3-2・観劇初日
五月三日、憲法記念日。
俺はタクシーで私立桜花宴大学を訪れていた。もちろん、明崎さんとの待ち合わせのためだ。授業自体は休講だが、この休みを利用して演劇サークルが大学内のホールで夏公演に向けた大規模リハーサルを行うのだという。明崎さんは友人のツテでそのリハを見学に行く予定を立てており、そこに、俺からのメッセージだ。せっかくならご一緒しませんかという明崎さんからの打診に否定を返すはずもなく、今日、五月三日に大学前で待ち合わせる運びとなったのだった。
レンガ造りの大きな校舎と、その壁一面に巻きつくツタとが印象的なキャンパスだ。外壁は赤茶色のレンガと白いモルタルとで統一されており、レトロで洒落ている。校舎正面の時計台は今がちょうど昼十二時であることを示していた。サークルメンバーたちは午前中から支度をしているが、リハーサル自体は二時からのため、大学の食堂で昼食を食べてからホールに向かえば十分だろうということになっていた。
「あ、黒繰さーん!」
鈴のような可憐な声音が耳に届く。正門の柱の前には笑顔で大きく手を振る明崎さんの姿があった。今日の明崎さんは髪を下ろし、シンプルなカチューシャをつけていた。白く、袖がフリルのように広がったデザイン(たしかキャンディスリーブという名称だったはずだ)のブラウスに、V字に大きくカットされた紺のサロペットワンピースを合わせている。靴はワインレッドのローファー。片手には大きな紙袋を持ち、肩からは白いショルダーバッグがベルトで斜めに提げられていて――その、なんだ。若干、目のやり場に困る。鞄を斜めにかけることはあまり推奨できない。あとで注意したほうがいいかもしれない。心配になってくる。よろしくない。新しいバッグのプレゼントを検討してしまう。斜めがけはまったくもってよくない。リュックとかのほうが、なんだ、似合うと思う。そう愚考する。
そして、そんな明崎さんの隣に、おそらく明崎さんの友人なのだろう女子大学生が二人立っていた。
「どもども、あかりの先輩の安曇明日美です」
「こんにちはぁ~、あかりちゃんの友達のぉ、姫宮海心でぇす」
一人目、安曇明日美。明るく染めた髪を短く整えた女子大学生だ。たぶん、頭部の下半分は刈り上げているのではないだろうか? 俺よりも髪が短い気がする。背が高く、三白眼ぎみ。オーバーサイズのラフな白いTシャツにカーキのカーゴパンツを合わせている。靴は白のスニーカーで、スポーティーなリュックを背負っている。
二人目、姫宮海心。ミルクティー色の髪をゆるくふわふわに巻いた女子大学生だ。ピンクに黒の差し色が映えるオフショルダーのトップスにノースリーブのフリルブラウスを合わせた肩出しスタイル。寒くないのか若干疑問だが、まあ、この手のタイプは寒いと一言主張すれば同行している男が上着を貸してくれるだろう。黒のスカートは前が短く後ろが長いフィッシュテール。肌を透かす薄手の黒タイツと艶めく黒いヒールが蠱惑的だ。片手持ちの大きなピンクのバッグの他にスマホショルダーのチェーンを斜めにかけているようだった。なるほど、これは男ウケする。俺の好みではないが。
「こんにちは。黒繰朔夜です」
二人に向け軽く微笑みながら自己紹介する。初対面だが、おそらく名前くらいは聞いていたのだろう、まず姫宮が「ホントに黒繰グループの人なんですかぁ?」と上目遣いで媚びてきた。こういう手合いもたまにはいるものだ。俺は「まだまだ若輩者です」と言って困ったように笑ってみせた。
「すごぉい! じゃあ、朔夜さんって呼んでもいいですかぁ?」
よくないに決まってるだろうが。なにが『じゃあ』なのかまったくわからなかった。パーソナルスペース短距離走者か? 軽く牽制しておくか。
