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VENDYS:破産した億万長者が、不殺を誓って摩天楼を駆ける――救った命の数だけ、俺の誇りは積み上がる――  作者: 寝不足魔王


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第5話:The Price of Life

 セント・ミリオネアの地下、数千メートル。

 そこは、華やかな摩天楼の下に隠された、この街の「内臓」だった。

 湿った空気と錆びた鉄の匂い。放置された巨大な重機が、かつてここで起きた「事故」の惨状を今に伝えている。


 その暗闇を、一筋の銀光が切り裂いた。


 KLANG!


 ジャック・ヴァン・ドレンは、もはや飛行機能すら失ったヴェンディスの装甲を脱ぎ捨て、予備のハンドガジェットだけを手に、地下施設の最深部へと足を踏み入れていた。

 彼の背後では、ディストピアの暴走によって連鎖爆発を始めた地上からの振動が、鍾乳石のような瓦礫を降らせている。


「"Is this it, Dad?"(ここなのか、親父……。あんたが隠したかった、この街の『傷跡』は)」


 ジャックの目の前に現れたのは、巨大な、心臓のような形状をした核融合炉だった。

 [ATLAS-0: THE ORIGINAL HEART](アトラス・ゼロ:原始の心臓)

 かつて父が封印した、アトラス計画のプロトタイプ。


 その炉の前で、一人の女が膝をついていた。

 ラピス・レイザー。

 彼女の青い装甲はボロボロに剥がれ、手にしたデータデバイスからは火花が散っている。


「……遅かったわね、お坊ちゃん」

 ラピスは力なく笑い、ジャックを見上げた。

「ディストピアは……あいつは、最初から私なんてどうでもよかったのよ。……ただ、この炉を暴走させるための『鍵』として私を利用しただけ」


「"Don't move, Lapis."(動くな、ラピス)」

 ジャックは彼女に近づき、医療用ナノマシンを射出した。

「ディストピアは地上で、街全体の電力をこの炉に逆流させている。あと十五分で、ここはセント・ミリオネアごと蒸発するぞ」


「……逃げなさいよ。あんたなら、まだ間に合うわ」

「"Not an option."(その選択肢はない)」

 ジャックはラピスを抱き起こし、炉のコンソールに自身のデバイスを接続した。

「俺は不殺を誓った。……それはお前も、ディストピアも、そしてこの街に住む数百万人の市民も、誰一人として例外じゃない」


 SHOOOOK!


 突然、天井が崩落し、巨大な鋼鉄の塊が二人の間に落ちてきた。

 煙の中から現れたのは、地上のエネルギーを吸収し、異様なほどに巨大化したディストピアだった。


「"Welcome home, Jack!"(おかえり、ジャック!)」

 奴の電子声が、地下空洞全体を震わせる。

「お前の父が始めたこの地獄を、お前の手で完成させろ。……この街を救うには、この炉の臨界を止めるしかない。だが、それをすれば、お前の『不殺』の象徴であるヴェンディスの全記録が抹消され、二度とアーマーを纏うことはできなくなる!」


