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 それから数週間。

 謀略は順調に進んでいた。

 エルドガルドと共に光の都(グラニア)に滞在することとなったネフィレイシアは、兄ロアンデールと連絡をとりながら少しずつ光の国の情報を、故郷へと漏らしていた。


 衛兵の数に宮殿の間取り、聖女の特徴。「自国の現状を知っておきたい」というネフィレイシアの要望は、ユナの温情により難なく通された。一見ただの手紙に見える暗号化した文書を闇の都(ザレンチアノ)のロアンデールへ送り、来るべきその日に備える。


 計画は、少しずつ着実に進んでいた。

 けれど上手くいっているからといって油断は出来ない。なぜなら相手はあの聖女と、その聖騎士様たちだからだ。

 




「──ああ、ネフィレイシア」


 午後。

 軽やかな声に呼び止められ、廊下を進んでいたネフィレイシアは振り返った。案の定、白い騎士服に身を包んだジュニアスがユナと共にこちらに歩んでくるところだった。


 光の国の宮殿は広く、迷路のように入り組んでいる。

 一時的な滞在を許されたネフィレイシアとエルドガルドが自由に行き来できる区間は限られているが、普段の生活に支障はなかった。監視付きではあるものの、それぞれに個室まで用意され、表向きは〝客人〟扱いされている。その全ても、ユナの采配によるところなのだそうだった。


「ちょうどよかった」


 ジュニアスが、ネフィレイシアのそばで立ち止まる。


「君の部屋に行こうと思ってたんだ」

「どうしたの?」

「次の輸送物資リストが出来たから確認して欲しくて。他にも必要なものがあったら書き足しておいてくれないか。出来るだけ用意するから」


 言いながら、ジュニアスが勲章の飾りでいっぱいの胸ポケットに指を入れて、四つ折りにした用紙を取り出す。ネフィレイシアは「ありがとう」と、それを受けとった。全く、仕事の出来る男だった。


「助かるわ、いつも早くて」

「そりゃ急ぐさ。死活問題だからね」


 きみの国の、と語尾に付け足される。


 ──物資の輸送に居住区の設立。

 驚くべきことに、その大規模なふたつの仕事を、ジュニアスたちはものの数週間で構築、成し遂げてしまった。

 今では三日に一度、大がかりな魔法でって大量の食糧等がザレンチアノへ届けられている。

 そして反対に、ザレンチアノからは毎日のように感謝の手紙が届けられていた。そのどれもが、聖女ユナへの賛辞だった。

 おそらくそのうちの何割かはロアンデールたちが偽造したものなのだろうけれど──少なくとも、拙い字で綴られている子供たちからの手紙だけは、嘘偽りのないユナへの感謝なのだろうと思われた。先日ユナから見せてもらった『聖女さまありがとう、届いた筆で描きました』とあった聖女の絵は、大人の手が入っているとは思えない仕上がりだったから。


「ネフィレイシアは? 見舞いへ行くところだったの?」


 その聖女本人──ユナが、ジュニアスの隣で小首をかしげた。

 ネフィレイシアの知る限り、彼女はいつも聖騎士の誰かと共にあった。

 隙のない陣営だった。


「ええ」

「……そう、お母様たちによろしくね」

「ありがとうございます、伝えておきます」


 そう言って微笑めば、ユナもまた悲しそうに微笑み返してくれる。


「ごめんね。私が行って、直接治すことが出来たらよかったんだけど……」

「いいえ、今の環境を整えてくださっただけで十分ですわ」


 小さく顔を左右に振って、ネフィレイシアは顔色の良くなった母を思い浮かべた。


 ジュニアスたちが用意してくれた居住区は、宮殿の片隅に設けられていた。

 使用頻度の少ない空き部屋を用い、今は十数名を受け入れている。

 詳細な話し合いの結果、子供のみを移動させることは困難との判断から、とりあえず現在は、ミルラたち重病人から優先してそこで看病されていた。

 ──汚染されていない食事と空気だけでも「身体の重さが全然違う」、と、母は喜び、母たちの看護のため共に移住してきた人々もまた、同じようなことを口にしていた。


 残念ながら、ベルティオの猛反対によりユナがじかに患者を治すまでには至ってはいないけれど、母がここまで良くなると思っていなかったネフィレイシアは、正直、驚きを隠せなかった。

