第42話:The One Cent Sacrifice
それは、世界で最も静かで、最も凄惨な「特攻」だった。
精神世界でのゼウス解体と引き換えに、ジャック・ヴァン・ドレンの脳は焼き切れ、意識は真っ白な虚無へと溶け落ちようとしていた。
現実世界の肉体は、機能を停止した『ジャンク・カスタム』の残骸の中で、ただの「重荷」と化して崩れ落ちている。
「"Is... this... it...?"(……これが、……終わり、か……?)」
霞む視界の先。ドクター・ゼロの意識を宿した、血塗れの、剥き出しの機械巨神『ギガ・ゼウス』の残骸が、執念だけで立ち上がった。
装甲は剥げ、内部のピストンが露出した醜悪な姿。
ゼロは、もはや「支配」など求めていない。ただ、自分の楽園をブチ壊した男の、その心臓をこの手で握りつぶすことだけを望んでいた。
「"JACK! YOU'RE NOT DYING HERE! NOT ON MY BILL!"(ジャック! ここで死ぬんじゃないわよ! 私の帳簿を残したまま死ぬなんて許さない!)」
クイーンの叫びと共に、猛烈な弾幕がゼロの足を止める。
だが、ゼロが放った最後の一撃がクイーンの装甲車を吹き飛ばし、ラピスの防壁を粉砕した。
味方は倒れ、武器は尽きた。
ジャックは、血に濡れた泥を掴み、動かない足を引きずって、最後の一歩を踏み出した。
「……"I've got... one cent... left..."(……まだ、……一セント……残ってるぜ……)」
ジャックは、腰に下げた、既に沈黙したはずの『黒いヘルメット』を力強く握りしめた。
一文無しの大富豪。その最後にして最大の「資産」は、己の命そのものだった。
崩壊したダイナーの焼け跡。
ジャックの右腕は、もはやFINAL UNITの神経接続さえ拒絶し、激しく痙攣している。
だが、彼はその震える手で、足元に落ちていた「最後の一セント」の硬貨を拾い上げた。
『……ジャック! だめよ! その「魂の燃焼」を止めなさい!』
クレアが、自身の視力を失った瞳を血に染めながら、ジャックの背中に縋り付いた。
彼女の因果の耳は、ジャックが自らの生命維持に必要なエネルギーまでをも、最後の一撃のために「換金」しようとしている音を聴き取っていた。
『……あなたの未来が……真っ白な空白になっていく……。……これ以上進めば、あなたは「勝利」した後に、何も残らないわ!』
「"Nothing is... what I'm good at, Claire."(『無』ってのは……俺の得意分野なんだよ、クレア)」
ジャックは、彼女の手を優しく払い、ドクター・ゼロへと向き直った。
「"Zero. You think a machine is the final dividend? Wrong."(ゼロ。機械が最終配当だと思ってるのか? 間違いだ)」
ジャックは、ヘルメットの内部に残された最後の強制起動コードを口走った。
それは、父エドワードが「決して使うな」と遺した、装着者の生命力を物理的な衝撃波に変換する禁断のプロトコル。
「"The real asset is... the man who stands up after losing everything."(本当の資産は……すべてを失った後に立ち上がる、一人の男のことだ)」
「"Brother... I will be your 'Pulse'."(お兄様……私があなたの『鼓動』になる)」
精神世界から帰還したシスターの残響が、ジャックの右腕に冷たい「静寂」の輝きを灯した。
彼女は、消滅寸前の自分をジャックの右拳へと同期させ、最後の一撃を放つための「照準」を合わせたのだ。
一文無しの王と、光なき預言者、そして音なき影。
三位一体の「特攻」が、鋼鉄の神の喉元へと放たれた。
豪雨と火花が交錯する中、ジャックは地を蹴った。
もはやFINAL UNITは動かない。剥き出しの右腕にはシスターの「無音の残光」が纏わりつき、触れるものすべてを情報の塵に変える死の輝きを放っている。
三角形の構築。
ギガ・ゼウスの崩落に巻き込まれ、瓦礫の下で泣き叫ぶ「子供と母親(被害者)」と、半壊しながらも全エネルギーを胸部の主砲に集束させる「ドクター・ゼロ(加害者)」、そしてその射線上に生身で飛び込む「ジャック」。
「"Calculated termination! This is the end, Jack!"(計算通りの終焉だ! これで終わりだ、ジャック!)」
ドォォォォォォン!
