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3


 もうずっと昔、百年も前のこと。

 大きな大きな争いが起きて、闇の国は敗北した。

 聖女と聖女の率いる光の軍に踏み荒らされた土地は、今なお乾き、国中に散った怨嗟の声は広がり続けている。




「ただいま戻りました」


 闇の国の王都──ザレンチアノの日暮れは早い。

 ネフィレイシアが戻る頃には、陽は、すっかり暮れてしまっていた。


「また単独行動か」


 王城と呼ぶのも憚られる朽ちかけた城に足を踏み入れたとたん、頭上から咎めるような声が降ってきた。

 見上げれば、大階段の手すりに指先をかけた顔色の悪い男と目があう。ネフィレイシアと同じく、国王に認められた高位魔術師にして実兄のロアンデールだった。


 その日もロアンデールは短く切った黒髪を額の真ん中できっちりと分けて貴重な整髪料でかため、黒檀色の法衣をほこりのひとつも許すことなく着こなしていた。


「お兄様……」


 着るものなどなんでもいいと思っているネフィレイシアとは、ひどい違いだった。どうせ実験や魔法で汚れてしまうのだからと、ネフィレイシアはいつだって適当な服を選んでいる。今日は白のブラウスにえんじ色の革のスカートだったが、上から真っ黒なローブを羽織って仕舞えば、その下にどんな豪華な衣装を身につけていようと同じことだった。


「すみません。聖騎士を取り逃してしまいました」


 ああ、小言を言われるのは面倒だな、と思っていると、鋭利な刃物を思わせるロアンデールの薄氷色の瞳が怪訝に細められた。


「お前、また聖騎士と会ったのか?」

「……はい」

「それでまた逃がしたと」

「…………はい」


 だからそう言っているのに。

 ロアンデールの詰問から解放されたくて、ネフィレイシアはそっと頭を下げた。そうしてほんの少し目を伏せてみせる。

 こういう時は下手に反論するのではなく、しおらしくしていた方が説教は早く終わるのだと、過去の経験から知っていたからだ。

 ロアンデールはその実、見た目ほど厳しくはない。ただ、こちらが辟易してしまうほど几帳面なだけで。


 ネフィレイシアは極力気落ちしているように見えるよう(実際に気分は落ちていたのだけれど)小さく声を落とした。


「申し訳ありません。レティに炎魔法まで考案してもらったのですが、聖騎士には効きませんでした」

「……レティ、あのおしゃべりレティか」


 ロアンデールは考え込むように腕を組むと、片手を顎に添えた。そうしてもう一度、ネフィレイシアを睨むように見下ろす。


「だったらレティも連れて行けば良かっただろう。いくら陛下がお許しになっているとはいえ、単独行動は慎め。母上も心配なさる」

「はい……」


 その母を助けたいのだ。

 ネフィレイシアの焦燥に気づいたのか、ロアンデールの声がわずかに和らぐ。掠れた声が、光の灯っていないエントランスに小さく響いた。


「母上に顔を見せておやり。今日はまだ、挨拶もしていないんだろう」





 ネフィレイシアの母の部屋は、王城の一室にある。

 石造の無機質で可愛げのない王城の中で、いや、世界中で、ネフィレイシアが唯一心安らげる場所だった。



「お母様、ネフィです」


 木製の扉を叩いて声を掛ければ、中から母のおっとりした声が届いた。

「どうぞ」と許可されるのと同時、ネフィレイシアは燻んだ鉄製のノブを握って開いた。そこはネフィレイシアの個室とそう変わらない。大きく切り取った窓に壁際にベッドがひとつ、向かいの壁に書斎机と鏡台が並んだだけの簡素な作りの部屋だった。


 ひとつだけ大きく違うのは、壁にかかった亡き父の肖像画があることぐらいだろうか。

 物資の乏しいこの国では、ずいぶんな贅沢品である。けれどその昔、光の国との戦いで負傷し、余命幾許もないと悟った若かりし頃の父が、迷い迷い遺したのだそうだった。描きかけだったこの肖像画を、このまま破棄すべきか、完成させるべきかと。

 ネフィレイシアは父がその時、完成する道を選んでくれて良かったと心から思っていた。なぜならその当時ネフィレイシアは3つになったばかりで、父の顔を朧げにしか記憶出来ていなかったからだ。父が遺す決断をしてくれたおかげで、ネフィレイシアはいつでも父を思い出すことが出来る。

 凛々しい太い眉に、浅黒い肌、黒檀色の髪は兄とそっくりで──けれど父の方は少しボサボサで──何よりも黒曜石のように美しく力強い瞳がネフィレイシは好きだった。母も、好きだと言っていた。


「お帰りなさい」


 ベッドの中で上半身だけを起こして、手元の小さな蝋燭を頼りに本を読んでいた母が、ネフィレイシアを見てそっと微笑んだ。


「よかった、怪我はしていないみたいね」

「……お兄様ね」


 ネフィレイシが困ったように言うと、母──ミルラは優しく首を振った。


「あの子は何も言っていないわ。ただ、今日はここへ来る回数が多かったから、ああ、ネフィを探しているのねって」


 ネフィレイシアは、母のベッド脇にいつも置いてある大きな椅子に腰を下ろした。そこで母と話したり、食事を共にとるのがネフィレイシアの日課だった。

 母にいらない心配をかけたくはないから、ネフィレイシアは魔物討伐に出る時も、光の国へ行く時もこっそりと出て行く。なのに今日はロアンデールのせいでバレてしまった。全く、お兄様は、とネフィレイシアは心の中で毒づいた。


