表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/11

第5話:【鋼の慈愛】アイアンの沈黙

ズン、チャッ、ズン、チャッ……。

 地響きのようなウッドベースの四拍子が、鉄鋼要塞の冷たい回廊に鳴り響く。

 今回の戦場は、帝都の外縁、険しい断崖にそびえ立つ『鉄鋼要塞ヴォルガ』。帝国軍が秘密裏に開発した新造魔導炉の設計図を奪取し、撤退する――。その「殿しんがり」を務めるのが、チーム最大の巨漢、アイアンに与えられた任務だった。


08:00 潔癖症の巨人と汚れなき盾

「……ふむ。少々、空気の汚れが目立つな。硝煙の粒子が肺に障る」

 アイアンは、飛来する無数の魔法弾を巨大な円盾タワーシールド一枚で無造作に弾き飛ばしながら、空いた手でハンカチを取り出し、鎧の肩口を丁寧に拭った。

 彼の前には、帝国が誇る重装甲魔導部隊「アイアン・ガーズ」が百騎以上。彼らは一糸乱れぬ隊列で、魔導槍から破壊の光を放ち続けている。だが、アイアンにとっての関心事は、敵の数よりも「いかに自分の鎧を汚さずにこの場を掃除するか」にあるようだった。


「アイアン! 余裕ぶってる場合じゃないわよ! 敵の増援が北側からも来てるわ!」

 通信機からルナの鋭い声が飛ぶ。

「分かっている、ルナ。だが、暴力は嫌いだ。暴力は常に……不潔で、美しくない」

 アイアンは低く重い溜息をついた。彼の前世は、紛争地帯の兵士だった。瓦礫の山、泥にまみれた銃火器、そして血の臭い。崩落する建物から一人の少女を助け出し、代わりに自分は瓦礫に飲まれた。その時、彼は痛感したのだ。力とは、常に何かを壊し、奪い、大切なものを汚すものだと。

 この世界に転生し、成人男性三人分はあろうかという巨体と、鋼鉄を素手で引き裂く怪力を手に入れた彼は、その力を「呪い」だと感じていた。だからこそ、彼は常に盾を構え、自分から打って出ることを極端に避けてきたのだ。「守る」ことだけに徹すれば、何も汚さずに済むと信じて。


09:00 閉ざされた退路、計算外の熱狂

だが、事態は教授の予測を超えて急転する。帝国の新任将軍、狂気の戦略家ゼノスは、自軍の兵士ごと要塞を爆破する暴挙に出た。

「教授、マズいぜ! 逃走経路の跳ね橋が落とされた。おまけに、こっちには帝国の新型魔導戦車『ベヒモス』がお出ましだ。あいつの一撃は、この要塞ごと俺たちを塵にするぞ!」

 ゴーストの焦った声が通信機を揺らす。

 アイアンの目の前で、厚さ二メートルの魔導強化鋼鉄の隔壁が、凄まじい音を立てて閉鎖された。退路は断たれ、背後からは三門の巨大な砲口を備えた超重量戦車が、魔力の奔流を溜め込み始めている。

 

「アイアン、すまない。私の読みが甘かったようだ」

 通信機の向こうで、教授が初めて苦々しい声を漏らした。

「……諸君、各自の判断で最善を尽くしてくれ。アイアン、君は……その盾を捨てて、全力で走れ。君の脚力なら、爆発の余波を突破できるかもしれない」

「教授」

 アイアンが、低く静かな、地底から響くような声で遮った。

「掃除の続きが必要なようです。……それも、かなり大掛かりなやつが」


09:15 ガジェット:『精密圧壊手袋プレシジョン・クラッシャー

アイアンは、これまで一時も手放さなかった、彼のアイデンティティそのものであった巨大な盾を、無造作に地面へ捨てた。

 ドォォォォン!!

