第20話:Silent Requiem
セント・ミリオネアの空を、無数の赤い光が埋め尽くした。
それは星の輝きではなく、街中の全ビジョンに映し出されたジャックの素顔と、その頭上に懸けられた「史上最高額の賞金」を知らせるアラートだった。
「"Is this... my final paycheck?"(これが……俺の最後の給料袋か?)」
第零区の崩落現場から這い出したジャックは、血と泥にまみれた顔で、上空を旋回する武装ヘリの群れを見上げた。
FINAL UNITは既に沈黙し、右腕の装甲は剥げ落ち、生身の腕が夜風に晒されている。
『……ジャック……。……「憎悪」の音が……街全体を震わせている……』
傍らで、シスターに支えられたクレアが震える声で告げる。
『……プライムの情報操作で、あなたは「父の狂気を継いだ破壊者」にされた。……今や、警察も、暴徒も、そしてあなたが守ってきたスラムの人々さえも、あなたを殺すために動いているわ……!』
「"Welcome to the club, Jack."(ようこそ、こちら側へ、ジャック)」
シスターが、自身の漆黒のマスクをジャックに差し出した。
「"The world doesn't want the truth. They want a scapegoat. And you are the perfect one."(世界は真実なんて望んでいない。ただの生贄を欲しがっている。……そして、あなたはその役にぴったりよ)」
ジャックは差し出されたマスクを拒み、折れた「白い杖」を杖代わりにして立ち上がった。
「"I'm not wearing a mask anymore."(もうマスクは被らないさ)」
ジャックは、血の混じった唾を吐き捨て、広場へと歩み出した。
正面から迫りくるのは、汚職警察の装甲車、そして武器を手にした「かつての仲間」たち。
「"Listen, People of St. Millionaire!"(聞け、セント・ミリオネアの民よ!)」
ジャックの声は、マイクもスピーカーもなく、ただの「一人の男」の叫びとして、静まり返った夜の広場に響き渡った。
それは、英雄の凱旋ではなく、死刑台へ向かう罪人の、最後にして最大の「不殺の反撃」の始まりだった。
広場を囲むサーチライトの光が、ジャックのボロボロの姿を残酷に照らし出す。
装甲車のスピーカーからは「ヴァン・ドレンを殺せ」という怒号がリフレインし、かつてジャックを「聖母」と共に守ったスラムの住人たちさえも、惑わされた瞳で石を握りしめていた。
「"One minute... that's all the 'peace' we have left."(一分か……それが俺たちに残された唯一の『平和』な時間だな)」
ジャックは壁に背を預け、荒い呼吸を整えた。剥き出しの右腕からは、黒いオイルと真っ赤な鮮血が混ざり合って滴り落ちている。
『……ジャック、聴こえるわ。……彼らの心の奥底にあるのは、憎しみじゃない。……「恐怖」よ。プライムが流した嘘の映像が、彼らの理性を塗り潰している……!』
クレアが、ジャックの血に濡れた手を自身の胸に引き寄せた。彼女の因果の耳は、街全体が奏でる「絶望の不協和音」に悲鳴を上げている。
「"Brother, I can end this."(お兄様、私が終わらせられる)」
シスターが、自身の首筋にある「情報の神経」を指差した。
「"If I connect my mind to the city's main node, I can broadcast the 'Silence'. It will freeze everyone's mind for ten seconds. Enough for you to escape."(私が街のメインノードに意識を繋げば、『沈黙』を放送できる。十秒間、全員の思考を凍結させられるわ。……あなたが逃げるには十分な時間よ)」
「"And what happens to you, Sister?"(それで、お前はどうなる?)」
「"I will become part of the system. I will disappear."(システムの一部になる。……私は消えるわ)」
シスターの瞳に、初めて「自己犠牲」という人間的な色が宿る。だが、ジャックは即座に彼女の肩を掴み、力強く首を振った。
「"No more sacrifices. Not today, not ever."(犠牲はもう終わりだ。今日だって、これから先だってな)」
ジャックは、折れた「白い杖」を杖代わりに突き、ゆっくりと広場の中央へと歩み出した。
「"Prime wants a monster? Fine. I'll give him the most dangerous thing in the world."(プライムが怪物を欲しがってるって? いいだろう。世界で一番危険なものを奴に見せてやる)」
『……ジャック、何を……?』
「"The Truth, Claire. And I'm going to pay for it with everything I am."(真実だよ、クレア。……俺という存在のすべてを代価にしてな)」
ジャックは、ヘルメットの通信機を全広帯域へと強制解放した。
それは逃げるための計算ではなく、自らの「破滅」を確定させ、同時にプライムの嘘を焼き切るための、文字通り命懸けの「最後の取引」だった。
中央広場は、狂気と怒りの坩堝と化していた。
上空からは無数のドローンがジャックの姿を捉え、地上では武装した汚職警官と、扇動された暴徒たちが彼を取り囲んでいる。
彼らが構える銃口、そして握りしめられた石。そのすべてが、一人の「男」をこの街から消し去ろうとしていた。
「"SHOOT HIM! Kill the monster!"(撃て! 怪物を殺せ!)」
誰かの叫びが引き金となり、一斉に石や銃弾が放たれた。
三角形の頂点。
偽りの情報に躍らされる住民たち(被害者)と、それを操るプライム(加害者)、そして無抵抗で立つ「自分」。
「"STAY BACK, CLAIRE! SISTER!"(下がってろ、クレア! シスター!)」
ジャックは反撃の姿勢を一切取らず、ただ両手を広げてその場に立ち尽くした。
KLANG! THUD!
