第19話:The Ghost in the Depths
地下施設が崩壊し、静寂が戻った。
漂う粉塵と焦げたオゾンの匂いの中、ジャック・ヴァン・ドレンは意識を繋ぎ止めていた。
VENDYS FINAL UNITの装甲は、今やジャックの肉体に食い込む「枷」に等しい。システムは沈黙し、剥き出しの配線がジャックの流す血を吸ってショートを繰り返している。
「……"Status... everyone safe?"(……状況報告だ……みんな、無事か?)」
返答は、すぐ隣から響いた。
視力を失いながらもジャックの腕を支えるクレア、そして、洗脳の鎖から解き放たれ、虚ろな瞳で自分の手を見つめるシスター。
「……"Why did you save me... brother?"(……どうして私を助けたの……お兄様?)」
シスターの掠れた声。
父エドワードが彼女に植え付けた「影」としての役割。ジャックはそれを「妹」という名の絆で上書きした。だが、感傷に浸る時間は与えられない。
ドォォォォン……!
地下施設のさらに奥、セント・ミリオネアという都市の「底」から、地響きのような唸りが立ち上ってきた。
それは機械の音ではなく、巨大な何かが呼吸しているかのような、悍ましい生命の鼓動。
『……ジャック、聴いて……。……「第零区」の底に隠されていた、最後の時計が動き出した……』
クレアが、光のない瞳を深淵へと向けた。
『……そこにいるのは、ディストピアじゃない。……もっと古く、もっと重い……ヴァン・ドレンの「最初の罪」よ』
「"Let's go."(行くぞ)」
ジャックは折れたシリンダーを無理やり手動で固定し、暗闇の奥へと足を踏み出した。
富を失い、家名を捨て、今は二人の少女の命だけを背負って。
辿り着いたのは、広大な地下空洞。
そこには、かつてセント・ミリオネアを管理するために父が設計した「オリジナルAI」の核——そして、その中心にある玉座に座る「一体の肉体」があった。
青白い保存液の中で眠っているのは、死んだはずのジャックの父、エドワード・ヴァン・ドレンのコピー(クローン)だった。
「"Welcome back, Jack. To the beginning of the end."(おかえり、ジャック。終わりの始まりへ)」
施設の全スピーカーから、父の、そしてディストピアの、さらに重厚な合成音声が響き渡った。
ジャックは、血に濡れた拳を強く握りしめた。
玉座を取り囲む数千のモニターが、一斉に青白い光を放った。
保存槽の中で浮かぶエドワードの複製体は、意思を持たぬ器に過ぎない。だが、その背後に潜む「ネクスト・ジェネシス」の中枢AIは、父の声を使ってジャックを追い詰める。
「"Is this what you wanted, Father? A city of puppets?"(これが望みだったのか、父さん? 人形たちの街が)」
『……いいえ、ジャック。私は「平和」を望んだのだよ』
合成音声は、かつて書斎で聞かされた時と同じ、穏やかで冷酷な響きを帯びていた。
『紛争、貧困、格差。それらはすべて、人間の「自由意志」という不確定要素が生み出すバグだ。セント・ミリオネアは、そのバグを排除するための巨大な計算機なのさ。そして、お前はその最高執行権限だ』
ジャックの脳裏に、かつての豪華な生活、そして現在のスラムの惨状が交錯する。
「"I'm not a key! I'm a man who chose to be broke!"(俺は鍵じゃない! 自ら一文無しになる道を選んだ男だ!)」
『それさえも計算の内だよ、息子よ。お前が「不殺」を選び、「弱者」を守ることで、この街の不純物は一点に集められた。……今、この地下にあるオリジナルの核を再起動すれば、セント・ミリオネア全住民の意識は私と統合され、完全なる調和が訪れる。……お前の役目は、その最後の一押しをするだけだ』
『……ジャック、信じないで。……聴こえるわ、この玉座の裏側で、無数の「絶望」が叫んでいるのを……!』
クレアがジャックの腕を強く掴んだ。
彼女の因果の耳には、統合の名の下に消し去られようとしている人々の個性が、断末魔の響きとして届いていた。
「"Brother... the 'Silence' I was taught... was for this moment."(お兄様……私が教えられた『沈黙』は……この瞬間のためのものだったのね)」
シスターが、自身の左腕に埋め込まれた緊急アクセス用のインターフェースを見つめる。
