2.忌避
アマーリア・ウィングステンの名は、学園に入学するより前から貴族内でも広く知れ渡っている。
歴史に名高いウィングステン公爵家の長女であり、王立騎士団長の娘でもある彼女は、幼い頃からその類稀な美貌と才能で周囲を虜にしてきた。十三歳にして騎士団に入ると、その後は国境付近の魔物討伐部隊にも加わり、人間離れした実力で武勲を上げた。
剣姫、と呼ばれるようになるまでに一年と掛からなかったそうだ。
まさしく実力も美しさも初代ウィングステン当主の再来だと褒め称えられている才女、それがアマーリア・ウィングステンだ。
ウィングステン家には代々、女しか生まれないと言われている。
それは公爵位を授けられた初代ウィングステン家当主が女性だった頃から変わらずで、ウィングステン家は代々婿を取ることで血を繋いできた。
誰がアマーリア・ウィングステンの番になるのか、というのは社交界でも注目の話題であり、年頃の子息は必ずウィングステン家の御令嬢を意識している。
当代のウィングステン家には三人の令嬢がいるが、やはり一番意識されているのは長女のアマーリアだろう。
ウィングステン家の婿になれるのならばどれほど金を積んでも良い、と考える貴族すらいるほどだ。
しかして、彼女はその非凡な才能に見合った特性として、〝運命の番〟を持つ人間だった。
そして、その運命の番は、万年下っ端貴族のラストル男爵家の三男、ラルガー・ラストルであった。
特徴といえば眼鏡をあげられる程度の平凡な顔立ちに榛色の髪の毛、更に言えばやたらとひょろ長いだけで逞しさにも欠ける長身を持って生まれた、その辺の枯れ草のような男、ラルガー・ラストルだった。
ちなみに得意魔法は水魔法。
僕が水をやると植物が結構元気に育つ。その程度のものである。
これは確かに、アマーリアが煩わしいと思っても無理のない番だった。
あまりにも不釣り合いすぎる。彼女ほどの立場と実力を持つものなら、怒って当然だろう。
神様とやらは本当に、番の設定を間違えてしまったのかもしれない。
入学から二週間も経つ頃には、そんな噂がまことしやかに囁かれるようになってしまっていた。
「……どうしてまだ学園にいるのかしら? 私の脅しなど取るに足らないとでも言うつもり?」
入学後の初めての男女合同授業にて。アマーリアは、隣に座っているのが僕だということに気づくと、その美しい眉を何とも不愉快そうに強く寄せた。しまったな、と内心焦りつつ、なるべく彼女を刺激しないように当たり障りない笑みを浮かべる。
「別にそういう訳では。ただ、学費を既に払ってしまっているので」
心からの言葉だった。前期分の学費は既に支払ってしまっている。貧乏性の我が家の財政では、払った学費分の教育も受けずに退学するような真似は許されなかった。たとえ兄二人が休学を選ぶべきだと説得しようとも、である。
というより、両親はすっかり僕をアマーリアの番にするつもり満々のようだった。
無理もない話だ。通常の番関係ならばともかく、〝運命の番〟なのだから。
人生における唯一無二の存在を蔑ろにできるような人間はいるはずがない。今は納得が行っていなくとも、アマーリアは必ず僕を選ぶだろう、というのが楽観的な両親の判断だった。
そんな判断力だから領地がかつかつで領民の評判も悪いんだよ、王都観光してる場合か、とは誰も言わなかった。
言っても無駄だからである。とりあえず、早く長兄に代替わりしますように、とだけ祈っておいた。
僕個人の判断としては、本当に程々のところで逃げ出した方がいいんだろうな、と思っている。
アマーリアから向けられる殺意は、正真正銘、本物だからだ。彼女は本気で僕を殺すつもりでいて、そして、それは運命の番である僕の心には割と直接伝わっている。僕の恐怖もまた、アマーリアにはしっかりと伝わっているだろう。
その割に僕が結構落ち着いているのは、ごく単純な話である。我が愛しの運命の番様からは三頭熊も半泣きで逃げ出すような殺気が放たれているが、僕の心に湧く『愛しの番がそばにいる』という至上の喜びとちょうどいい感じに相殺され、結果として僕の感情は極めて凪いだ形で落ち着いているのだ。
便利なような、困ったような、なんとも言えない状況だった。
「学費と命とどちらが大事かなんて、考えるまでもなく分かると思うのだけれど」
「それはまあ、命ですね」
