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「初めまして。ようこそグラニアへ」


 そう言って差し出された少女の手は、細く滑らかで美しかった。だからネフィレイシアは、その手を取るのに戸惑ってしまう。

 事態がこんなに早く進展するだなんて思ってもみないことだったから、心が追いついていないのかもしれなかった。


「聖女殿」


 と、動けないネフィレイシアの代わり、背後で控えていたエルドガルドがつと前に出た。彼の正装用の黒い長外套がネフィレイシアの目の前で揺れる。


「此度は急な申し出を受け入れてくださり、感謝する」


 エルドガルドのこもったような低音が、光の国のまばゆい宮殿に響いた。





 光の国の宮殿──玉座の間。そこは床も壁も、天井すら白く美しい石で彩られた夢のような空間だった。アーチ型の天井は見上げるほどに高く、そこかしこに飾られた花々からは生き生きとした匂いがただよってくる。

 

 光の国に招かれたネフィレイシアとエルドガルドは、早速目的の聖女と対峙していた。 

 場にはネフィレイシアたちの他に、数名の衛兵と光の国の王と王妃、それから、七人の聖騎士も集っている。


 袖口を繊細なレースであしらった白いドレスに身を包んだ聖女が、エルドガルドと握手を交わす。月光のような淡い金髪に黄金色の瞳を持った、嘘みたいに美しく可憐な少女だった。


「こちらこそ。善き申し出をありがとうございました、エルドガルド陛下」


 大きく武骨な王の手が、白く小さな聖女の手を握りしめる。

 その光景に、ネフィレイシアははらはらと肝を冷やした。エルドガルドが、憎しみのあまり加減を間違って折ってしまいやしないかと、その手が早く離れるようにと祈る。

 そこに、慇懃な声が横槍する。


「エルドガルド王──」


 それは、聖女のそばに並ぶ七人の騎士の一人から発せられたものだった。


 ジュニアスではなかった。

 彼は先程から、正装したネフィレイシアを面白がるように見つめているだけだった。

 ──いつもくたびれたローブを纏っているネフィレイシアの、ドレス姿を珍しいのだろう。首元を真珠で飾り付けてある濃紺のそのドレスは、レティが「正式な場なのだから」と急ぎ繕い直してくれたものだった。

 注文をつける時間も権利もなかったけれど、せめて二の腕が隠れるタイプのものだったら良かったのに、とネフィレイシアは所在なくたたずんだ。いつもはおろしたままの髪も結い上げているせいか、余計に落ち着かなかった。


 ジュニアスの視線から逃れるように、ネフィレイシアはエルドガルドに話しかけてきた騎士へと顔を向けた。


「──後々話が違うなどと申し上げられては迷惑なので、先にご忠告申し上げますが」


 ジュニアスと同じ騎士服姿のその青年は、聖女から手を離したエルドガルドに、冷ややかな視線を送っていた。

  

「今回はあくまで会談の場を設けたまでのこと。我々はまだ、あなた方を受け入れる決心をしたわけではない」

「ベルティオ」


 聖女が騎士を──ベルティオという名らしい──嗜めるように呼んだ。そうして慌ててエルドガルドを見上げる。


「ごめんなさい、エルドガルド陛下。どうかお気を悪くされないで。私たちは決してあなたと喧嘩をしたいわけではないのです。ただ、彼はその、人一倍警戒心が強くて」


 仲裁に入った聖女を、しかしエルドガルドは静かに見下ろすだけだった。


「結構ですよ、姫。そもそも無理難題を申し上げているのは私たちの方だ。聖騎士殿が警戒されるのももっともなこと」


 言って、ゆっくりとその瞳をベルティオへと向けた。


「ですが、どうか切に検討を願いたい。我々は事実、窮地に立たされているのですから」

「自業自得でしょう」


 噛み付くように言ったベルティオを、聖女はさきほどより強い口調で呼び諌めた。

 ──やっぱり、そう上手くいくわけがないわよね。

 一週間前。

 ジュニアスに預けた伝令鳥がその日のうちに戻ってきた夜は、驚きと期待で胸をいっぱいにしたけれど。

 明らかに歓迎されていない現状に、ネフィレイシアはエルドガルドの背中で小さく肩を落とした。

 

「先の書簡でお伝えした通り、あなた方が望むのなら、私はこの首を差し上げても構いません。ですがどうか、私の民だけでも救ってはくださいませんか。国にはまだ、幼い子供も大勢暮らしております」


 エルドガルドの低い声に、聖女は心打たれたようにしっかりと頷いた。


「ええ、もちろんです。私たちはそのために陛下をお招きしたのですから。ともかく、話を聞かせてくださいな」

「……感謝する」


 聖女の真摯な態度に、エルドガルドが感じ入ったように頷いた。それを演技だと知っているネフィレイシアは、どうかジュニアスたちには悟られませんようにと祈りながら、エルドガルドに並んだ。


「私からも感謝申し上げます。聖女様」

「あなたは……ネフィレイシアさんね。ジュニアスから話は聞いています。手紙を届けてくれてありがとう」

「ネフィレイシアで結構ですよ」

「じゃあ、ネフィレイシア。私のこともユナと呼んでください。……どうぞエルドガルド陛下も」

「では……ユナ」

 エルドガルドが聖女の名を口にしたとたん、ベルティオの顔が嫌悪に歪んだ。

 ジュニアスは涼しい顔をしたままだったけれど、内心はどう思っているのだろう。

 彼の剣技を知っているだけに警戒しながら、ネフィレイシアは「こちらへ」と奥の部屋へ誘導するユナの後に続いた。


 入城するにあたり、ネフィレイシアは魔法の杖を取り上げられ、エルドガルドは別室で身体検査を受けていた。

 武具も魔術も、全て取り上げられたネフィレイシアたちは、今や赤子も同然だった。

 もしもここでジュニアスたちが剣を抜けば、ひとたまりもないだろう。

 聖女の友好的な態度に惑わされぬよう、ネフィレイシアは気を引き締めた。




「……よく、わかりました」


 会談の場で、ユナがしぼり出すような声を上げた。

 ネフィレイシアが伝えた闇の国の惨状に、言葉もない、といった様子で瞳を曇らせている。──ネフィレイシアが事前に用意した投影魔法により、干からびた川や、草と岩ばかりの荒れた畑、痩せこけた子供たちを目にしたからかもしれない。

