3.邂逅
そんなことを考えつづ過ごすこと早二ヶ月。
いくら悩んだところで答えなど出しようもなく、僕は周囲の好奇に満ちた視線に晒されつつも、なんとか命を繋ぎつつ学園生活を送ることに成功していた。
相変わらずアマーリアからは顔を合わせるたびに害虫を見るような目で見られているが、叩き潰されるには至っていないのでさほど実害はない。
それどころか、彼女は話しかければ割と答えてくれるので、出会った当初よりはコミュニケーションが取れているとも言えた。
「…………いや、それはコミュニケーションが取れてるとは言わねえよ」
「そうかな? でも『おはよう』って言うとちゃんと返してくれるよ」
「ちゃんと? お前の常識だと『朝から嫌なものを見たわ。さっさと私の前から失せなさい』はちゃんとした挨拶なのか?」
「でも、無視はされてないし」
「無視の方がマシだぞ、多分」
心底呆れた様子で呟いたアーノルドは、昼食の最後の一口を口に含むと、しっかりと味わうように噛んでから飲み込んだ。
アーノルド・ナヴァガンは、学内で僕と唯一仲良くしてくれている男子生徒である。
僕と同じく男爵位の家柄だけれど、成績優秀で特待生として学費を免除されている。魔法実技の授業でほとんどの生徒が僕と組みたくないと態度で示す中、ただ一人自ら犠牲になってくれた男だ。
「知ってるか? 俺は陰で『生贄』って呼ばれてる。最悪すぎる」と愚痴こそ溢していたものの、こうして二ヶ月経った今も僕と話をしてくれている。
単純に言って、いい人だと思う。何より、「お前さっさと逃げろよ」と何度も忠告してくれるし。
本当にいい人だと思う。
「大体、なんでお前の方からあの剣姫に関わってんだよ。命が惜しくないのか」
「そりゃもちろん、惜しいよ。でも学園内にいる間は殺されないんだと分かったし、せっかくの運命の相手なんだから、今のうちに話をしておくのも大事かなと思って」
「…………どうせ前期を終えても辞める気ないだろ、お前」
「どうだろう。辞めるかもしれないし、辞めないかもしれない」
どちらとも言わない僕に、アーノルドは心底呆れたようにため息を吐いて、それ以降はこの話には触れる気はないと言うように話題を変えた。
基礎魔法理論の課題についてと、そろそろ始まる新入生の研究会所属について。あとは前期最後の校内剣術大会の話も出かけたけれど、アマーリアの話に繋がるからか、それは早々に切り上げられた。
午後は違う授業を取っているので、適当なところで分かれる。三階の教室に向かう途中、ふと、何かに導かれるように、僕は進行方向とは違う方向に足を向けていた。
階段を外れて、埃臭い空気の漂う、あまり使われてなさそうな通路を進む。
古い方の中庭に繋がっているらしいその通路をしばらく進むと、手入れもされずに放置されて伸び切った草が生い茂る庭へと出た。
この時点で薄らと何かを察していた僕だったが、それでもまだ足は止まらなかった。
何せ、あの込み上げるような恐怖が与えられていないのだ。誘われるように足を進める僕の心には、確かな安堵と柔らかな欲があった。
古ぼけたベンチを視界に入れ、背もたれ側から覗き込むと、そこには横たわる少女を居た。ああ、やっぱり。
「アマーリア」
金髪を一纏めにした彼女は、訓練着のまま寝入ってしまっているようだった。
騎士団に所属した上で学園に入学したのだから、その多忙さは僕の想像を絶するものがあるのだろう。
それでも休学は選ばないあたり、彼女の意地の強さとプライドの高さが窺える。
あるいは、僕を追い出すまでは通い続けるとでも決めているのかもしれない。
彼女にとっては僕は目障りなゴミであって、ゴミのために自分が逃げたと思われるのは耐え難いものがあるに違いないから。
そこまで考えて、思わず苦笑が溢れてしまった。
全く、すごい嫌われようだな。
人生でこれほどまでに人から意識されたのは初めてかもしれない。
僕は生まれてこの方、家族以外からはいるのかいないのか分からないような奴として扱われてきたから、これほどまでに注目されるのは中々ない経験だった。多分、才能の塊である彼女にとっては慣れたものなのだろうけど。
ベンチの背もたれに肘を置き、寝入る彼女をそっと見下ろす。
普段見慣れた敵意が剥き出しの金色の瞳が閉ざされるだけで、彼女の顔立ちは驚くほどに美しく儚げに見える。
戦場ではまさしく人間離れした実力を示し、一騎当千の戦果を上げる彼女が『剣姫』と称されているのは、やはり彼女が姫と呼ぶに相応しい美しさを持つからだろう。
本当に、持ち合わせた全てが神の創りたもうた傑作と言って差し支えないような御令嬢だ。実際、そのように噂されているところも見たことがある。
その上で、彼女は昼夜を問わず空いた時間には鍛錬と勉学に励み、食事ひとつにすら気を遣って実力を維持しているのだから、いやはや、まさに高貴なる姫君に相応しい生き様だ。
僕にはとてもじゃないが真似できない。彼女の十分の一、否、百分の一の努力ですら、僕にとっては過ぎた苦痛になるだろう。我ながら情けないとは思うが、僕は正直言って、そんな自分が嫌いではなかった。
「まあ、君には許し難い人種だろうけどね」
アマーリアが僕を嫌っているのは、こんな碌でもない男が〝運命の番〟だからでしかない。
