第5話 風が恋した芸術家
アストン・カッシアン。
ボクの隣の席に座る、一風変わった生徒。
魔術師……と言って良いのか分からない彼は今、月明かりが差し込む廃校舎で、完全に魔力切れを起こし、ボクの膝の上にその頭を預けている。
「……アストン。凄かったよ」
「は、はいぃ……っ!?」
ボクが髪を撫でると、彼はビクンと身体を跳ねさせ、壊れた玩具のような声を上げた。
顔が赤い。耳まで真っ赤だ。
膝を通して、彼の緊張と体温が直接伝わってくる。
「多分あんなこと、世界中の誰もできない。キミだけの魔法だ」
生まれたときから、当たり前のように傍にあった魔法。
呼吸をするように風を操れるボクにとって、この学院の授業は退屈な反復練習でしかなかった。
だけど今、ボクの胸は、生まれて初めての高揚感に打ち震えている。
見たことがない術式の構築。
常識外れの魔力運用。
彼が今夜見せた魔法は、ボクの中で錆びついていた「魔法への好奇心」を、鮮烈に塗り替えてしまった。
この胸の高鳴りが、どうしようもなく心地よかった。
バラ=エル魔術学院。
入学する意味なんてないと思ってた。
だけど今、ボクは自分の世界の狭さを思い知らされている。退屈だったボクを目覚めさせてくれたのは、このひ弱で、おどおどした少年だ。
「どう?感触。……キミが創った、ボクの脚」
「ど、どどど、どうって……ご、5億点の傑作。です」
彼はカチンコチンに固まったまま、天井を見つめて答える。
視線を合わせようともしない。
可愛いな、と思う。
さっきまで、あんなに神懸かった魔法を使っていたのに。
「エロマエらしく、もっと触って確かめてよ。……減るもんじゃないし」
「えぇッ!!そ、それは流石に……いや、しかし芸術的観点から言えば、質感の確認は必須であって……もし、よければ……」
ボクの悪戯な誘いに、彼の「芸術家魂」と「自制心」が激しく葛藤しているのが手に取るように分かる。
結局、芸術が勝ったらしい。
彼は恐る恐る、震える指先を伸ばしてきた。
そっと、肌に触れる。
弾力を確かめるように押し、熱を感じるように掌で包み込み、最後には頬を寄せてスリスリとし始めた。
「……ふふ、くすぐったい」
「あっ!ご、ごめんなさい!!」
慌てて飛び退く彼を見て、ボクは小さく笑った。
彼には、魔術の知識もなければ、この学院で求められるような魔術への探究心も無い。
それは、彼自身も自覚しているはずだ。
だけど、彼は気付いていない。
彼の「絵」に対する常軌を逸した探究心が、いつの間にか筆や絵の具という物理的な枠を超え、彼自身の『魔力』そのものを絵筆に変えつつあることに。
彼は緻密な計算や理論で術式を編むのではなく、ただ「描くのが楽しくて仕方がない」とでも言うように、完全に感覚だけで現実を書き換えてしまう。
魔術師として、これほど純粋な理想形があるだろうか。
少なくとも、ボクは今まで見たことがない。
それは、ボクの生まれつきの異形――この風の下半身とも似て非なるものだ。
「無意識による魔術の発現」という点では同じなのに、決定的な違いがある。
ボクは、自分のこの姿が好きじゃない。
でも彼は、心からの『好き』だけで魔法を描いている。
だから、目が離せないのだ。
ボクには無い、独特の感性。彼を見ていると、その言葉を聞くと、ボクがつまらないと思っていた世界が、極彩色のキャンバスに見えてくる。
その稀有な才能と情熱は、ボクにとって、この学院が組むどんなカリキュラムよりもずっと重要で、愛おしい要素だった。
「……もう少し……根元の方の接合部は……」
彼の瞳に、純粋すぎる野生の色(スケベ心)が見えた、その時だった。
ゴトンッ。
「いたっ!!」
アストンの頭が床に落ちた。
同時に、ボクの脚は光の粒子となって霧散し、いつもの無形の風へと戻った。
「あーあ。残念、時間切れみたい」
「……い、痛つつ……。ありがとう、ヴェナ。お
かげで随分回復しました」
彼は後頭部をさすりながら、ふらふらと立ち上がる。
そして、風に戻ったボクの下半身を、じっと見つめた。
ああ、幻滅されたかな。
せっかく「人間の脚」をプレゼントしてくれたのに。また、この異形の姿に――。
「あぁ、やっぱり」
彼は、何かを確信したように呟いた。
「脚なんて蛇足ですね。……今の君の姿のほうが、兆倍美しい」
――ドキッ。
時が、止まった。
心臓が、肋骨を突き破りそうなほど大きく跳ねた。
美しい?
この、化け物みたいな、風の渦が?
みんなが「すごい」とは言っても、「綺麗だ」とは決して言わなかった、この異形の脚が?
アストンは、ボクのありのままを、肯定した。
彼の瞳は、嘘をついていなかった。本当に、心から、ボクの風に見惚れていた。
熱い。
身体中の血液が、一気に顔へと集まっていくのが分かる。
風が、ボクの感情に合わせて、乱暴にざわめき立つ。
「あっ、いやっ!!勿論、芸術家としての造形美の観点からですよ!?決して変な意味では……!」
ボクが黙り込んでしまったからか、彼は慌てて言い訳を始めた。
その必死な様子が――。
ずるい。
そんなこと、真正面から言われたら。
ボク、もう――。
「……ありがと」
ボクは顔を背けた。
夜風に吹かれているのに、頬の熱さが引かない。
この時からだ。
ボクが、この優しくて愚かな青年の顔を、直視できなくなったのは。
ここまで読んでいただきありがとうございます!本作はこれにて第1章完結となります。
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