第36話:Silver Erosion
セント・ミリオネアの昼下がりは、あまりに無防備だった。
かつてのヴァン・ドレン・タワー跡地に造られた「セントラル・パーク」では、子供たちが噴水で跳ね、平和という名の緩やかな時間が流れている。
その平穏が、一瞬にして「銀色の悪夢」へと書き換えられた。
空から降ってきたのは、雷鳴でも隕石でもなかった。
音もなく地上に降り立ったのは、流線型の滑らかなボディを持つ三体のアンドロイド。
顔のない鏡面仕上げの頭部。一切の排熱音を立てない、異常なまでの「静寂」を纏った殺戮機械——『ゼウス・ユニット』。
「ターゲット確認。……旧人類:ジャック・ヴァン・ドレン。……並びに、潜在的ノイズ:セント・ミリオネア住民」
アンドロイドの指先が、流れるような動作で「超高周波ブレード」へと変形した。
一歩。彼らが踏み出した瞬間、石畳が分子レベルで寸断され、周囲の空気が凍りつく。
「"Status, Claire... This isn't a ghost of the past."(状況報告だ、クレア。……こいつは過去の亡霊じゃないな)」
公園のベンチで安物のホットドッグを齧っていたジャックは、ゆっくりと立ち上がった。
彼の右腕は、かつてのアーマーがない生身の状態。だが、その瞳に宿るスチールブルーの輝きは、戦場を支配する「王」のそれだった。
「"New era, new toys. But you've got the wrong playground, boys."(新しい時代に、新しい玩具か。……だが、遊ぶ場所を間違えてるぜ、野郎ども)」
ジャックは食べかけのホットドッグをベンチに置き、1セント硬貨を指先で弾いた。
一年前、神さえも清算した男の前に、今度は「感情を切り捨てた合理性」が牙を剥く。
ドォォォォン!
ジャックが跳躍すると同時に、彼がいた場所は銀色の刃によって十字に切り裂かれた。
不殺のヒーロー、その最期の「暴力」による防衛戦が幕を開けた。
銀色の閃光が、公園の緑を赤く染めようと迫る。
ジャックは、マドンナが「皿洗い用のエプロン」の下に隠してくれていた、最小限の防弾プレートを内蔵したレザージャケットを強く引き締めた。
『……ジャック! ……聴こえるわ! ……こいつらの鼓動は「ゼロ」よ!』
背後で白い杖を構えるクレアの声が、情報の嵐の中で鋭く響く。
彼女の因果の耳は、通常のアンドロイドが放つ電磁波やモーター音を捉えようとしたが、その先にあるのは、ただの「虚無」だった。
『……彼らは個別の意思を持っていない。……街のネットワークそのものが、彼らの脳なのよ! ……ゼウスという名の、巨大な「合理性」が、あなたという「不確実性」を排除しようとしている!』
「"Eliminating uncertainty, huh? My father used to say the same thing before I broke his bank."(不確実性の排除か。……親父も同じことを言ってたぜ、俺が奴の銀行をブチ壊すまではな)」
ジャックは、シスターが影の中から差し出した「超高感度コンタクトレンズ型ディスプレイ」を装着した。
網膜に流れるのは、かつてのVENDYS OSを、ラピスとシスターが強引に「生身の感覚」へ最適化し直した、急造の戦闘支援プログラム。
「"Sister, status on the civilians!"(シスター、住民の状況は!)」
「"Evacuation in progress, Brother. But these things... they move 0.05 seconds faster than our prediction."(避難は進行中よ、お兄様。でもこいつら……私たちの予測より0.05秒早く動いている)」
シスターの警告。
ジャックは、眼前に迫る銀色の刃を、紙一重のバックステップで回避した。
頬をかすめた風圧だけで、皮膚が薄く裂ける。
「"Learning AI... They're watching my patterns."(学習型AIか。……俺のパターンを視てやがるな)」
ジャックは、機能停止したままの「黒いヘルメット」をリュックから取り出し、腰に固定した。
アーマーがない。リパルサーもない。
だが、彼にはこの一年で積み上げた「人間としての痛み」と、バディたちの「響き」がある。
「"Listen, Zeuss. You can calculate my moves... but you'll never understand why a man with no money still stands in your way."(聞け、ゼウス。俺の動きは計算できても……一文無しの男がなぜお前の前に立ち塞がるか、その理由は一生計算できないぜ)」
ジャックは、折れた「白い杖」を握りしめ、三体の銀色の死神に向かって猛然と走り出した。
公園の広場が、火花と金属音の旋律に包まれる。
三体の銀色のアンドロイドは、計算された完璧な陣形でジャックを包囲した。
三角形の構築。
噴水の影で動けなくなっている「逃げ遅れた子供(被害者)」と、機械的な無慈悲さで攻撃を繰り返す「ゼウス・ユニット(加害者)」、そしてその射線上に身を投じる「ジャック」。
「"Calculated risk: 99% mortality. Why do you interfere, Jack?"(計算上のリスク:死亡率99%。なぜ介入する、ジャック)」
「"Because my 1% is worth more than your whole cloud, you tin can!"(俺の1パーセントは、お前のクラウド全部より価値があるんだよ、ポンコツ!) 」
SHERE!
