3-10・黒幕と刑事
楽屋には警察官が二人座っていた。士道と、女性の警察官だ。聞き取りを行う人物の性別によってどちらかが話の聞き役をし、どちらかが書記官のようなことを務めるのだろう。
士道が「座ってもらって構わねえぞ」と少し砕けた口調で俺に椅子を勧めた。俺は「失礼します」と士道の正面に座る。
「一応形式上だから言っとくが、言いたくねえことは言わなくていい。黙秘権がありますってやつだ。供述は全部調書としてまとめさせてもらう。で、やりとりについても警察側で録音させてもらいたい。問題ないな?」
「構いませんよ」
「じゃあ、質問だ。まず名前と、被害者との関係を教えてほしい」
「黒繰朔夜、部外者です」
士道は俺の自己紹介に「部外者……せめて演劇の見学者とかじゃないのか」とぶつくさ言った。
「次に、王鞍さんが倒れたときの状況を教えてもらいたい」
俺は、できる限り正確に観劇中の状況と客席から見た王鞍の倒れ方なんかを説明した。すでに似たような話を他からも聞いているのだろう、士道が話を聞き直したり、突っ込みを入れたりすることはなかった。
「じゃあ、劇が始まる前のことも教えてもらいたい。王鞍さんと揉めたンだって?」
「そうですね、端的に言って女性関係で揉めたというか、俺としてはもらい事故というか」
「なにが起きたか説明できるか?」
「実演しますか?」
「嫌な予感するからそれはいいわ。口頭で頼むわ」
賢明な判断だ。
「前提として、王鞍くんには姫宮さんという交際相手がいます。俺が先に知り合ったのはその姫宮さん、といっても二人とも今日が初対面です。まず、姫宮さんが王鞍くんの存在を隠した状態で俺にアタックをかけてきまして」
「前提条件としてとんでもねえ修羅場をお出しされる俺の気持ち」
「結局、姫宮さんからの誘いは断って、帰らせたうえでホールにやってきました。しかしホールに到着して早々、王鞍くんに『姫宮さんから苦情が入った』という理由で胸倉を掴まれ絡まれます。で、誤解を解くために姫宮さんからの誘いを断ったことを実演付きで説明しまして」
「それたぶん実演する必要ねえよな?」
「そんなことありませんよ。みなさん、納得してくださいました。おまけのヘイトのほうが高くついたかもしれませんが」
「ホントにな」
「で、その途中に俺は気分が悪くなって明崎さんに連れられるかたちで一度ホールを出ました。そのあと、二時過ぎまでは外のベンチでぼんやり座ってましたよ」
「ふむ」
士道は手元に手帳を開きながら質問を続ける。
「外のベンチで明崎さんとどんな会話を?」
「会話らしい会話は、特に。ただ、こういった状況が以前にもあったかどうか聞かれました。明崎さんのせいではないのですが、彼女は、自分に責任があるみたいな言い方でしたね。どう考えても王鞍くんの存在を伏せて俺にアタックかけてきた姫宮海心さんが悪いと俺は思いますが」
「うん? うん」
士道はなにか引っ掛かったような顔をしたが、特にストップはかけなかった。
「ちなみに、どうしてパニックに陥ったか説明できるか?」
「パニック?」
なにを意味しての単語かわからなかったので聞き返した。
「いや、だから……その『気分が悪くなった』ってやつだよ。過呼吸を起こして外に出たンだろ? 心因性のパニック発作に似ていたと……聞いてるが……」
「いや、別に。ちょっと気分が悪くなっただけですけど」
士道は、書記官役の女性警察官と顔を見合わせた。
「聞きにくいことを聞いてすみませんね、黒繰さん。けど、認識のすり合わせってやつが必要なンですよ。王鞍さんと揉めたあと、心因性のパニック発作を起こしましたね?」
「いや……? 別に……? ちょっと気分が悪くなっただけです。よくあることでしょう」
「滅多にないだろ……」
士道は手帳を睨みながら顎に手をあてる。
