3-9・どのくらい
客席に戻ると明崎さんだけが座っていた。明崎さんは俺が戻ったのに気付くと「おかえりなさい」と微笑んだ。
「事情聴取なんですけど、演劇サークルメンバーが一巡して、今、あすみ先輩が応じているところです。私と黒繰さんで最後になるでしょう」
「容疑者は最後ってことだね」
「うーん……どちらかというと、私たちは見学者というか、第三者というか……士道さんとも顔見知りですし……」
明崎さんの隣に座りながら、その様子を観察する。カチューシャ、下ろした長い髪、赤縁眼鏡に、星を閉じ込めたような大きな瞳。先程見せた軽蔑の眼差しは、今は、どこにもない。
「?」
俺の視線に気付いた明崎さんと目が合う。彼女は俺をまじまじと見たあと、ふっと微笑んで俺の手を取った。
「大丈夫です。私は、黒繰さんが犯人だなんて思っていませんよ」
どうやら泣き顔に気付かれたらしいことを察知してバツが悪くなり、目を逸らす。
「そうだね、俺は犯人じゃないよ」
「はい。信じています」
……急に、彼女を試したくなった。信じているだって? いつまで? どこまで? どの程度? 俺は犯人ではない、しかし、明崎さんが軽蔑する唯一だ。
俺の左手を取る明崎さんの、あたたかくて小さな右手、その白く細い指に指を絡めた。
「どのくらい信じられる?」
突然の積極性に、明崎さんは少々慌てるような様子を見せた。俺はそんな彼女が逃げてしまわないよう右手を伸ばし彼女の髪に触れる。
「ひゃっ……!?」
明崎さんは驚いたように背筋をピンと伸ばし、そのまま後ろに引いて距離を取ることもできず硬直した。俺は急速に赤くなっていく明崎さんの表情を眺めている。
回答を待っている。
「あ、っ、その、」
まともな言葉を紡げず、何度も深呼吸しながら明崎さんは言った。
「く、っ、くろ……、黒繰さ……っ!」
頑張ってなにか言おうとしているようなので、聞き取るために少しだけ顔を寄せた。
「……!」
余計に言葉に詰まる明崎さん。なんともままならない。
俺は、明崎さんを真っ直ぐ見据えながら手をゆっくり繋ぎ直すと「俺のこと、どのくらい信じてくれるのかな?」ともう一度聞いた。
「俺が『犯人じゃない』って言い張っているだけで、実は本当に犯人だって可能性も、ゼロじゃないよね。自分で言うのもなんだけど、動機もありそうだ。どうして明崎さんはそんな俺のこと信じてくれるのかな? ……どのくらい、信じてくれるのかな?」
「……! ……!」
明崎さんはもはや俺の言葉が正しく届いているのか怪しいほどの混乱ぶりだったが、手加減してあげようなどとは思わなかった。せっかく捕まえたのだ、離すものか。このままずっと、俺を隣に置いてくれればいい。いつまでも。どこまでも。君が俺から離れられなくなるまで。
「あ……たが……っ! し……っ! ぁ、の……っ!」
明崎さんは、顔を耳まで真っ赤にしながら、右手に汗を滲まながら、それでも俺の目を見ようと星の瞬く両目を開ける。
「――あなたが私を信じてくれる限り……! 私もあなたを……! 信じています……っ!」
俺が、明崎さんを信じる限り?
想定していなかった言葉に俺は髪に触れていた右手を引っ込めると、彼女の右手にさらに手を重ね、隣の椅子に身を乗り出すようにして距離を詰めた。
「どういうこと?」
「く、黒繰さん……! 距離が……!」
「なにあかりに迫ってんだ容疑者!」
非常に不本意な罵声とともにスーツの襟首を後ろから掴まれ、明崎さんから距離を取らされる。この隙に明崎さんは椅子から立ち上がって俺のもとから逃げてしまった。あーあ。
振り向くと怒った顔の安曇が立っていた。彼女は椅子のすぐ後ろの通路から俺の襟首を掴んだまま「もしかしてもしかしなくてもアンタ、物理距離感バグってんだろ!」と怒鳴った。
「よくわからないけど、事情聴取が終わったんだね。お疲れ様。で、次はどっちだって?」
「なんで平然としてんだ! ウチ、怒ってんだけど!」
安曇は怒鳴りながら明崎さんに「あかりは楽屋に行ってな!」と声をかけこの場から追いやってしまった。どうやら容疑者の俺が最後という采配らしい。
「俺としては、なんで怒られてるのかわからないんだけど」
「適切な距離感を守れっつってんだよ!」
ようやく俺から手を離したものの、安曇の表情は晴れない。スーツの襟元を整えながら「よくわからないけどごめん」と謝ってみる。
「わかってなきゃ意味ねーだろ! アンタ、普段からそうなのか!? あ、あかりの心労を思うと胃が痛い……!」
安曇は頭を抱えると、通路から俺の隣まで歩いてやってきて明崎さんが座っていた位置に座った。
「うわ、えげついな! この距離で女子に迫るな! 鏡を見ろ! ウチでもときめくわ!」
「はあ」
「全然ピンと来てねえぞこのイケメン! 普通に考えろ! 恋人でもない異性に迫られると困るだろ! そういうことだよ!」
「別に、断ればいいのでは」
「そういえばコイツまりんのことフってるわ……無敵か……?」
あまり褒められている気がしないが、もしかして貶されているのか?
安曇は「とにかく、距離感には気をつけるように!」と総括して足を組んだ。
「それから、事情聴取の際は手荷物なんかも持って来るようにって刑事さんが言ってましたよ。ついでに持ち物検査もするみたいなんで」
「わかった。教えてくれてありがとう」
安曇は俺をじっと見ながら「感情の動きが全然わからん……」と愚痴っぽく呟いた。
「本当に感謝されてる気もするし、なんとも思われてないような気もする……」
安曇の読みはどちらも正解だったが、特に成否を明かすことはなくスマホを取り出す。そのままニュース情報などをチェックしていると、安曇は果敢にも質問を投げ始めた。
「黒繰さんって、普段なにしてる人なんですか?」
「会社役員かな」
「うわ、すげー……そりゃーまりんも媚び売るわけだ……」
「君は俺に媚を売っておかなくて大丈夫なの?」
「どうせ買わないくせにこの言動だよ……あかりのやつどこでこんなの拾ってきたんだ……?」
こんなのとは失敬な。しかし、この程度の言動で腹を立てる俺ではない。安曇にはそこまでの興味関心がない。なんとでも言うがいい。
「で、アンタはアンタで態度が露骨すぎ。周りから見るとあかりが好きなの一発だよ」
俺はスマホから顔を上げて安曇を見た。
「というと?」
「ホントに露骨だな! それだよそれそれそういうところ!」
安曇から難癖をつけられまくっていると、やがて明崎さんが戻ってきた。
俺は席を立って「おかえり」と声をかけた。
「ただいま戻りました。じゃあ、交代しましょうか」
「うん、いってきます」
鞄を片手に、明崎さんと入れ替わりで劇場を出て通路へ向かう。背後から響く安曇の「あんなののどこがいいわけ!?」といった話に聞き耳を立てたい気持ちもあったが、ひとまず事情聴取が優先だろう。俺は後ろ髪を引かれつつ楽屋の扉をノックした。




