第9話 曇りのち暴風
僕たちのむさ苦しい夏は、あっという間に終わりを告げた。
季節は巡り、バラ=エル魔術学院は一年に一度の狂騒――『学園祭』の当日を迎えていた。
晴れ渡る秋空の下、メイン広場は熱狂の渦に包まれている。
その中心にいるのは、やはりカースト上位の彼らだ。
第1訓練場で行われている、メイルザーたちエリート陣による『魔術演武会』。爆炎と氷雪が舞い踊るド派手なステージに、観客たちは惜しみない拍手と歓声を送っていた。
一方、その頃。
メイン広場から遥か離れた、校舎裏の旧倉庫前。
そこには、お通夜のような……いや、墓地そのものの空気が漂っていた。
「……誰も来ないな」
「……はい」
「……ああ」
手作りの看板には『魔法芸術展~夢の造形~』と、弱々しい文字が書かれている。
そこに座り込んでいるのは、僕アストン、粘土まみれのテラ、そして体育座りのピコ。補習室三賢者だ。
僕たちの背後には、あの日制作した「夢の造形(水着のヴェナ)」……ではなく、泥でできた「ヴァーノン先生のゴーレム」が虚無を見つめて立っていた。
一体どこに需要があるのかは全く分からないが、僕にはこうするしかなかったのだ。
何故なら。
あの日から、ヴェナがひと言も口をきいてくれないからだ。
明確な理由は分からない。
ただ、あの「ヴェナそっくりのゴーレム」がひどく彼女の気に障ったのだということくらいは察しがつく。
だから、僕たちは血の涙を流しながら美少女ゴーレム計画を封印し、安全第一のヴァーノン先生を作ったのだが……当然、僕もテラもピコも全くモチベーションが上がらず、こんな惨状に陥っていた。
その時だった。
「あ、いた。こんな端っこで」
僕たちの陰鬱なブースにやってきたのは、スクールカースト上位の才女、ザークレシアだった。
ガーネットの髪を揺らす彼女は、つま先から頭のてっぺんまで、僕たちとは住む世界が違う。彼女がブースの前に立っただけで、僕たちは直射日光を浴びた深海魚のように怯んだ。
「よ、ようこそ……。夢の造形へ……」
「はぁ……。ようこそじゃないから。ちょっとこっちに来なさい」
ザークレシアは僕の腕を強引に引き、ブースから離れた人けのない校舎の影へと連れ出した。
「ま、マエストロが連行された!」
「これは……恋の……始まり……?」
背後でピコたちが的外れな言葉を囁くが、それに反応する暇もなく、ザークレシアの氷のような視線に射抜かれた。
「何で君は、ヴェナに話しかけてあげないの?」
「……へ?」
てっきり「視界に入るな」とでも怒られるのかと思ったら、想像すらしない問いだった。
「いや、だって……怒ってるから」
「何があったか知らないけど。ヴェナ、寂しがってるよ」
「寂し……がってる?ヴェナが?あんな特大の暴風で僕らを吹き飛ばしたのに?」
ザークレシアは呆れたように深いため息をついた。
「あの肝試しの次の日、ヴェナはすごく喜んでたの。君が彼女にかけた、言葉に」
「……」
「その顔。覚えてないって感じね。多分、君が無意識に言ったんだろうけど……だからこそ、ヴェナは余計に嬉しかったんだと思う」
僕が、無意識にかけた言葉。
記憶を必死にたぐるが、焦るばかりで上手く思い出せない。
「その言葉の内容までは教えてくれなかったけど。多分、君とヴェナが拗れている原因は、君が『その言葉を否定するような事』をしたからだよ」
ザークレシアの言葉を聞いて、僕の頭の中でバラバラだったパズルが繋がり始めた。
あの日の夜。廃校舎。
僕は悪霊をレタッチした後、魔力切れでヴェナに膝枕をしてもらった。
そして、彼女が作り物の脚を失い、いつもの風の脚に戻った時。僕は、何と言った?
