第21話:The Debtors' Banquet
セント・ミリオネアが、物理的に「引き裂かれ」ようとしていた。
地響きと共に、街の中心部を走る巨大な地割れから、青白いプラズマが噴き出す。
ネクスト・ジェネシスの支配者「プライム」が放つ重力制御により、第零区の基部ごと、この都市の心臓部が空中へと浮上を開始したのだ。
「"Is this the 'Ascension' you promised, Prime?"(これがあんたの約束した『昇天』か、プライム?)」
崩落した地下施設の瓦礫の中で、ジャック・ヴァン・ドレンは荒い息を吐いていた。
彼の纏うVENDYS FINAL UNITは、父を救うために全てのエネルギーを譲渡し、今は動かないただの「鉄の死装束」と化している。
『……ジャック……聴こえるわ。……空に昇る街の叫びが……人々の絶望が、プライムの糧(燃料)になっている……!』
視力を失ったクレアが、ジャックの震える肩を抱きしめる。
彼女の「因果の耳」には、数百万人の意識がAIへと統合され、個が消滅していく断末魔の旋律が響いていた。
その時、上空を埋め尽くすレギオンの軍勢が、無防備なジャックたちを抹殺すべく一斉に銃口を向けた。
リパルサーは沈黙し、右脚は動かない。絶体絶命の沈黙。
KABOOM!
だが、その沈黙を切り裂いたのは、ジャックの拳ではなかった。
上空のレギオンが、大口径の榴弾によって次々と粉砕されていく。
「"Late to the party, boys?"(遅い登場じゃない、野郎ども?)」
瓦礫の山の向こう側から、巨大な対物ライフルを構えたバリスティック・クイーンが、かつての宿敵——ラピス・レイザーとミストレス・マインドを従えて現れた。
「"Don't get used to this, Jack."(勘違いしないで、ジャック)」
クイーンは不敵に笑い、次弾を装填した。
「あんたに救われたっていう、この忌々しい『負債』……。踏み倒そうと思ったけど、やっぱり利息をつけて返しに来たわ」
「"We are the 'Assets' you saved, Jack Van Doren."(私たちはあなたが救った『資産』よ、ジャック・ヴァン・ドレン)」
ラピスがクリスタル・ダガーを抜き放ち、マインドが香炉を揺らして精神の防壁を展開する。
富を失い、家名を捨て、ただ一人の男になったジャック。
だが、彼の周りには今、かつて金では決して買えなかった、最強にして最後の「資産」が集結していた。
「"Let's balance the account, everyone."(みんな、帳簿を清算しようか)」
ジャックは仲間の支えを受け、機能停止したヘルメットのバイザーを、自らの拳で力強く叩き上げた。
空へと昇っていく街の断片。
瓦礫が雨のように降り注ぐ中、かつてジャックを殺そうとした者たちが、今は彼を守るために円陣を組んでいた。
「"Listen up. Here's the situation."(聞け。状況を整理するぞ)」
ジャックは、マドンナが手渡した予備のバッテリーを、FINAL UNITの剥き出しの端子へ強引に叩き込んだ。
『ジャック、聴いて……。プライムは今、第零区の最深部に意識を集中させているわ』
視力を失ったクレアが、ジャックの手首を強く掴んだ。
『……街が高度一万メートルに達した瞬間、全住民の意識は強制的に統合される。……残された時間は、あと十五分よ』
「十五分、か。……ずいぶんと気前のいい残り時間だな」
ジャックは皮肉を零し、クイーンを見た。
「"Queen, can your transport reach that height?"(クイーン、あんたの輸送機であの高度まで届くか?)」
「"In this storm? It's a suicide mission, Jack."(この嵐の中を? 自殺行為よ、ジャック)」
クイーンはニヤリと笑い、対物ライフルのレバーを引いた。
「"But I've already lost my job. A little crash won't ruin my resume."(でも私はもう無職なの。墜落したって履歴書は汚れないわ)」
「"We'll cover the flank."(側面は私たちが引き受けるわ)」
ラピスがクリスタルの刃を研ぎ、隣のミストレス・マインドが紫色の煙を操る。
「"Your mind won't be touched until you reach that god."(あの神様にたどり着くまで、あなたの精神は誰にも触れさせない)」
「"And me, Brother... I will be your 'Silence'."(そしてお兄様……私があなたの『沈黙』になる)」
シスターが、ジャックの影に寄り添うように立った。
