14
懐から鍵を取り出したジュニアスが、ユナの部屋の扉を開ける。衛兵たちの構える槍の先で突かれるようにして、ネフィレイシアたちは中へと入れられた。
大理石で彩られた静謐な部屋の中。
「国へお帰りください」
部屋の中央で振り返ったユナは、開口一番、そう告げた。
「これ以上、あなた方に手を貸すことはできません」
──ネフィレイシア、と。
いつだって明るく、無邪気に、友人のように接してくれたユナは、もうそこにはいなかった。
燭台とかすかな月明かりだけの部屋の中、裾長の白いドレスに身を包んだ聖女は、まっすぐに背筋を伸ばして、エルドガルド王を凛と見上げていた。
彼を見つけるたび、頬を染め、声をうわずらせて笑顔を向けていたあの姿が、嘘のようだった。──想いを寄せていた相手に裏切られたばかりの彼女が、本心では、どれほどの痛みに耐えているのか。想像してネフィレイシアは顔を曇らせる。
ネフィレイシアの背後では、剣を抜いたままのジュニアスが、逃亡は許さないとばかりに扉を守っていた。射るような視線を痛いほど感じながら、ネフィレイシアは、ユナのそばに侍っている聖騎士たちを見やった。ウィンネルにベルティオ、他の聖騎士たちまでもが揃い、今にも噛みつきそうな瞳でエルドガルドを睨みあげている。
「即刻、立ち去りください」
冷酷に、無情にユナが告げる。
今ここで命を取られないだけ良い方なのだろう。
どの道故郷へ──闇の国へ帰ること──それはすなわち、遠くない破滅を意味しているのだけれど。まだ、生きてはいられる。あの荒廃した国で、絶望と共に無惨に滅んでいけと、彼らは言っていた。
「もう二度とグラニアへ近づくことは許しません。次に近づいたら」
エルドガルドに向けて淡々と決定事項を述べていたユナがそこで、ネフィレイシアへと視線を移した。
「私が自ら、手を下しに参ります」
ジュニアスではなく。
そう、暗に含ませていた。もう二度と彼とは会わせないと。
これ以上大切な聖騎士を傷つけられないように、ユナは自分で戦うことを決めたようだった。
「この条件を飲んでくださるのなら、今グラニアにいる人々は、明日、私が転移魔法でお送りします」
考えるまでもない。破格の厚遇だった。
このお姫様はどこまでも甘い、とネフィレイシアは口元を歪ませる。
それはきっと、ユナが出来る精一杯の愛情表現だった。現にエルドガルドを見上げる大きな瞳は、涙に揺れ始めている。それまで沈黙を保っていたエルドガルドは、たくさんの思いを噛み砕くかのように時間をかけて、──条件を受け入れた。
「聖女殿の温情に感謝する。金輪際グラニアへ関与しないことを、この命に誓おう」
決まりだ、とベルティオが叫び、裏の門から早急に出ていくようにと急かしだす。その刹那、エルドガルドは通りすがるユナに低く囁く。
「すまなかった」
掠れた低い声はまるで、愛を告げているかのようだった。
崩れそうになったユナにジュニアスが駆け寄り、支える。ネフィレイシアはせっつかれるまま部屋を追い立てられた。扉が閉められる寸前、ジュニアスと瞳がかちあい、ネフィレイシアは咄嗟に叫んでいた。
「ごめんなさい……!」
それは意図せず、主君と同じ、謝罪だった。
ジュニアスは苦しげに眉を顰めていた。これが、最後だなんて。
後悔する間もなく、扉は閉めらる。
暗い夜空に放り出されたネフィレイシアは泣き出す寸前の子供みたいに、唇を噛んでいた。
◆
泣きじゃくるユナがジュニアスの騎士服の袖を、力の限りに掴んでいた。
ジュニアスは華奢な少女を支えながら、震える背をあやすように優しく叩く。
「大丈夫ですよ。俺が守って差し上げますから。大丈夫です。怖いことなんてなんにもありません」
そうやって主人をなだめながら、ジュニアスはネフィレイシアの謝罪を心の中で何度も反芻していた。
数分前──扉の閉まる寸前に聞こえた、今にも泣き出しそうな彼女の声が耳に張り付いて離れない。まるで棘のように胸に絡まり、ジュニアスの心臓を痛めつける。この傷は、しばらく癒えそうにない。
(ずるい人だ)
憎ませてもくれないなんて。
泣き止まないユナの背をさすりながら、ジュニアスは、自分の使命に従事する。
「大丈夫です、ユナ。俺はずっとそばにいますからね」
そう、俺はこの子を一生をかけて守ると決めたんだ。
だからあの娘を追いかけたりはしない。
「痛いのは今だけです、そのうち良くなります」
まるで自分に言い聞かせるみたいに、ジュニアスは聖女に語りかける。
痛むような、空っぽのような心のまま、小さな身体を抱きしめる。
花と石鹸の慣れ親しんだ匂いに、現実から逃げるように過去を探る。
