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全ての音が、うるさくてならなかった。
だから反対したんだと怒鳴り散らすベルティオも、それに抗議するユナも、二人を諌めようとするウィンネルのささやかな靴音でさえも──全てが、煩わしくてならない。
壁際で腕を組んだまま、手が震えるほどの怒りを堪え、必死に平静を装う。
騒ぎのあと、宮殿の一室に集まったジュニアスたちは、エルドガルド王の裏切りにどう対応するべきかと話し合っていた。
処刑しかない。王と側近たちの首を刎ね、残った者はすぐ追い出せと激高する者が大半で、ジュニアスもこうなった以上、その道しかないと考えていた。
今すぐにでもあの男の首を落としたい──落とさねば。腹の内から燃え上がるような激情を必死に抑え、ひたすらに拳を握りしめる。
エルドガルドは純真なユナを騙し、あまつさえ人質にとろうとしていた。
──あの時、あと少しでも自分の到着が遅れていたら。
想像し、背筋を凍らせる。
ユナにかけられていたネフィレイシアのローブを剥ぎ取れば、攻撃魔法の描かれた呪符がはらりと落ちた。
(俺が馬鹿だった)
ジュニアスは乾いた笑いをこぼし、ローブごとネフィレイシアにそれを投げ返す。──呪符を確認する瞬間まで、なにかの間違いであれば、自分の勘違いであればと、心のどこかで願っていた。しかし、その思いは無惨にも打ち砕かれてしまった。
ネフィレイシアはユナを傷つけようとした。敵だった。
弁解しようともせず項垂れたネフィレイシアを、駆けつけた衛兵たちに命じ、拘束する。せめて言い訳の一つでもしてくれれば、こちらだって譲歩のしようがあったかもしれないのに。
ネフィレイシアはただ俯いて、ジュニアスを見ようともせず、衛兵たちに連れられていった。
その細い後ろ姿に、ジュニアスの胸は痛いほど締め付けられた。
肩をつかみ、振り向かせ、どうして、なんで、上手くいっていたじゃないかと揺さぶり責めたくなった。どうしてこんなことをと。
──そんなに俺たちが憎かったのか。
ジュニアスは片手で目元を覆い、溢れ出しそうになった涙を堪えた。息を大きく吸い込み、つんざかれるような胸を痛みをどうにか耐え抜く。
明日、ジュニアスはこの手で彼女たちを断罪せねばならない。
計画を推し進めてきた責で、ジュニアス自らが手を下さねばならないのだ。
「ジュニアス、待って、落ち着いて。ネフィレイシアたちの話を聞きましょう、何か──そうよ、何か事情があったのかも」
「君を騙して、傷つけようとしたのに? どんな理由が? 俺たちに相談してくれたらよかったでしょう」
ジュニアスは顔をあげて、皮肉げに目をすがめる。
ユナは怯んだように息を呑んだ。すみません、とジュニアスはふたたび顔を背ける。
ユナに当たっても仕方がないのに、今は、誰を相手にしても駄目だった。
ネフィレイシアのはにかんだような笑顔が、やっと心を許してくれたような優しく細められた瞳が忘れられない。その全ては自分達を油断させるための罠、まやかしだったわけだったというのに。
ネフィレイシアたちが裏切りさえしなければ迎えていたはずの幸福な未来。幸せだったはずの未来を夢想し、ジュニアスは唇を引き結ぶ。
──ほのかな想いだと思っていた。もし彼女が自分を受け入れてくれたら嬉しいと、その程度の。けれど違った。ひどく深い恋をしていた。
ジュニアスが打ちひしがれている間にも、処刑の準備をと、話は重々しく、しかし早急に進んでいく。
ユナがついに泣き出して、立ち尽くすジュニアスに縋った。
「お願いジュニアス、ネフィレイシアたちを助けて。なにも殺すことはないわ。ネフィレイシアのお母様だって、あんなに元気になってるのに、今更追い出すだなんて」
「ではどうしろと?」
「……許して、あげることは出来ないかしら。幸い私はどこも怪我なんてしてないし、だから」
どこまでも優しいユナに、ジュニアスはきつく眉を寄せる。
それができたら、どんなにいいだろう。
ユナがジュニアスの袖を引くように握りしめた。
「お願い。あなただって本当は許したいって思ってるはずでしょう?」
全てを見抜かれ、口籠る。
どうしてユナはこんなにも強いのだろう。エルドガルドに騙された彼女が、本当は一番辛いのだろうに。
憎しみに駆られることなく、この少女はまだ、エルドガルドを想っていた。
まさに聖女だ。
自分などには到底至れない境地で、全てのものに慈愛を注ぐ。
と、そんなジュニアスの胸中すら見抜いたように、ユナは涙を浮かべたまま言った。
「……本当は、私だって悲しい。どうしてって思った。でも……あの人はもっと辛かったんだろうなって思ったら、私の悲しみなんかちっぽけだなって思っちゃったの」
だから許したいとユナは言う。
