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VENDYS:破産した億万長者が、不殺を誓って摩天楼を駆ける――救った命の数だけ、俺の誇りは積み上がる――  作者: 寝不足魔王


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第16話:The Disconnected City

 セント・ミリオネアから、鼓動が消えた。


 深夜零時。街のすべてのサーバーが強制シャットダウンされ、光ファイバーを流れる電子の血流が凍り付いた。

 スマートフォンは沈黙し、SNSの喧騒も、ニュースの速報も、愛する者の声も、すべてが「接続不可」という名の奈落へ墜ちた。

 かつて世界で最も繋がっていた都市は、一瞬にして広大な「情報の砂漠」へと変貌したのだ。


「"Total blackout... and total silence."(完全な停電……そして、完全な静寂か)」


 ジャック・ヴァン・ドレンは、闇に沈むスラムのビルの屋上で、その光景を眺めていた。

 街を覆っていたネオンの残光が消え、不気味なほど鮮明な星空が、人々の孤独を嘲笑うように輝いている。


 KLANG!


 ジャックは、マドンナが遺した最後の傑作――VENDYS FINAL UNITヴェンディス・ファイナルユニットの黒いヘルメットを被った。

 塗装さえされていない、鈍く光る炭素鋼の肌。

 資産も、バックアップも、軍事衛星とのリンクもない。

 このスーツに残されたのは、ジャック自身の体温と、極限まで軽量化された骨組みだけだ。


『……ジャック……。……「音」が……死んでいるわ……』


 傍らで、白い杖を握りしめたクレアが静かに呟いた。

 彼女の銀色の瞳は、星の光さえ映さず、深い虚無に沈んでいる。

『……ネクスト・ジェネシスが……街の空気を「沈黙」で塗りつぶしている。……因果の響きさえ、この静寂には届かない……』


「"Don't worry, Claire."(心配するな、クレア。……音がないなら、俺たちが最初の声を上げるまでだ)」


 ジャックは、予備電力で細々と動く右腕のシリンダーを圧縮した。

 その時、階下の路地裏から、ガラスが砕ける音と、獣のような略奪者たちの叫び声が響いた。

 情報が途絶え、法が消えた街で、人々の心に潜む「恐怖」が牙を剥き始めたのだ。


 闇の中から、音もなく一筋の閃光がジャックの喉元を掠めた。


 SHERE!


 真空の刃。サイレント・シスターだ。

 彼女は、この「沈黙の世界」において、唯一の絶対的な捕食者として君臨していた。


「"The age of noise is over, Jack."(騒音の時代は終わったわ、ジャック)」


 どこからともなく響く、実体のない声。

「"Welcome to the eternal silence."(永遠の静寂へようこそ)」


 ジャックは血を吐き捨て、闇の中へ一歩踏み出した。

 王座を追われ、光を失った二人の、最も静かで、最も激しい戦いが今、幕を開ける。


 スラムの雑居ビル、その一室。

 窓の外では、通信手段を失いパニックに陥った暴徒たちが、略奪の火を上げている。だが、この部屋だけは、墓地のような静寂に支配されていた。


 ジャックは、手探りで火を灯した一本のロウソクの前に座っていた。

 FINAL UNITファイナルユニットの装甲は、ジャックの荒い呼吸に合わせて熱を逃がし、かすかな排気音を立てている。


「"Analog as it gets."(これ以上ないほどアナログだな)」

 

 ジャックは、血の滲んだ包帯の上からグローブをはめ直した。

 ネットワークが死んだ今、クレアの「聴覚」だけが、この闇を見通す唯一のレーダーだった。


『……ジャック。……聴こえるわ。……これはただの停電じゃない』

 クレアは盲目の瞳を閉じ、神経を集中させていた。

『……ネクスト・ジェネシスは、街の全インフラから「逆位相の超音波」を流している。……人々の思考を鈍らせ、不安を増幅させる……「沈黙の毒」よ。……私の因果の耳さえ、このノイズに掻き乱されている……』


「"Gaslighting a whole city... nice and dirty."(街全体をガスライティングか……汚いやり口だ)」

 ジャックは、ロウソクの炎に照らされた、父エドワードの古い手帳を見つめた。

「"Claire, they want us isolated. They want us to believe we're alone."(クレア、奴らは俺たちを孤立させたいんだ。一人だと信じ込ませたいのさ)」


『……あなたは、一人じゃないわ。……でも、ジャック。……街の人たちは、もうヴェンディス(あなた)を呼ぶことさえできない。……助けを呼ぶ「声」を奪われた人たちを、あなたはどうやって見つけるつもり?』


