第10話「朱殷」
焼け野原となった村外れを進むと、そこだけが周囲の惨状から取り残されたように、異様なほど草木が生い茂る一角が現れた。その緑に埋もれるようにして、ぽっかりと黒い口を開けていたのが、土地神トティスの祠──洞窟のような外観をした、薄暗い岩穴だった。
「……ここです。子供の頃は、なんだか怖くて近付けなかった場所です」
リンネルの言葉に、アイゼンは何も答えず、ただその冷徹な青い瞳で洞窟の奥をじっと見つめていた。アイゼンが軽く右手の指先をパチン、と鳴らす。それだけで、彼の周囲にいくつかの淡い光球が生まれ、ふわりと浮遊しながら暗い洞窟の奥を照らし出した。かつて自分が同じように指を擦り合わせても、小さな火種を灯すのがやっとだったあの夜を思い出し、リンネルは改めて目の前の男の底知れなさを実感する。光球に導かれるようにして岩穴の奥へ進むと、少し開けた広々とした空間へと辿り着いた。
「……何も、ない?」
リンネルが呟いた通り、そこには何もなかった。
魔術師の姿はおろか、生活の痕跡すら残されていない。文字通り「もののけの殻」となった冷たい石の空間。ただその中央に、ぽつんと円形の歪な石の台座だけが、静かに鎮座していた。
だが、アイゼンはその台座の前に歩み寄ると、迷うことなくその場に身を屈めた。手袋を外した長い指先を、冷徹な台座の表面へとそっと這わせる。その瞬間、いつも感情を削ぎ落としているはずのアイゼンの美しい眉が、僅かに中央へと寄せられた。
「アイゼンさん……? どうしたんですか?」
リンネルの問いかけに、返答はなかった。代わりに、洞窟内の空気がピリピリと肌を刺すような、強烈な魔力の波に満たされていく。リンネルの鋭い感知能力が、空間の変異を鋭敏に捉えて警鐘を鳴らした。
アイゼンの指先に集まった濃密な魔素が、眩い光を放ち始める。
彼がその魔力を台座へと流し込み、強制的に隠された術式を励起させているのだと、今のリンネルには理解できた。
ゴッ、と石室全体が低く鳴動する。
やがて、もののけの殻だった台座の表面から、じわじわと何かが滲み出すようにして、一条の幾何学模様が浮かび上がってきた。
「……っ!」
リンネルは息を呑んだ。
それは、目も眩むような、悍ましくどす黒い──『赤色』の魔法陣だった。
その禍々しい赤色を目にした瞬間、リンネルの胸の奥に、かつて記憶を消されたあの時のものと同じ、心臓が凍りつくような強烈な冷気が走る。体が恐怖で小刻みに震えだした。
「何、なんですか……この魔法陣……トティス様の洗礼って、こんな……」
震える声で尋ねるリンネルの視線の先で、アイゼンはゆっくりと立ち上がった。浮かび上がった赤色の術式を凝視する彼の青い瞳には、これまで見たこともないような激しい光が宿っている。アイゼンは細めた目の端を鋭く尖らせ、その端正な口元を、どこか自嘲するような、あるいは狂気に満ちた歪な形へと歪ませた。
「トティスだと? くだらん。やはり、ただの隠れ蓑に過ぎなかったか」
アイゼンは低く、地を這うような声音で吐き捨てる。その声は、かつてないほどの殺意と、執念に濡れていた。
「リンネル。これがお前を、そしてこの村を弄んだ術式の正体だ」
アイゼンは黒い大剣の柄を強く握り締め、呪わしき赤の光に照らされながら告げた。
「これは……魔王の呪いだ」
──その言葉が、ひんやりとした石室の闇に重く、深く沈み込んでいく。
朱殷に染まる魔法陣の光芒が、二人の影を歪に引き伸ばしていた。




