第1話「自殺」
アイゼンには、長く生きすぎたという自覚があった。
生まれた国は滅び、かつて愛した人々は土へ還った。街は姿を変え、言葉は移り変わり、歴史書の中でしか語られない時代さえ見てきた。それでも、彼は生きている。傷は塞がり、病にも侵されない。老いることもない。終わりだけが彼を見放していた。死を試みることは、一度や二度ではなかった。アイゼンが何度目かの自殺を図ったのは、その冬のことだった。
雪は絶え間なく降り続いていた。風はなく、音もない。白く塗り潰された世界のなかで、ただ雪だけが静かに降り積もる。アイゼンは窓辺に寄り、降り続く雪を眺めていた。ゆらりと立ち上がると、家屋の木扉を開け放ち、まだ踏み荒らしていない雪の中を歩いていく。冷気が頬を撫でる感覚に、目を細める。
倒木を避け、森の中を抜ける。樹木の合間から曇り空が見えた。
見晴らしの良い断崖。何度も自殺を図った場所。とは言え、ここに思い入れがある訳ではない。ただ家から近く、見晴らしも良いというだけだ。どこで死を試そうと、アイゼンが得られる結果は、何も変わらない。
腰にかけた鞘から、短剣を取り出した。躊躇いもなく、心臓へ突き立てる。じわりと雪が溶け出すように、外套が鮮血に染まっていく。食いしばった歯が、ぎりと軋む音を立てた。勢い良く抜き切ると、血飛沫が舞う。白を裂くような赤。その光景を見て、アイゼンは笑みを浮かべた。
足の力が抜け、雪に倒れ伏す。仰向けの目に見える景色は、先ほどと変わらない。何の変哲もなく、そこにある。神の祝福さえもない。
アイゼンは酷く咳き込んだ。
喀血が雪を汚す。少しの猶予とともに、視界が掠れていった。
***
アイゼンは、何かに突かれている感覚に意識を浮上させた。
目を僅かに開け、周囲に視線を滑らせる。そこには、白い雪に埋もれた少年がいた。その少年は無表情のまま、かじかんだ指先で小枝を掴み、アイゼンの頬に刺している。手を伸ばし、その小枝をへし折ると、少年は狼狽えた。僅かに恐怖した目を向け、唇を固く噤む。少年の手がアイゼンの胸に伸びた。
「……おにぃさん、死ねないんですか」
アイゼンは黙り込んだ。
正気を失った目で、少年を見る。すぐに視線を逸らし、立ち上がった。雪を払い、外套を靡かせ、歩き出す。雪を踏みしめる音がひとつ。その後から、重い足取りがもうひとつ続く。アイゼンは立ち止まった。僅かに目を細め、肩口から後方に視線を向ける。そこにはやはり、少年がいた。
「……なぜ私に着いてくる」
「ぼく……生きたいんです。ぼくに、生きる術を教えてください」
アイゼンは眉を顰めた。
少年の瞳は真っ直ぐアイゼンに向けられている。純粋で、未来を尊ぶ目だ。煩わしい。鬱陶しい。そんな感情がアイゼンの脳内に過る。
「なぜ私に、生き方を求める」
「……おにぃさん、生きるのが嫌そうなのに、生きてるから」
その言葉を最後に、少年は雪に倒れた。
栗毛色の髪が白に染まる。外套の影に隠れた小さな指先は赤黒く変色し、凍傷寸前だった。アイゼンは目を細め、しばしその光景を眺めた。
このまま放置すれば、この少年はいずれ死ぬ。
アイゼンが望む死にありつける。だが、少年は望んでいない。
アイゼンは吐息を漏らし、半身だった身体を戻した。
倒れた少年の襟元を掴み上げ、半ば引き摺るようにして歩く。その背は、何処までも諦観に沈んでいた。