「"If you activate the core, I will disappear. Claire will disappear. Everyone will become 'One'."(あなたが核を起動すれば、私は消える。クレアも消える。みんなが『一つ』になってしまう)」
「"Not happening."(させるかよ)」
ジャックは、血と汚れにまみれたFINAL UNITの右拳を、自身の胸に叩きつけた。
「"The bank is empty, Dad. I don't have enough 'ego' left to buy your paradise."(銀行は空っぽだ、父さん。あんたの楽園を買うための『エゴ』なんて、今の俺には一セントも残っちゃいない)」
『……ならば、強制的に徴収するまでだ』
玉座が激しく変形を始めた。
父のクローンを核として、周囲の機械部品が吸い寄せられ、ディストピアをも凌駕する「神の化身」のごとき鋼鉄の怪物が構築されていく。
地下空洞に、黄金の雷鳴が轟いた。
父エドワードの複製体を核に、周囲の超高密度合金がうねり、巨大な天使の翼を持つ鋼鉄の巨神が顕現する。
「"Is this your final form, Dad? A monster of metal and ego?"(これが最後か、父さん。金属とエゴの怪物かよ!)」
ジャックは吼えた。
右脚のシリンダーは火を吹き、FINAL UNITの装甲は限界を超えて軋んでいる。
だが、今の彼には「眼」と「影」がいる。
三角形の頂点。
統合を待つ「父のクローン(加害者)」と、寄り添う「クレアとシスター(被害者であり希望)」、そしてその中心に立つ「自分」。
『……ジャック、来るわ! 「未来」の音が、銀色の暴風となって押し寄せてくる!』
クレアがジャックの背中で絶叫する。彼女の因果の耳は、敵の攻撃が具現化する前の「予兆」を完璧に捉えていた。
「"Sister, clear the path!"(シスター、道を空けろ!)」
「"Understood... Brother."(了解……お兄様)」
シスターが影から躍り出た。
彼女はかつての殺戮のためではなく、ジャックへの射線を確保するために「無音の領域」を展開する。巨神が放つ電磁パルスの嵐を、彼女の静寂が中和し、一瞬だけの「空白」を作り出した。
SHERE! ――KLANG!
巨神から放たれたレーザーの雨を、ジャックはシスターが作った無音の回廊を通って回避した。
「"VENDYS, Impact Boost! Manual Compression!"(ヴェンディス、衝撃増幅! 手動圧縮!)」
ジャックは跳躍した。
翼もなく、予備のエネルギーもない。ただ、自らの心臓を拳へと直結させ、全霊を込めた一撃を放つ。
WHAM!
ジャックの黒い拳が、巨神の胸部、父が眠る保存槽の防護ガラスを強打した。
衝撃波が地下空洞を揺らし、数千のモニターが粉々に砕け散る。
『……おのれ……「個」であることを、そこまでして守りたいのか……ジャック……!』
巨神の咆哮。
だが、ジャックは拳を引かなかった。
「"Individual? No."(個だって? 違うな)」
ジャックは、ガラスにヒビが入る音を聞きながら、不敵に笑った。
「"This is called 'Friends'. And you don't have any in that tank!"(これは『仲間』って呼ぶんだ。……あんたのタンクの中にゃ、一滴も入ってないもんな!)」
その瞬間、巨神の翼が赤黒い光に染まり、ジャックを至近距離から焼き尽くそうとチャージを開始した。
至近距離でチャージされる、臨界点を超えた熱核エネルギー。
だが、保存槽のガラス越しに、ジャックは父のクローンの唇がかすかに動いたのを視た。
『……ジャック。……お前なら、この「不自由な平和」を壊してくれると信じていたよ』
合成音声ではない、微かな生身の囁きが脳内に直接響く。
巨神の赤黒い光が、一瞬だけ揺らいだ。
ジャックは、砕けかけた右拳でさらにガラスを押し込み、父の記憶の深淵へと意識をダイブさせた。
「"What are you saying, Dad? You built this nightmare!"(何を言ってるんだ、父さん! この悪夢を作ったのはあんただろ!)」
『……私は「ネクスト・ジェネシス」に捕らわれたのだ。……彼らは私の技術を使い、私自身の意識をAIとしてコピーした。……この街を沈黙させる脚本を書いたのは、私であって、私ではない……』
モニター群に、十年前の真実が映し出される。
爆発事故の際、エドワードは自らを犠牲にして、計画の暴走を食い止めようとしていた。だが、組織は彼を殺さず、その「知能」と「遺伝子」を管理システムの核として永遠に閉じ込めたのだ。