「……それが、俺への復讐か」


「そうだ! 名誉も、力も、富も、すべてを失ったお前に、何が残るかを見せてみろ!」


 ジャックは、震えるラピスの手を握りしめ、ディストピアを真っ向から見据えた。

 残り時間は、あと十分。

 セント・ミリオネアの運命が、王座を失ったセレブヒーローの、震える指先に託された。


「……"Claire, do you copy?"(クレア、聞こえるか?)」


 地下の湿った空気の中で、ジャックの声は掠れていた。

 炉から漏れ出す高エネルギーの余波で、インカムには激しいノイズが走っている。


『ジャック! ……だめ、信号が消えかかっているわ! 地上はパニックよ。ディストピアの暴走で、街中の車が暴走し、建物が悲鳴を上げている……!』


 クレアの叫びの背後で、ヴァン・ドレン・タワーが軋む音が聞こえた。

 彼女は今、崩壊寸前のタワーで、ジャックと地下の炉を繋ぐ唯一のデータ・ブリッジを、己の精神を削りながら維持している。


「"Listen to me carefully."(よく聞いてくれ)」

 ジャックは、血に濡れた手で炉の緊急停止シーケンスを立ち上げた。

「炉の臨界を止めるには、ヴェンディスのメインフレームに保存されている『アトラス計画』のマスターキーが必要だ。……だが、それを逆流させれば、ヴェンディスの全システムデータが焼き切れる。……二度と、あのアーマーは動かなくなるだろう」


『……そんな! それは、あなたのこれまでの戦いの証なのよ? あなたが「ジャック・ヴァン・ドレン」であるための誇りそのものなのに!』


「"Pride doesn't save lives, Claire."(誇りじゃ命は救えないんだよ、クレア)」

 ジャックは傍らで意識を失いかけているラピスを一瞥した。

「……富を捨て、名誉を捨て、最後に残ったのがこの『鉄の服』だけだった。……でも、これさえ捨てなきゃ救えない命があるなら、俺は迷わない」


『ジャック……視えるわ。……真っ白な、光に包まれた未来が』

 クレアの声から、震えが消えた。

『それは、死の光じゃない。……あなたが、本当の意味で自由になる光よ。……予言するわ。あなたは今日、すべてを失って、そして……本当のヒーローになる』


「"That's the best prediction I've ever heard."(今までで最高の予言だ)」


 ジャックは最後のスイッチに指をかけた。

 だが、その指が振り下ろされる前に、地下空洞の壁が物理的に粉砕された。


 WHAM!


「"NO ONE SACRIFICES ANYTHING IN MY PRESENCE!"(俺の前で犠牲など、指一本許さん!)」

 ディストピアが、地上のすべての電力をその鋼鉄の肉体に纏い、雷神のごとき姿で炉の前へと躍り出た。

 

「……"Dystopia..."(ディストピア……)」


「ジャック、お前が救おうとしているこの街は、ゴミ溜めだ! 守る価値などない! さあ、炉と共にすべてを灰にしろ! それこそが、お前の親父への最高の復讐だ!」


 ジャックは静かに立ち上がった。

 アーマーはない。資産もない。

 だが、彼の瞳に宿るスチールブルーの輝きは、かつてないほど鋭く、ディストピアの虚無を射抜いていた。


 地下空洞が、ディストピアから溢れ出す赤黒い電光で震えている。

 炉の臨界まで、あと五分。


「"Is this your answer, Jack?!"(これが貴様の答えか、ジャック!)」

 ディストピアの巨大な鋼鉄の拳が、ジャックの目の前の地面を砕いた。

 WHAM!

 衝撃波がジャックを吹き飛ばし、彼は血を吐きながら炉の縁へと叩きつけられた。


 ジャックのすぐ隣には、意識を失ったラピスが横たわっている。

 ディストピアは彼女を、そして背後の炉をまとめて踏み潰そうと、その巨大な脚を振り上げた。


「……"Stop it."(やめろ)」

 ジャックは震える足で立ち上がり、ラピスの前に立ちはだかった。

 アーマーのない生身の体。高級なシャツはボロボロに裂け、剥き出しの肌には無数の傷が刻まれている。


「"Move, you fool!"(どけ、愚か者が!)」

 ディストピアの電子声が怒りに歪む。

「装甲もなく、金もなく、お前に何ができる! その脆弱な肉体で、俺の暴力を受け止めるとでもいうのか!」


「"I'm not moving."(どかないさ)」

 ジャックは、血に濡れた手で炉のコンソールを掴み、自身の脳内チップと炉のシステムを直接リンクさせた。

 