彼らの苦しみ──ネフィレイシアの母親たちの病状は、ジュニアスもこの目で確認したから知っている。日毎身体の自由を失われる病。ネフィレイシアも、エルドガルドも、そうして親しい者たちを奪われ続けてきたのだ。
「……仲直りはできなかったけど、許しましょう。これ以上、ジュニアスが辛い思いをするのは私も嫌だわ」
お願い、とユナがジュニアスの手を取った。
ジュニアスは堪えきれず、とうとうその白い甲に涙を落とす。
ベルティオが「なりません」と声を荒げるのを、ユナが静かに制止した。柔らかく微笑む。
「〝お願い〟よ。ベルティオ」
この豊かで平和な国は、たった一人の聖女、ユナに支えられている。
どんな権力者も、聖騎士も、王族でさえ、結局はこの娘に叶わないのだ。
「じゃないと、グラニアから出て行っちゃうから」
戯けたように言いながら、ユナはその実、命令を下していた。彼女に頭の上がらない聖騎士たちは、従う他はない。
ジュニアスは小さな手を優しい加減で握り返した。
「──あなたの、仰せのままに」
◇
後ろ手に鉄の枷を嵌められたネフィレイシアたちは、そのまま、半地下の牢に集められていた。
灯りはなく、手の届かないほど高い位置にある鉄格子付き小窓から、月光が申し訳程度に差し込んでいるだけだった。
四方は石で固められているらしい。臀部にでこぼこした硬さと冷たさを感じながら、ネフィレイシアはぼんやりと虚空を見つめていた。
「陛下、お怪我は」
同じようにして捕らえられたレティが、暗がりの中、小声でエルドガルドににじり寄る。
ネフィレイシアは反射的に、閉ざされた扉の向こうにいるはずの見張りをうかがった。気づかれてはいない様子で、安堵する。
気付かれても、気付かれなくても、未来は変わらないのだが──。
ジュニアスに片腕を斬りつけられたエルドガルドは、簡素な手当を受けた後、間をおいてこの牢に放り込まれた。出血は止まっているはずなのに、まだ、鉄の匂いがするような気がした。
「大丈夫だ。お前たちこそ怪我はないのか?」
「私は平気です、でも」
と、レティが不安そうに背後を振り返る。
相当に抵抗したのだろう。ネフィレイシアのそばで座りこんでいるロアンデールからも、血の匂いがしていた。
──計画は、失敗に終わってしまった。
自分たちは間も無く処刑されるのだろう。
皆、そうとわかっているから口数は少なく、空気は重い。
全てを諦めたからか、失敗をした張本人であるネフィレイシアを責める者もいない。どころか、エルドガルドもレティも、ジュニアスの剣先で傷ついたネフィレイシアの手の怪我を心配してくれた。
その優しさに、どうしてこんな中途半端なことをしてしまったのだろうと、喉の奥が締まるような感覚に見舞われる。
「ごめんなさい」
たまらず謝罪すれば、レティが身じろぐ気配がした。顔を左右に振ったのかもしれない。ネフィレイシア一人に重荷を背負わせたと、ロアンデールも舌打ちしながら妹を気遣ってくる。
優しい人たちだった。みんな。
「謝るのは私の方だぞ。ネフィレイシア。お前の母の進言を、私はきっと聞くべきだった」
傷が痛むのか、エルドガルドがゆっくりと息を吐く。
「だがどうしても、父や、亡くなった家臣たちの顔を忘れることが出来なかった。全ては、私の責だ。──どうかお前たちだけでも助けてはもらえないか、ユナに交渉してみようと思う。もう、口もきいてはもらえないかもしれないが」
「陛下」
ロアンデールが切羽詰まったような声を上げた瞬間だった。
扉の奥から複数人の足音がして、ネフィレイシアたちははっと顔をあげる。錠の開けられる金属音のあと、姿を現したのはジュニアスだった。背後に、武器を携えた数十人の衛兵がついている。
ジュニアスは恐ろしいほどの無表情で牢内を一瞥したあと、一歩退いて衛兵たちを中へと入れた。
荒々しく背後に回った衛兵に無理やりに立たされ、ネフィレイシアは自分の僅かな甘さに苦笑する。
処刑は、明日かと思っていた。
けれどよく考えれば、国の宝を傷つけようとした自分達を一晩も生きながらえさせる理由など何処にもないのだ。
「連れて行け」
ネフィレイシアは、衛兵たちに命令を下すジュニアスをそっと見つめた。
これが見納めかもしれない。
空色の綺麗な瞳と目があって、全てを諦めていたはずの心臓が潰されるように痛む。
ずっと彼に勝ちたかった。挑んで、負けて、助けられて──いつの間にか、恋をしていた。
ネフィレイシアから目を逸らさないジュニアスの瞳は、いつも通りに綺麗で、だけど初めて会った時よりも遠かった。
ネフィレイシアは唇を引き結ぶ。
引き裂かれるような思いで視線を逸らし、衛兵たちに誘導されるまま、牢を出た。
しかしそのまま連れて行かれたのは処刑場ではなく──一度だけ訪れた、ユナの私室だった。
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