3-3・ハニートラップ
「まりん、たらこのパスタとイチゴパフェ! 朔夜さんはなに食べるんですかぁ?」
意気揚々とファミレスに来た姫宮に対し、テンションが最底辺の俺は「オムライスかな」と適当に答えた。
「オムライス! おいしいですよねぇ~! デミグラスソースが濃厚っていうかぁ」
雑談を雑に聞き流しながら手元のスマホに目を落とす。大学からファミレスまでは十分ほどの距離だったが、姫宮に腕を掴まれていたせいで歩きにくく、十五分ほどかかった。座ったのは近くに窓のない席。ドリンクバーがほど近い。店内はそれなりに客がいる。ひとつの席につき壁側のソファ席と通路側の椅子席とがあり、姫宮は当然、ソファ席を陣取ってタブレット端末に映るメニューを眺めていた。
「え~、でもぉ、カルボナーラもおいしそうかもぉ~。まりん、目移りしちゃぁう」
姫宮が注文端末を独占しているのでオムライスだけを先に注文することもできず、ただ無為な時間が流れている。
ややあって、やはり昼食をたらこパスタに決めたらしい姫宮が二人分の注文を確定させると「ドリンクバー、なに飲みますぅ?」と言って席を立つ。
「水かな」
「え~? クールぅ」
姫宮が水と、自分で飲むのだろう甘そうなコーヒー飲料とを持って席に戻ってくると、俺は席を立ち自分のブラックコーヒーを淹れてきて席に座った。
「えぇ~? コーヒーくらいまりんが淹れてあげるのにぃ」
他人の淹れたコーヒーなんか飲めるか。ほぼ初対面だぞ。
俺は姫宮の持ってきた水には目もくれず、自分で淹れたコーヒーを口に含む。姫宮という存在がストレッサーすぎて全然リラックスできない。排除したい。
いや、できるか。今この場に明崎さんはいない。なんとかしてこの女を帰らせる方法について、俺は考えを巡らせ始める。安曇は今のところいてもいい。でも姫宮は駄目だ。鬱陶しい。煩わしい。騒々しい。邪魔だ。
オムライスを食べながら姫宮の話に「はあ」とか「へえ」とか相槌を打つ。姫宮は俺が不機嫌であることには気付いてはいるようだったが、それでも押しの姿勢を崩すことはなかった。
「朔夜さん、本当に綺麗な顔してますよねぇ。いいなぁ。ケアとかされてるんですかぁ?」
「別に」
「えぇ~!? ケアしてないのにそんなにお綺麗なんですかぁ~!? いいなぁ~、まりん、化粧品はデパコスって決めててぇ。オススメのブランドはぁ~」
喋ってばかりで食べるのが遅いな、この女。さっさと食べて店を出るか。
俺はオムライスの皿を綺麗に食べ尽くし、コーヒーを飲み干すと「割り勘でいいかな?」と言って財布から自分の食べた分だけ千円札を出した。
「え~? はやぁ~い。マリン、まだパフェなのにぃ。あ、一口食べますぅ? はい、あ~ん」
一口分だけすくったパフェをさっきまで使っていたスプーンで差し出してくる姫宮を無視して、席を立つ。
「先に外で待ってるね」
「え~!? ドリンクバー、元とっていけばいいじゃないですかぁ~! もうちょっとお喋りしましょうよぉ~」
「外で待ってるね」
繰り返してそう言うと、俺は店を出た。
店の外に立ち、スマホでニュースをチェックしていると、やがて姫宮は店を出てきた。
「もぉ~! 朔夜さぁん~!」
怒っていることを主張する声色の姫宮を無視し「行こうか」と言って腕を掴まれる前に歩き出す。速度を合わせる必要はない。十分で大学前まで戻る。
「朔夜さんってぇ、やっぱりあかりちゃんのこと好きなんですかぁ?」
後ろから響いた声に、思わず足を止めた。
途端、背中から姫宮に抱きつかれる。姫宮は俺にその身体を密着させながら「捕まえちゃったぁ」と言った。
「あかりちゃん、落とすの結構難しいと思いますよぉ? 彼氏の話なんて聞いたことないですしぃ。あんまり遊んでる感じでもなくってぇ。勉強熱心! って感じなのでぇ。望み薄なんじゃないですかぁ? どっちかっていうと地味子だしぃ」