「ねえネフィ。どうしてひとりで行くの? ロアンデールやレティと一緒の方が安全でしょう」


 静かに、嗜めるように言われて、ネフィレイシアは俯いた。口をすぼめつつ、ぽつぽつと言葉を紡ぐ。


「危険はわかってるわ、ごめんなさい……でも、お兄様はもっと準備してからだって言うし、それで準備しても結局同行はさせてくれないし、レティは、怖がりだし、それに」

「それに?」


 そこで言葉を切って、チラと母を見上げる。

 ミルラは、不思議そうに首を傾げた。ゆるく三つ編みにしていた黒く長い髪が、肩から滑り落ちる。


(お母様の病気を早く治したいから、なんて言ったら、もっと気にさせてしまうわ)


 ネフィレイシアは少し考えて言った。


「いつも邪魔してくる意地悪な騎士を倒したいの。最近隙ばっかり見せてくるから、そろそろ倒せると思うのよ」

「まあ! “例の彼”ね。今日も会えたの?」

「会えたって……別に、あいつに会いに行ってるわけじゃ」


 ミルラが、ふふと少女のように微笑んだ。


「でも、前に魔物から守ってくれたんでしょう? いい人じゃない」

「……たまたまよ」


 そう。ミルラの言う通り、ネフィレイシアがジュニアスから助けられたのは、何も今日が初めてというわけではなかった。

 魔物と呼ばれる異形の生物は、人を喰らい生きる。彼らは見た目こそ鳥や狼や龍のようでいて、その性質は全く違った。凶暴で獰猛で、昼夜となしに人間を襲ってくる。

 そうしてその生息域は、光の国も闇の国も関係はなかった。

 知能の低い魔物たちの動機は、そこに餌があるかどうか、それだけで──だからネフィレイシアがジュニアスと戦っている時にも、何度も襲われたことがあった。


 そうしてその度に、ネフィレイシアは彼に命を救われていた。


「……」


 魔物を斬り捨てる時、その時にだけ見せるジュニアスの鋭い剣を思い出して、ネフィレイシアはわずかに眉を寄せた。自分と戦う時は、明らかに手加減されているのだ、と思うと悔しかった。


「だって普通、そんな時ってネフィも一緒に斬っちゃうと思わない? せっかくのチャンスだし。それをしないでネフィを助けてくれたんでしょう、いい人だわ」


 そう言ってにこりと笑った母は、どこまでもお人好しだった。数多いる孤児を救い、励まし、癒し、慰め──どんな罪人も許し、国一番の魔術師だった父に見初められた。

 いい人なのは、お母様の方だ。

 なのにこんな病にかかってしまうだなんて、ひどすぎる。お母様は何も悪いことをしていないのに。


 ネフィレイシアは膝上に置いた両手をぎゅっと握りしめた。


「……そうね。悪人ではないと思うけれど、敵だわ」


 彼が、聖女の側にいる限り。

 ジュニアスは敵なのだった。

  

「ネフィ……」


 母が悲しげに呟いた。

 母は幾度も国王に停戦を進言していた。もう争いはやめましょうと。

 国王はもののわからない男ではない。けれど、それだけは出来ぬと頭を振った。

 ネフィレイシアも、王に同感だった。


 怨嗟の始まりは、長い長い戦争が起きた──百年も前のこと。

 戦の終盤、時の聖女が放った魔法は、魔法とは呼べぬ、もはや兵器だった。

 領土を魔法の毒に侵された闇の国には死病が蔓延し、草木は枯れ、川は赤土色に澱んだ。


 そうして──百年という時を経てなお、汚染された土地が浄化されることはなく、今も延々とこの国を荒廃せしめている。


 代替わりをしたとは言っても、その元凶たる聖女の末裔を許すことは出来ない。


 ネフィレイシアはミルラの顔や首に広がっている、赤紫色の痣を見つめた。そうしてぐっと歯を食いしばる。


 ひと思いに冥土へ送ってはくれないところが、この病の嫌な面の一つだった。何年も何年もかけて、少しずつ身体の自由を奪い、黄泉へと誘うのだ。最初は小指、次は薬指などと言う風に、順番に。

 それはこの国に暮らす者なら誰が罹ってもおかしくはなく、ネフィレイシアとていつ発症するかわからない、恐ろしい病だった。


 ミルラが言った。


「ネフィ。いいこと、確かにこの病はそう遠くはないうち、母様の命を奪うでしょう。……あの国を、聖女を許せない気持ちもよくわかります。でもね、だからといってそれは人を殺めてもいい理由にはならないの。聖騎士さんは、自分の国を守っているだけなのだから」


 それは、神職についていたミルラの綺麗事だった。許しなさい、と母は言う。ネフィレイシアは良い子のふりが出来なくて、苦しくなる。

 もしも父が生きていたならば、こんな時どう答えただろうか。あの国を恨んでいたはずの父は。率先して戦に出ていた、父は。ネフィレイシアはけれど今はどうしても、父の前に立つ気分にはなれなかった。

 

 

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