「分かっているのなら今すぐこの教室から出て行きなさい、ラルガー・ラストル」
「それはちょっと」
「命など惜しくは無いと言うのね?」
「惜しいですが、授業が始まってしまうので」
これもまた本心だった。命は惜しいが、学費も惜しい。学ぶ機会を失うのはもっと惜しい。これでも、入学を結構楽しみにしていたのである。
まさか入学初日からあんなことになるとは思っていなかったが。しかも親からもあんなふうに言われるとは思ってもみなかったが。
それなりに楽しみにしていた学園生活なのである。
死ぬにしたって楽しんでから死にたいものだ。いや、別に死にたくはないが。一切ないが。
僕の言葉に何事か言いかけたアマーリアは、それでも教師が教室に入ってくると同時に口を噤んだ。彼女がその振る舞いに反して割と規律を重んじる、というのは、ある筋から入手した情報で分かっていた。
少なくとも学園にいる限り、彼女は教師の前で問題を起こすようなことはしないだろう────と、ある筋、まあ、つまりはウィングステン公爵からの手紙には書いてあった。
どうやら本当だったらしい。よかった。違っていたら授業が始まる前に死ぬところだった。
それにしても、誰一人として僕の近くに座ってくれないせいで、アマーリアが僕の隣に座ることになってしまったのは災難だったな。彼女は騎士団所属の騎士として度々学園を抜け出さなければならないので、授業開始に間に合わずに戻ってくることも多い。今日はたまたまその日に当たってしまったという訳だ。
次から、合同授業の時には隅の方で席を取っておくべきだろう。少なくとも、前期の授業が終わるまでは。
考え事をしながらノートを取っていると、距離が近いせいか一度、軽く腕が当たってしまった。
僕は左利きで、アマーリアは右利きである。今から位置を逆にしようとも言えなかったので、僕はできる限り存在を消すようにして身を縮め、隣から放たれる殺気に耐える九十分を過ごしたのだった。
ちなみに、授業が終わった後も殺されることはなかった。よかった。その代わり舌打ちはされたしゴミを見るような目でも見られた。まあ、殺されるよりは百倍マシな扱いである。
殺気を振りまく愛しの番様の背を見送り、ほっと息を吐いた僕の脳裏に浮かぶのは、先日もらった公爵様からの手紙だった。
公爵家から手紙が届いたのは、アマーリアから殺害予告を受けた三日後のことだ。
内容は、僕がアマーリア・ウィングステンの運命の番であると報告を受けたことと、アマーリアをよろしく頼む、というものだった。
全然よろしく頼まれたくはないので丁重にお断りの文言を返そうかと思ったのだが、先に内容を確認していた両親にそろって両脇から挟まれたまま説得され、僕は全然合意ではない上で合意の文面を送り返すことになった。
なんでも、アマーリアは『番』というものに強い拒否感を抱いているそうだ。
彼女は生まれた時から、自分の力のみで何もかもを掴んできた。
自分に相応しい男は自分で選べる、と豪語する彼女は、共に切磋琢磨する騎士団の者たちを非常に好ましく思っているようで、番にするのならば絶対に自分よりも強い男が良い、と譲らなかったそうだ。
それは確かに、絶対に僕では無理な話である。五秒で倒される自信があった。
アマーリアのような、自らの力で何かを掴み取ってきた人間にとっては、自分の相手が勝手に決められているなどということは信じ難いことなのだろう。
僕にはさっぱり分からない感覚だった。
だって、何も考えなくとも自分に似合いの相手を見つけてくれるのだ。
なんて便利な魔法だろう、と感激すらしていたほどである。
しかし、アマーリアの気持ちも理解しようと思えばできなくはない。彼女のように優れた人間は、やはり優れた人間と共になるべきなのだろう。
それは彼女個人の信条の問題でもなく、大半の貴族はアマーリア・ウィングステンの番がラルガー・ラストルであることにがっかりしている様子だった。
まあ、そうだろうな、と思った。
考えれば考えるほど、『神様の間違い』説が有力になってきた。神様が絶対に間違わない、なんてことはないんじゃないだろうか。誰も間違いだと気づいていないだけで、うっかりちゃっかり、間違えているのではないだろうか。
こんなことを言ったらナーシアの信徒に聖槍で滅多刺しにされるに違いないので絶対に口には出せないが、神様だって間違えることくらいあるのではなかろうか。




