3-6・開幕
結局、二時から予定されていたリハーサルには十分ほど遅刻することとなった。とはいえ俺と明崎さんは観客のようなものだ。遅れたとしてもそんなに支障はないだろう。
照明の落ちた劇場内、客席中央に到着するとすでに座っていた安曇と暫定監督が俺に「大丈夫ですか?」と声をかけてきた。俺は「問題ないよ」と返す。実際、問題らしい問題はない。
「えっと、監督の長潟です」
暫定監督、長潟が挨拶する。白いシャツに地味な色のズボンを合わせ、同じく地味なベストを着た男だ。ザ・裏方といった風貌で、大きな丸眼鏡をかけている。あえてセットしているのかそういう髪質なのかわからない癖っ毛を気にするように触りながら「台本ナシで見ていただいて、率直な感想などもらえると助かります」と言った。
舞台上では王鞍ともう一人の男子学生とのシーンだった。舞台には右端から左端まで背景としてクリーム色の壁が立ち、中心を避けるように様々な種類の椅子が並べられていた。椅子はいわゆるモブを兼ねる場面もあるようで、王鞍から離れた位置の誰もいない椅子に向け、男子学生がなにやら台詞を演じている。
「助演の貴志くんです。彼は新入生で、演技にはまだ慣れてないんですけど、なかなかいいんですよ」
貴志と紹介された学生は舞台上に並ぶ王鞍より少しだけ背が高く、筋肉質に見える。浅黒い肌に短い黒髪、仏頂面。脇役らしく衣装は主役より地味で、どこか安っぽいシャツとズボン。台詞は少ないが特に違和感はない。というか、喋らないほうがサマになっている。普段から口数が多いタイプではないのだろう。実際、さっきも俺を睨んではいたが文句のひとつも寄越さなかった。
と、舞台袖から三人目の役者が現れた。客席から向かって右側、いわゆる上手から楽屋にいた女子学生が目立つ赤のドレスで登場する。
「彼女はうちのマドンナ、瑞木京花。普段は内気ですが演技力は随一です。今回のヒロインになります」
瑞木京花。ウェーブのかけられた豊かな髪が印象的だ。ドレスはスレンダーラインのホルターネックで、肩と背中を見せるデザイン。舞台のどこにいても目を惹く存在感がある。役柄としては妖艶、ときに大胆。演技としてこれだけの動きができるのに内気な性格というのは面白い。いわゆる憑依型なのかもしれない。
そして、主役の王鞍。彼は劇中ほとんど舞台の上にいて動作を伴いながら喋っていた。役柄としては破天荒で快楽主義。演技としては、普通。悪くないが特筆して良いというわけではない。瑞木のほうが上手い。慣れているぶん貴志よりはマシだが。
脚本は、主役というだけあり王鞍を中心として展開されていた。王鞍が派手に動いて周囲をしっちゃかめっちゃかにしながら、同時にヒロインである瑞木との恋模様が描かれる。貴志は、たまに出てくる忠告役。ポジションとしては二人共通の友人であるようだ。
まあまあの出来だ。特段面白い場面はないが見ることを中断するレベルではない。まあ、見れる。学生演劇なのだからクオリティとしてはこんなものだろう。強いていうならヒロインの瑞木が魅力的に映る。なんなら王鞍と主役を入れ替えたほうがいいんじゃないか?
「今回はプリンスの引退公演なんです。いやあ、今日も輝いてるなあ」
監督の長潟が観劇しながら呟く。なるほど、役者ありきの舞台、か。
途端につまらないものに思えてきた。観客はなにを見せられているんだ? プリンスの単独公演か? 自己満足に付き合っていられるほど俺は暇ではない。
劇は、ヒロインの瑞木が主役である王鞍を包丁で刺した場面でクライマックスを迎えた。王鞍は大袈裟な動作を伴ってゆっくりと床に倒れ、その様を見ながら瑞木が「ざまあないわ!」とヒステリックに叫ぶ。もし衝撃の結末を意図しているなら安っぽいからやめたほうがいい。主人公が死んで終わる脚本なんて腐るほどある。目新しくもない。
瑞木が散々叫んで舞台上を去ったあと、孤独に倒れ伏す王鞍をスポットライトが印象的に照らした。その光景を観客の目に焼き付けるよう長めに間が取られたあと、やがて暗転し、緞帳は下りていった。
「どうでした!?」
客席の照明が点くと同時に、監督の長潟が言った。その声には期待が込められている。
安曇は「よくわかんなかったな……」と微妙な表情で頬杖をついた。
「なんで最後、王鞍は死んだの?」
「それはですね、これまでの彼の行動が巡り巡って破滅をもたらしたというか、いわゆるパンドラの箱なんですよ! この場合、絶望と幸福は逆転しているんですけどね、瑞木が包丁を刺したことで箱が開き、今後、世界にとっての幸福が溢れる代わりに箱の底にプリンスの死骸だけが残るっていう……」
「いや説明されてもわかんねーよ」
一般的な感想だと思う。
しかし明崎さんは「私は悪くなかったと思います」と笑顔を浮かべる。
「主人公が破滅して終わることで、一種、寓話的ですよね。役柄に共感する部分もありました。みなさん熱演だったと思います」
「そうでしょう~!? 黒繰さんはどうでした!?」
長潟からの熱い視線を冷めた目で受け流しながら、俺は言った。