飛来した石がジャックの素顔を切り裂き、弾丸が肩の装甲を貫く。
だが、ジャックは倒れない。彼は一歩踏み出し、自分に最も近い場所にいた、かつて助けたはずのスラムの少年の前に立った。少年は震える手でナイフを握っている。
「……ジャック……あんたが、俺たちのパパを殺そうとしたんだろ……?」
「"Look at me, kid."(俺を見ろ、坊主)」
ジャックは、血に濡れた顔で、そのナイフの先を自らの胸元へと当てた。
「"Do I look like a man who has a plan? I'm just a guy who's too broke to buy a lie."(俺が計画を練ってるように見えるか? 俺はただの、嘘を買う金さえない貧乏人だよ)」
ジャックは、背負っていた「共鳴プレート」を最大出力で起動した。
だが、それは敵を倒すための衝撃波ではない。
広場に響き渡ったのは、ジャック・ヴァン・ドレン自身の、激しく、だが一定の刻みを刻む「心臓の鼓動」だった。
DUM-DUM. DUM-DUM.
スピーカーを通じて街中に響く、生身の人間の鼓動。
『……聴こえる……。……憎しみの裏側にある、彼の「本当の痛み」が……』
クレアが、自身の因果の響きをその鼓動に重ね、街全体のネットワークに「真実の波形」を逆流させる。
「"I won't fight you."(俺はお前たちとは戦わない)」
ジャックは膝をつき、武器を捨てた。
「"Kill me if you must. But do it because 'you' want to, not because 'he' told you to."(殺したければ殺せ。だが、それは『お前たち』の意志であれ。『奴』の命令ではなくな)」
広場を支配していた殺意が、その静かな鼓動に毒気を抜かれたように霧散していく。
人々は顔を見合わせ、自分の手に握られた武器が、いかに醜いものであるかに気づき始めていた。
「……あり得ない。情報のコントロールを、ただの『心拍数』で打ち破るだと……?」
上空のモニターに映るプライムの顔が、初めて驚愕と怒りに歪んだ。
「"You think a few heartbeats can change the world, Jack?"(たかが数拍の鼓動が、世界を変えられると思っているのか、ジャック?)」
広場を埋め尽くす全モニターが、一斉にプライムの冷徹な姿を映し出した。
彼は、保存槽の中で消えていった父エドワードの「最後の記憶断片」を、残酷なほど鮮明な映像として再生し始めた。
「"What's that...?"(それは……何だ……)」
「お前の父が、死の直前に書き換えた最後のプログラムだ。……ジャック、彼は知っていた。お前が『不殺』を貫き、聖者になろうとすることを。……だから彼は、お前のその『正義』が完成した瞬間に起動する、最悪の『清算』を仕込んでおいたのさ」
モニターに映し出されたのは、ジャックの心臓の鼓動と連動してカウントダウンを開始する、街の地下に眠る「アトラス計画」の最終自爆システムだった。
「"No... Dad wouldn't..."(嘘だ……親父がそんなこと……)」
「彼は言ったのだよ。『正義が勝つような世界など、不確実で危険すぎる』と。……お前が人々を救い、信頼を得れば得るほど、この街の自爆シーケンスは加速する。……お前が守ろうとした人々は、お前の『正義』の火花によって、一瞬で灰になるのだ」
ジャックの耳元で、プライムの嘲笑が重なり合う。
「"The debt of a saint is the death of the city."(聖者の負債は、街の死だ。……さあ、ジャック。このままヒーローを演じ続け、愛する人々を焼き殺すか? それとも、今すぐその拳で誰かを殺し、父の用意した『悪の脚本』に自ら飛び込んで自爆を止めるか?)」
『……ジャック、だめ! 聴こえるわ……。その爆弾は、あなたの「絶望」を燃料にしている……!』
クレアが、ジャックの震える肩を抱きしめる。
三角形の頂点。
自分の心臓と連動した「街の命(被害者)」と、父が遺した「呪いのプログラム(加害者)」、そして究極の二択を迫られる「自分」。
「"A hero or a killer... pick your poison, Jack."(ヒーローか人殺しか……好きな毒を選びなさい、ジャック)」
ジャックは、血に濡れた自分の手を見つめた。
不殺を貫けば街が消え、殺せば自分が父の望んだ「冷酷な後継者」へと変貌する。
