2-5・揃い踏み
「アンタが旦那を殺したんでしょ! なんとか言いなよ!」
警察署に到着するなり、鷹柱の怒号が聞こえてきた。
憂鬱だ。明崎さんからの労いの言葉こそを一番に聞きたかったのに。
警察署は七階建てのビルディングとなっており、今回の舞台は三階だった。エレベーターの扉が開くなり響いたその声に、俺と士道は顔を見合わせる。が、それも一瞬のことで士道は即座に声の方向へ一目散に走っていった。その背中を眺めながら歩いてあとを追うと、鷹柱が郡だと思われる男へ詰め寄り、士道をはじめとする警察官たちによって宥められている場面に遭遇する。郡は写真で見たのと同じ派手な柄のネクタイを締め、作り笑顔を崩さないまま「とんでも御座いません」と慇懃に言った。
「私が朗也様を殺すなど、とんでも御座いません。私は、ただ、貸したお金を返していただくためお宅に参ったに過ぎません。朗也様はすでに事切れておいででした。滅相も御座いません」
鷹柱が何か言う前に士道が「なんで証言者同士を鉢合わせたんだ!」と同僚に向け怒鳴る。もっともだが、取調室の距離がそんなに離れていないよう見受けられる。階を改めるくらいの処置が必要だったのだろうが、任意の事情聴取でそこまでの気配りを、鷹柱という人間を知らない署内の警察官に求めるのは少し酷だろう。
その鷹柱の後ろに立ちすくむ鴨居と、鴨居の手を取る明崎さんの姿を見つけた俺は、郡と揉める鷹柱を無視してそちらに駆け寄った。
「旦那は金を返せそうになかった! だから殺した! アンタは保険金さえもらえれば商売全部うまくいくもんね!」
鷹柱の罵声を背景に「大丈夫?」と明崎さんたちに声をかける。鴨居は怯えた様子で明崎さんの手を独占しており、なるほど、明崎さんの探偵としての姿勢をセラピストと表現したことがあるがまさにその通りだ。明崎さんはそんな鴨居を安心させるように「大丈夫です」と俺に返すと「少し場所を変えましょう。飲み物でもいかがですか?」と鴨居に提案する。
「とんでも御座いません。保険金を目当てに殺害だなんて、恐ろしいことで御座います。私はそのようなことは、決して」
ここで、郡は鴨居に向け「そうで御座いましょう」と声をかけた。
「ひっ」
「単衣様、そうで御座いましょう。私が朗也様を殺したなどと、そんなことは有り得ないと貴女様からも仰ってくださいませ。そもそも朗也様はお体が強くいらっしゃいます。私では歯が立ちません。そうで御座いましょう。それは貴女様が一番よく御存知でしょう」
郡の言葉に、鴨居は顔を真っ青にして明崎さんから手を離すと抱きしめるようにして自分の両腕を掴んだ。その身体は微かに震え、顔には恐怖の色が浮かんでいる。
その様子に、明崎さんは鴨居から離れると郡と鷹柱の間に割り込んだ。
「二人とも、もうやめてください。言いたいことがあるなら取調室で。警察の方が聞いてくれると思います。でも、これ以上、この場で話すのはやめましょう」
明崎さんはそう言ってから、鷹柱に向け『鴨居の様子を見ろ』と目配せする。鷹柱はようやく背後に守っていたつもりの鴨居が酷く震えているのを見つけ、郡を睨んだあと鴨居の元へ駆け寄ってくる。
「嗚呼、お嬢さん。助けていただき有難う御座います」
郡は明崎さんに向け慇懃に頭を下げる。明崎さんは「あなたを助けたわけでは、ありません」と呟いて鴨居の元へ戻ってきた。
「飲み物を買ってきます。あたたかいものがいいですよね」
鴨居は震えるばかりで返答しなかったが、明崎さんは鷹柱に「そばにいてあげてください」と声をかけ、士道に、自動販売機の場所を尋ねた。
「あー……わかった、案内しよう」
士道もまた居心地が悪かったのだろう、その場を離れる判断をした。そして俺は明崎さんの探偵助手だ。当然、彼女の隣へ移動する。
郡は「恐ろしいことで御座います。差し支えなければ、取調室内で待機していても?」と警察官に声をかけた。廊下に出ていると鷹柱に噛みつかれるからだろう。鷹柱と鴨居は「座れるところを探そう、ヒトエ。歩ける?」と場所の移動を検討している。
ここでこれ以上の衝突が起こらないことを確認して、俺、明崎さん、士道の三人は一度場を離れた。
「あーあ……やりづれえなあ……」
ぶつくさ言う士道が、自動販売機に千円札を投入する。
「なんでも好きなモン買って持っていってやってくれるか、嬢ちゃん。苦労をかけるが、俺ァそういうケアが苦手なンだ」