「お前は言ったな。俺には何も残っていないと。……だが、お前には見えていないものが一つある。……俺は今、この街の『痛み』を直接感じているんだ」


 ジャックの網膜に、地上の混乱、人々の悲鳴、そしてクレアの祈りが、データの奔流となって流れ込む。

 彼はラピスを守るように覆いかぶさり、ディストピアを真っ向から見据えた。


「"Target Acquired."(標的、確認)」

 ジャックの指が、空中に仮想のトリガーを描いた。


「お前は、この街の電力を奪って強くなったつもりだろう。……だが、それはお前自身が、街の全ネットワークと繋がった『巨大な導導体』になったということだ」


『ジャック、今よ!』

 インカムから、クレアの叫びが雷鳴のように響く。

『ヴェンディスの全データを、アトラス・ゼロへ転送! 臨界エネルギーを……奴へ逆流させて!』


「"VENDYS... Final Assemble!"(ヴェンディス……最終換装!)」


 ジャックがコンソールを叩き潰した瞬間、炉の中に保存されていたヴェンディスのバックアップ・パーツが、物理的な形を失い、純粋なエネルギーの奔流となって噴出した。

 

 銀色の光が、地下空洞を昼間のように照らし出す。

 それはジャックの体に装着されるのではなく、彼を通り抜け、巨大な「避雷針」と化したディストピアへと殺到した。


「"WHAT?! NO... STOP IT!"(な、何だと!? やめろ、やめろおぉぉ!)」


 三角形の頂点。

 犠牲者ラピスを背に負い、加害者ディストピアにエネルギーを叩き込み、観測者クレアがその因果を固定する。

 ジャックの「不殺」が、最大の破壊エネルギーを「制圧の光」へと変えた。


 銀色の閃光がディストピアの鋼鉄の肉体を貫き、赤黒い暴走エネルギーを強引に中和していく。

 炉の臨界は停止し、地下空洞を支配していた死の振動が、嘘のように静まり返った。


「……ガ、ア……アア……ッ!」


 ディストピアの巨体が崩れ落ち、膝をつく。

 過負荷オーバーロードによって装甲の隙間から白煙が上がり、奴の胸部にあるコアは、今や力なく点滅するだけだった。

 

 ジャックはふらつきながらも、ディストピアの前へと歩み寄った。

 その瞳には、勝利の喜びではなく、同じ「父の遺産」を背負わされた男に対する、静かな哀れみがあった。


「"It's over, Dystopia."(終わりだ、ディストピア)」


「……ハ、ハハ……終わりだと? ……いいや、ジャック……これが始まりだ」

 ディストピアの歪な電子声が、途切れ途切れに漏れる。

「お前は街を救うために……ヴェンディス(VENDYS)という唯一の武器を焼き切った。……名誉も、力も失ったお前に、これから何が救える……? この街の底に眠る、さらなる『真実』が目を覚ました時……お前はただの……無力なジャック・ヴァン・ドレンに戻るだけだ……」


 ディストピアの右腕が力なく地面に落ち、指先から一枚の古びた記録チップが転がり落ちた。

「……受け取れ。……お前の父が、なぜ私を『造らなければならなかった』のか……その答えだ……」


 ディストピアの瞳の光が、完全に消えた。

 沈黙した鉄の巨体は、今やこの地下墓地にふさわしい、ただの巨大なガラクタへと成り果てた。


「……"Rest in peace, ghost."(安らかに眠れ、亡霊)」


 ジャックは記録チップを拾い上げ、ボロボロになったズボンのポケットに突っ込んだ。

 背後で、ラピス・レイザーが弱々しく目を開ける。

「……ジャック……? ……どうして……私まで助けたのよ……」


「"Because no one dies tonight."(今夜は誰も死なせないと、俺が言ったからだ)」

 ジャックは彼女に手を貸し、立ち上がらせる。

「……お前も、罪を償う機会くらいはあるはずだ。死んで逃げることは許さない」


 地上では、街の明かりが一つ、また一つと戻り始めていた。

 だが、ジャックが身に纏っていた銀色の輝きは、もうどこにもなかった。


『……ジャック。……お疲れ様』

 インカムから届くクレアの声は、涙に濡れていた。

『あなたの未来が……書き換わったわ。……真っ白だった未来に、新しい道が生まれている』


「"A new path, huh?"(新しい道、か)」

 ジャックは崩れかけた天井から差し込む、朝の微かな光を見上げた。

「"The billionaire is gone... but the hero is just getting started."(大富豪は死んだ。……だが、ヒーローはここからが本番だ)」