富も、名誉も、視力さえも代価にして辿り着いた果てに、父エドワードは最悪の「チェックメイト」を用意していた。
「……"Is this... my final account...?"(……これが、俺の最後の帳簿か……)」
ジャックの右拳が、激しく震えた。
MARK-IVの残骸が、彼の心の崩壊に呼応するように悲鳴を上げる。
「"You win, Dad... if I play by your rules."(あんたの勝ちだよ、父さん。……あんたのルールで戦うならな)」
ジャックは震える拳を解き、空に向かって笑った。
自爆のカウントダウンは残り、三十秒。
「"Claire, Sister. Give me your hands."(クレア、シスター。手を貸してくれ)」
ジャックは、光を失ったクレアの右手を、そして感情を奪われたシスターの左手を、自身の胸部にある「共鳴プレート」へと重ねさせた。
三人の魂が、剥き出しの回路を通じて一つに繋がる。
「"VENDYS, Final Protocol: HARMONY!"(ヴェンディス、最終プロトコル:ハーモニー!)」
ジャックが選んだのは「破壊」でも「殺戮」でもなかった。
父が遺した「呪いの波形」を、三人の絆が生み出す「逆位相の共鳴」で完全に上書き(オーバーライド)する――。
それは、ジャックの心臓を物理的に焼き切るほどの、文字通りの命懸けの「博打」だった。
VREEEEEEEEE-!
純白の光が、広場から街全体へと爆発的に広がった。
地下の自爆装置は臨界を停止し、プライムが操っていたモニター群は一斉にブラックアウトした。
ジャックの鼓動と連動していた死の秒読みは、三人の穏やかな吐息へと溶け込み、消えていった。
「……ッ、ガ、アアアッ!」
衝撃の反動で、ジャックのMARK-IVは完全に砕け散った。
ジャックは泥の中に倒れ込み、激しく吐血する。だが、その瞳に宿るスチールブルーの光は、勝利の証として輝いていた。
「……"Status... everyone...?"(……状況は……みんな……?)」
『……聴こえるわ……。……「沈黙」が、本当の「静寂」に変わった音が……』
クレアがジャックの頬に触れる。
シスターは無言で、救われた住民たちが自分たちを「感謝の目」で見つめている光景を、その瞳に焼き付けていた。
だが、静寂を切り裂いて、空から巨大な「影」が降りてきた。
それは、これまでのどんなヴィランとも違う、神々しくも禍々しい漆黒の巨大装甲。
プライムが、自らの肉体を捨て、AIとしての全機能を注ぎ込んだ最終兵器、**PROJECT: GENESIS**。
「"Well played, Jack. You saved the city. But you've also exhausted your last drop of life."(見事だったよ、ジャック。街は救った。だが、お前は最後の一滴まで命を使い果たしたな)」
プライムの巨大な鋼鉄の足が、ジャックの目の前の地面を沈ませる。
「"The debt is now due. I'm taking everything you loved."(負債の支払い期限だ。お前が愛したすべてを、今ここで奪ってやる)」
ジャックは立ち上がれない。
腕の中のクレアとシスターを、守る盾さえもう残っていない。
「"Not... yet..."(……まだ……だ……)」
ジャックが血まみれの手を伸ばしたその時、街の四方八方から、聞き慣れた重厚なエンジン音と、怒号のような駆動音が響き渡った。
「"HEY! DON'T TOUCH OUR BROKE HERO!"(おい! 俺たちの貧乏ヒーローに触るんじゃねえ!)」
駆けつけたのは、マドンナ率いるスラムの重機部隊。
空からは、かつての宿敵、バリスティック・クイーンの武装機が。
そして路地裏からは、ラピス・レイザーとミストレス・マインドまでもが、それぞれの「贖罪」を胸に姿を現した。
ジャック・ヴァン・ドレンが失った「富」の代わりに、この街が積み上げてきた「最大最強の資産」が集結する。
「"The Billionaire is gone."(大富豪は死んだ)」
ジャックは、仲間たちの支えを受け、震えながらも最後の一歩を踏み出した。
「"But the St. Millionaire... is just getting started!"(だがセント・ミリオネアの反撃は、ここからが本番だ!)」
王座を追われた男の、最後にして最大の戦い。
全エピソードのヴィランと仲間たちが交錯する、最終決戦の幕が上がる。