俺は右手首に巻いた時計を確認した。十二時四十五分。あまり、タイムロスはしたくない。
排除するならたぶん今だ。
「朔夜さん、カッコイイんだからもっと釣り合う女の子たくさんいると思うんですぅ。あかりちゃんだと全然駄目ですよぉ。空気読めてないっていうかぁ。浮いちゃうっていうかぁ」
「君なら俺と釣り合うってこと?」
軽く鎌をかけてみると、姫宮は「もっちろん!」と言って、背伸びしながら俺の耳元に囁いた。
「朔夜さんのこと、たくさん甘やかしちゃいますよぉ? まりんってGカップだから、実はあかりちゃんよりワンサイズ大きくてぇ」
ものすごい情報をとんでもないタイミングでリークされ一瞬だけ動揺した。姫宮はそれが狙いだったとでも言うように俺に胸部を押し付けながら路地裏にもつれこむ。
あまりに無理矢理移動させられたので転びそうになりながら路地裏の壁面に手をついた。そんな俺の真正面に移動した姫宮は「まりん、今晩ヒマしてるんですけどぉ」と上目遣いで言った。
「朔夜さん、あかりちゃんに相手してもらえなくてかわいそぉ。まりん、慰めてあげたぁい」
姫宮は俺の視線の先に顔ではなく豊かな胸部を持ってきていた。明崎さんとワンサイズ差か。いや! 今の感想はおかしかった、撤回する。視線を無理矢理上げると、息遣いが聞こえるほどの距離の姫宮と目が合った。
「まりんのこと、あかりちゃんだと思ってもいいんですよぉ?」
姫宮の香水が甘く香る。こんなあからさまなハニートラップを仕掛けられるのも久しぶりだ。俺がもっと若く未熟だったなら動揺もしただろう。いや、ついさっき明崎さんの名前が出たことで思い切り動揺した挙句が今なのだが、それはあくまで例外として扱う。あるいは、今日が明崎さんとの待ち合わせというセッティングでなければ気まぐれに姫宮と遊ぶ選択肢を選んだかもしれない。が、今回に限ってそれはない。
姫宮の言動に対し、強い怒りを覚えている。俺を小馬鹿にしていることもそうだが、それ以上に、明崎さんを侮辱する言動が腹立たしい。イライラする。お前が明崎さんを語るな。バストサイズがわかるからなんだというのだ。姫宮は明崎さんの魅力をなにひとつ理解していない。明崎さんの代わりなどいやしない。代わりなど誰にも務まらない。明崎さんは俺にとっての唯一なのだ。
代替品など、論外だ。
俺は姫宮の左手首を掴みながら右肩を押し、先程まで手をついていた路地裏の壁にその身体を縫い留めた。
「きゃ!」
突然の反撃に、姫宮が嬉しそうに声を上げ期待に満ちた目で俺を見上げる。いいだろう、期待に応えよう。俺は姫宮が逃げてしまわないよう両腕で左右の逃げ道を塞ぎながら、右足を彼女の両足の間に滑り込ませ抱き合うように身体を密着させる。息を呑む姫宮の目と鼻の先でとびきり綺麗に微笑むと、耳元に甘く囁いた。
「断るよ。俺は君ほど暇じゃない。君じゃ全然釣り合わない。君には少しも価値がない。興味がない。関心がない。俺にとって、君は死ぬほどどうでもいい」
「ぇ――」
想定する言葉ではなかったのだろう、絶句する姫宮から数歩離れると俺は「君はファミレスから大学に戻る途中、ヒールが折れて一度家に帰らなくてはいけなくなった。可哀想に。でも、怪我がなくてよかった。帰りのタクシー代は俺が出そう」と言いながら財布から一万円札を出し、彼女のオフショルダーの胸元へ挟んだ。
「明崎さんと安曇さんには俺から説明しておくよ。お大事に」
口を開けたまま信じられないものを見たという表情の姫宮を残し裏路地から出る。その後の姫宮の行動には、興味がない。振り返ることなく大学前まで戻ってくる。遠目に見える時計台はちょうど午後一時を示そうとしていた。




