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ちゃんとわかっていた。今はそんな呑気な状況ではないということは。しかしそれでも、どうしても、闇の国の王──エルドガルドを前にすると、ユナの心はそわそわと落ち着かなくなった。
簡単に言ってしまえば、一目惚れだったのかもしれない。
その大柄な体躯には似合わない理知的な話し方や、静かな雰囲気、祖国を憂う昏い眼差し。
その全てが、ユナの心を揺り動かした。そうして彼と話すうち、彼を深く知るたび、その想いはだんだんと強くなってしまった。
──この人の力になりたい。
気付けば、そう思うようになっていた。
以前から闇の国とのいさかいは、光の国でも問題視されていた。彼らには幾度も強襲され、そのたびにジュニアスたち聖騎士が危険を冒さねばならなかったからだ。
しかし、それがやっと今、解決されようとしていた。グラニアの中にはまだ、エルドガルドたちを危険視する声も上がっている。けれどそれも、時間の問題だろう。
エルドガルドも付き添いの女性の魔術師ネフィレイシアも、ユナたちにとても友好的だ。このまま信頼関係を築いていけば、いつかきっと、そう遠くない未来で、念願の和平が成り立つだろう。
そうして、そうなったら──
その時こそ、この想いを彼に打ち明けよう。
ユナは持て余す恋心を、懸命に抑え込んだ。
真昼の回廊に、見知った背中を見つけた。
「エ、エルドガルド陛下」
うわずったユナの声に、エルドガルドが振り返る。切長の瞳と目があって、自分から呼び止めたくせに、思わず目を逸らしてしまいそうになる。
「ユナ、どうかしたのか?」
素敵すぎる。
両手を胸の前で合わせながら、ユナはなんとか言葉を続けた。
「あ、明日の会談で正式決定になると思うのですが、私、近いうちにザレンチアノへ行くことになりそうなので、陛下には一番にご報告したくて」
「……それは、本当か?」
エルドガルドの視線が、ユナの背後に立つ聖騎士ウィンネルへと注がれた。
ウィンネルは、「本当です」と頷いた。
「我々も同行致しますが、ユナが直接ザレンチアノを浄化できるか試しに、一度参ろうかと」
エルドガルドが驚いたように目を見開く。
月と太陽の精霊に愛された、ユナの魔力は膨大だった。
子供の頃からそうだったから、ユナ本人としては特にその意識はない。
けれど、ユナはその魔力の前に、どんな人間からも驚かれ、敬われ、膝をつかれて生きてきた。ユナの魔法でこの国は平和を保っていられるのだと、皆から感謝された。ユナは攻撃も防御も治癒魔法も、思いのまま扱うことが出来た。
──その力には、代償もあったけれど。
だからこの力でエルドガルドの国を救えるのなら、それで問題が全て解決出来るのなら、それに越したことはない。
ユナは期待を込めてエルドガルドを見上げた。しかし。
「それは、ありがたい話だが……」
エルドガルドは俯き加減になり、形の良い眉をひそめた。
(てっきり手放しで喜んでくれると思ったのに)
エルドガルドは不安げにユナを見つめただけだった。
「ザレンチアノの瘴気は貴女が思っている以上に濃い。最初にこちらから提案しておいてなんだが……貴女に耐えられるとは思えない」
「…………たぶん、平気です」
ユナは少し、いやとても、気落ちしながら答えていた。
私は単純に、この人がたまに見せてくれる、あの静かな笑顔を見たかったんだわ。
そう気づいて、自分勝手な欲望に呆れる。
「そう長く滞在しませんもの」
「……しかし」
ウィンネルが、ユナを助けるように口を出した。
「ご安心ください、エルドガルド陛下。ユナの加護はそこらの者とわけが違います。それにグラニアを長時間留守にするわけにもいきませんので、本当に短時間ですから」
「……どう思う、ネフィ」
ためらうエルドガルドの低い声が、彼の背後に向けられた。漆黒のまっすぐな長髪が美しい女、ネフィレイシアが瞬きをする。初めて会った時にも思ったことだが、ネフィレイシアは、とても綺麗な女の子だった。ここに来た当初は、あまりよくなかった顔色もこのごろは明るくなっていて、ジュニアスも「よかった」と喜んでいた。
「……こちらとしては願ってもいないことですが、陛下のおっしゃることもわかります。……ユナ」
「は、はい」
呼びかけられて、ユナは背筋を正した。心配するように尋ねられる。
「本当に……少しだけですか?」
「はい、とりあえず土を見たいんです。汚染がどのくらいなのか、そもそも、私の力が通用するのか」
ユナの受け答えに、ネフィレイシアは考えるように丸めた片手を口元にあてた。荒れた手が、痛々しかった。
「そうですね、私も最初はユナにこちらにきてもらうのが一番だと考えていましたし。──私も同行させていただくという形は、いかがでしょうか」
「ええ、我々はそのつもりでしたよ」
ユナより先に、ウィンネルが答えた。
それでは決まりですね、とネフィレイシアはエルドガルドを見上げる。エルドガルドは言葉なくただ頷いていた。
──エルドガルドに頼られ、側仕えを許されているネフィレイシアが少しだけ羨ましくなる。
ユナはなんとか憧れを振り払って、笑顔を浮かべた。
「それじゃあ明日、またお話させてくださいね。陛下、ネフィレイシア」
ジュニアスにさりげなく聞いた話では、今のところエルドガルドに決まった相手はいないようだった。
だったらこれから、チャンスはいくらだってあるはず。
(うん、まずは目の前の問題を解決しなくちゃ)
ユナは意気込み、想い人を見つめた。彼の方は、美しい部下ばかりを見ていたけれど。