 ジャックは立ち上がり、窓から暗黒の摩天楼を見上げた。

「"I don't need them to shout."(叫んでもらう必要はない)」


 彼は自らの胸元、剥き出しの心臓が脈打つ位置にある「共鳴プレート」を叩いた。

「"I'll listen to their 'fear'. I'll follow the sound of the broken hearts."(俺が連中の『恐怖』を聴く。壊れた心の音を辿って、俺がそこへ行く)」


 かつては「資産(金)」という力で街を掌握していた男が、今は「痛み(苦悩)」という絆で街と繋がろうとしていた。


『……サイレント・シスターが、外で待っているわ。……彼女は「音のない場所」で、あなたの鼓動が止まる瞬間を狙っている……』


「"Let her wait."(待たせておけ)」

 ジャックは、不敵に口角を上げた。

「"A silent hero for a silent city. Sounds like a fair deal."(静かな街には、静かなヒーローがお似合いだ。……公平な取引だろう?)」


 ジャックはロウソクを吹き消した。

 一筋の煙が闇に溶けるよりも早く、黒い影は窓から夜の深淵へと身を投げた。


 ダウンタウン、中央銀行の裏通り。

 ネットワークが死んだこの場所では、防犯カメラもアラームもただの粗大ゴミと化していた。


「やめろ! それは家族のための……!」

 倒れ込んだ中年の男が、略奪者たちの集団に囲まれ、必死に食糧の詰まったバッグを抱きしめている。

「"Shut up!"(黙れ!) 金も通信もねえんだ、今はこの袋の中身が法なんだよ!」

 リーダー格の男が錆びたバールを振り上げる。


 その瞬間、通りの空気が凍り付いた。

 暴力の喧騒さえも吸い込まれるような、異様な「無音」が場を支配する。


 SHERE!


 闇の中から放たれた真空の刃が、略奪者のバールを根元から切断した。

 それだけではない。刃はそのまま、略奪者の喉元へと吸い込まれていく。シスターによる「沈黙の処刑」だ。


「"NOT ON MY WATCH!"(俺の前で死なせるか!)」


 KLANG!


 黒い疾風が割り込み、ジャックの鉄の腕が真空の刃を真っ向から受け止めた。

 FINAL UNITファイナルユニットの左腕から火花が飛び、ジャックの肉に鋭い衝撃が走る。


「……ヴェ、ヴェンディス!?」

 略奪者たちが腰を抜かし、尻餅をつく。


「"Run. Now."(逃げろ。今すぐにだ)」

 ジャックは背後の被害者を庇いながら、闇の深淵を睨みつけた。

「"This isn't your fight."(これはお前たちの戦いじゃない)」


 三角形の頂点。

 怯える略奪者と被害者(市民)と、気配を消したサイレント・シスター(加害者)、そして盾となる自分。


『……ジャック、危ない! 真上よ!』

 インカムから届くクレアの叫びだけが、この無音の地獄における唯一の座標だった。


 ジャックは反射的に、隣のビルから突き出していた看板を掴み、自身の頭上に掲げた。

 

 SHERE! ――KLANG!


 目に見えない圧力が看板を真っ二つに叩き割り、ジャックの右肩の装甲を削り取る。

 

「"Still hiding in the dark, Sister?"(まだ暗闇に隠れているのか、シスター?)」

 ジャックは血の混じった唾を吐き捨て、敢えてリパルサーをチャージせずに拳を握りしめた。

「"I told you, I'm not letting anyone die. Not even these rats."(言ったはずだ、誰も死なせない。……この略奪者たちでさえな)」


「"Your kindness is a disease, Jack."(あなたの優しさは病気よ、ジャック)」

 

 四方八方の壁が反響しているかのような、実体のない声。

「"And I am the cure."(私がそれを治療してあげる)」


 再び訪れる、完全な静寂。

 ジャックは、逃げ惑う人々の足音と、シスターの「無音の殺意」の狭間で、精神を極限まで研ぎ澄ませた。


「"You can't save everyone, Jack. Especially not in a city that's already dead."(全員を救うことなんてできないわ、ジャック。特に、もう死んでしまった街ではね)」


 闇の中から、シスターの声が氷のように冷たく響く。

 ジャックは傷ついた肩を庇いながら、周囲の暗闇を油断なくスキャンした。だが、FINAL UNITファイナルユニットのセンサーは、彼女の熱源も質量も捉えられない。


「"This city isn't dead. It's just holding its breath."(この街は死んでない。ただ、息を止めているだけだ)」


「"No. It was designed to be silenced."(いいえ。ここは最初から、沈黙させられるために設計されたのよ)」

 