「黒繰さん、言いにくいことだとはわかっています。パニック発作のきっかけを聞いてもいいですか?」
「きっかけですか」
「ご気分が悪くなったきっかけです」
俺は少しだけなんと言うべきか考えた。
「そうですね……きっかけか……あまり、考えたことはありませんでしたが」
前置きして言う。
「明崎さんに嫌われたんじゃないかと思って」
「は?」
「いえ、あの場で俺は悪意に悪意を返すべきではないとお叱りを受けたんですよ。明崎さんの気分を害してしまいました。それで……」
「ちょちょ、ちょっと待て、待ってくれ、黒繰さん、王鞍さんがきっかけなンじゃ……?」
「は?」
流石に意味がわからなくなり、士道に言い返す。
「どうしてここで王鞍くんが出てくるんですか?」
「アンタこそ、なんでここで明崎の嬢ちゃんが出てくるンだ……?」
なぜかと問われるならそれは俺にとっての世界の中心が明崎さんだからとしか言いようがないのだが……。
士道は「いいですか、黒繰さん。我々はすでに他の方からも当時の状況を聞いています」と手帳を睨みながら言った。
「事件前、あなたはこの楽屋で王鞍さんと言い争いになり、取っ組み合いの喧嘩になりそうになった。それを、えー、王鞍さんのほうは安曇さんと長潟さんが止めた。あなたのほうを明崎さんが止めた状況だったと。で、明崎さんの背後で王鞍さんがずっとあなたに向け怒鳴っていたというのを聞いています。それがきっかけでパニックを起こしたのでは?」
「違いますが?」
「どのくらい違うンだ?」
「びっくりするくらい全然違います」
「マジか……」
士道は椅子の上で脱力した、が、すぐ女性警察官に注意されて姿勢を正す。
「えー……では、似たような質問になりますが、パニック直前、王鞍さんから『殺してやる』というような恫喝を受けていたことは事実ですか?」
「うーん?」
「うーん!?」
「言われたような気もしますね」
「えっと、あんま覚えてないってこと、か……? な、なぜ……?」
俺は当時の状況を思い出しながら言った。
「いえ、明崎さんしか見えてなくて……」
およそ信じられないという顔で俺を見る士道。俺からしてみればここまでの誤解を生んだ周囲の人間こそ信じられない。みんな、明崎さんの言葉を聞いていなかったのか? そういえば背後のノイズがうるさかったから明崎さんとしても普段より多少声を張っていた気もする。なるほど、あれは俺を強く叱る意味ではなくそういう。
「たしかに、その、黒繰さんがパニックを起こした原因は明崎さんかもとは……彼女本人から聞いてはいたが……」
「明崎さんと俺の間では認識に齟齬はないようですね」
「いや、それはそうなンだが……どちらかというと少数意見だと……」
なるほど。ではあの場にいた大多数は俺が王鞍に恫喝されたから気分が悪くなったと思っていたのか。それで『動機がある』になるわけだ。
動悸違いなんだよなあ。
「王鞍くんに恫喝された程度で気分なんか害しませんよ」
「うん……まあ、そういうタイプには思えるが……だからこそ意外性のある動機だなと……あーいや、なんでもない……」
士道は手帳にガリガリとなにかを書き込みながら質問を再開する。
「では、黒繰さんがパニックを起こしたきっかけは、あくまで、王鞍さんではなく明崎さんという認識で……間違いないですか……?」
「はい、間違いありません。王鞍くんのことは当時、眼中にありませんでした」
士道は苦い顔で「貴重な証言、ありがとうございます……」と言った。
当時の状況と人間関係についてあらかた聞き終わったところで、士道は背伸びしながら「大体こんなところかなァ」と欠伸した。
「で、黒繰さん。最後に持ち物検査をさせてもらいたい。ボディチェックと手荷物検査だ。あらかじめ確認しとくが、怪しい物は持ってないンだな?」
