2-7・告解
「あー、すみません、鷹柱さん。帰ってもらって構いません」
戻ってくるなり士道が言った。その言葉に鷹柱は笑みを浮かべ「帰ろっか、ヒトエ」と言って鴨居の手を取り、立たせ、一緒に帰ろうとする。が、さらに続けて士道は言った。
「単衣さん、悪いがアンタには残ってもらう。もう少し聞きたいことが出てきてな」
その言葉に、鴨居ではなく鷹柱が「ちょっと待ちなよ!」と声を荒らげた。
「どういうこと!? まだヒトエのこと疑ってるのかな!? ヒトエは犯人なんかじゃないよ!」
「それは今後の捜査で明らかになることだ」
「郡は!? あの男が犯人なんじゃないの!?」
「捜査状況は一般人には話せない」
「だからって……! じゃあ、アタシも残る! アタシには何か聞きたいことないのかな!」
「特にないな。帰ってもらって構わない」
「ッ……!」
この様子だと郡はシロだったのだろう。アリバイが立証されたのだ。これで怪しいのは家の鍵を所持していながら喫茶店を三十分近く離れていた鴨居単衣だけとなる。案外あっけない幕引きだ。あとは鴨居が自白するか、いるかどうかもわからない強盗が捕まるかのチキンレースだ。
鴨居は鷹柱の後ろでしばらくオロオロしていたが、やがて鷹柱の手を取ると言った。
「ツムちゃん、今日は本当にありがとう。でも、もう大丈夫だから。刑事さんたちには、私からちゃんと説明する。晩ご飯、また食べに行こうね」
「え、あ、ひ、ヒトエ……」
狼狽する鷹柱に向け微笑んだあと、鴨居は手を離し、士道のもとへ歩み寄った。
「行きましょう、刑事さん」
「ああ。事情聴取は先程と同じように女性の警察官が……」
「待って!」
鷹柱が、震える声で叫んだ。
「アタシなの! ヒトエの旦那を殺したのはヒトエじゃなくてアタシなの!」
「はァ!?」
士道が勢いよく振り向いた。
「いや、あー、ちょっと無理がある、鷹柱さん。虚偽の自白でも実際に罪に問われる可能性が……」
「虚偽なんかじゃない! アタシなの! アタシが犯人なの!」
鷹柱は自分のスマホを取り出し操作すると、ある音声を流し始めた。
『もしもしヒトエ? うん! 今終わったところ! もう少しで……あ! 電車来ちゃった! またあとで!』
鷹柱の声だ。背後には駅員の声で電車が来るというアナウンスと、音楽、線路を走る電車特有の音に、人々の喧騒が入り込んでいる。
それを聞いて「あ」と鴨居が声をあげた。
「これ……ツムちゃんに電話したときの……」
「あ~……? 通話を録音してたってことか?」
いまいち理解が及んでいない彼らに向け、鷹柱は真っ赤な顔で「違う!」と叫んだ。
「留守番電話の設定音声なの! 留守電の音声、あれ、自由に変えられるの! だから、昨日の時点で! 職場近くの駅で、今日と同じ時間にこの音声を録音して! 留守電に設定しただけなの! 電話を受けたあと留守電に切り替わる時間も短めに設定し直して! ヒトエに意味不明なメッセージを送って! 電話をかけさせた! その間にアタシは旦那を殺して家を荒らしてた! 駅にはいなかった! ヒトエがいつも合鍵を玄関の植木鉢の下に置いてることも、ずっと前から知ってたの!」
「スマホ、拝見してもいいですか?」
明崎さんが言った。
「かけた側には留守電だったかどうかの記録が残りません。でも、受けた側には留守番電話として単衣さんの声が記録されているはずです。それが、証拠になります」
「残ってる、記録、ちゃんと残ってるから! ちゃんと見せるから! だからヒトエのこと解放してよ! アタシが犯人なんだから!」
「ちょ、ちょっと落ち着いて……!」
士道が慌てた様子で鷹柱のスマホを確認する。そして顔をしかめると「単衣さん、アンタからも少し話が聞きたい。が、すぐ解放されると思う」と鴨居に声をかけた。
「鷹柱さん、続きは取調室で。どうか落ち着いて」
鷹柱は過呼吸気味に口を大きく開けながら胸を押さえ数度呼吸すると、やがて士道の案内に応じるようにふらふらと歩き出した。
「つ、ツムちゃん……? どうして……?」
茫然とする鴨居の声に足を止めた鷹柱は「ごめんねぇ……」と言って両の瞳から涙を零した。
「アタシ、アタシ……ヒトエのこと守りたかった……なのに……」
「ツムちゃん……」
鷹柱はそれ以上の言葉を紡げず、士道の案内で取調室へ向かった。その後、鴨居もまた別の警察官によって軽い取り調べを受けることになる。
俺と明崎さんは相談の結果、鴨居が解放されるのを署内で待つことにした。
警察署内、休憩スペース。四人がけのテーブル椅子。俺は明崎さんの正面に席を移動していた。空になったコーヒー缶を弄びながら鴨居が戻ってくるのを待っている。
明崎さんがなにも言わないので、俺からも、なにも言わなかった。しばらく無言の時間が流れていた。
が、そろそろ耐えられない。俺は腕時計を確認し、今が夜の七時前であることを確認すると、缶をテーブルに置いて居住まいを正した。
「質問をいいですか、明崎さん」