『脚なんて蛇足ですね。……今の君の姿のほうが、兆倍美しい』
――ドッ
心臓が嫌な音を立てた。
僕は、あの言葉を無意識に、心からの真実として伝えた。
なのに。あの日、僕たちが教室で狂喜乱舞しながら踊らせていた『水着のゴーレム』には……僕の理想の造形として、完璧な「人間の脚」がついていたのだ。
彼女のありのままを美しいと言った直後に。
僕は「人間の脚を持った彼女」の姿を創り出し、欲情していた。
僕がかけた言葉を、僕自身が、最低の形で否定した。
「……ッ!!」
なんて残酷なことをしてしまったんだ。
僕は血の気が引くのを感じながら、弾かれたように走り出していた。
彼女の姿を探して。
◆◆
【ヴェナ視点】
校舎の屋上。
先生たちが作り上げた渾身の巨像に対して、メイルザーやロシュテル、ルズガーナたちが魔術を駆使して戦う『魔術演武会』。
眼下に広がるその華やかな光景は、今のボクの頭には全く入ってこなかった。
ボクの手は、胸元で暗く濁った『碧色の魔石』のネックレスをきつく握りしめている。
アストンが、ボクの瞳の色だと言って贈ってくれた、大切なプレゼント。
(……あの日以来、ずっと今までのボクじゃないみたい)
生まれた時から、ボクの下半身は風だった。
みんなと同じ、普通の人間の脚だったらと思うことは何度もあった。
けれど、こんなに強く、胸が引き裂かれるほど「なんでボクの脚は普通じゃないの」と絶望したことは無かった。
(……ヨ)
「はぁ……」
どこからか、微かな声が聞こえた気がしたが、ボクはため息と共にそれを吐き出した。
ボクは、あの夜、アストンに「今の君の姿のほうが美しい」と肯定されて、どうしようもなく救われた。
誰にも理解されないと思っていた異形の身体を、彼だけが芸術だと言ってくれた。嬉しくて、嬉しくて、たまらなかった。
それだけに。
あの日、アストン達が教室でボクそっくりのゴーレムを動かしていたのを見た時。
そのゴーレムには、滑らかな「人間の脚」があった。
(……ケ……レヨ)
やっぱり、アストンだって、こんな化け物みたいな風の脚じゃなくて、普通の女の子の脚がいいんだ。
ボクの姿を美しいと言ってくれたのは、ただの慰めだったんだ。
(そんなの、当たり前なのに)
ボクだって、人間の脚のほうがずっと綺麗だって分かってる。
だけど、恥ずかしさよりも、怒りよりも、深い悲しみがボクを支配して、感情が抑えられなくて、気づけばあのゴーレムを吹き飛ばしていた。
(この風の脚が綺麗だなんて、言われなければよかった)
そうしたら、彼に人間の脚を作ってもらうことに、何の違和感もなく、むしろ嬉しいとすら思えたはずなのに。
綺麗だって。
ボクのありのままを愛おしいと思ってくれているんだって、期待してしまったから。
「ほんと、嫌なんだ。こんな身体……」
ポツリとこぼれ落ちた涙が、握りしめた碧色の魔石に吸い込まれる。
(――受ケ……入レヨ)
その瞬間、ボクの胸元で魔石が強烈な脈動を打った。
ボクが持って生まれた、呪いにも似た『風の神の残滓』が、ボクの自己嫌悪と悲痛な感情が、この不思議な魔石に共鳴したかのように。
ボクの意識は、真っ黒に染まった。
◆◆
【世界視点】
ゴォォォォォォッ!!
突如、激しい突風と共に、第1訓練場の中心に巨大な竜巻が巻き起こった。
雲を突き抜けるほどに成長したそれは、暗碧色の風を纏った、まさに『暴風の化身』とも言える異形の存在だった。
「な、なんだあれ!?」
「キャアアァァァッ!!」
それは圧倒的な質量と吸引力で、先生たちが演武会用に召喚したクリーチャーたちを一瞬で飲み込み、霧散させていく。
「おいおい、ヴァーノン先生!本気出しすぎじゃね!?巨像でもやべぇのに、あれは反則だぜ!」
「マジやべぇ!あんなんどうやって倒せばいいんだぁ!?」
状況が呑み込めていないメイルザーやロシュテルは、突如現れた巨大な標的に向かって渾身の魔法を撃ち込むが、そのすべてが圧倒的な暴風の壁に弾かれ、逆に彼ら自身が風圧で虫けらのように吹き飛ばされた。
「違う!あれは、我々が召喚したクリーチャーではない!!」
ヴァーノンが顔面を蒼白にして叫ぶ。
直後、暴風の化身は先生達が生成した頑強な巨像をも飲み込み、紙屑のように粉々にすり潰した。
「に、逃げろっ!!これは想定外だッ!!飲み込まれたら死ぬぞッ!!」
先生たちの悲痛な叫び声で、学園祭の楽しげな熱狂は、一瞬にして死の恐怖への絶叫に変わった。
暴風からは、怒りのような、悲しみのような、胸をかき毟るような痛切な魔力が渦巻いている。
先生達はパニックになる生徒たちを守るため、必死に結界を張り巡らせるが、引き裂くような風の刃によって即座に摩耗し、ガラスのように砕け散っていく。
「クソっ、なんて風圧だ!!抑えきれん!」
訓練場の備品が、砂が、めくれ上がった地面の土塊が、次々と天へと飲み込まれていく。
ゴゴゴゴォォォォォォ!!!
その時、暗闇に包まれた空を焦がすように、無数の火球が降り注いだ。
凄まじい熱量を持って風の化身へと向かっていく。
そこに立っていたのは、一人の小柄な少女。学年1位の天才、キノルだった。
「キノル君!駄目だ、離れなさい!」
2組の担任が叫ぶ。
その火球の量は圧倒的で、目の前が光で包まれ、訓練場が激しい熱を帯びる。
しかし。
それでも、悲しみで暴走する自然の災厄を鎮めることはできなかった。
火球は竜巻に飲み込まれ、かえって熱風となって周囲の被害を拡大させてしまう。
皆が逃げ惑い、強力な魔法を持つ先生達や学年トップのエリートですら打つ手がない。
圧倒的な絶望が支配する中。
その『暴風の化身』の中心に誰がいるのか、そして、何故泣いているのか。
たった一人だけ、その正体に確信を持った瞳で、暴風の中へと迷いなく歩みを進める少年がいた。
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