11
◆
古い記憶だ。
泣きじゃくる幼いユナと、そばで困り果てる自分。救ってもらうというのに、救ってやることは出来ない。いくらあやしても、謝罪を繰り返しても、ユナの望みを叶えてやることは出来ない。やるせなさに、ジュニアスはせめてと自分の一生を彼女に捧げようと決めた。それは忠誠などではない、ただの罪滅ぼしだった。
「初めまして、ジュニアス殿」
午後。
グラニアの宮殿内部で、ジュニアスはロアンデールと対峙していた。ネフィレイシアの兄と紹介されたけれど、彼女とはあまり似ていなかった。青白い顔、切長の瞳。差し出された手を握り返せば、ざらりとカサついている。彼も妹と同じく、魔術に傾倒しているらしかった。ジュニアスは握った手にしっかりと力を込める。
「ようこそおいでくださいました。議会室へ案内します」
厳重な警備の中、ジュニアスは、到着したばかりのザレンチアノの魔術師──ロアンデールとレティに友好の笑顔を向ける。移住計画を遂行するにあたって、これから彼らと細かな取り決めを交わさなければならないからだ。
「レティ……! 元気そうでよかったわ」
ジュニアスとともに迎えに出ていたネフィレイシアが、隣から明るい声をあげる。女魔術師レティの方に歩み寄ったネフィレイシアは、彼女と両手を絡めて、互いの無事を喜んだ。
年相応に全身で喜ぶネフィレイシアが微笑ましく、ジュニアスはその様子を見守った。どこの国の生まれであっても、このくらいの年頃の娘は皆、同じなのだと思った。自国の聖女のように。
と、ジュニアスの視線に気づいたネフィレイシアが、気まずそうに咳払いをする。
「ごめんなさい。急がなくちゃね。陛下とユナが待ってるわ」
「ゆっくりでいいよ、久しぶりだろ」
ジュニアスがそう言っても、ネフィレイシアは首を振った。いつものかたい顔に戻って、こちらを見上げてくる。
「時間はないもの」
そう言われてしまえば、ジュニアスは言い返すことが出来ない。仕方なく宮殿の奥へ続く回廊へと歩を進める。その途中、赤毛の女魔術師レティが、ジュニアスに近寄ってきた。彼女もひどく顔色が悪かった。見るも哀れなほど怯えつつも、しかしレティはしっかりとジュニアスと視線を合わせていた。
「あの……」
「はい?」
「あなたも、聖騎士さまですか?」
「ええ。ジュニアスと申します。以後お見知り置きを」
にこりと笑みを返せば、さらに身をかたくされる。〝聖騎士〟がよほど恐ろしいのだろう。それでもレティはジュニアスから視線を逸らしはしなかった。
「こ、この度は申し出を受け入れてくださって、ありがとうございました。計画ともども、どうぞ……よろしく、お願いいたします」
「こちらこそ」
──闇の国の住人が増えていく。
少し前ならありえない光景。ジュニアスはなんとも奇妙な気分に陥りながら、彼らを先導した。さりげなく、腰に帯びた剣の鞘に触れる。まだ、完璧に気を抜くことはできないからだ。
挨拶も兼ねた会談が終わり、その夜は、ロアンデールとレティを迎えるための簡素な晩餐会が催された。
まだ馴染みきれていないロアンデールとレティに、ユナがしきりに話しかけ、エルドガルド王すら会話に巻き込む。エルドガルド王は戸惑い気味に、けれど仕様のない妹を見守るような優しい眼差しで、ユナに相槌を打っていた。その様子にロアンデールたちが驚いていたように見えたのはジュニアスの気のせいではないのだろう。
ユナは子供の頃から人の心を掴むのが上手い娘だった。
ジュニアスもそうして射止められた一人だからよくわかる。
彼女の優しさとあたたかな心の前に膝をつき、忠誠を誓ったのは十年も前のこと。
ユナがこの世界に召喚された時のことだった。
「綺麗ね」
