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181.桜が咲いてる……

さて、今年も咲くあの季節がやってきました。東京では満開宣言が出ましたが私の住む埼玉ではもう少し時間がかかりそうです。その分楽しめていいですよね、そしてそんなおめでたい雰囲気につきものと言えばやっぱしこれですよね。

 さて、今回のタイトルが示します様に私、全然気付きませんでしたわよ、桜が咲いたということを。ラジオのニュースでちらっと東京都内で開花宣言です〜〜〜例年より5日早いです。が聞こえては来たんですが、ここは埼玉、東京の隣の県とは申しても距離はそれなりに有りますのでまだまだ時間がかかるだろうなって踏んでたんですがたまたま近所の公園を散策してて木漏れ日が眩しくて思わず空を見上げたら飛び込んできたんですよそれが……あ、咲いてる、桜。なんだか季節に置き去りにされてる様な気がして少し寂しさを感じました。それにしても桜は入学式のものではなく完全に卒業式に照準が合ってしまいましたね。


 勿論、関東一帯のお話しですが、つい先日、最寄り駅のホームに立ってたら赤い着物に紺色の袴姿の若い女性の姿を見つけて、大学の卒業式かって微笑ましく思ったのですがその直後ですもの、桜を見たのが。ま、それもまた華やかで良いのかなって思いますが、あまり良くない予感としては、今年の夏も暑いんだろうなって言う予感です。今年は少し手加減して欲しいものです。


 ん?今年はエルニーニョ、と、言うことは少し涼しく過ごせるのかしら……。


 で、門出と言えば『お赤飯』なんでないかしら。おめでたい席には必ず見かけたお赤飯ですがここ最近は年がら年中見かける様になりましたね。コンビニのおにぎりコーナーにも必ず置いてありますしね。


 お赤飯って面白くて昔は『意味を食べていた』気がします。で、今は『気分を食べている』って感じなんですよね。でもたまに赤飯を食べると『あ、これって時間を食べてるな』みたいな感覚になります……って書いてもちょっと分かりづらいかな。


 まず、お赤飯の『赤』って、ただの色じゃなくて日本では昔から赤は魔除けや生命力の象徴で、病や災いから守る色だったから、祝い事に赤いものを食べるのは『無事であれ』という祈りを体に取り込む行為とも言えますよね。そういう意味で還暦の赤い張々湖《ちゃんちゃんこ》なんて生命力の見本みたいなもんじゃあないですか、張々湖姿で誇らしげなお爺ちゃんお婆ちゃんの笑顔、見てるだけで嬉しさと共にその元気が私にもお裾分けされてしまいますものね。


 ほんの少し前まではお祝い事って家や共同体単位のものでした。『家族全員で食べる』とか『近所に配る』とか『うちの子が〜しました』という共有の報告が頻繁にありましたが、今はどうかというと一人でコンビニで買って食べる、SNSで報告する、等などなどが一般化して誰かと食卓を囲まなくても成立する場合が増えました。なんというかこう、祝いは『共有されるもの』から『消費されるもの』へ変わってしまったのではないかなって思います。お赤飯も“場”から切り離され、パックに入ってレンジで温めて個人のタイミングで食べられる。つまり祝う行為が時間・空間・人間関係から自由になったとも言えるのかも知れませんが、逆に言うとちょっと寂しくもあリますよね。


 孤独なお祝い、それでいいのかって突っ込みたくなってしまいますね……勿論、自分に対してもです。それでも、パックの赤飯を開けた時、どこかで『これは祝いの食べ物だ』と認識出来てその記憶だけは、まだ共同体の中にあったりなんかするんですよね。人は孤独な方向に向かってる様に見えて実際には漠然とした不安を抱いてるのですよ、多分。


 私が小学生時代、学校で何かのお祝い事、卒業式とか入学式とか創立記念日なんかでお赤飯とか紅白饅頭なんかが配られたんですが今はそんなことはしないなかな。あの配布って、実はすごく象徴的で『お祝いを共有させる仕組み』だったんだと思う。本来お祝いって、当事者だけのものでもいいのに学校という場では同じ日に同じものを全員が受け取る、つまり『祝う空気を強制的に同期する』装置みたいなものだったとも言えるんじゃないかしら。装置って書いちゃうと無機質で少し冷たく感じてしまいますが所謂ルーティンワークって感じられたんですよね。正直、あまり美味しく感じなかったのは舌が子供だったからなのかな。


 いずれにしても昔、お赤飯が持ってたおめでたさって言うのが現代では失われて普段から普通に食べるものに変わってしまったのは否定出来ない事実、それは私と同年代の方々なら感じてるんじゃないかしら。母が朝早くから餅米を蒸して手間暇かけて作っていたお赤飯。その赤色は太古の頃は古代米の赤が表していましたが時が流れて小豆に含まれる『アントシアニン(ポリフェノール)』がほんのり移った赤になり、現代では食用色素(赤色○号など)、天然系色素(ベニコウジなど)に変わって手間暇が省略されて何となくありがたさがパワーダウンした様に思うのは私だけなのかしら。神秘性が失われたのは否定出来ないですよね、だから最近あまり食べなくなってしまったのかしら?


 お赤飯はお祝いの時だけでなく、災いの後にも食べられてました。日常(ケ)と特別(ハレ)を分ける考え方が日本にはあってお赤飯は『ケ → ハレ』へ切り替える食べ物で災いのあとに食べるのも、『ケ(穢れ)を抜けてハレに戻る』動きを加速するために食べる、そういうものでもありました。そんな時ならパック入りのお赤飯ってのが便利で手軽で勢いをつけられるのかな、手間暇を省略するのが全てダメって訳でもないんじゃないかって、その事態に直面したら実感するかも知れませんね。現代の技術力は災いを転じて福となす威力があるのかも知れません。


 桜が咲いて入学式シーズン闌となり若い人たちが人生と向き合い始めるこの季節、久しぶりにお赤飯頂いてお祝いしようかな、大人になるのって、結構楽しいぞ。子供時代以上にいろんな事が自由にできるんだもん、これが大人の特権さ。生きるのってかなり楽しいと思います。

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