「俺は君のことを姫宮さん、と名字で呼ぼうと思っているけど」
「え~!? まりんって呼んでくださぁい」
猫撫で声で姫宮は言った。うーん、強めに振り切りたい。しかし、明崎さんの前だ。姫宮のことは遠ざけたいが明崎さんからの印象は下げたくない。
とりあえず姫宮を無視して「安曇さん、でいいかな?」ともう一人にも声をかけておく。安曇は「オッケです。じゃあ黒繰さん、ですね」と俺から適切な距離を位置取った。
「昼食なんですけど、大学が休講だからか食堂も閉まってるみたいで」
自己紹介を終えたところで明崎さんが申し訳なさそうに切り出した。たしかに、大学が休みなのに食堂だけ開いているのもおかしな話か。
「どこか近場でお昼を食べないかって話になってるんです。黒繰さんは、なにか食べたいものとかありますか?」
「俺はなんでも大丈夫。どんな希望でも合わせるよ」
明崎さんの希望する昼食ならなんでもいい。なにを食べるかではなく誰と食べるかが重要なのだ。明崎さんが隣にいればカップラーメンだって構わない。湯を注いだあとの三分間すらワクワクできる自信がある。
「あ、じゃあ、ウチから希望いいですか?」
ここで明崎さんではなく安曇が挙手する。
「実はちょっと金欠っていうか節約したいっていうか。ちょっと歩いたところに安くて早くて美味いカンジの牛丼チェーン店があるんですけど、そこでも大丈夫ですか?」
ふむ、牛丼か。もちろん、明崎さんと一緒なら。
俺が「構わないよ」と返すのに言葉を被せて姫宮が「え~! 嫌!」と言った。
「まりん、ファミレスがいい! パフェ食べたぁい!」
「いや、パフェまで頼まれたら割り勘がキツいわ。金欠だって言ってんじゃん」
「じゃあ、あすみ先輩だけ一人で牛丼食べてきてくださいよぉ。まりんはパスタとパフェの気分でぇす」
両者ともに譲る気配はない。それを受けて明崎さんは「じゃあ、二手に分かれましょっか」と言った。
「黒繰さんはどっちが食べたいですか?」
「………………」
おそらく百パーセント善意からの問いかけだったが、俺は言葉に窮した。どちらを選んでも明崎さんとは別行動になってしまう。それでは意味がない。意味がないのだ。
しかし俺は食事についてすでに『なんでもいい』を選択してしまっている。ここで「やっぱりハンバーガーが食べたいなあ」なんて言って三方向に分かれるような提案もできないし、流石に個別に昼食をとる事態になるならこの時間に待ち合わせた意味がなかった。
ということは、どちらがよりマシか、という話になってくる。
俺が「じゃあ牛丼」が食べたい気分かなと続けようとしたところで姫宮が「一緒にパフェ食べましょ、朔夜さん」と俺の腕を引いた。
「いや、あの、」
「牛丼屋なんかに入っても、朔夜さん、浮いちゃいますよぉ。フォーマルなオシャレスーツなんだからファミレスに行きましょぉ」
「別に俺は気にしな」
「まりんは気にするなぁ~、空気読めてないみたいでぇ~」
なんでいちいち俺の言葉に被せて自分の主張を通そうとするんだこの女。
姫宮は俺の腕に腕を絡め、胸部を押し付けながら「じゃあ、またあとでね」と明崎さんと安曇に手を振る。
明崎さんは「えっと……」と言葉を選びながら姫宮を止めようとしたが、姫宮は「行きましょ、朔夜さん!」と俺の腕を引き強引に歩き出す。
俺は腕を引かれながら、この女を今すぐ論破あるいは拒絶するのは無理だと判断し、明崎さんに向け「大丈夫、またあとで」とだけフォローを入れた。
明崎さんは心配するような顔つきだったが、姫宮を止めることは叶わず、やがて二手に分かれ昼食をとることとなった。




