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5.異変


 顔を合わせるたびにアマーリアには害虫と出くわしたみたいな顔をされていた僕だが、ある日の夜、緊急で学生寮の一室に呼び出されることとなった。


 運命の番と出会ったにも関わらず拒絶し続けているアマーリアの身体に、重大な不調が現れてしまったらしい。

 魔力回路に刻み込まれている本能である以上、求める相手を過度に拒否することは魔力の源――魂に不調をもたらすのだそうだ。

 夜中に呼び出され、眠いなあ、と目を擦りつつ学生寮の端に用意された部屋へと踏み入れた僕は、そこで青ざめた顔でうずくまるアマーリアを見て、ごく自然な反応として、彼女に寄り添わなければ、と思った。


 が、すぐにクッションが吹っ飛んできたので顔面に受けてそこで立ち止まった。


「近づかないで! そこから一歩でも踏み入れたら、斬り捨てるわよ!」


 なんともひどい言われようである。若干泣きたくなってきたが、僕よりも彼女の方が余程泣きそうだったので、出かけた涙は無事に引っ込んだ。

 投げつけられたクッションを手で抱え、軽く表面をはらってから脇の椅子の上に置いておく。室内には校医のフーティおねえさま(厳密に言えば彼女はお婆さまだが、こう言わないとめちゃくちゃ痛い治療をされる)と、ウィングステン公爵が立っていた。


 式典の際に遠くから見た程度でしか知らないが、公爵も非常に整った顔立ちをしている。アマーリアに似ている、と思ってから、逆か、と寝ぼけた頭の片隅で思った。

 女性にしては短い、顎のあたりで切り揃えた髪を持つ公爵は、立ち尽くす僕をやや困惑した顔で見やると、なんとも申し訳なさそうに口の端に苦笑を浮かべ、宥めるようにアマーリアの隣へと膝をついた。


「アマーリア、いい加減にしなさい。君がこうして感情に任せて当たり散らしても嫌な顔ひとつしない、それこそが彼が君にふさわしい相手であることの証左だとは思わないか?」

「お母様こそ、いい加減、古い慣習に縛られるのはやめてちょうだい! 私がこんな無様な醜態を晒す羽目になっている元凶が、その男なのよ!」


 叫ぶように言い放ったアマーリアは、涙の滲む瞳で僕を睨みつけると、吐き捨てるように「出ていって」と呟いた。

 全く、凄まじい嫌われようである。まあ、実際に彼女が嫌っているのは僕という個人ではなく、『運命の番』というシステムそのものなのだけれど。


「『番』に逆らってもいいことは何もない。それは君も知っているだろう? どうしてわざわざ自らの心身を痛めつけるような真似をするんだ。そもそも、ラルガーくんは君に礼節を尽くしているにも関わらず、君は彼の人格を貶めるような言動を繰り返している。これは公爵家の令嬢どころか、淑女として礼を失する行いだよ」


 公爵閣下の言い分はもっともだった。近頃は落ち着いているものの、アマーリアの言動は確かに公爵令嬢として褒められるべきものではない。

 アマーリア自身それは理解しているのか、反論を述べることも出来ないまま、彼女はただ強く唇を噛んだ。十分に分かっているのだ。分かった上で、納得が出来ない。

 自分が選んでいないものを、まるで本当は望んでいるかのように強いられることそのものが、彼女にとっては多大な苦痛であるに違いない。


 ただ、このまま拒絶し続けてしまえば、アマーリアの精神は崩れ、彼女の輝かしい未来には傷がついてしまうだろう。

 国を思い命を賭して剣を握っている彼女の道を、その辺の枯れ草のような男のせいで塞ぐ訳にはいかないな、と素直に思った。


「あの、ひとついいでしょうか」


 声を上げた僕に、その場の視線が集まる。寝癖が酷いまま来てしまったので出来ればあんまり見てほしくなかったのだが、とりあえず、誤魔化すように髪を撫でつけながら、僕は思いつきを口にした。


「これはただの提案なんですが、僕と番になった後に、新たに納得の行く別の相手を真のパートナーとして立てる、というのはどうですか?」


 〝運命の番〟に限らず、番を定めた相手は神殿に行って魔法契約の証を左手に刻む。

 魔力回路に刻まれた番というシステムに安定をもたらすための契約であり、これをもって生涯のパートナーとなる訳だ。

 だが、これまでの歴史でも、『番』以外にお相手(・・・)を定めた人間は存在する。


 相性の良い相手を与えられたところで、結局、人間の欲望に際限などないのだ。最適を与えられ、愛情を満たされても尚、貪るように多くの異性との関係を望む者はいた。たとえば、我が国の第七代国王だとかもそうだ。

 〝運命〟を得ても尚そうした判断を取った人間がいたかは、僕の記憶力だと心当たりがないが、まあ、一人も存在しないなんてことはないだろう。


 今のところ、これが一番現実的な案ではないだろうか。

 そう思って口にしたのだが、フーフィお姉様からはとんだ化け物を見るような目を、ウィングステン公爵からは痛ましいものを見る目を向けられてしまった。


 もしかすると、神の導きを疑う異教徒だとでも思われてしまったのかもしれない。弁明をしないとならないかもな、でも面倒だな、と思ったところで、引きつったような呼吸音が僕の耳に届いた。

 アマーリアだ。蹲ったままの彼女は、まっすぐに僕を見つめると、隠すこともない絶望に顔を歪め、そして、やがて子供のように泣き出した。


「どうして? 貴方、どうして怒らないのよ! ここまで馬鹿にされて、軽んじられて、なんで笑っていられるのよ! 私は貴方を不躾に侮辱しているのよ!」

「そりゃまあ、怒ってるけど。でも、君に言われるなら仕方ないと思ってるだけだよ」

「運命の番だから?」


 隠す気もない嘲笑が、涙混じりに響いた。

 それは、気高い令嬢の高みからの冷笑ではなく、ただの子供の駄々に似ていた。

 対する僕の顔には、知らず、苦笑いが浮かぶ。

 

「君は、僕とは比べ物にならないほど頑張っているから。君ほどの努力を重ねる人に怠惰な愚か者だと言われたなら、僕じゃなくたって反論できないよ。そうでしょう?」


 アマーリア・ウィングステンと少しでも関わったことがあるのなら、彼女の功績が血の滲むような努力の結果齎されたものだと気づく筈だ。余程の馬鹿でもなければ。

 まあ、どうやら彼女の美しさの前に目が眩んでいる『余程の馬鹿』は結構いるみたいなのだが、僕にとってはどうでもいい話だった。


 近づくな、とは言われたが、この言葉だけは、きちんと目を見て伝えるべきだろう。

 足を踏み出した僕にアマーリアは一度、確かに怯えたように肩を震わせたけれど、それでも、眼の前に膝をついた僕に斬りかかるような真似はしなかった。まあ、片手はずっと、武器でも探すように絨毯を掻いていたけれど。


「言ったでしょう、尊敬しているって。あれは本当に、心の底からの言葉だよ」


 僕の言葉に目を見開いたアマーリアは、一瞬、何もかもを投げ出そうとしたようにくしゃりと顔を歪めると、糸が切れたようにその場に倒れ、意識を落とした。



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