 突如、街頭の掲示板がノイズ混じりに一瞬だけ点灯した。

 そこに映し出されたのは、ジャックの父エドワードが十数年前に書き記した、アトラス計画の裏の設計図――『全感覚遮断による統治サイレント・ガバナンス』。


「"What is this...?"(これは、何だ……?)」


「あなたの父親が最も恐れていたのは『民衆の声』よ。だから彼は、緊急時に街全体の神経ネットワークを切断し、人々を孤独な檻に閉じ込めるシステムを構築した。……今、私たちが実行しているのは、彼が夢見た『完璧な平和』の再現に過ぎないの」


 ジャックの脳裏に、ディストピアやマインドが残した「父の罪」が、黒い澱のように重なり合う。


『ジャック、耳を貸さないで!』

 クレアの声がインカムを裂く。

『彼女の言葉は、あなたの「孤独」を誘っているわ! あなたを沈黙の世界へ引きずり込むための罠よ!』


「"I know, Claire. But the silence doesn't bother me anymore."(分かっている、クレア。だが、静寂なんて今更怖くはない)」


 ジャックは、父の手帳を強く握りしめた。

 父が「声」を恐れたというなら、自分はその声を拾い上げる者になる。それが、ヴァン・ドレンの名を継ぐ者の最後の大罪だ。


 その時、ジャックの足元の影が不自然に伸びた。

 シスターの本体が、光を屈折させて至近距離まで肉薄していた。


「"Time to be quiet, Jack. Forever."(静かにする時間よ、ジャック。……永遠にね)」


 SHERE!


 ジャックの首筋に、冷徹な「無」の刃が当てられた。

 反射神経でも、センサーでも回避できない、絶対的な間合い。

 だが、ジャックは逃げなかった。


 首筋に触れる、凍てつくような死の感触。

 サイレント・シスターの「無音の刃」が、ジャックの頸動脈を切り裂こうとしたその瞬間、ジャックは回避する代わりに一歩踏み込んだ。


「"Gotcha... at last."(……ようやく、捕まえたぞ)」


 ジャックは、自身の喉元を裂かれるのも厭わず、シスターの細い手首を強引に掴み取った。

 FINAL UNITファイナルユニットの掌から、超至近距離で「磁気吸着マグネティック・アンカー」が作動し、二人の肉体を鋼鉄の絆で固定する。


「……ッ!? なにを……狂ったの!?」

 闇の中で、初めてシスターの動揺した声が響いた。


「"If I can't see you, I'll feel you. If I can't hear you, I'll touch you."(見えないなら触れるまでだ。聞こえないなら、その体温を感じるまでだ)」


 ジャックは血を流しながら、鉄の指に力を込めた。

 

「"Claire! Pulse now!"(クレア! パルスを撃て!)」


『……お願い、耐えて……ジャック!』


 その瞬間、ジャックのアーマーを中継点アンテナにして、クレアが放った高出力の「共鳴パルス」が炸裂した。

 それは、周囲の「沈黙ノイズ」を強引に打ち消し、一瞬だけ街に「音」を取り戻すための叫び。


 VREEE-!


 激しい閃光と衝撃波が路地裏を包み込む。

 シスターのステルス迷彩が過負荷で剥がれ落ち、そこには驚愕に瞳を見開いた、一人の華奢な少女の姿が露わになった。


 だが、その代償は大きかった。

 至近距離でパルスを浴びたジャックのFINAL UNITは、回路から火花を吹いて完全に沈黙。

 暗闇の中、重厚な金属音を立ててジャックは膝をついた。


「……カハッ……!」

 

 ヘルメットの隙間から、鮮血が溢れ出す。

 武器を失い、動けなくなったジャックの目の前で、シスターが再びゆっくりと立ち上がった。

 彼女の手に握られた刃は、予備電源によって再び「無音」の輝きを取り戻そうとしている。


「"A hero's sacrifice... how touching. But you failed, Jack."(ヒーローの自己犠牲ね……感動的だわ。でも失敗よ、ジャック)」


 彼女の刃が、無防備なジャックの眉間へと振り下ろされる。


 その時。

 街中の沈黙を切り裂いて、一発の「銃声」が響き渡った。

 それはネクスト・ジェネシスの洗練された兵器ではない、古びた、火薬の匂いがする重厚な銃声。


 崩落した瓦礫の向こうから、一人の女が戦場へと現れる。

「"Stay away from him, you ghost bitch."(その男から離れな、亡霊の女狐)」


 現れたのは、かつてジャックと対立したあのバリスティック・クイーンだった。

 

 混迷を極めるセント・ミリオネア。

 敵と味方、過去と未来が入り乱れ、物語は最悪の激動へと加速していく。


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