3-7・混乱
「私じゃないわ!」
瑞木が叫んだ。赤いドレスの主演女優、瑞木京花。彼女は先程までとは打って変わって狼狽した様子で本物の悲鳴をあげていた。
「わた、私、台本通りに包丁で刺しただけなの! でも、包丁って言っても偽物で! 小道具で! 本当に刺し殺したわけじゃないわ! 私っ!」
半狂乱の瑞木と同じくらい大きな声で、明崎さんが場を制した。
「長潟さん、救急車を呼んでください。あすみ先輩は警察を。貴志さんはこの施設内にAEDがないか探して持ってきてください」
明崎さんはそのまま倒れている王鞍に駆け寄ると、肩を叩きながら「王鞍さん、聞こえますか、王鞍さん!」と意識確認を始める。俺は取り乱す瑞木に近寄り「大丈夫、わかってるよ」と声をかけ落ち着かせようとする。
「私、私こんなつもりじゃ!」
「とにかく、ここから離れよう。楽屋まで戻れば椅子がある。顔色がよくない」
明崎さんが王鞍に呼びかける声から遠ざかり、舞台袖を出て、瑞木を楽屋の椅子に座らせる。そのまま瑞木を落ち着かせようと声をかけながら、しかし意識は舞台へ向いていた。瑞木だの王鞍だのはどうでもいい、明崎さんだけが心配だ。
バタバタと、別所にいたのだろうサークルメンバーが楽屋に戻ってくる。おそらく照明や音響といった裏方組だろう。俺は彼らに簡単に事情を説明し瑞木を見ておくよう頼んで舞台へ戻った。
舞台上では、明崎さんが王鞍を仰向けに寝かせ呼吸の有無を確認しているところだった。舞台袖にAEDを持った貴志がどう動けばいいのかわかっていない様子で立ちすくんでいる。俺は貴志に「貸して」と声をかけながらAEDを奪い取ると王鞍のそばに置く。
「意識も呼吸もありません。黒繰さんはAEDの準備を。私はそれまで心肺蘇生を試みます」
宣言して、明崎さんは王鞍のジャケットとTシャツを脱がせ始めた。AEDの電極パッドをすぐ貼り付けられるようにだ。俺は「わかった」と返しAEDを開くと音声案内に従って動き始める。
パッと見、王鞍に外傷はない。だがたしかに息をしていない。そして明崎さんが王鞍の上半身を脱がせたことで、全身に蕁麻疹のような症状が出ていることがわかった。一応、記憶に留めておくことにする。
「明崎さん、AEDを試そう」
胸部圧迫、いわゆる心臓マッサージを行っている明崎さんに声をかけ、一度手を止めてもらう。電極パッドを所定の位置に貼り付けると「全員、王鞍くんから離れて。AEDを使う」と大きな声で注意喚起した。
AEDは心電図を調べたあと「電気ショックは不要です」と案内を出した。
「おっと……」
俺は一瞬だけ動きを止めた。電気ショックが不要というのは、電気ショックをやっても意味がないということだった。
AED、正式名称を自動対外式除細動器という。これは心臓がけいれん状態にあるときに有効で、それ以外のとき、たとえばすでに心臓が完全に止まっている場合には効果がない。
死体に通電しても生き返るわけではないということだ。
俺はそっと王鞍から、その死体から手を引こうとした。マニュアル上、AEDが電気ショックは不要と判断しても胸部圧迫は続ける必要がある。が……。
「代わります」
手を引こうとする俺の様子を見て、明崎さんが王鞍に向け胸部圧迫を再開した。
「…………」
止めるべきか、少しだけ迷った。俺が迷っている間にも明崎さんは心肺蘇生を続けている。その頬には汗が伝い、軽く息が上がっている。
「やめよう、明崎さん」
「いいえ」
端的な拒絶を返すのみで、明崎さんは手を止めようとしない。
「無理だと思う。もう、駄目だと思う。やめよう。諦めよう」
「いいえ」
俺は数秒黙って、明崎さんだけに届くよう低く呟いた。
「君一人が助けようとしただけで助かるほど人間は簡単じゃない。それ以上続けるのはエゴだし、傲慢だ」
「……、それでもっ」
明崎さんの手に手を重ねる。
「それ以上はご遺体を傷付ける。やめにしよう」
「ッ……!」
明崎さんは弾かれたように顔を上げ、同時に胸部圧迫の手が止まる。今にも泣き出しそうなその瞳を真っ直ぐ見据えながら静かに言った。
「よく頑張ったと思う。でも、すべてを救えるわけじゃない」
明崎さんは俯いて、王鞍から手を引くと震えながら息を吐いた。彼女の頬を伝うのが汗なのか涙なのかは、判別できなかった。
そのうち警察と救急がやってきた。
警察の指示に従い、全員が楽屋に集められた。俺、明崎さん、安曇の部外者三人と、演劇サークルメンバー八人だ。サークルメンバーの内訳としては監督の長潟、主演女優の瑞木、助演男優の貴志、大道具が三人に、音響と照明がそれぞれ一人ずつ。裏方の五人については名前を聞き忘れたため仮にABCDEとする。王鞍が死んでいると俺たちに伝えた大道具がA、音響がD、照明がEといった具合だ。