ネフィレイシアの声に、ジュニアスは顔をあげる。
晩餐会が終わり、外の空気を吸おうとバルコニーに出ていたのだった。
ここからだと、グラニアの美しい都がよく見渡せた。
「だろう? 俺もこの景色は好きなんだ」
近づいてきた彼女に、ジュニアスはいつもの笑みを向ける。久しぶりに兄と友人と再会出来たからだろう。今夜のネフィレイシアはいつになく明るかった。白塗りの手すりに指先をかけて、ジュニアスがしていたように夜景を見下ろす。
「ええ、本当に綺麗。羨ましいくらいだわ」
「……もうすぐ、君の国にもなるよ」
彼女の故郷、荒廃したザレンチアノを思い出して、ジュニアスは励ますように言った。
実際目にしてわかった。あの国は、すでに滅びているのだと。しかしそれでも、彼女にとっては大切な故郷だ。友人や兄との思い出だってたくさん詰まっているに違いない。いくら生きながらえるためだとは言っても、移住は簡単な決断ではないだろう。ジュニアスは憂い、彼女の静かな横顔を覗き見る。
「一緒に頑張ろう」
月並みな言葉しか言えない自分がふがいない。しかし他にどう声をかければいいのかもわからず、口をつぐむ。
「ありがとう」
けれどネフィレイシアは、嬉しそうに目を細めてくれた。
ジュニアスの気のせいでなければ、だが。
「優しいのね。ユナもあなたも」
「俺は普通だよ。ユナにつられてるだけ」
「そうかしら」
「そうだよ。ユナは困ってる人を放っておけないんだ。それで俺たちも振り回されてる」
「それはわかるわ」
薄闇の中で、ネフィレイシアがくすくすと音を立てて笑うのがわかった。出会った時からずっと、いつも張り詰めたような顔をしていた彼女の、そんな声を聞くのは初めてだった。──ジュニアスはたったそれだけのことに、ほっと笑みをこぼす。
自分の決断は間違っていなかったのだと、勇気づけられた気がした。
だから、白状するように口を開く。
「実を言うとね」
「?」
「ザレンチアノでユナが倒れた時、一瞬、後悔したんだ。君たちに協力したこと」
「……」
「もちろん、手を貸したのは生半可な気持ちじゃなかった。でも、あの時ユナを失っていたら、俺は俺を一生許せなかったと思う。危険とわかっていたのにどうして止めなかったんだって」
「……ごめんなさい」
ジュニアスは首を振った。
「違うんだ。君を責めたいわけじゃなくて」
考え考え、言葉を紡ぐ。
「君たちのことも助けたいと思ってるんだ、本当に。だから君の手を振り払っても、後悔していたと思う。でも、ユナはやっぱり大切だから、迷ってた……本当にこれでいいのかって。でも──」
確信を持って、ジュニアスはネフィレイシアを見つめた。
「さっき君が笑ったのを見てわかったんだ。俺は正しい道を選んでるんだって」
仲間の聖騎士たちの反対を押し切り、ジュニアスは半ば強引に計画を進めている。それにはユナの想いを汲んでのこともあったが、やはりこの娘を──ネフィレイシアを見捨てておけないからという私情も、わずかならず含んでいた。
故郷を、家族を救いたいとひたむきに自分に向かってきたこの娘を、ジュニアスはいつの間にか、見守るような気持ちになっていた。出来れば、力になりたいと。
そうしてその想いの正体に気づきつつ、今はまだその時ではないと自制する。代わりに、ほんのわずかな熱を込めて彼女に笑んだ。
「絶対に助けるから」
ネフィレイシアは、戸惑い気味にジュニアスを見つめ返してくる。
「…………あり、がとう」
かぼそい声は、すぐそこにある幸福を受け取ることに、躊躇している。そんな気がした。
「どういたしまして」
低い声で言えば、彼女はやっぱり、困ったように微笑むのだった。
読んでくださってありがとうございます。