 このまま懇願を続け、ザレンチアノの土と水をユナに浄化してもらうことが出来れば、もしかしたら国は立ち直るのかもしれない。そんな甘い考えが脳裏を過ぎる。その裏では、着々と復讐の準備を進めているというのに。


「あ、ねえ、ネフィレイシア」


 きびすを返そうとしたネフィレイシアをユナが呼び止める。まだ何か用事があるのだろうかと聞き返せば、ユナはしどろもどろになって言った。


「お見舞いには、エルドガルド陛下も同行されるの?」

「……陛下、ですか?」


 どうしてそんなことを聞くのだろう。


「いえ、今日は私一人で行こうと思っていましたが」

「そう……あ、えっと、陛下は、お元気かしら」


 続いた問いに、わずかに眉を寄せてしまう。

 ユナとエルドガルドなら、昨日の話し合いでも顔を合わせたばかりのはずだった。

 ユナの真意が分からず、警戒してしまう。


「はい、今朝も先ほどの昼食時も普通でしたが。──ああ、そうだった。朝食に出して頂いた卵料理が美味しいと言っていました。もし良かったら、作り方を教えてくださいませんか。国に帰っても陛下にお出ししたいと思っているので」

「た、卵料理ね、わかったわ。ジュニアス、料理長のところにいきましょう」

「え、ユナが料理するんですか? 俺が聞いておきますよ」

「あのねジュニアス、相手は一国の王様なのよ? 私が直接聞きます」

「そうですか……?」


 ジュニアスもユナの態度を不思議に思っているのか、「まあ良いですけど」と少しも良くなさそうに呟く。


「じゃあ、早く行きましょう。ほら、そろそろネフィレイシアも解放してあげないと」

「あ、ああ、そうね、引き止めてごめんなさい、ネフィレイシア」

「いえ」


 それでもまだ何かを聞きたそうにしているユナに背を向け、ネフィレイシアは母たちの部屋を目指す。少しして振り返れば、ネフィレイシアが侵入を許されていない扉の奥へ、ジュニアスとユナが入っていくのが見えた。


 ──あの扉の向こうには、彼の本心が隠されている


 冗談でも言いあっていたのだろう。扉の閉まる寸前、ユナを見つめるジュニアスの楽しそうな笑顔が見えた。ネフィレイシアはただ、それをぼんやりと眺める。

 いくら近づいたように見えても、どんなに優しくされても、あの扉の中へ入れてはもらえない。

 ユナを守るため。仕方がないことだとわかっていても、だからネフィレイシアも心を許すことが出来なかった。腹の探り合いだった。





 それからさらに数日後。

 宮殿の一室で会談の準備をしていたネフィレイシアは、背後から聞こえたエルドガルドの笑い声に飛び跳ねそうになっていた。


「──ユナは、よく笑うな」

「はい、みんなから言われます」


 そう屈託なく言ったユナを見下ろしたまま、エルドガルドが微笑していた。

 前王が崩御し、すぐに王に据えられた若きネフィレイシアの主君、エルドガルド。ネフィレイシアが魔法を覚えたての頃からずっとそばで守り仕えてきた彼は、その生い立ちのためか、自国の城ではいつも表情をなくしていた。言葉少なく、報復に執心し一人を好み──その彼が、こんなに楽しそうに笑っているだなんて。