「い、いえ! でも……」
奢られ慣れていない明崎さんが狼狽しているようだったので、まず俺が自分のコーヒーのボタンを押した。
「ごちそうさまです」
「…………」
額に青筋を立てる士道を無視して屈むと、コーヒー缶を手に取る。つられるように、明崎さんもいくつかのあたたかい飲み物を選んでボタンを押した。
「その……私、探偵みたいなことはやってるんですけど、ちゃんと免許を持っているわけでもないですし、お節介の延長みたいなもので……。鴨居さんや鷹柱さんのことは心配なんですけど、でも、力になれるかどうかは……」
明崎さんはそう言って、自信なさげに俯いた。なんて声をかけるべきか迷いながら購入された飲み物を両手に抱えていると、俺より先に士道が言った。
「心から人の心配ができるってのは、それだけで才能だと思うぜ。嬢ちゃんは『力になれない』って落ち込むかもしれねーが、そもそも『力になりたい』って思われるだけ人間ってのは嬉しいンだ。嬢ちゃんは、人に寄り添える立派な探偵だよ」
士道はそう言ったあと、自分の分のコーヒーを購入した。
俺は、士道のコーヒーを拾うことなく立ち上がると明崎さんに声をかける。
「そうだね。明崎さんが鴨居さんや鷹柱さんの力になりたいなら、俺もできる限りサポートするよ。大丈夫。明崎さんが優しい探偵さんだって、誰よりも俺が知ってるんだから」
明崎さんは俺と士道を交互に見たあと、大きな目を少しだけ細めて「ありがとうございます」と微笑んだ。
「戻りましょうか。まず、鴨居さんに落ち着いてもらわないと」
「そうだね。二人だけにしておくと心配だ」
「一応俺も同席するが、空気が悪くなるようなら換気されてやるからな、嬢ちゃん」
こうして俺たちは警察署内の休憩スペースに立ち寄るのだった。
「あ? 兄ちゃん、俺のコーヒーどうした?」
「さあ……」
「こ……この性悪がよォッ……!」
休憩スペース内、四人がけのテーブル椅子にて鴨居に飲み物を選ばせている途中、ようやく自分のコーヒーが置き去りにされている事実に気付き、速攻で換気されていく士道。これには士道を厳しく睨んでいた鷹柱も笑い出した。
「あはは! 買った飲み物を忘れてくるだなんて! いい気味!」
「も、もう、ツムちゃん……」
鷹柱が笑ったことで、鴨居の表情も少しだけやわらぐ。なかなかに滑稽でいい清涼剤だ。犠牲になったコーヒーに敬礼を送りたい。
コーンポタージュ缶で両手をあたためる鴨居が、対面に座る明崎さんに向けぽつぽつと語りだした。
「その……夫がもういないんだなって、少し、安心してるんです。酷いですよね。でも、夫が生きてたら、郡さんが家に来たあと、その、叱られるから」
鴨居は、無意識なのだろう、左手で頬に貼る絆創膏に触れた。
「夫のこと、ずっと怖かったんです。結婚して四年になるんですけど、最初は優しかったのに、段々と、その……荒れてきて。お酒を飲んで、酔っ払うと物を投げたり、怒鳴ったり……。朗也さん、離婚歴があって。これが理由なのかなって思ってたら、次は郡さんのところからお金を借りてたことがわかって。夫は、郡さんのこと嫌いだったみたいで。そりゃあ、お金を取り立てにくる人ですから、そうなんでしょうけど、とにかく、家に入れたくないって言ってて」
鴨居はコーンポタージュを一口だけ飲むと続ける。
「だから今日、郡さんから電話が来たとき、とても困ったんです。ツムちゃんとランチの約束があるのに、郡さんが家に来たら、私、応対できないから。ああ、帰ったら怒られるんだって、思って。でも……朗也さんは死体として発見されて。本当は安心したんです。もう怒られないんだって。……酷い女ですよね」
鷹柱が「そんなことないよ! 酷いのは旦那のほうだって!」と焦ったように声をかける。が、鴨居はどうやら夫を一方的に悪者扱いすることに抵抗感があるようで、曖昧に笑った。
「……明崎さんからお菓子のお裾分けをもらったとき、ちょっと、ほっとしたんです。そのときの私、ツムちゃんから心配されるくらい顔色悪くって、どうしようって、思い詰めてて。そしたら明崎さんが差し入れだって、マフィンとクッキーを持ってきてくれて。オススメの紅茶までついてきて。……こういう『ラッキーだな』って思えることがたまにでもあるから、私、頑張れて……」
ちょっと待て、さらっとお菓子の内容についてネタバレしてきたな?