自らの手で選び、掴み取ったものではないからだ。
僕がなんの関わりもないその辺にいるただの同級生だったなら、彼女はここまで僕に敵意を向けることはなかった。僕を特別気にかけることなんて、微塵もありえなかった。
それを思うと少しだけ残念に思ってしまうのは何故だろう。やっぱり、僕にとっても彼女が運命だからかもしれない。
そのまま見つめ続けている内、気づいた時には授業開始を告げる鐘が鳴っていた。
しまった、此処からじゃ教室までは十分はかかるのに。走って行こうか、それとも諦めようか。鐘を鳴らす中央塔を見上げながら数秒考えて、疲れるから嫌だな、と後者を選ぶことに決める。
そういえば、アマーリアは午後の授業は何を取っているんだろうか。
彼女のことだから遅れてでも授業には出たいだろう。起こした方がいいのかもしれない。僕からの親切なんて、アマーリアは嫌がるだろうけど。
遠慮の気持ちは持ちつつも、何も言わずに立ち去るのも何だか憚られる。
そうして視線を戻しかけた僕は、そこで首元が強く締め付けられる感覚と共に、ベンチの背を乗り上げるようにして前方へと引き寄せられた。
「おわっ!」
「淑女の寝込みを襲うだなんて、全く最低の下劣ね。貴方には品性というものがないのかしら」
「え? え、いや、まだ何もしていないけど」
「まだ?」
「まだっていうか、まあ、する予定はないんだけど」
「ならどういうつもりで此処に来たというの?」
僕の胸ぐらを掴んだアマーリアは、寝起きにも関わらず強い眼差しで、なんとも忌々しげに此方を睨みつけた。
「どういうつもり、と言われると……」
なんだかとても心惹かれる気配に釣られてやってきたら君がいただけなんだけど、と呟きかけて、言葉を切る。
言い淀んでしまったのは、恐らくそれを口に出せば『番』を嫌う彼女の気を更に苛立たせることが分かっていたからだ。
そのまま続ける言葉を見つけられずに視線を逸らし続ける僕に、アマーリアは説明されるまでもなく理解したのか、更に気配が剣呑なものへと変わった。
一瞬目を戻せば、眉間の皺が更に深くなっているのが見える。これ以上気分を害すつもりもなかったので、突き飛ばすように放されるのと同時に再度視線を彼方へと投げておいた。
中庭の時計塔の一点を見つめるフリでもしておくことにする。あまり上手くいっているとは思えないけれど。
不格好に誤魔化し続けること一分。
アマーリアの口からは細い溜息が落ちた。
「追求はしないでおくわ。此処に来た理由も、立ち去らなかった理由もね」
「そうして貰えると助かるよ、本当に」
心の底から安堵して力を抜いた僕に、ベンチを降りたアマーリアが胡乱げな目を向ける。そのまますぐにでも立ち去ってしまうだろうと思っていたのに、彼女は僕を見つめたままその場に立ち止まった。
「……一つ聞きたいことがあるのだけれど、いいかしら」
「君が僕に? 珍しいな」
「貴方が私のことをどう思っているのか、知りたいわ」
表情と声音が違えば、きっとロマンティックな響きを持つ台詞だっただろう。
残念ながら、彼女の顔に浮かんでいるのは隠しきれない警戒と、忌避だったけれど。
真面目な彼女にしては珍しく、授業を優先するつもりはないらしい。アマーリアにそこまでさせるからには、僕も真面目に答えるべきだろう。
一番適切な答えを求めて、脳内を探る。意識しないうちに、うーん、と間延びした声が漏れて、アマーリアの綺麗な眉が分かりやすく顰められた。
「正直に言えば、怖いかな。でも、偉いなとも思ってるよ」
「…………偉い?」
「僕には到底真似できないくらいに努力しているから。尊敬はしているかな」
「……尊敬、ね。それならば貴方も己を磨くべきだとは思わなくて?」
「いや、別に」
「怠惰ね。それに愚かだわ」
「まあ、君から見たらそうかもね」
血の滲むような努力をして研鑽を積む人間から見れば、僕はきっとどうしようもなく怠惰で愚かだろう。
けれども、僕はそんな自分が好きだし、そんな自分を大事にできるように頑張っている。それだけは確かだ。
自分の機嫌は自分で取るようにしているし、楽をするための苦労ならば出来るだけ全力で取り組むようにしている。
僕にとって努力というのは楽しむために、楽しめる範囲でするものだ。
仮にそれによって僕が望むような結果が得られなかったとしても、僕はきちんとそれについては責任を取るつもりでいる。
もちろん、アマーリアのように優れた人から見れば僕にとっては辛いことでも楽しいのかもしれないけれど。
アマーリアはそういう人を望んで、そばに居てもらいたい、と思っているのかもしれないけれど。
つくづく、僕とは相性が悪いのだろう。
「早く本当の番が見つかるといいね」
神様が間違えちゃった僕じゃなくて、何処かにいる、アマーリアに相応しい相手が見つかるといい。
そしたら僕は御役御免で、アマーリアは相応しい番に満足できて、みんなが満足する幸せを得られるに違いない。
そうなったら全部丸く収まるんだけどな。なんて思いながら笑いかけた僕に、何事かを言いかけていたらしいアマーリアは、その形の良い唇を強く引き結んだ。
敵意とも殺意とも違う、なんとも言えない感情が流れ込んでくる。
なんとなく、恐怖に近いな、と思いかけたところで、アマーリアは踵を返して去っていってしまった。