敬語だ。わからないことを聞くのだ。誰が相手だろうと敬語を使うのが相応と言える。それに、俺は緊張していた。他人に対し『わからない』『教えてほしい』と頼むことは、歳を重ねるほど難しい。
明崎さんは紅茶のペットボトルを両手で包むように持ちながら俺に視線を向けた。
「どうして、鷹柱さんは自白したんでしょうか?」
シンプルに疑問だった。鷹柱は、自白さえしなければ鴨居を囮に使うことでまんまと逃げおおせたはずだった。邪魔な人間を排除しながら罪に問われない。完璧な犯罪計画だったはずなのに。
明崎さんは「そうですね……」と少し考えるように目を伏せた。
「そもそも、なぜ鷹柱さんが朗也さんを殺したのか。つまり動機が問題なんじゃないでしょうか?」
動機。なぜ殺したのか。ホワイダニット。
俺がなにも言わないのを受けて、明崎さんが続けた。
「鷹柱さんは単衣さんに向けて『守りたかった』と言いました。それがそのまま動機だと仮定しましょう。では、鷹柱さんは単衣さんをなにから守りたかったのでしょうか? 誰から守りたかったのでしょうか?」
「……警察、ですか?」
「それも一つの答えだと思います。でも単衣さんを警察から守ろうと思うと、そもそも事件が起きていないと状況設定として成立しません」
明崎さんは、俺に言い聞かせるようゆっくりと言う。
「単衣さんはおそらく、夫である朗也さんに家庭内暴力を受けていました。鷹柱さんは、単衣さんを傷付ける朗也さんを殺すことで、単衣さんを守ろうとしたんじゃないでしょうか?」
「…………」
「そして、鷹柱さんの目的が単衣さんを守ることである以上、朗也さんを殺し得たとしても、その犯人として単衣さんが捕まっては意味がありません。本末転倒なんです。だから、自白したんじゃないでしょうか?」
なるほど、言いたいことはわかる。
いや、違う、やはりよくわからない。
俺は視線を彷徨わせたあと、小さく「わかりません」と呟いた。
「どうして鷹柱さんはそこまでして鴨居さんを守りたかったんですか? どうして殺すことに成功したのに、自白するんですか? 鷹柱さんは鴨居さんを守れたんですか?」
明崎さんは考えながら、一つずつ、丁寧に答えていく。
「鷹柱さんにとって、単衣さんは特別で大切だったんじゃないかと私は思います。そんな単衣さんをこれ以上傷付けられたくなかったから、自白した。真犯人が見つからないと警察が単衣さんを傷付けると思ったのかもしれません。鷹柱さんは最後、単衣さんに『守りたかった』『なのに』と言いました。……単衣さんを守ることに失敗したと思ったのかもしれませんね。単衣さんは旦那さんを亡くしただけでなく、親友の鷹柱さんが捕まってしまったことで、そばにいてくれる人を二人も失ったことになります。鷹柱さんは、単衣さんのそばにいて支えることを『守る』と認識していたのかもしれません」
「じゃあ……鷹柱さんは結局失敗したってことですか?」
ちらと明崎さんの様子を伺うと、彼女は真っ直ぐ俺を見つめながら小さく苦笑した。
「それは私にもわかりません。ただ、結論が出るのは今じゃないと思います。これからの彼女たちがどう選択し、どう人生を歩むのか……生きている彼女たちが決めて、判断することです。私にも、黒繰さんにも、士道さんにだってわかりません。ただ、その道行きが少しでも幸せなものなら嬉しいと私は思います」
締めくくるように言って、明崎さんは紅茶を飲んだ。
「……結論は今じゃないし、俺には、わからない……」
俺どころか明崎さんにもわからないのか……。
じゃあ、どうして。どうしてわからないのにその道行きを祈るのだろうか。
続けて質問しようと顔をあげたところで、鴨居が戻ってくる途中だということに気付く。俺の視線の動きで明崎さんも鴨居に気付き、立ち上がって彼女に駆け寄った。
「お疲れ様です。途中までご一緒しますよ」
「あの、今日は本当にありがとうございました。近くのホテルにでも泊まろうかと、思ってます。大丈夫です。その……」
鴨居は、少しだけ微笑んだ。
「明崎さんがいてくれて、ラッキーって思えたから。だから、大丈夫なんです、私」
明崎さんもまた軽く微笑んで「そうですか」と言った。
鴨居を最寄り駅まで送ったあと、俺も帰ろうとした。座れるかどうかもわからない電車に挑戦するより、アプリでタクシーを呼びたい気分だった。疲れていた。しかしスマホを取り出したところで明崎さんに軽く袖を引かれ、驚いてスマホ画面を伏せる。しまった、油断した。あっさり帰ってしまうものだと思っていたのだ。しかし彼女は言った。
「このあと、もう少しだけ大丈夫ですか?」
「……そうだね。大丈夫だよ。どうかした?」
明崎さんは「えっと……」と少し頬を染めながら言った。
「いつも待ち合わせに使ってる喫茶店、実はディナーメニューに挑戦したことがまだなくて」
「……。うん」
「もしこのあと、体調やお時間が大丈夫なら、一緒に挑戦してみませんか?」
「…………。うん」
うん? どういうこと?
