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◇ ◇ ◇
ひどいな、と誰かが呟いた。
数週間ぶりの故郷を前に、ネフィレイシアは両の目をほそめる。
冷たい風に頬を撫でられ、下ろしたままの髪が靡いた。その足元に広がるのは、相変わらずの痩せた土地で。黄の土と灰の石ばかりの中、ところどころ、申し訳程度に雑草が顔を覗かせている。
「なるほど」
胸の前で腕を組んだジュニアスが、納得したように頷く。
「ここが君自慢の故郷か」
ネフィレイシアは、隣に並んだ青年を少しだけ見上げて、静かに嗤った。
「……なんにもないでしょ」
呟きに、ジュニアスが反応を示すことはなかった。なにを思っているのか、荒廃した都市を眺め続けている。不思議とその横顔は、憂えているようにも嫌悪しているようにも見えた。ネフィレイシアの主観が混ざっているからだろうか。
ごうごうと吹き荒ぶ風に髪を押さえながら、ネフィレイシアは背後で立ち尽くしている人々を振り返った。
ユナの護衛の兵士たちだ。闇の国の惨状を目の当たりにして、誰もが言葉を失っている。ここまでひどいだなんて夢にも思わなかったのだろう。
ユナの護衛には、最後までこの計画に反対していたベルティオも同行していて、ネフィレイシアは出立前から延々と睨まれ続けていた。
「少しでも妙な動きをすれば斬り捨ててやる」とすごまれたのは、つい数分前のことだった。
(まあ、危険だものね)
最初、この計画をユナから聞かされた時は、罠かと勘ぐった。
大切な聖女を闇の国へ向かわせるなど、これまでのジュニアスたちの態度からすればおおよそ考えられないことだったからだ。
しかし、ネフィレイシアがどう疑って考えを巡らせてみても、彼らがそんな計略を練る必要はないのだという結論に辿りついてしまう。仮に、ジュニアスたちがこの機に乗じて闇の国を討とうとしているのだとしても、ユナを同行させる必要は全くないからだ。
ユナの加護の力は、ネフィレイシアも身をもって知っている。
ジュニアスたちが本当に闇の国を壊滅させたいのなら、彼らだけで十分なはずだった。
ユナが闇の国を訪れることは、彼女にとって危険はあっても、利点を見出すことが出来ない。
──だからたぶん、罠ではない。
まっさらな善行なのだ。
「万全を期すんだ。ユナにかすり傷の一つでも負わせてみろ、ただでは済まないと思え」
自国の衛兵たちにそう檄を飛ばすベルティオを、ネフィレイシアは暗鬱な思いで眺める。
計画日までの数週間。聖騎士たちは、〝ものの数分〟の姫の滞在に向け、念入りな過保護ぶりを発揮してきた。結果、ジュニアスを筆頭とした聖騎士五名と衛兵二百名もの一団が組まれ、他にも医療班、魔術師班などが編成された大所帯となった。
この国は真実豊かなのだった。人員も物資も。
(だから私たちを騙す必要なんてないんだわ)
ネフィレイシアは思って、肩をすくめる。
「ひどすぎて笑っちゃうでしょう? おもてなしが出来なくて悪いけど──」
「言いあいをしてる暇はないよ、ネフィレイシア。早速始めよう。ユナ、ウィンネル」
ネフィレイシアの言葉を遮るようにして、ジュニアスがきびすを返した。その厳しい顔つきに、ネフィレイシアも口を閉じる。
こんなところにいつまでもユナを置いてはおけないからだろう。
大股でユナの元へ急ぐジュニアスの後について、ネフィレイシアは馬車から降りるユナを迎えた。
ザレンチアノに降りたったユナの反応は、他の者のそれとそう変わらなかった。
「……ここが」
目を見開いて、悼むように眉をひそめる。
エルドガルドはまだ、光の国に留まったままだった。
この浄化試験で万が一、ネフィレイシアらがユナを傷つけた時、即座にエルドガルドの首を落とすためだった。つまりは保険だった。
「ねぇネフィレイシア、あの遠くに見えるお城が、エルドガルド陛下のお城かしら」
ずっと先の方を指差して、ユナが尋ねてくる。ネフィレイシアは頷いた。
「はい。そうです」
この荒れ野を抜け、濁った川を渡り終えたその先に、朽ちかけた闇の城はある。
真昼だというにもかかわらず鉛色の雲に覆われたエルドガルドの城は、まるで呪いでもかけられているかのようだった。
近づけば、もっとおどろおどろしいことが分かる。