 楕円状の卓の真ん中に浮かび上がった光景に、ユナは何度も息を呑んでいた。


「私たちだけではもはや生き抜くことは叶いません。どうかご慈悲を、ユナ」


 投影魔法が解除され、ネフィレイシアは直に卓の真向かいに座るユナを見つめた。その横に座るジュニアスが、腕を組んだまま口を開く。笑顔は消えていた。


「具体的にはどうして欲しいの?」

「ユナに直接土地を浄化してもらうのが一番だと思っています。有効かどうかは、わかりませんが」

「……悪いけどそれは無理だよ。ユナを君たちの国に送ることは出来ない。危険すぎる」

  

 ジュニアスがキッパリと言い切り、ネフィレイシアは眉を寄せた。


「では、どうすれば」

「例えばだけど、物資を提供したり、子供や病人だけでもうちの国で受け入れる、なんてのはどうかな」

「ジュニアス、何を」

「例えばの話だよ」


 また声を荒げ始めたベルティオを諌めて、ジュニアスが言った。


「もちろん居住区は設けさせてもらうけどね。グラニア市民との衝突も避けさせたいし、それが一番現実的だと思う。……君たちの土地の浄化は協力させてもらいたいけど、時間が欲しい。もっと信用できるようになるまで。どうだろう」

「……陛下」


 ジュニアスの提案に、ネフィレイシアは隣に座るエルドガルドを見上げた。エルドガルドはネフィレイシアと一瞬目を合わせると、ジュニアスにしっかりと視線を定める。


「これ以上はない話だ。ジュニアス殿、感謝する」

「どういたしまして」

「まだ決定ではない!」


 ベルティオの叫び声に、ユナが面倒そうに息を吐いた。


「もういいじゃない。せっかく丸く収まりそうなんだから。お父様もお母様も、みんなも、異論はないよね」


 ユナが卓の人々を見つめると、光の国の王と王妃は優しく頷き、他の騎士たちも「賛成します」と声を上げた。ユナは嬉しそうに両手を合わせる。


「じゃあ、決まりね。もう、そんな顔しないでったら、ベルティオ。これで防衛のお仕事がひとつ減るんだからいいじゃない」

「いや、別の仕事が増えただけで」

「そうだ、こうしてられないわ! すぐに国に連絡してあげて、ネフィレイシア」


 慌てたように顔を向けられて、ネフィレイシアは戸惑った。

 ついさっき会ったばかりだと言うのに、この気さくさはなんだろう…。ネフィレイシアは仮にも敵国の女だと言うのに。

 ユナには、警戒心というものが欠けているかのようだった。


「ほらジュニアスも、ぼーっとしてないで早く魔法の杖返してあげて。あれがないとダメなんでしょう?」

「はいはい。仰せのままに」


 ジュニアスは困ったように微笑むと、卓に片手をつきながら、ゆっくりと立ち上がった。

 そうしてネフィレイシアを伴い、「行こうか」と他の者より先に退席する。



「どう? 俺の言った通りの子だったろ」


 案内されるがまま、宮殿の細い廊下を並んで歩く最中。ジュニアスは自慢するようにネフィレイシアを見下ろした。ネフィレイシアは前を見据えたまま、「そうね」と言葉を返す。

 以前ネフィレイシアがジュニアスに〝聖女はどんな子か〟と聞いた折、彼は確かに彼女を〝良い子〟だと表現していた。そして実際に会った聖女は、本当に良い子だった。罠ではないかと勘ぐりたくなるほどに。

 でも、とりあえず第一段階は突破できたわ。

 ネフィレイシアは内心ほっとしながら美しい廊下を進む。


「ごめんね、君の提案を却下して」


 急な謝罪に、ネフィレイシアは思わず立ち止まりそうになる。回廊を迷いなく行きながら、ジュニアスは気まずそうに目を細めていた。


「本当は、君を信用してないわけじゃないんだ。ただ、ユナにあまりに危険すぎるから」

「……別に。陛下もおっしゃっていたことだけど、無理を言っているのは私たちの方だから、気にしてないわ。むしろあなたの提案には感謝してる。──ほんとうに、ありがとう」


 ふとこちらを見たジュニアスが、穏やかに言った。


「このまま全部、上手くいけばいいね」

「ええ」


 恵まれているからなのだろうか。

 ベルティオとかいうあの聖騎士を除いて、光の国の人々はジュニアスもユナもとても親切に思えた。どうにかして、闇の国を救おうとしてくれている。

 そうしてそんな彼らを、ネフィレイシアは騙そうとしている。

 ──最初の提案──ユナを闇の国に招き入れることは不可能だろうと予測はしていた。

 だから案の定ジュニアスに却下され、その譲歩案として最上の提案を彼の方から示してくれた時は、思わずエルドガルドと目を合わせてしまった。

 これで計画通り、内側から光の国を落とすことが出来る。

 

 ネフィレイシアは返してもらった魔法の杖を使い、早速故郷へと伝令鳥を飛ばした。

 上手く光の国に潜り込めたと、兄に伝えるために。



 

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