表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
VENDYS:破産した億万長者が、不殺を誓って摩天楼を駆ける――救った命の数だけ、俺の誇りは積み上がる――  作者: 寝不足魔王


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
36/46

第35話:Account Balanced: The Final Log

 意識は、どこまでも澄み渡った「白」の中にあった。


 痛みも、重圧も、剥き出しの回路が放つ火花もない。

 ジャック・ヴァン・ドレンは、そこに一人で立っていた。


「"Is this the bottom of the vault, Dad?"(ここが金庫の底か、父さん?)」


 目の前には、かつての億万長者時代に着ていた最高級のスーツ姿の自分と、ボロボロの皿洗い姿の自分が、鏡合わせのように向かい合っていた。

 二人の自分は、同時に微笑み、そして一セント硬貨を高く放り投げた。


 チャリン、という小さな音。


 その響きと共に、ジャックの脳裏にこれまでの記憶が走馬灯のように駆け抜ける。

 ラピスの冷徹な刃、クイーンの爆音、アイリスの悲しい嘘、シスターの無音の涙。

 そして、失明したクレアが聴き続けてくれた、自分の不器用な鼓動。


「"The debt is paid. The ledger is closed."(負債は払った。帳簿は閉じたぞ)」


 ジャックがそう呟いた瞬間、真っ白な世界にスチールブルーの光が差し込んだ。

 それは情報の海からの呼び声でも、神の審判でもない。

 

『……ジャック。……聴こえるわ。……私たちの「明日」を呼ぶ音が』


 暗闇の向こう側から、自分を呼ぶ「愛しい声」が、止まっていた心臓を再び強く叩き始めた。


 数ヶ月後。

 セント・ミリオネアの街角にある、小さな名前のないダイナー。

 

「おい、ジャック! ぼさっとするな、12番テーブルにトーストだ!」

 マドンナの怒鳴り声が、平和な午後の店内に響く。


「"Yeah, yeah. Keep your apron on, Madonna."(はいはい。エプロンを飛ばすなよ、マドンナ)」


 ジャックは、かつてリパルサーを放っていた右腕で、慣れた手つきで皿を運んだ。

 あの日、命の灯火が消えかけたジャックを救ったのは、最新の医学でも、ヴァン・ドレン家の遺産でもなかった。

 街中の人々が「彼を死なせない」と願い、それぞれの「命の一部」を分け与えるようにして繋いだ、奇跡という名の連帯だった。


『……ふふ。……ジャック、今日のあなたは、今までで一番「軽い」音がするわ』


 カウンターの隅で、本を「聴いて」いたクレアが顔を上げた。

 彼女の銀色の瞳には、依然として光はない。だが、その表情は、どんな絶景を視ている時よりも輝いていた。


「"Light, huh? That's because my pockets are literally empty, Claire."(軽いだと? そりゃポケットが文字通り空っぽだからな、クレア)」


 ジャックは、彼女の隣に腰を下ろした。

 相談役も、ヒーローも、公式にはもう存在しない。

 今の彼は、ただの「ジャック」という名の一人の住民に過ぎない。


『……でも、誰もが知っているわ。……この街の石畳の一つ一つに、あなたの「不殺」が刻まれていることを』


「"Let them forget. A man's value isn't in a history book. It's in the coffee he drinks with his friends."(忘れさせておけ。男の価値は歴史本にゃない。……仲間と飲むコーヒーの中にあるんだよ)」


 夕暮れ時。

 ジャックはクレアとシスターを連れて、黄金色に染まる公園を歩いていた。

 

 そこで、小さな「事件」が起きる。

 

 三角形の構築。

 転んで怪我をした「少年(被害者)」と、彼を助けようとするがどうすればいいか分からず慌てる「若い自警団員(加害者なき当事者)」、そしてその横を通りかかる「ジャック」。


「大丈夫か、坊主。……ほら、泣くな。男の勲章だ」


 ジャックは、ポケットから一枚の飴玉を取り出し、少年に手渡した。

 かつての彼なら、最高級の医療チームを呼び、賠償金を払っていただろう。

 だが、今の彼は、少年の汚れを自分の服で拭き、安心させるように笑いかける。


「……あ、ありがとう、おじさん。……おじさん、もしかして……」


「"I'm just a janitor, kid. But I know a lot about getting back up."(ただの皿洗いだよ、坊主。……だが、立ち直り方については、ちょっと詳しいんだ)」


『……ジャック。……いま、次の世代の「因果」が動き出したわ』

 クレアが、微笑みながらその光景を耳で聴いていた。


「"Let them handle it, Claire. I'm retired."(あいつらに任せようぜ、クレア。俺は引退したんだ)」


 ジャックは、駆け寄ってきた少年の親たちの感謝を背に、ゆっくりと歩き出した。

 彼が蒔いた種は、彼がいなくても、この街の至る所で「新しい正義」として芽吹き始めていた。


 夜。三人は、かつてのヴァン・ドレン・タワーが立っていた跡地の、静かな記念碑の前にいた。

 漆黒の石碑には、犠牲者の名と共に、たった一行、ジャックが望んだ言葉が刻まれている。

 ——『すべての負債は、ここで清算された』


 ジャックは、石碑の滑らかな表面に映る、自分の「瞳」を見つめた。

 かつての、傲慢な億万長者の影はもうどこにもない。

 父エドワードへの憎しみも、ヴァン・ドレンの血への呪いも、すべては遠い過去の霧の中に消えていた。


「"Are you happy now, Father?"(満足か、父さん?)」


 返答は風の音だけだった。

 だが、ジャックは自分自身の内側から、静かな「肯定」の声を聞いた。

 

 彼は、自らの手で自分の「王座」を壊し、その破片で人々の「家」を建てた。

 これ以上の、完璧な成り上がりなど存在するだろうか。


「"Sister... Claire... Let's go home."(シスター……クレア……帰ろうぜ)」


「"Home... that's a nice sound, Brother."(帰る……いい響きね、お兄様)」

 シスターが、ジャックの腕に甘えるようにしがみつく。


 ジャックは、二人の手を引き、今や世界で最も平和な場所となった「自分の家」へと歩き出した。


 セント・ミリオネア。

 欲望と暴力の都市は、今、月明かりの下で穏やかな寝息を立てている。


 かつての相談役室。

 そこには、ジャックが置いていった一通の「最終報告書」が残されていた。

 

 [FINAL LOG: PROJECT VENDYS]

 (最終ログ:プロジェクト・ヴェンディス)

 [ASSETS: INFINITE TRUST]

 (資産:無限の信頼)

 [LIABILITIES: ZERO]

 (負債:ゼロ)

 [STATUS: ACCOUNT BALANCED]

 (状況:清算完了)


 そして、最後の一行。

 [MESSAGE: I'M STILL IN THE BLACK.]

 (メッセージ:俺の人生、まだ黒字だぜ)


 ——路地裏のダイナーの二階。

 ジャックは、安物のコーヒーを飲みながら、隣で眠るクレアの寝顔を見つめていた。

 

 一文無しの大富豪。

 王座を捨てたヒーロー。

 歴史から消えた、最高の男。


 彼は、そっと電気を消した。

 真っ暗な闇の中でも、彼らにはお互いの鼓動が、未来を照らす確かな光として聴こえていた。


 [SYSTEM EXIT... SUCCESS]

 [THANK YOU FOR INVESTING IN THIS STORY.]


 ——セント・ミリオネアの伝説は、ここでおしまい。

 そして、ジャックという「一人の男」の本当の人生が、今、ここから始まる。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