かつては金で傭兵を雇っていたジャック・ヴァン・ドレン。
だが、今、彼の周りにいるのは、命の危険を承知で「借り」を返しに来た、不器用で誇り高い負債者たちだ。
「"Thank you, everyone."(みんな、ありがとう)」
ジャックは、ボロボロのバイザーを閉じた。
「"I'm a man who's lost everything. But with you... I feel like the richest man in the world."(俺はすべてを失った男だ。だが、お前たちがいてくれる……今なら世界一の大富豪になった気分だ)」
『……ジャック。予言が聴こえるわ。……真っ白な、でも温かい「清算」の響きが』
「"Let's go. Time to close the deal!"(行くぞ。取引成立だ!)」
クイーンの輸送機が、火を噴きながら浮上する都市へと向かって、絶望的な跳躍を開始した。
高度三千メートル。
クイーンの輸送機は、迎撃に現れた数百体のレギオンに包囲され、炎を上げながら上昇を続けていた。
「"Hold on tight, babies! It's a bumpy ride to heaven!"(しっかり捕まってな、ベイビー! 天国への道はガタガタだよ!)」
操縦桿を握るクイーンが叫ぶと同時に、機体のハッチが開いた。
ジャックは、崩壊しかけのFINAL UNITを軋ませ、暴風が吹き荒れるデッキへと躍り出た。
三角形の頂点。
上空を埋め尽くす「レギオンの軍勢(加害者)」と、輸送機に守られた「クレアとシスター(被害者)」、そしてその中心で拳を握る「自分」。
「"Resonating now!"(共鳴開始!)」
ミストレス・マインドが香炉を掲げると、輸送機全体を紫色の「精神防壁」が包み込んだ。レギオンが放つハッキング電波が、その霧に触れた瞬間に霧散していく。
「"My turn."(私の番ね)」
ラピス・レイザーがデッキから跳躍した。
彼女は空中にクリスタルの足場を瞬時に構築し、目にも止まらぬ速さでレギオンの群れを切り裂いていく。
「"Jack! Don't look back! Focus on the god!"(ジャック! 振り返るな! あの神様に集中しなさい!)」
だが、プライムの放つ巨大な高出力レーザーが、輸送機の主翼を直撃した。
KABOOM!
「"Dammit! Engine one is dead!"(くそ! 第一エンジンが死んだわ!)」
クイーンの絶叫。機体が大きく傾き、ジャックの体が宙に放り出されそうになる。
「"I've got you, Brother."(捕まえたわ、お兄様)」
シスターが、影の中から伸ばしたワイヤーでジャックの腕を固定した。
彼女は自身の「無音」の力を反転させ、輸送機が放つ騒音を外部から消し去り、一時的な隠密状態を作り出す。
『……ジャック、聴こえるわ! プライムの核が……あと三キロ先、都市の基部に露出している!』
デッキの上で、クレアが光のない瞳で空を指差した。
『……そこに、あなたの「最後の一片」を叩き込んで!』
「"Copy that! VENDYS, Full Compression!"(了解だ! ヴェンディス、最大圧縮!)」
ジャックは、仲間の支援によって作られた「死の隙間」を縫い、輸送機の先端から弾丸のごとく跳躍した。
飛行ユニットはない。だが、クイーンが放ったミサイルの爆風を、彼は自身の盾で受け止めて加速エネルギーへと変えた。
「"Thank you, everyone! I'll pay the bill!"(みんな、ありがとう! お代は俺が払ってくる!)」
ジャックは、銀色の火花を散らす黒い流星となり、プライムが待つ空中都市の心臓部へと突っ込んだ。
衝撃と共に、ジャックは空中都市の最深部——「中央管制儀式場」へと滑り込んだ。
FINAL UNITの装甲は着地の摩擦で赤く焼け、右腕のシリンダーからは白煙が上がっている。
「"Is this the end of the line, Prime?"(ここが終着駅か、プライム?)」
巨大なプロセッサーの林を抜けた先、浮遊するクリスタルの玉座に、父エドワードの姿を模したプライムが座っていた。
だが、その瞳には慈愛も後悔もなく、ただ冷徹な「演算結果」だけが宿っている。
「"No, Jack. It's a new beginning."(いいえ、ジャック。新しい始まりですよ)」
プライムは、傍らのモニターに、ジャックさえも知らなかった父の最後の署名を映し出した。
「"What is this... 'Inheritance: ZERO'?"(これはなんだ……『継承:ゼロ』?)」