警察官に事情を話していると、やがて応援の士道がやってきた。
「刑事の士道だ。連絡ありがとな、嬢ちゃん」
どうやら明崎さんが呼んだらしい。気落ちしていても流石は探偵だ、如才ない。
「まず、迅速な救命措置感謝する。が、王鞍統治さんについては搬送先の病院で心肺停止のち死亡が確認された。結果は残念だが、君たちの勇気と行動については賞賛を送りたい。次に、なにが起きたのか一人ずつ事情を聞かせてもらいたいンだ」
「私じゃないわ……」
今度は小声で、瑞木が言った。その瞳からは大粒の涙を流している。
「だって、演劇なんだもの、私じゃない、私が殺したんじゃないわ……」
「演劇?」
「……そもそも、王鞍さんは劇中で瑞木さんに刺し殺されたままの格好で亡くなっていたんです。その、彼らは桜花宴大学の演劇サークルで」
疲労からある程度回復したらしい明崎さんが座ったまま解説する。士道はそれを聞いて大きく目を開いた。
「じゃあ、なンだ、劇で殺したつもりが、現実でも本当に死んじまった……ってことか?」
「でも! でも私じゃないわ!」
士道の反応に瑞木は顔を覆って泣き始めた。それをBとCとが椅子から立って気遣うように取り囲む。
「ああ、えっと、そういうつもりじゃなく……」
狼狽する士道に向け、立ったまま黙っていた貴志が言った。
「この人が犯人だと思います」
貴志によってある人物が示された。全員の注目がその人物に集まり、皆、息を呑む。それは王鞍が死んで気分がよくなりそうな人物、殺す動機がありそうな人物。
まあ、俺である。
「この人、リハ前に王鞍先輩と揉めてたんです。動機があります。この人が犯人だと思います」
演劇サークルメンバーはそれなりにざわついた空気になったが、肝心の士道は脱力した様子で「アンタ、なにやらかしたンだ……」とまるで俺がなにかやったことが前提かのように言った。
明崎さんのそばに立つ俺は「別に、向こうが先に手を出してきたという認識ですが」と答えた。
「反論しておきますけど、俺からしたらあの程度のことじゃ殺意なんて芽生えませんよ。ちょっとした小競り合いです」
「……とりあえず、そもそも王鞍さんと揉めたことについては認めるンだな?」
「それはもちろん事実なので」
「ここまで開き直られるとスゲー嫌な容疑者だぞ……」
警察からの心証など知ったことか。どのみち、俺は犯人ではない。
俺が動じないのに動じているらしい貴志が、たどたどしく「持ち物検査をするべきです」と続けた。
「王鞍先輩に傷や出血はありませんでした。そうなると、毒かなにかじゃないでしょうか?」
「ちょっと待ってくれ、貴志さん。アンタ、事件だと思ってるのか? 事故じゃなく?」
士道からの待ったに、貴志は「そうじゃないんですか」と食ってかかった。
「いや、俺はただアンタらに事情を聞きたいとしか……。事件か事故かもまだわかってねえし、その、なんだ、犯人とかっていう言い方すら、どうなンだ……?」
「でも、王鞍先輩は死んでるんですよ。事件じゃなかったらなんなんですか」
「そりゃあ……今後の捜査次第っつーか……」
士道の煮え切らない態度に苛立つ様子の貴志は「とにかく、持ち物検査くらいはするべきです」と言い張った。
「いや……うーん……その……」
士道は俺に目配せした。暗に、このあと実施するとして持ち物検査に応じるかと聞いている。俺は「いいんじゃないですか、別に」と言った。
「見られて困るような物は持っていません。すればいいんじゃないですか、持ち物検査。ただ、ひとつ言わせてもらうなら俺だけが検査を受けるのは不公平に思います。俺は検査に応じるので、みなさんもそれぞれ応じてください。毒を持っている可能性があるのは誰でも同じでしょう」
「ぼ、僕らがプリンスを殺したってこと!?」
長潟が大きな声を上げ、それに呼応するように瑞木がもう一度「私じゃないわ!」と叫んだ。
「あーはいはい! とりあえず一通り事情を伺ってから検査のようなことはね! するのでね!」
士道は雑にそう取り纏めると近くの警察官に指示を出しながら言う。
「聞き取りはこの部屋で行います。一人ずつです。女性の方には、女性の警察官が話を聞きます。事情を聞かれている以外の方は、劇場内の客席で待っていただければと思います。とりあえず、落ち着いてね。まだ事件と決まったわけじゃないですから」
安曇が小さく「事件じゃなかったらなんになるんだ?」と明崎さんに聞いている。それを横目に、俺は小さく「急性心不全かな」と呟いた。




