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第4話:【ロジックの果て】ハッカーの覚醒

 ピコピコ、テケテケ……。

 軽快な電子音を模したスキャットが、石造りの不気味な地下遺跡に反響する。

 今回の獲物は、帝都から遠く離れた死の砂漠、その地下深くに眠る『神代の図書館』。狙うは、歴史から抹消された禁忌の魔導書だ。

 だが、その最深部。理屈では説明のつかない「古代の封印」が、我らが誇る天才メカニックの前に、あまりにも非論理的な姿で立ちはだかっていた。


00:00 デジタル王の絶望


「クソッ、何なんだよこのスパゲッティ・コードは! 構文エラーどころの騒ぎじゃない。if文もwhile文も通じないなんて、設計者のデバッグ能力を疑うね!」

 ハッカーは、空中に投影したホログラムの数式をめちゃくちゃに掻き回していた。

 前世ではシリコンバレーの全サーバーを一夜にして支配した伝説のハッカー。彼にとって、宇宙は「0」と「1」で構成された美しい論理のモジュールだった。だが、この神代の魔法陣は、その美学を真っ向から否定していた。

 線はうねり、図形は呼吸するように形を変える。解析しようと魔力を流し込むたびに、魔法陣は「意味不明な呪文」という名の文字化けを爆発的な勢いで吐き出し、ハッカーの脳内キャッシュをパンクさせた。


「……ガラクタだ」

 ハッカーが力なく膝をついた。

「僕の知識も、僕が信じてきたロジックも、この世界じゃただの紙屑なんだ。デジタル世界の王? 笑わせるよ。僕はただ、電気がなきゃ、Wi-Fiがなきゃ、何一つ満足に解錠できない無能なオタクだったんだ」

 薄暗い遺跡の中、彼の眼鏡の奥に映る魔法陣の光が、まるで彼を嘲笑うデッドピクセルのように明滅していた。


00:15 オーバーヒートの幻影


 その時、遺跡の室温が急激に上昇した。

「……熱い。なんだ、これ……?」

 ハッカーの目の前に、前世の最期の光景がオーバーラップする。

 火花を散らす巨大なサーバーラック、焦げたシリコンとプラスチックの不快な臭い。視界いっぱいに広がる、血のような赤い警告灯アラート

 過熱。暴走。排熱処理が追いつかず、世界が溶けていく感覚。

「また……また、熱に負けるのか……。僕の脳が、焼き切れていく……」

 ハッカーの意識が白濁し、死の淵へ引きずり込まれかけたその時。

 後頭部に、コツンと軽い衝撃が走った。


「いい加減にその情けない内蔵ファンを止めたらどうだい。オーバーヒートして壊れるのは、君のプライドだけで十分だ」

 いつの間にか背後に立っていた教授が、愛用のステッキでハッカーの頭を突いていた。

「教授……無理ですよ。ここには『正解』がない。ロジックが死んでるんだ」

「ロジックが死んでいる? 逆だよ、ハッカー。情緒が溢れすぎているんだよ」

 教授は悠然と歩み寄り、不気味にうねる封印の魔法陣を指差した。

「ハッカー。0と1の間には、何があると思う?」

「……そんなの、浮動小数点か、さもなくば未定義のエラーに決まってます」

「風情がないね。そこには『無限の情緒』がある。いいかい、この魔法陣を書いた古代人は、君のような冷徹なエンジニアじゃない。想い人に宛てた恋文ラブレターを綴る詩人だったのさ。君は今、他人のスマホのパスコードを暴こうとしているんじゃない。他人の日記を盗み読みしようとしているんだ。作法をわきまえなさい」


00:30 ガジェット:『魔導感応ペン(ライティング・ソウル)』


 教授は懐から、一本の奇妙なペンを取り出し、ハッカーに手渡した。

「キーボードを叩くのはやめなさい。指先で、この魔法陣の『行間』を読み取るんだ。数式を解析するんじゃない。相手の吐息を解釈しろ」

 ハッカーは戸惑いながらも、そのペンを握った。

 ガジェット『魔導感応ペン(ライティング・ソウル)』。それは周囲の魔力の波長を「音」と「指先の感触」に変換する、教授特製のアナログ・デバイスだ。


 ハッカーは目を閉じた。

 耳を澄ませば、魔法陣から流れるリズムが聞こえてきた。

 それは、一定のビートを刻むプログラムの拍動ではない。ため息のような、あるいは愛を囁くような、不規則で切なく、そして力強いメロディ。


「……そうか。これは条件分岐(if-then)じゃない。『もしも、あの日の夕暮れが、君の瞳の色だったなら』っていう……たった一行の、導入部プロローグなんだ」


00:45 クライマックス・ポエム


 ハッカーは立ち上がった。その瞳には、もはや数字の列への執着はなかった。

 彼は空中のホログラム・コンソールを無造作に消去した。

「ハッカー、何をするつもりだ!?」

 通信機越しにウィスパーが叫ぶが、ハッカーは答えなかった。彼は代わりに、実体化した魔力の海にペンを浸した。


 サラサラ、サラリ。

 ハッカーの右手が、重力を無視して空中に弧を描く。

 ジャズのピアノ・ソロが、即興の旋律を奏でるように。軽やかに、そして自由に。

「ハッシュ関数なんていらない。暗号化プロトコルもゴミ箱行きだ。この封印に必要なのは、粋な『返事』だ!」


 ハッカーは魔法陣を「書き換える」のではなく、そこに「続きの詩」を書き足していった。

 論理を捨て、効率を無視し、冗長な装飾をあえて加える。

 愛を誓う言葉に、少しのユーモアを混ぜた返信を。

 その瞬間、神代の封印が歓喜に震えた。頑なに閉じられていた石の扉が、恋人に微笑みかけるように、音もなく「解凍」されていく。


「見てください、教授! 1bitも、1マイクロ秒も狂わずに、封印が自ら鍵を外していく!」

 ハッカーの瞳には、かつての冷徹な数字の羅列ではなく、虹色に輝く魔力の「情緒」が映っていた。


01:00 オタクの帰還


 封印が完全に消失し、奥の祭壇から『神代の魔導書』が姿を現した。

 ハッカーは額の汗を拭い、晴れやかな顔で眼鏡をクイッと押し上げた。

「……ふん。アナログも悪くないけど、やっぱり最後は僕の圧倒的な美的センスが勝因だね。僕の美的感覚が、神代のシステムに完全勝利したってわけさ」

「やれやれ。謙虚さというコードは、君の脳内には永遠に実装されないようだな」

 教授は満足げに頷き、全メンバーに通信を入れた。

「ミッション・コンプリート。諸君、ハッカーがようやく、数字以外の言葉を覚えたようだ。今夜の打ち上げは、彼のおごりで最高級のヴィンテージ……いや、サーバーの冷却液のように冷えたシャンパンを開けよう」


 遺跡の外。砂漠の広大な星空の下で、ハッカーは指先で空中に小さな魔法陣を描いてみせた。

 

 ピコーン。

 それは、世界で一番贅沢で、そしてロマンチックな「Hello World」だった。


 ダバダ、ダバダ、ダバダ……

 今夜のジャズは、少しだけ、異世界の夜風に溶けるような甘い旋律を含んでいた。

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