「仲良くなったよね、あの二人」


 今度は違う意味で飛び跳ねそうになった。

 いつの間にか隣に立っていたジュニアスが、ささやくように話しかけてきたのだ。ネフィレイシアはむっとして彼を睨みあげる。


「お、驚かさないで」

「ごめんごめん、驚かせるつもりはなかったんだけど……少し話せる?」


 定例になっている会談が始まるまでには、まだ時間があった。ネフィレイシアが頷くと、ジュニアスは「こっち」と部屋を出て、廊下の隅に誘いだす。

 意匠を凝らした柱の影に隠れながら、彼は言った。


「あのさ、確認なんだけど」

「なに?」

「君のところの王様って、結婚はしてないよな? 婚約者なんかはいるの? 決まった相手とか、恋人とか」

「いないけど……どうして?」


 エルドガルドもネフィレイシアたち腹心も、傾く国を支えるのに精一杯でそれどころではないのが現状だった。そう伝えると、ジュニアスは「だよね」と気まずそうに首をかく。


「こんなとこ言うと平和ボケしてるみたいで悔しいけど……ユナが、君のところの王様を好きみたいでさ」

「…………え?」

「直接ユナに聞いたわけじゃないけど、多分そうだと思う。ごめん」


 ジュニアスが謝ることではないけれど。

 ネフィレイシアは呆然としながら、ジュニアスを見上げる。


「それ、ほんとう?」

「だから、俺の憶測だって。でも一応確認しておきたくてさ。念のために」

「確認して、どうするの?」

「どうしたらいいと思う?」

「私に聞かれても」

「──俺、この手の話は苦手なんだよね」


 はあ、と深いため息を吐いたジュニアスは、本当に参っている様子だった。肩を落とし、頭痛を堪えるかのように眉間に皺を寄せている。いつも余裕綽々の彼のそんな姿は初めてで、少しだけ胸のすく思いだった。ネフィレイシアも決して楽観できる立場ではなかったけれど。

 ジュニアスが言った。


「さっきもさ、二人いい雰囲気だったし、どうしたものかなって」

「そう、ね……私も、陛下があんなに笑っているのを見たのは初めてだったから、びっくりしてたの」

「ほんとう?」

「ええ」


 ジュニアスが腕を組んだ。


「脈ありってことかな」

「そこまでは分からないけど」

「あ、もしかして君もこの手の話は苦手?」

「……得意だと思う?」

「全然」


 即答に、小馬鹿にされているような気がして、ネフィレイシアはぐっと拳を握りしめた。ジュニアスが「ごめん」と微笑む。


「そっか。でもとりあえず陛下のことを知れてよかったよ、ありがとう」

「……ベルティオさんが知ったらまたうるさそうね」

「おや、わかってきたね」


 くすくすと満足そうに笑ったジュニアスが「戻ろうか」と歩き出す。定例会談の始まる時間だった。ジュニアスの背を追いながら、ネフィレイシアは尋ねた。


「あなたは、上手くいくと思う?」

「んー本人たち次第じゃないかな。立場的にはくっついてもいいだろうし、失恋もアリだと思うし──まぁ、俺は、ユナが無事だったらそれでいいよ」


 ジュニアスが、黄金に装飾された取手を握る。


「君は?」

「……私も、陛下が幸せなのは嬉しいわ」

「だったら俺たち同族だね」


 ぎっと音がして、扉が開いた。

 着席をしてなお、エルドガルドとユナはまだ料理の話に華を咲かせていた。




 ◇



 夜空にまるい月が浮かんでいた。

 この異国ではそれだけが、故郷のものとそっくりだった。


 夜半。エルドガルドの個室を訪れたネフィレイシアは、暗号を用い、ユナの好意とその可能性を王に示していた。王の反応は、ひどく楽しげなものだった。


 そうか、聖女殿が私を。


 返ってきた暗号文に、ネフィレイシアは思わず眉をひそめてしまう。


「陛下」


 エルドガルドはユナの心を利用するつもりだった。もしかしたら彼は、ネフィレイシアが報告する以前から、聖女から向けられる想いに気づいていたのかもしれない。だから会談の場でも、あんな笑顔を浮かべていた。ネフィレイシアが見たこともない、自然な笑顔を。


 でも、あれは本当に演技だったのかしら。


 ネフィレイシアの思考を遮るように王が言った。


「力を貸してくれ、ネフィ。ここではお前だけが頼りだ」


 ネフィレイシアは暗がりの中、主君を見つめる。

 エルドガルドは、ネフィレイシア以上にたくさんのものを背負っていた。後戻りはできないのだ。たとえ、どこに本心があろうとも。


 孤独な王の懇願に、ネフィレイシアはそっと頷いた。


「もちろんです、陛下」 

 

 ネフィレイシアは、彼の忠実な家臣なのだから。






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