第3話:【仮面の告白】ルナの誇り
シュワー……。
シャンパングラスの中で弾ける気泡の音が、まるで銀色のブラスセクションのように耳に心地よい。
今宵、帝都レガリアの迎賓館では、国交樹立を祝う仮面舞踏会が開催されていた。煌びやかなドレスが舞い、弦楽器の旋律が空間を埋め尽くす。
その社交界という名の戦場に、絶世の美女が一人。
20:00 社交界の『一輪のバラ』
「お初にお目に掛かります、マクシミリアン卿。東方の小国から参りました、ルナ・ヴィクトリアと申しますわ」
ルナは完璧なカーテシーを見せた。扇子の陰で覗く微笑みは、百戦圏磨の貴族たちをも一瞬で虜にする「毒」を含んでいる。
今回のミッションは、帝国防衛顧問マクシミリアンの懐にある『至高の宝物庫』のマスターキーを奪取すること。
だが、作戦の歯車は、彼が仮面を外した瞬間に狂い始めた。
「……君か。相変わらず、偽物の輝きを纏うのが上手い」
マクシミリアンが仮面を脱ぐ。その素顔を見た瞬間、ルナの心臓が不協和音を奏でた。
それは、前世のパリで彼女を愛し、欺き、そしてその背に冷たい弾丸を撃ち込んだ恋人の顔と、残酷なまでに生き写しだった。
21:00 綻びる仮面
ルナの指先が、微かに震えた。
「……何のことですの? 卿。初対面の淑女に、そのような無作法な口を利くのが帝国の流儀かしら」
精一杯の虚勢。だが、相手は逃がさない。
「隠しても無駄だ。その瞳の奥にある、愛を渇望しながら自分を偽り続ける惨めな魂。お前のような『偽物』は、どこへ行っても誰からも愛されない。それがお前の呪いだ、ルナ。前世でも、そして今世でもな」
マクシミリアンの言葉は、魔法よりも鋭くルナの心を抉る。
前世のパリ。彼女は彼を信じ、共に逃げるはずだった。だが彼は彼女の美貌を利用するだけ利用し、最後にはゴミのように捨てたのだ。「お前のような偽物は、誰も愛さない」という呪いの言葉と共に。
完璧だったはずの彼女の魔力変装が、心理的な動揺によって霧のように揺らぎ始めた。
ドレスの質感が失われ、肌の艶が褪せていく。瞳の色が本来のルナへと戻りかける。周囲の貴族たちが異変に気づき、ざわめき始める。
「ルナ、聞こえるかい。イヤリングの通信機を切れとは言っていないよ」
通信機越しに、教授の低く落ち着いた声が届いた。
「……教授、ごめんなさい。私、この男の前に立つと、自分がただの『安物』に思えて……自分が消えてしまいそうなの」
「馬鹿を言いなさい。君は、誰かに愛されるために、その美貌を磨いてきたのかい?」
教授の声には、皮肉めいた、しかし絶対的な肯定があった。
「君に必要なのは愛じゃない。最高の拍手だ。この世界は巨大な劇場で、君はその主役。君は君自身を、最高に、そしてエレガントに演じればいい。観客がゴミ屑であろうとな」
21:30 ガジェット:『真実の嘘』
ルナは深く息を吸い、イヤリングに内蔵された極小の魔導ガジェット『真実の嘘』を起動した。
これは、対象者の脳内に「理想の幻影」を直接投影する、教授特製の精神干渉装置だ。
だが、ルナはそれを単に「自分を隠すため」の道具としては使わなかった。彼女はそれを「自分を完成させるための照明」として使いこなした。
「失礼いたしましたわ、卿。少し、昔の退屈な思い出を口にされたものですから。つい退屈さのあまり、微睡んでしまいましたわ」
ルナの姿が、一瞬で変貌した。
それはどこかの国の令嬢ではない。威厳に満ち、すべてを跪かせるような「一国の女王」のオーラ。
マクシミリアンは息を呑んだ。目の前の女から放たれる圧倒的な存在感。彼女はもはや「愛を乞う女」ではなく、「支配する者」としてそこに立っていた。
「……何をした。どんな魔法を、どんなペテンを使った!」
「魔法? いいえ、これは私の『誇り』ですわ」
ルナは優雅に、一歩、また一歩と彼を追い詰める。
「あなたは私を『偽物』と呼びましたが、世界を完璧に騙し抜ける偽物は、もはや本物以上に本物なのです。あなたが愛したかったのは、都合の良い、脆い女としての私。ですが、今の私が愛しているのは、誰にも侵されない自分自身」
ルナは扇子を閉じ、マクシミリアンの喉元に突きつけた。
「さあ、マクシミリアン卿。女王の前に、その忠誠を示してくださるかしら?」
22:00 指先一つのチェックメイト
ルナの瞳に宿る『真実の嘘』の魔力と、彼女自身の天性のカリスマが重なり、マクシミリアンの精神を完全に支配下に置いた。
彼は抗うことも忘れ、うっとりとした表情で、自らの懐から黄金に輝くマスターキーを取り出した。
「……ああ、あなたこそが、私の求めていた真の主だ。私が求めていたのは、この、蹂躙されるほどの輝きだったのかもしれない……」
彼は跪き、ルナの靴の先に口づけをせんばかりの勢いで、自ら鍵を差し出した。
ルナは指先一つ触れることなく……いや、指先で優雅に、ゴミを拾い上げるような仕草で鍵を摘み上げた。
「ご苦労様。あなたの愛なんて、安物すぎて私のコレクションには入りませんわ。せいぜい、今夜の夢の中で後悔し続けるといいわ」
22:15 幕引きの余韻
迎賓館の外。待機していたアイアンが、重厚な扉を開けてルナを迎え入れる。
「ルナ、首尾はどうだ? 表の警備はピエロが攪乱してくれた」
「ええ、最高のステージだったわ。……ただ、少しだけ足が疲れたかしら」
車内では、教授がチェス盤を片手に待ち構えていた。
「お疲れ様、ルナ。女王の演技は、一万点だ」
「あら、教授。一万点じゃ足りないわ。私を雇い続けるなら、次は『世界の支配者』か『神様の寵児』の役を用意してくださる?」
ルナは窓の外に流れる夜景を見ながら、赤い口紅を丁寧に塗り直した。
鏡の中に映る自分に、もはや前世の孤独な影はない。
彼女は今、この異世界という巨大な劇場の、最高に輝く唯一無二のヒロインなのだから。
ダバダ、ダバダ……
夜空に溶けていくジャズの旋律。
ルナの誇りを乗せて、黄金の馬車は次の舞台へと加速した。