「まあ、こんなものなんじゃないかな、と」
長潟は丸眼鏡の位置を直しながら「こんなもの……というと?」と固唾をのんだ。
「瑞木さんだったかな、彼女の演技はよかった。役に入り込む、というより憑依してる感じなんだろうね。自然だったし感情移入もできたよ。貴志くんは、たしかに長潟くんの言う通り悪くはないんだけどまだ場慣れしてないね。でも学生演劇での新入生なんだからこんなものでしょ。最後にプリンスこと王鞍くんだけど、彼は、役を演じる自分に酔っているようにしか見えなかった。『悲劇の主役を演じる自分』が透けてみえる。観客としては興醒めだ。そもそもこの脚本の主題はなに? 観客になにを伝えたかったの? もし王鞍くんの演技を見せることが目的なら成功してるんだけど、だったらあまり面白いとは思わないな。今、長潟くんの言った逆パンドラ構想を前面に出したいなら、俺なら劇を二幕に分けるよ。第一幕の終わりに瑞木さんが王鞍くんを殺すことで、第二幕では端役と思われていた貴志くんを主人公に、これまでうまく回らなかった第一幕での出来事を焼き直して『箱が開かれたことで全部うまくいきました』という展開にする。恋も成就するかたちに書き直す。最後に結ばれた二人が王鞍くんについて言及したら終幕かな」
「そ……それだとプリンスが噛ませになっちゃうけど……」
「そうだね。ぴったりだと思ったけど」
「………………」
長潟は顔を引きつらせたまま言葉を失っていた。『率直な感想を』と言われた以上、極力そのように伝えたつもりだったが、もう少し濁してもよかったかもしれない。たとえば『主役が特に目立っていた』くらいの感想でもよかったということだ。先程も言ったように、演劇としてつまらないだけで主役の王鞍の演技を見せるという意味では十分成功している。要するに主題の問題なのだ。面白さを追及しないのであれば別に今のままでいい。
長潟はしきりに丸眼鏡の位置を直しながらようやく「参考にします……」とだけ言った。俺は、たぶん参考にはされないんだろうなと思いながら長潟に言った。
「別に俺の言った通りに脚本を書き変える必要はないよ。その良さを理解できない凡俗な大衆の意見なんかに耳を貸す必要はない。監督は君だ。君がこの舞台を通して伝えたいと思ったことは曲げるべきじゃない。ただ、もし主題が曖昧なら固めたほうがいい。それは君にしか掴めないものだ」
長潟は、今度はなにも言わなかった。
こんなものだろう。最初に言ったが学生演劇なのだ。プロじゃない。そこまでのクオリティを観客は、少なくとも俺は求めていない。期待していない。そこまでできると思ってない。観客が見るのをやめないだけの完成度はある。なにがそこまで不満足なのだろう。及第点だと言っているのに。
「私は、みなさんの演技、よかったと思いますよ。最後の展開も、なんていうか、ハラハラしました」
明崎さんが長潟にフォローを入れる。しかし続けて、安曇がボソボソと言った。
「ウチは微妙だったなあ……映画とかも基本アクションしか見ないし……ウチの感受性の問題だったりする……?」
「今回の演劇はどちらかというと純文学的でしたからね。難しい部類だったとは思います。舞台の上に登場人物それぞれの人生が切り取られるとでも言うのでしょうか。でも、私は今回の終わり方でよかったと思いますよ。あくまで主役は王鞍さん……なんですよね? その後の展開を描くのは蛇足かと。パンドラの箱が開かれたという予感だけで十分だったと思います」
「いやそもそもパンドラの箱ってなに?」
明崎さんを中心に安曇がわいわい言っていると、ようやく回復したと見える長潟が「よぉし!」と急に立ち上がった。
「とにかく、プリンスたちを労いに行こう! 監督は僕だ!」
奮起する様子の長潟に「その意気ですよ、長潟監督!」と声をかけ、明崎さんも席を立った。
「私たちも感想を伝えに行きましょう。黒繰さんは……ちょっと、控えめに言ってあげてくださいね」
「わかっているよ」
俺は席を立ち、鞄を探そうとしてそういえば楽屋に置いてきたことを思い出す。まあ、誰も盗んだりしないだろう。そもそも今日この場には演劇サークルの関係者しかいないはずだ。こんなクローズドな空間で事件なんか起こすのは、馬鹿だ。もっと部外者が多いとき、それこそ劇本番に事件を起こしたほうが効果的だろう。
とはいえ、二度も観劇したい舞台ではなかったが。
俺、明崎さん、安曇、そして長潟の四人は劇場から出て楽屋へ向かった。が、楽屋には人っ子ひとりおらず、四人で顔を見合わせたあと、今度は舞台袖に向かってみることにする。緞帳の下り切った舞台の内側に、役者たちをはじめとするサークルメンバー数人が集まっていた。
「なにかトラブル?」
長潟が声をかけると、顔を真っ青にした学生――最初に楽屋の場所を聞いた学生だ――が俺たちを見て言った。
「王鞍先輩が、息をしてません」
「え?」
「死んでるんです」
取り囲む数人の中心で、主役の王鞍が舞台上で倒れたのと同じうつ伏せのまま息絶えていた。




