪を気にしたりやっぱり膝に置いたりする明崎さんに、俺は目を細める。いくらでも眺めていられる。この瞬間だけが永遠に続かないものだろうか? 俺の世界の中心は、明崎さんだ。彼女だけにスポットライトが当たればいい。暗がりでモブが死んでもなんとも思わない。あるいは引き立て役に過ぎない。明崎さんが探偵として真実に光を当てようとするなら、もちろん、それを補助するのが俺という助手だ。
しかし――照らし出されるべき真実をあらかじめ暗闇の中に覆い隠しておくことも、俺の秘すべき一側面になるのだろう。
「そ、そろそろ帰りましょっか! いい時間ですから! ね!」
「そうだね」
俺は伝票とアップルパイの小箱を手にレジに向かう。店の奥からやってきた今朝方に「電子決済で」といつものように……
「あー、すんません、お兄さん。実は、スマホでピッてする機械の調子が悪くて。今日はお客さんには現金でのお支払いでお願いしてるんス」
俺は動きを止めた。ある程度持っているはずの現金は当然財布の中だが、その財布というのは普段持ち歩く鞄の中に入っており、今日はその鞄の持ち合わせがなかった。夕方、桜花宴大学葵ホールにて中身そのまま全部入りで警察に証拠として提出している。今、俺が手にしているのは明崎さんから預かった一人分の大人様ランチ代だけだった。
「……なんとかならない? ツケとか、君が俺に貸してくれるとか」
「ちょっと難しいッスかね」
「半分でいいんだけど」
「いや~、お兄さんが相手とはいえ流石に……」
今朝方があまりにもたもたしているので、異変に気付いた明崎さんが「じゃあ、今日は私が払いますよ」と財布を取り出し始めた。
「そういえば鞄、警察に預けてきちゃいましたもんね。なにかあるといけないので、さっきお渡しした大人様ランチ代はそのまま黒繰さんが持っていてください。心もとないとは思いますが、無いよりはマシかと」
「いや、あの、でも」
「大丈夫です。持ち合わせがあります。たまには、こんな日があってもいいと思いますよ」
明崎さんはそう言って笑顔で会計を済ませた。
こんな事態を招かぬよう、明崎さんといるときは常に財布を携帯しているはずなのに。くそ、貴志のせいだ。あの男が俺を犯人にしようと画策しなければこんなことにはならなかった。余計なことをしてくれる。別に、俺じゃなくてもよかったはずだ。楽屋には演劇サークルの面々も荷物を置いていた。それなら無理に部外者の俺を陥れずとも、隠れた動機の出てきそうな監督の長潟あたりにでもハチを押し付ければよかったのだ。それなのに。
そもそも、なぜ貴志が俺に対してあんなに敵対的だったのかわからない。心当たりがなさすぎる。大した接点すらなかったはずだ。理解できない。
願わくば、警察の捜査か明崎さんの調査によって明らかになってほしいものだ。
明崎さんを駅まで送ったあとも、しばらく、俺は貴志を呪っていたのだった。