風化した壁は剥がれかけ、たくさんある塔の半分は崩れているのだから。
あんな環境に重病の母を置いていたのかと思うと、ネフィレイシアの胸は苦しみに痛んだ。
一縷の望みをかけ、ネフィレイシアはユナを見つめる。ネフィレイシアの方がわずかに身長が高いため、はからずも見下ろす形になっていた。
「ユナ、危険と分かってここまで来てくれて、本当にありがとう。改めて感謝します」
「和平のためだもの、上手くいくように祈っていて」
にこりと笑って、ユナは気合いをいれるかのように紗のドレスの袖をまくった。
「それじゃ、はじめますね」
周囲に言って、ゆっくりと場にしゃがみ、地面に右の手のひらをあてる。
皆が固唾を飲んで見守る中、ユナの手と触れられた部分の土が、淡く黄金色に輝いた──ような気がした。ユナはじっと、その姿勢でかたまったまま動かない。
これが、うまくいけば。
ユナを見守りながら、ネフィレイシアは両手を握りしめる。
秘密裏に進めている復讐が止まるかもしれない。
頑なに強行しようとしている王を、止めることが出来るかも──ああ、だったら私はやっぱりお母様たち側なのかもしれない──と、そう思った矢先だった。
どさりと音がして、ユナが地に倒れ込む。
「ユナ……!」
大声をあげ一番先に駆け寄ったのはジュニアスだった。
「ユナ、ユナ……! しっかりしろ! どうしたんだ」
しかしジュニアスに抱き起こされながらも、ユナは苦しげに顔を歪ませたまま、きつく目を瞑っているだけだった。その浅い呼吸に、ジュニアスが毒づく。
「くそ、だから俺は反対したんだ……!」
聖騎士たちにより慌ただしく馬車へ戻されるユナのそばで、ネフィレイシアはベルティオに剣を向けられていた。
ネフィレイシアは淡々とベルティオを見つめる。
「ベルティオさん、この剣は?」
「決まっている、お前がユナに何かしたのだろう」
ネフィレイシアはわずかに眉をひそめた。
いったい、あの一瞬で自分になにが出来たというのだろう。
「ベルティオ! いいから手を貸せ」
ネフィレイシアに詰め寄るベルティオを、ジュニアスが諌める。ベルティオは忌々しそうにネフィレイシアを睨みながらも、ゆっくりと剣を下ろした。そうしてすぐにユナの元へと駆け寄る。
聖騎士とユナの乗った馬車は、光の国の高位魔術師たちによってグラニアへ転移した。
取り残された兵士たちに、ネフィレイシアは刺すようなまなざしを向けられていた。
ユナを傷つけた闇の国の魔女。
そんな目だった。
「毒が強すぎたみたいだ、一命は取り留めたけど」
その夜。
グラニアに戻ったネフィレイシアに、ジュニアスはそう説明した。顔色が悪いのは、それだけユナの容態が危うかったからだろう。
ネフィレイシアの個室を訪れたジュニアスは備え付けの椅子に腰を下ろしたまま、深いため息を吐いた。
「お姫様のわがままも大概にしてもらわないと」
「……この計画、ユナがたててくれたのよね」
「ああ。早く解決したいんだろう。……気持ちはわかるけど、だからって無茶しすぎだ」
「そうね。私も止めるべきだったと思うわ……ごめんなさい」
危ないことはわかっていたけれど、まさかこんなことになるなんて思いもしなかった。
苦しそうだったユナの様子を思い出して、ネフィレイシアは顔を俯ける。
ジュニアスが、慰めるように言った。
「君が謝ることじゃないよ。どの道この実験はしなくちゃいけなかっただろうし……だけどこれでわかったね。ユナの力じゃ、ザレンチアノは浄化できない」
「ええ」
この浄化実験が成功していたら、問題は全て解決出来たかもしれないのに。
「残念だ」
ジュニアスが立ち上がる。
「他の方法を考えないと」
「そうね」
ユナを抱えた彼の、掠れた声を思い出す。
──だから俺は反対したんだ……!
彼は本心では、この計画を快く思っていなかったのだ。
本当に、すまないことをした。
ジュニアスを見送りながら、ネフィレイシアは顔を上げる。
「ジュニアス、本当にごめんなさい」
「もういいよ。君のせいじゃない、だからそんなに落ち込まないで」
「……でも、ユナにも謝罪させて欲しいわ」
「明日ね」
おやすみ、と扉を閉める寸前、穏やかな声をかけられる。
ネフィレイシアはこくりと頷いた。
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