「思い当たるものは、特に」
俺は鞄を女性警察官に渡すと、立ち上がって腕を軽く持ち上げる。
「じゃ、失礼しますよ」
士道が俺の身体を叩くようにして危険物を持っていないか確認する。もちろん、なにも出てこない。
と、思っていると。
「黒繰さん、これはなんですか?」
鞄を検めていた女性警察官が声を上げた。手には金属の蓋で閉じられた円柱形のビンのようなものを持っている。直径約七センチ、高さは約八センチ。身近なものに例えるならジャムの空き瓶のような印象を受けた。
「? なんですかそれ」
「あなたの鞄から出てきたものですよ」
「俺の持ち物ではないと思いますが」
士道が、面倒ごとの気配を察知して顔を曇らせた。
「俺が見よう。えー、どれどれ……」
ビンの中に大きな乾燥剤がいくつか入っている。隙間からは黒と黄色の三~四センチほどの小さな物体が……。
「ハチか?」
「きゃっ!? 虫!?」
女性警察官が悲鳴を上げビンから距離をとる。そのまま「なぜこんなものを持っているんですか!?」と強めに俺を糾弾する。
答えず、士道の持つビンをまじまじと見た。
「スズメバチじゃないですか? 動いてないから眠ってるか死んでるかですね」
「そうだな。デカいし、まあミツバチではないだろ。念のため没収するかたちになるが」
「構いませんよ」
ハチに怯える女性警察官が「質問に答えなさい! どうしてこんな物を!?」とビンから距離をとったまま言った。
「何度も言うようですがそもそも俺の物ではありません。なぜ鞄に入っていたのかもわかりません」
「でも! でもあなたの鞄から……!」
たしかに、それが問題だ。俺は今度は鞄を見ながら考える。
「そういえば、鞄を手放している時間が長くありました。いわゆるパニック発作のとき、鞄を楽屋に取り落としたまま外に出ています。誰も盗んだりしないだろうとしばらく放置していたので、鞄を手元に戻したのはそれこそ警察が来たあとです」
「じゃあ、その間に誰かが持ち物を追加したとでも!?」
「なるほど、そうかもしれません」
女性警察官は「ああ言えばこう言う……!」と若干俺の言動に苛立っているようだったが、士道は「まあまあ」と宥めるように続けた。
「とにかく、証拠品になりますのでこちら押収させていただいても?」
「いいですよ。むしろ、そのハチを鞄ごと押収し証拠品としてください。俺はそのビンに触れたことがないので指紋は出てこないでしょうし、逆に、俺以外の人間の指紋や毛髪が鞄から出てくればその人物が持ち物追加の犯人でしょう」
「でも、手袋をしながらビンに触れば指紋が出てこなくても……!」
喚く女性警察官を横目に「もちろん、手袋を持っていればね」と返す。
「手袋を持っているかどうかも含めて鞄を漁ればいいことです。俺は犯人ではないので、無い腹を探られても痛くも痒くもありません。できる限り捜査にご協力しますよ」
士道は「そうしてもらえると助かる」と言って無線機で応援を呼び始めた。
俺は立ったまま腕を組んで考えを巡らせる。ハチを使ったトリックに思い当たるものがあった。しかし、このトリックはたしか――……。
「ああ、黒繰さん、もう戻ってもらって構わねえぞ」
俺の考えを遮るかたちで士道が言った。そういえば、用件――事情聴取と持ち物検査は終わったのだったか。
俺は「失礼しました」とだけ言って手ぶらで楽屋から出た。そのまま、通路を歩きながらもう一度考えをまとめ始める。
今回のトリックが俺の思い描いているものと同じなら、王鞍を殺した犯人はわかってもそこまでだ。それ以上は調査を重ねなければ難しい。事件の表層はわかってもその真相はこの俺でさえ見通せない。
ヒントを出そう。今回のトリックは二幕構成だ。
事件の幕は上がったばかりということだ。