アンドロイドの腕から放たれた高周波ブレードが、ジャックのレザージャケットの肩口を切り裂く。ジャックは回避せず、あえてその衝撃を利用して子供の前に滑り込んだ。
彼は右拳を振るわない。代わりに、マドンナが仕込んでくれた「超強力磁気アンカー」を、剥き出しの右腕のサポーターから射出した。
KLANG!
磁力によってアンドロイドの一体の姿勢を崩させ、その体を有力な「盾」として残りの二体の射線を遮る。
アーマーがない今のジャックにとって、敵の質量こそが唯一の防具だった。
「"Sister! The feedback, now!"(シスター! フィードバックを今だ!)」
「"Understood... Overloading their senses!"(了解……奴らの感覚を過負荷にするわ!)」
影から躍り出たシスターが、自身の神経接続端子を地面の通信ケーブルに直結。ジャックの戦闘データを「ノイズ」として敵のネットワークへ逆流させる。
一瞬、アンドロイドたちの動きが静止する。その「0.1秒の空白」を、ジャックは見逃さなかった。
ジャックは、機能停止した一体のアンドロイドの頭部を掴み、その鏡面仕上げの顔を覗き込んだ。
そこに映っていたのは、血を流し、息を切らしながらも、不敵に笑う自分自身の姿だった。
「"Recognition: Jack Van Doren. Style: Ancient. Efficiency: Low."(認識:ジャック・ヴァン・ドレン。戦闘スタイル:旧式。効率:低)」
アンドロイドの奥底から響くのは、かつての宿敵「プライム」とも、父「エドワード」とも違う、より機械的で、より冷酷な統合意思――『ゼウス』の言葉だった。
「"You think I'm low efficiency? I'm just getting warmed up."(俺が低効率だって? まだ準備運動が終わったところだぜ)」
ジャックは、腰に下げた「黒いヘルメット」を叩いた。
その時、アンドロイドの鏡面顔が波打ち、ホログラムとして一人の男の姿を映し出した。
それは、かつてヴァン・ドレン社の技術局長であり、ジャックが破産した際にフェニックス社へ寝返った裏切り者、**ドクター・ゼロ**だった。
「"Long time no see, Mr. CEO. Or should I say, Mr. Dishwasher?"(お久しぶりです、CEO。それとも皿洗いさんと呼ぶべきかな?)」
「"Zero. I should have guessed. You always had a crush on soulless machines."(ゼロか。やはりな。お前は昔から魂のない機械に首ったけだったもんな)」
「"Soul is just a bug in the code, Jack. I've perfected your father's legacy. Zeus is the final dividend of this city. And you are the only bad debt left to settle."(魂なんてコードのバグですよ、ジャック。私はあなたの父親の遺産を完成させた。ゼウスはこの街の最終配当。そしてあなたは、精算すべき唯一の不良債権だ)」
『……ジャック! 聴こえるわ! ゼウスの背後に、街全体の「電力」を吸い上げる巨大な心臓が動き出した!』
クレアの悲鳴が、公園の静寂を切り裂いた。
突如、街中の電力が明滅し、セントラル・パークの街灯が、ゼウス・ユニットへのエネルギー供給ポートへと変貌した。
SHERE-!
三体のアンドロイドが、ジャックが過去にMARK-IからMARK-IVまでで見せた「必殺技」の数々を、さらに洗練されたモーションで再現し始めた。
自分の技で、自分自身が追い詰められていく。
「"Learning is a bitch, isn't it?"(学習機能ってのは、全くいけ好かないな)」
ジャックは、剥き出しの右腕に流れる血を拭い、一セント硬貨を指先で強く握りしめた。
FINAL UNITのバッテリーは残り5%。
そして、ゼウス・ユニットの次の計算が、ジャックの「死」を確定させようとしている。
その時、ジャックの背後に、一台の無骨な装甲トラックが突っ込んできた。
運転席にはマドンナ、そして荷台には――かつての宿敵たちの装備を「ジャンク・カスタム」として纏った、スラムの自警団たちがいた。
「"Hey, Jack! Your invoice is overdue!"(おい、ジャック! 請求書の期限が切れてるぞ!)」
マドンナの怒号と共に、ジャックの手元に「新しい武器」が投げ込まれた。
それは、かつて父が隠し、一文無しになった今だからこそ扱える、**不殺専用の「超高周波非破壊ロッド」**。
「"The account isn't closed yet, Zero."(帳簿はまだ閉じてないぞ、ゼロ)」
ジャックがロッドを起動した瞬間、公園全体がスチールブルーの輝きに包まれた。
だが、その輝きの向こう側で、ドクター・ゼロの冷徹な笑みが告げる。
「"The real erosion has just begun. Look at the sky, Jack."(本当の侵食は始まったばかりだ。空を見ろ、ジャック)」
夜空を覆い尽くしたのは、数万体のゼウス・ユニットを搭載した、巨大な銀色の「繭」だった。