そのマフィンとクッキーはあくまで『俺のためのお菓子』のお裾分けであって、鴨居にとってはただのラッキーかもしれないが決して鴨居のためのお菓子ではない。勘違いしないでほしい。もちろん口に出しては言わないが、俺はたしかに不愉快に思った。
「だから……警察に付き添いまでしてくれるってなったとき、本当に心強くて。ツムちゃんも明崎さんもありがとう。無関係なのに、巻き込んでごめんなさい。でも……私、朗也さんのこと、殺してなんか、ない」
涙ぐむ鴨居。鷹柱は椅子から立ち上がると鴨居を抱き寄せ「わかってる。大丈夫だよ。ヒトエのことはアタシが守ってあげるからね」と力強く言って聞かせる。明崎さんも「大丈夫ですよ」と優しく言い聞かせている。
俺は、スマホを片手に「失礼」と言って席を立った。とてもではないがこの輪の中に入ろうとは思わないし、思えない。急なトラブルを装って席を立つのが最適解だ。士道をからかって追い出すべきではなかったかもしれない。
俺はスマホで通話するフリをしながら廊下に出て休憩スペース内の彼女らを観察する。鴨居はああ言うが、やはり、犯人である可能性はゼロではない。どう考えても一番怪しいのは鴨居単衣だ。アリバイに空白の三十分があるだけでなく、鴨居単衣には動機がある。彼女自身が言ったのだ、夫が死んで安心した、と。
鴨居の涙ぐむ姿が本物なのか演技なのか、そんなのどうでもいいことだ。少なくとも俺の領分ではない。むしろ、俺があの場にいては明崎さんのケアの邪魔になる。だから席を立った。これは明崎さんを慮ってのサポートの一環なのだ。
しかし、やはりよくわからない。いや、考え方を変えれば明崎さんが鴨居に寄り添ったから鴨居単衣には動機があるという情報を入手できた。それは認める。しかしこの成果はただの結果論であって目的ではなかったはずだ。明崎さんの目的は情報収集ではなく鴨居単衣を癒やすことそのものなのだ。それが、よくわからない。
理解できない。わからない。しかしこのままではサポートもできない。
もっと知りたい。理解したい。彼女の考えを把握したい。それを支えたい。手伝いたい。うまく手伝えたら感謝されたい。俺が隣にいてよかったと思われたい。
なのに、全然、少しも、ちっとも、俺には明崎明がわからない。
どうして涙ぐむ鴨居の手を取る? どうして優しく声をかける? どうして鴨居に共感しているかのように振る舞える?
どうして鴨居や鷹柱が苦しそうにすると、君も苦しそうにする?
明崎さんは、この事件の部外者なのに。
自分の人生に無関係な第三者に寄り添えることは明崎さんの美徳だと思っている。それでも、間近でそんな明崎さんを見ても俺には少しもわからないし、理解ができない。
心が動かない。
ある意味どうでもいいことだ。俺にとって不愉快な鴨居が犯人だろうが、それ以外の、たとえばうるさく吠え立て噛みつくことにやり甲斐を見出す鷹柱や、慇懃すぎて他人を小馬鹿にしているようにしか見えない郡が犯人だろうが、究極的にはどうでもいいことなのだ。明崎さんの補助はしたい。犯人を見つけてほしい。しかし明崎さんの、犯人を見つけることを目的としない傷付いた人間へのケア的行動に俺が意味を見いだせない。
行動の意味すら理解できないのに、サポートなんか無理だ。
ここで俺は軽い目眩を覚え壁に手をついた。サポートなんか無理だって? それが結論? じゃあ、俺は、明崎さんの助手に相応しくないということか?
こんなに君を理解したいのに、伸ばした手がどれだけ足りないのかもわからないなんて。
足場が崩れていく。彼女の隣に立っていたはずの俺は、手を伸ばすがもう届かない。明崎さんは落ちる俺から遠ざかるように、困っている誰かへ、俺じゃない誰かへ駆け寄り手を差し伸べる。俺はそれをただ眺めている。彼女の隣に立つ自分が想像できない。嫌だ。隣に置いてほしい。君の探偵助手でいさせてほしいのに――……。
俺はスマホを取り落とすと、両手で顔を覆い震える息を吐いた。