(そういえば、前にもこんなふうに、この子を慰めたことがあったな)
もう十年以上も前になる。異界から呼び寄せられたユナが「家に帰りたい」と泣き出した夜のことだ。
まだ騎士見習いに過ぎなかったジュニアスは、歳が近いこともあって、ユナの世話係を任じられていた。
神官たちによって異界から召喚されたユナは、右も左もわからず、全てを拒絶し、毎日毎日、泣いていた。
──お家に帰して
七つを数えたばかりのユナは、見たこともない奇妙な形の服に、茶色い生き物を象った布製の玩具を抱いていた。
その頃のジュニアスの仕事といえば専らユナを泣き止ませることで、それが大変に、至難の業だった。なにしろユナは口を開けば「家に帰りたい」「パパとママに会いたい」とばかり言うのだ。ジュニアスは困り果てながら、幼いユナに根気強く付き合った。
本来聖女は、血によって受け継がれるものだった。
しかし先代の娘が子を成す前に急逝し、加護が消えたと慌てた神官たちは、古の術を用い、異界からユナを呼びだした。
魔術に詳しくないジュニアスにはよくわからなかったけれど、等価交換だと、神官たちが騒いでいたのを憶えている。端的にいえば、ユナはもといた世界との〝繋がり〟と引き換えに、歴代の聖女の誰よりも強い力を持っていたらしい。代償が大きければ大きいほど、力も強大になるだとかで、だからユナは、この世界の誰よりも強かった。
しかしそれは、ユナ本人の望んだ能力ではない。
当然彼女は知らない世界を拒絶し、もといた世界へ帰してくれとせがんだ。当たり前だ、家族や友人と突然引き離されるなんてジュニアスだって怒る。ジュニアスは義憤のままに、神官たちに何度も彼女を帰すよう食ってかかった。けれど神官たちは、首を縦に振らなかった。いや、振れなかったのだ。ユナを召喚する際に多大な魔力を消費した彼らには、もう一度同じ術を使う力は残されていなかったから。
だからジュニアスはユナの本当の家族の代わりに、自分が彼女のそばにいることを決めた。
兄でも、友人でも、下僕にだってなる。
俺が君の家族になる。
だから泣き止んで欲しいと、ジュニアスはユナにひざまづいて請うた。
光の国の王と王妃は、ユナを養女とし、最上級の生活を約束すると誓った。
もともと、人懐こい性格だったのだろう。
最初は納得しなかったユナも、両親がわりになった王と王妃に手を繋がれ愛情を注がれ、ジュニアスや、歳の近い少女たちと接するうち、しだいに笑顔を見せてくれるようになった。
また友達ができたの、と報告してくれるようになった時は、本当に嬉しかった。
決して故郷を忘れたわけではないのだろう。
それでもユナは、この世界で居場所を見つけようとしてくれた。
ジュニアスはその前向きな心と姿勢に、自然と敬意を示すようになる。
この命が終わるときまで、この子を守る。それだけが自分の使命で、幸福だった。
ネフィレイシアと、出会うまでは。
──聖女さまに会わせて。
お下がりなのだろう古い魔法杖を構えてやってきた敵国の魔女は、いつの間にかジュニアスの心にいつき、そのままちゃっかり座り込んでいた。こんなにも大きな喪失感を味わわせてくれるほどに。
(この世界に来たばかりの頃、ユナも同じ気持ちだったんだろうか)
大切なものを喪う気持ち。
思いながら、ジュニアスは泣き止んだユナを離す。ユナを幸せにすることだけが、自分の生きる意味だった。けれど今彼女は傷つき、途方もない悲しみに暮れている。ジュニアスは自分の無力に腕の力をだらりとなくした。何が聖騎士だ。
「ねえ、ジュニアス」
「……はい」
「私は、お父様もお母様も、ジュニアスもベルティオたちも大好きよ。みんな私を守ってくれるもの」
「……」
「でもね、エルドガルド陛下といる時は、ジュニアスたちといる時と全然違ったのよ」
その気持ちはジュニアスにも良く理解できた。
ネフィレイシアに対する想いは、他の誰とも違ったから。
彼女のそばにいたかった。
思った瞬間、ふと月が陰ったような気がして、窓の外を見上げる。
ずっと遠くの空で、魔物たちが群れなすように旋回していた。
嫌な光景に、ジュニアスはどくりと心臓を波打たせる。それはネフィレイシアたちが通るはずの方角だった。
怪我を負った彼らは無事に通り抜けられるだろうか。あの数を?
「ユナ」
ジュニアスは聖女を見つめる。
彼女も気づいたのだろう、蒼白になって振り向いた。
「ジュニアス、私……陛下を助けたい」
止めないでと言われて、ジュニアスは強く頷いた。
「……俺もです」
せめて彼らが故郷に帰り着くまでは。この想いを、守りたかった。




