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白鉄のレクイエム〜不老不死の元英雄と、記憶を失った風術師の少年。滅びた故郷から始まる魔王の呪いを巡る旅〜  作者: 幻翠仁


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第2話「微息」



 石造りの古い家屋には、鉄と乾燥した薪の匂いが染み付いていた。

 アイゼンは返り血で黒ずんだ外套を無造作に脱ぎ捨て、床に転がした。何度も繰り返してきたことだった。彼にとっては、胸を貫かれた痛みも、その後に残る不快な血の感触も、既に生活の一部でしかなかった。


 床に横たえた少年は、ぴくりとも動かない。

 アイゼンは煤けた暖炉の前にしゃがみ込み、薪をくべた。指先を軽く振る。小さな火花が爆ぜ、薪の表面に赤黒い火が灯る。初歩的な火魔法。だが、アイゼンがそれを使う手付きには、魔術師のような厳かさは微塵もない。ただ、何百年も繰り返してきた、退屈な習慣の動きだった。


 火が大きくなるのを見届けてから、少年の衣服に手を掛ける。凍り付いた留め具を外し、濡れて肌に張り付いていた粗末な布を剥ぎ取る。現れた身体は驚くほど細く、肋骨の浮き出た胸は、今にも止まりそうな呼吸を刻んでいた。


 あまりの頼りなさに、アイゼンは小さく息を漏らした。

 自分にとっては、心臓を抉られても、首を刎ねられても、数刻後には元通りになる。しかし、この小さな生き物は、放っておけばあと半刻と持たずに塵に還る。その圧倒的な生の格差に、奇妙な眩暈を覚える。


 アイゼンは棚から洗い古された布を引っ張り出し、少年の肌に残る雪を拭った。それから、魔獣の毛を編み込んだ厚手の毛布で、頭まですっぽりと包み込む。暖炉のそば、最も熱が届く場所に少年を横たえると、アイゼンは椅子に深く腰掛け、ただ炎を見つめた。


 パチ、と爆ぜる薪の音だけが、部屋の静寂を支配していた。

 少年が目を覚ましたのは、すっかり日が落ち、夜の闇が窓を黒く塗り潰した頃だった。


「……う、ん……」


 小さな呻き声。毛布が揺れ、栗毛色の頭が覗く。少年は何度も瞬きをし、それから自分が生きていることに気づいたように、勢いよく上半身を起こした。


「気がついたか」


 影の中から声をかけると、少年はびくりと肩を跳ね上げ、アイゼンを見た。

 その瞳に、一瞬だけ昼間の怪物を見るような恐怖が走る。

 しかし、少年は自分の身体が温かい服を着せられ、毛布に包まれていることに気づくと、すぐにその目を和らげた。


「おにぃ、さん……ぼく、生きてる?」

「死に損ねたな。お前も、私も」


 アイゼンは立ち上がり、暖炉の上で温めていた鉄製のカップを少年の前に置いた。中には、干し肉と有り合わせの薬草を煮込んだ、簡素なスープが入っている。


「それを飲んで身体が動くようになったら、さっさと出ていけ」


 少年は差し出されたカップを両手で受け止めた。

 かじかんだ指先が、スープの熱を確かめるようにカップを握りしめる。彼はふうふうと息を吹きかけ、貪るようにスープを啜った。喉を鳴らして飲み干すと、ふぅ、と長い息を吐き出す。その頬には、確かな赤みが差していた。


「ぼく、ここを出ていきません。おにぃさんが、生き方を教えてくれるまで」

「私に教えられることなど、何一つない」

 アイゼンは冷ややかに言い放つ。


「見ていただろう。私は死にたがっている。生きる意味などとうに失くし、ただ終わりだけを求めている。そんな男に、何を乞うつもりだ」


 少年の瞳が、暖炉の炎を反射してゆらゆらと揺れる。

 恐怖はあるはずだ。目の前にいるのは、昼間に自分の心臓を突き刺し、平然と起き上がってきた異形なのだから。それでも、少年は引かなかった。


「おにぃさんは、死にたいのに、生きてる」

 昼間と同じ言葉。だが、少年はそこに言葉を続けた。


「ぼくの村は、悪い魔術師に襲われて、みんな死んじゃいました。ぼくは、生きたかったから逃げた。でも、寒くて、お腹が空いて……生きるって、すごく難しいです。どうすれば生きられるのか、ぼくには分からない」


 少年は、アイゼンの、かつて血に染まっていたはずの胸元を見つめる。


「おにぃさんは、死にたくても死ねないくらい、生きるのが上手なんでしょ? だったら、ぼくにその半分でもいいから、生きる力を分けてください」


 アイゼンは、自嘲気味に口元を歪めた。

 生きるのが上手、だと。自分にあるのは、ただ呪いのような頑健さだけで、そんなものは生きる力などとは呼ばない。一喝して追い出すのは容易かった。だが、少年の瞳の奥にある、文字通り飢えたような生への執着が、アイゼンの冷え切った胸の底を、ほんの少しだけ逆撫でする。


「……好きにしろ」

 アイゼンは背を向け、自分の寝台へと歩き出した。


「勝手に飢え死にしようと、私は知らん。……おい」

「……っ、はい!」


 少年が、弾かれたように声を上げる。


「名前は」

「……リンネル。ぼく、リンネルっていいます!」


 アイゼンは振り返ることもなく、ただ一言「アイゼンだ」とだけ告げ、闇の中に身を沈めた。会話は途切れ、部屋には再び薪が爆ぜる音だけが残される。


 暖炉の爆ぜる赤い光は、アイゼンの寝台までは届かない。しかし、その夜のアイゼンは、いつもなら深くのしかかるはずの冷徹な静寂のなかに、自分以外の生き物が発する、微かで温かい呼吸の音を、確かに聴いていた。



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