明崎さんは「よかった! それじゃあ、行きましょうか」といつもより嬉しそうに喫茶店まで歩き始めた。それを追いかけるかたちで俺も歩き出す。
喫茶店のディナーメニューに一緒に挑戦しよう? どういうことだ? 一人では喫茶店に入りづらいということか? いや、それはない。あの店は明崎さんの行きつけのはずだ。店員相手に緊張を覚えるとは思えない。
じゃあ、時間帯? いや、まだ七時台だ。そこまで遅い時間帯だろうか? 俺を護衛代わりにしたいということ、なのか……?
「今日は予定になかったのに助手をさせてしまってすみませんでした。でも、助かりました。ありがとうございます」
雑談のつもりなのだろう、隣を歩く明崎さんはなんてことないようにそう言った。いつものようにスマートに答えようとして、言葉に詰まる。
「俺は、……、俺はいつでも、君の助手、だから……」
鞄を持つ手に力が籠もる。そうだ、俺はいつでも君の助手なのだ! 予定なんか関係ない! 君が望むなら俺はいつでも、いつまでも君の隣で助手をしているのに!
なのに。
俺はいつでも君の助手『なのに』……だ。
なにが助手だ、務まってもいないくせに――失格のくせに。
隣を歩く明崎さんはしばらく黙っていた。が、
「黒繰さんのこと、ちょっと誤解してました」
「え?」
明崎さんは、握り締められた俺の左手に彼女の右手を重ねた。
「大丈夫ですよ」
赤縁眼鏡のレンズ越しに、明崎さんと目が合った。
星を閉じ込めたように輝く、大きな瞳。彼女が瞬きするたび満天の星が煌めいて、太陽すらも嫉妬する。その幾多もの星が、今、俺だけに微笑みかけていた。
「いつも、助かってます。ありがとうございます」
俺はなにか言おうとして、なにも言葉が出ないことに気付き、ぐっと口を引き結んだ。
明崎さんはもう一度「いつも助かってます」と言った。
喫茶店の入り口が見えるところまで来た。俺と明崎さんは足を止める。が、歩道側の彼女は店に入ろうとしない。
なにを求めている?
彼女の望むものはなんでも与えたい。どんな期待にも応えたい。でも、俺には彼女の欲しいものがわからない。
「……俺なんか、全然。明崎さんこそ、すごいよ。俺こそ今日は助かっ――」
明崎さんは首を横にふった。
「違います、黒繰さん。私が欲しいのはそういった褒め言葉ではありません」
狼狽しそうになる俺の手を握り直し、彼女は言った。
「今、私は黒繰さんに『助かっています』と贈りました。まず、その言葉を受け取ってください」
どういうことだ?
混乱する俺に、ゆっくり、優しく、明崎さんは言い聞かせる。
「要するに『どういたしまして』と言ってほしいんです。私、黒繰さんには本当に感謝しています。『俺なんか、全然』……なんて、拒否してほしくありません」
「……よく、わかりません」
「わかってほしいんです。……わがままを言っていることは、承知しています。でも、黒繰さんが頑張っていること、誰よりもあなた自身にわかってほしい」
わからない。わからないわからないわからない! 彼女がなにを言いたいのか少しもまったく全然微塵も伝わってこない!
『どういたしまして』? ただ『どういたしまして』と言えばいいのか? なぜだ? なぜそんなものを求める? 『助かっています』に対して『どういたしまして』と返答しろということか? そのやりとりになんの意味がある!
しかし、他ならぬ明崎さんが求めていることだ。意味がわからなくても、言うしかない。
「ど……どう、いたしまして……」
ぎこちなくそう口にすれば、彼女は苦く微笑んで「少しずつで、大丈夫ですから」と言い、立ちすくむ俺の手を引いて喫茶店の扉をくぐった。