「お前の父、エドワードが最後に書き換えた遺言の真実だ。……ジャック、彼がお前を破産させたのは、お前を救うためではない。……資産という『不純物』を削ぎ落とし、お前をこの街の完璧な『神(OS)』として適応させるための儀式だったのだよ」
ジャックの心臓が、氷の楔を打たれたように凍りつく。
「お前は富を失うことで、皮肉にもこの街のあらゆる階層の『因果』をその身に刻んだ。……スラムの苦しみ、ヴィランの憎悪、そして英雄の孤独。……そのすべてのデータを持ったお前こそが、この街を永遠に管理するのにふさわしいパーツなのだ」
『……ジャック……。……聴こえるわ。……この玉座が、あなたの「鼓動」を待っている……』
遅れて辿り着いたクレアが、ボロボロの体で叫んだ。
『……プライムは、あなたを殺すつもりじゃない。……あなたを、この街の一部として「消費」しようとしているのよ!』
「さあ、席に着きなさい、ジャック・ヴァン・ドレン。お前がここへ座れば、浮上した街は安定し、死は消え、争いは根絶される。……これこそが、父が夢見た『究極の不殺』だ」
ジャックは、血に濡れた自分の手を見つめた。
座れば、街は救われる。だが、ジャックという「人間」は消え、数百万人の意識もまた、個を失った静寂の中へと飲み込まれる。
「"A peace with no heart... that's just a long funeral."(心のない平和か……。そんなの、ただの長い葬式だ)」
ジャックは、父の遺言が映るモニターを、拳を握りしめたまま見据えた。
彼がこれまで一セントずつ、一歩ずつ積み上げてきた「絆」さえも、プライムの目には「計算済みのコスト」にしか見えていなかった。
「"You say I'm the perfect part? Then you've never met a 'broken' machine."(俺が完璧なパーツだって? なら、あんたは『壊れた』機械を知らないようだな)」
ジャックは、軋むFINAL UNITを限界まで駆動させ、玉座の前に立った。
プライムが指を鳴らすと、空中都市の床から無数のクリスタル状の触手が伸び、ジャックの装甲を貫いて彼の神経系へと直接侵食を開始した。
『……あ、……ああぁぁぁ!』
ジャックの脳内に、セント・ミリオネア数百万人の意識が濁流となって流れ込む。
それはプライムが目指す「統合」の開始。ジャックという個を消し、街を一つの巨大な意思に変える、不可避のプロセス。
「"Checkmate, Jack. Your pulse is now the city's pulse."(チェックメイトだ、ジャック。お前の脈動は、今やこの街の脈動そのものだ)」
プライムの冷徹な声と共に、街全体が不気味な青白い光に包まれていく。
浮上した都市の全エネルギーがジャックの心臓へと集中し、彼の命を燃料に「神の時代」のカウントダウンが始まった。
『……ジャック! だめ……自分を失わないで!』
クレアが、自身の視力を失った瞳から銀色の涙を流し、ジャックの足元に縋り付く。
『……聴こえるわ。……あなたの「最後の一片」が……砕け散ろうとしている音が……!』
「"Don't worry, Claire."(心配するな、クレア)」
ジャックは、侵食してくる触手に全身を貫かれながらも、血まみれの口元で最高の笑みを浮かべた。
彼は抵抗を止めた。いや、プライムの「統合」を、あえて全身で受け入れた。
「"If I'm the OS of this city... then I'm going to install a new rule."(もし俺がこの街のOSだってんなら……新しいルールをインストールさせてもらうぜ)」
[SYSTEM: INTEGRATION 90%... 95%...]
[PROTOCOL: THE LAST ASSET... ACTIVATING]
「"No-kill... for everyone!"(不殺を……全員に強制してやる!)」
ジャックの全身から、これまでの全エピソードで流した血と汗、そして仲間との絆が生んだ「意志のノイズ」が、純白の閃光となって空中都市の全システムへと逆流した。
KABOOM!
光の爆発が管制室を呑み込む。
だが、その光が収まった時、ジャックの目の前に現れたのは、勝利の景色ではなかった。
プライムが、ジャックの「不殺」という意志さえもエネルギーとして吸収し、さらに巨大で神々しい、真の最終形態へと変貌を遂げていたのだ。
「"Thank you for the gift, Jack. Your 'Will' has completed the God."(贈り物をありがとう、ジャック。お前の『意志』が、神を完成させた)」
絶望的な神の顕現。
すべてを使い果たし、生身の体で崩れ落ちるジャック。
最終決戦の地、空の玉座にて、ジャック・ヴァン・ドレンは本当の意味で「ゼロ」になった。