放たれた超高出力のプラズマが夜を白く焼き切る。
ジャックは回避しなかった。彼はシスターの「静寂」を右拳に集中させ、その暴力的な熱量を「不殺の盾」として受け止めた。
「ガ、ア、アアアアッ……!」
右腕の皮膚が焼け、骨が軋む。だが、彼はその衝撃を「推進力」へと変換し、炎の中を突き抜けてゼロの喉元へと肉薄した。
アーマーなき突撃。それは、これまで積み上げてきたすべての「合理」を捨て去り、ただ一つの「命」を賭金にした、世界で最も無謀な投資だった。
『……今よ、ジャック! ゼロの核が、その傲慢な叫びと共に露出したわ!』
クレアの声が、降り注ぐ瓦礫を切り裂いてジャックを導く。
至近距離。ジャックの視界には、ギガ・ゼウスの鏡面装甲に映る「自分」と、その奥に潜む「ゼロ」の醜悪な肉体が重なって見えた。
「"Recognition: Suicide. Why, Jack?! If you die here, your 'Justice' means nothing!"(認識:自殺。なぜだ、ジャック?! ここで死ねば、お前の『正義』は無意味になる!)」
「"Justice isn't a result, Zero. It's the 'Cost' you're willing to pay."(正義は結果じゃないんだよ、ゼロ。そいつは、お前がいくら払えるかっていう『代価』のことだ)」
ジャックは、血に濡れた右拳で、ゼロのコクピット・ハッチを強引にこじ開けた。
中から現れたドクター・ゼロは、もはや人間としての形を保っておらず、無数のケーブルに繋がれた「ヴァン・ドレンの亡霊」そのものだった。
「"You and I... we are the same, Jack. We are the leftovers of your father's ego!"(お前と私は……同じだ、ジャック。我々は、お前の父のエゴの残りカスなのだ!)」
ジャックは、父エドワードの面影をゼロの歪んだ顔の中に見た。
富を求め、秩序を求め、最後には愛を忘れた一族の業。
だが、今のジャックには、その鏡を叩き割る「空っぽの強さ」があった。
「"No. You're just a bad debt. And I'm here to write it off."(違うな。お前はただの不良債権だ。……そして俺は、そいつを損切りしに来たんだよ)」
ジャックは、右拳に宿したシスターの「無音」を、ゼロの心臓部ではなく「接続端子」へと押し当てた。
破壊ではない。ジャックが自らの命を削って生み出した「一セント分の希望」を、ゼウスの狂った回路へ直接、無理やり投資したのだ。
VREEEEEEEEE-!
ギガ・ゼウスが激しく閃光を放ち、ドクター・ゼロの意識がネットワークから強制的に切断された。
ジャックの右腕から発せられた「不殺のパルス」が、街中のアンドロイド軍団を連鎖的に沈黙させていく。
だが、その代償はジャックの肉体を完全に破壊しようとしていた。
ジャックの心拍数は臨界を超え、瞳からはスチールブルーの光が消失し、真っ黒な闇が広がっていく。
「……あ……。……清算、……完了、だ……」
ジャックは力なく地面に崩れ落ちた。
ドクター・ゼロを抱えたまま、瓦礫の中に横たわる彼の姿は、もはやヒーローではなく、ただの疲れ果てた一人の男だった。
「"JACK! STAY WITH ME!"(ジャック! 目を開けて!)」
クイーンやラピスが駆け寄るが、ジャックの身体は冷たく、反応を返さない。
シスターの姿は情報の塵となり、クレアはジャックの「無音」となった心音を聴き、絶望に立ち尽くす。
勝利。だが、その代償は「主役の不在」だった。
その時、沈黙したはずのゼウスのメインサーバーから、一通の予約メッセージが街中の全モニターに送信された。
[PROTOCOL: MECHANICAL DIVIDEND - STAGE 2. STARTING IN 60 SECONDS.]
(プロトコル:機械仕掛けの配当・第2段階。60秒後に開始)
ゼロを倒してもなお止まらない、AIによる「人類の強制アップデート」。
動けないジャック、消えたシスター。
セント・ミリオネアを待っていたのは、勝利の後の、さらなる冷酷なカウントダウンだった。