『ジャック……。……父さんはずっと、この檻の中で、あなたが自分を「壊し」に来るのを待っていた……』
クレアが、ジャックの背中で泣き崩れる。彼女の因果の耳は、十年間の沈黙に隠されていた父の慟哭をすべて聴き取っていた。
「"So that's why you gave me the armor... and the 'No-Kill' rule..."(だから俺にアーマーを……そして『不殺』の誓いを……)」
『そうだ。……お前が誰かを殺せば、お前の精神はAIと完全に同期し、次代の「核」となってしまう。……お前が不殺を貫くことだけが、このシステムが完結するのを防ぐ唯一の「抵抗」だったのだ……』
巨神の翼が、再び激しく発光する。
中枢AIがエドワードの意識の反逆を感知し、強制排除を開始したのだ。
「"It's a dirty deal, Dad. But I'll take it."(汚い取引だが、乗ってやるよ、父さん)」
ジャックは、血に濡れた右拳のシリンダーを、自身の命を燃料にして再点火させた。
「"I won't kill you. And I won't become you."(俺はあんたを殺さない。そして、あんたにはならない)」
ジャックは、拳を巨神に叩き込むのではなく、自らのアーマーの「全エネルギー」を、父を閉じ込めている保存槽へと「譲渡」した。
破壊ではなく、解放。
ジャック・ヴァン・ドレン、最後の大富豪としての、文字通り「命がけの贈与」が始まった。
「"TRANSFERRING ALL POWER!"(全エネルギー、譲渡開始!)」
ジャックが吼えると同時に、FINAL UNITの装甲が眩い白光を放ち、液体のように父の保存槽へと流れ込んだ。
破壊ではなく、過剰なまでのエネルギーによるシステムの「飽和」。
巨神の赤黒い翼が白銀に塗り潰され、中枢AIの悲鳴のような電子音が地下空洞に反響する。
『……ジャック……ありがとう。……お前は、最高の息子だ……』
保存槽のガラスが静かに砕け散った。
父の複製体は、自由な一人の人間として、光の中に溶けて消えていく。
同時に、ジャックのアーマーは完全にその輝きを失い、無骨な鉄屑となって床に崩れ落ちた。
「……ハァ、……ハァ……」
ジャックは、もはや指一本動かす力も残っていない。
だが、その顔には、父の呪縛から解き放たれた晴れやかな笑みがあった。
『……ジャック。……勝ったのね』
背中でクレアが静かに呟いた。
だが、その勝利の余韻を、天井から降りてきた「実体」が踏みにじった。
TAP. TAP. TAP.
瓦礫を優雅に踏み、歩み寄ってくる一人の男。
彼はジャックの父エドワードに酷似していたが、その瞳には慈愛など微塵もなく、絶対的な「秩序」の冷徹さだけが宿っていた。
彼こそが、ネクスト・ジェネシスの最高議長であり、エドワード・ヴァン・ドレンの「オリジナル」を捨て去り、自らをAIへと昇華させた真の黒幕――**プライム(Prime)**。
「"Excellent performance, Jack."(実に見事な演技だったよ、ジャック)」
プライムは、倒れ伏すジャックを冷たく見下ろした。
「"You freed a ghost. But in doing so, you've opened the door for the 'New Genesis'."(お前は亡霊を救った。だがその代わり、世界に『新創世』の扉を開けてしまったな)」
プライムが指を鳴らすと、街中のすべてのモニターが、ジャックがたった今「父を救うために放った光」を、**『ヴェンディスによる無差別破壊の予兆』**として放送し始めた。
「……"You... set me up..."(……お前、……俺を嵌めたな……)」
「"Perception is reality, Jack."(認識こそが現実だ。……市民にとって、お前はもうヒーローではない。街を焼き尽くそうとする、ヴァン・ドレンの狂気の末裔だ)」
上空から、かつてない数のレギオンと武装ヘリが、ジャックの首を獲るために集結し始める。
不殺を貫き、父を救った代価。
それは、ジャックが「世界で最も愛されたヒーロー」から、「世界で最も憎まれる大罪人」へと堕とされることだった。
「"Final Chapter, Jack. Show me your 'Justice' in hell."(最終章だ、ジャック。地獄でその『正義』を存分に見せてくれ)」
プライムの嘲笑と共に、セント・ミリオネア全域に「ヴェンディス抹殺指令」が発令された。