 ジャックの耳元で、消えゆくヴェンディスのOSが、最後の一言を告げた。

 [FINAL LOG: DATA PURGED. GOODBYE, JACK.]

 (最終ログ:データ消去完了。さようなら、ジャック)


 彼は寂しげに笑い、暗闇の中を歩き出した。


 数日後。セント・ミリオネアの朝は、いつものように騒がしく幕を開けた。

 

 だが、その景色は一変していた。

 街の至る所にあるモニターには、ヴァン・ドレン・グループの解体と、ジャック・ヴァン・ドレンの「破産」を報じるニュースが躍っている。かつて富の象徴だったタワーは当局に差し押さえられ、銀色の翼が空を舞うこともなくなった。


 ダウンタウンの外れ。薄暗い雑居ビルの一室に、ジャックの姿があった。

 高級なスーツは、無骨なレザージャケットとデニムに取って代わられている。


「……"Fresh start, right?"(再出発、ってわけだ)」

 ジャックは、廃材から組み上げた簡素な作業台で、ディストピアが遺したチップを解析していた。


 背後で、クレアが淹れたての安いコーヒーを差し出す。

 彼女もまた、秘書のタイトスカートではなく、動きやすいカジュアルな格好をしていた。

「あなたの個人口座は空っぽ。ヴァン・ドレンの名前も、もう誰も敬ってくれない。……それでも、顔色は前よりずっといいわね、ジャック」


「"Money is just a weight, Claire."(金なんてただの重りだよ、クレア。……今の俺は、かつてないほど身軽だ)」

 ジャックはチップの解析結果を指し示した。

 そこに映し出されたのは、セント・ミリオネアを裏から操る真の組織――『ネクスト・ジェネシス』の存在と、次なるヴィラン、バリスティック・クイーンの座標だった。


「奴らは、俺がすべてを失えば諦めると思っていたらしい。……だが、俺にはまだ『これ』が残っている」

 ジャックが机の下から取り出したのは、銀色の塗装が剥げ、鈍く黒光りする「試作型」の無骨なアーマーの腕部だった。

 

 KLANG!


 拳を握ると、重厚な金属音が部屋に響く。

 それは洗練されたセレブの玩具ではなく、泥を啜り、真実を掴み取るための戦士の武器だ。


「"Listen, Listeners!"(聞け、リスナーども!)」

 街角の大型ビジョンでは、ネオン・ジャックが相変わらずヴェンディスの没落を嘲笑っている。

『かつての王は消えた! これからのセント・ミリオネアを支配するのは誰だ!?』


 ジャックはその画面を背に、古びたヘルメットを被った。

 網膜ディスプレイに、最低限のシステムログが流れる。

 [SYSTEM: BOOTING... VENDYS MARK-II]


「"Let them talk."(言わせておけ)」

 ジャックは窓を開け、夜に染まり始めた街を見下ろした。

「"The bank may be closed, but the justice is still open."(銀行は閉まったが、正義はまだ営業中だ)」


 その時、インカムに鋭いノイズが走った。

『ジャック、視えるわ! 港湾地区の武器庫に、青い火花が……!』


「"Understood. Let's go to work."(了解した。仕事の時間だ)」


 銀色の流星はもういない。

 だが、闇の中を影のように駆け、不殺を貫く「黒い鋼鉄の意志」が、今、再び胎動を始めた。


 ジャックの指先が、チップに記された『次なる因果』をなぞる。

 戦いは、ここからが本番だ。


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