 盾が地面に触れただけで、要塞の石畳がクモの巣状に割れ、周囲の兵士たちが震動で転倒する。

「アイアン、あんた、何を……! 盾なしでどうするつもりよ!?」

 ルナが悲鳴に近い声を上げる中、アイアンは腰の隠しポーチから、一組の黒い手袋を取り出した。

 ガジェット『精密圧壊手袋プレシジョン・クラッシャー』。

 教授が彼のために作った、魔力の出力を一ミリの狂いもなく「調律」するための、この世界で最も高価な触媒だ。


「……前世の俺は、守りたかったものを守りきれず、壊してしまった。力加減を知らない野獣だったからだ」

 アイアンは手袋をはめ、ゆっくりと拳を握りしめた。手袋の表面で、青白い魔力がジャズの旋律のように明滅する。

「だが、今の俺には、この力が暴走しないよう導いてくれる知恵と、背中を預けられる仲間がいる。……教授、俺の力を、信じますか?」

「ああ。君の拳は、この世界で最も優しい、そして最も潔癖な破壊兵器だ。存分に……掃除してきなさい」

 教授の不敵な笑みが、通信越しに伝わる。


09:30 クライマックス:鋼の独奏ソロ

アイアンは、正面に構える巨大な魔導戦車ベヒモスに向かって、真っ直ぐに歩き出した。

 戦車が放つ、三門同時射撃。太陽の如き熱線がアイアンを呑み込もうとする。だが、彼は避けない。

 彼はただ、右拳を軽く後ろに引き、呼吸を整えた。

 

 その瞬間、世界から音が消えた。

 アイアンの脳裏に、教授との特訓の日々が浮かぶ。

『アイアン、力とは暴力ではない。力とは、不必要なものを排除する「選別」だ』

 

「掃除の邪魔だ。……どいていろ」


放たれた一撃。

 それは、破壊の王としての咆哮だった。

 ――ドッ、ゴォォォォォォォォォォン!!

 

 凄まじい衝撃波が要塞全体を揺らし、山を震わせた。だが、奇妙なことが起こった。

 アイアンの拳の直線上にある魔導戦車、そしてその後方にある鋼鉄の隔壁二枚は、まるで砂で作られた城のように、音もなく粉砕され、霧散したのだ。地形そのものが書き換えられ、要塞の壁には一直線の、滑らかな「道」が穿たれた。

 しかし、そのすぐ傍、アイアンの足元にいたルナやウィスパー、そして怯えて動けなかった敵の若い兵士たちですら、髪先ひとつ、風に揺れることすらなかったのだ。


数万トンの衝撃を、わずか数センチの誤差もなく標的だけに叩き込む。

 それは、己の力を呪い、恐れ続けた男が、血の滲むような精密制御の末に辿り着いた、究極の「慈愛」の形――『鋼の独奏』だった。


「……ふぅ。これでようやく、風通しが良くなったな。換気は大事だ」

 アイアンは、跡形もなく消え去った戦車の場所を見つめ、新しいハンカチを取り出して、拳に付着した目に見えない塵を丁寧に拭った。

「アイアン、あんた……今のはマジック? それとも神様の奇跡?」

 腰を抜かしたハッカーが尋ねると、アイアンは不器用な、しかし晴れやかな笑みを浮かべた。

「いや。ただの『大掃除』だ。埃っぽいのは、性に合わないんでね」


10:00 黄金の脱出と清潔な明日

「素晴らしい演奏だったよ、アイアン。君の低音は、要塞の壁さえも震わせる」

 穴の開いた要塞の残骸から、悠々と歩き出してきた教授が、アイアンの逞しい肩を叩く。

「これで作戦は最終段階だ。ゴースト、これ以上ないランウェイが完成したぞ。迎えを頼む」

「あいよ! 冗談じゃねえ、あんな綺麗な穴、空からでも丸見えだぜ! 最高のランディングを見せてやる!」


夕日に向かって空を駆ける黄金の馬車の中。

 アイアンは再び、自分の鎧についた小さな硝煙の汚れを気にし始めていた。

「……ルナ、済まないが、さっきの洗剤を貸してくれないか。この右拳に、少しばかり戦車の油の臭いが残っている気がするんだ」

「もう、あんたって人は! 世界を救う一撃を放った直後に、何言ってるのよ!」

 ルナは呆れながらも、クスクスと笑い、自分のポーチから最高級の石鹸を取り出した。

「ほら、貸しなさい。私が最高にピカピカにしてあげるわよ」


ズン、チャッ、ズン、チャッ……。

 重厚なリズムは、確かな足取りで明日へと続いていく。

 己の力を「壊すもの」から「道を作るもの」へと昇華させた巨人の背中は、沈みゆく夕陽を浴びて、誰よりも誇り高く、そして清潔に輝いていた。


ダバダ、ダバダ、ダバダ……

 今夜のジャズは、これまでにないほど、力強く、そして深い慈愛に満ちていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