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偽国戦記  作者: ブレヒトさん
魔晶戦争
99/131

閑話 皇帝ウラニア、歌姫

新たなる『黄金の山羊』が誕生したことで、商会は次なる行動に出る。ヘリオス帝国に参戦を促すため、使いの者が皇帝との謁見の栄えを得、ケルサス王国をさらなる混乱に落そうとしたのだ。


時同じくして、とある村で歌姫が唄う。その声音に世界は他なる神の意思を見るのだった。

 

「それが、帝国にとって何の利益になるというのですか?」


 玉座に腰掛ける若い女が言った。

 

 大きく胸元の開いた薄緑色のドレスを身にまとい、古ぼけた銀色の王冠から藍色の髪が流れ出る。

 目元に塗られた薄い紅色のアイシャドウが彼女の深い海色の瞳を際立たせ、頬紅はかすかだが、凜とした顔立ちに女性としての柔らかさを与えている。

 彼女を飾る衣装と宝石はいずれも年代を経た国宝級の品。けれど、座す彼女の若さは隠し切れない。年の頃は二十前後だろう、幼さが残り、そのたたずまいは権力の重さにいまだ慣れていない。

 無理はしていないが、王として十分であるかと言われれば疑問が残る。それが彼女、大陸最古、最大の国家を統べる皇帝ウラニア・ホドース・ヘーリオスだった。

 

 彼女の頭上、アーチ状のステンドグラスを通して陽光が降り注ぐ。東西南北に描かれるのは、四柱の神。天秤を掲げる月の女神マーテルが法と正義の勇気を、弓矢を携えたエルフのアーティファが愛を、斧を掲げるアルファスが憤怒を、そして冥界の門に口づけするマイアが悲哀を表す。

 極彩色に彩られた神々の姿が光りを透かし混ざり合い、調和してウラニアを祝福するかのような光りのカーテンで包み込む。それが帝国の信仰の有様、神々の調和が作り出す世界の均衡をこそ帝国は信じ、求めているのだった。

 ウラニアたちがいるのは世界中の美を集めて築かれた風精城、その最上階、帝王の間であった。まるで世界を見下ろすかのように、天界を模して作られているその間の壁面は、外の風景を映し出すために魔石のかけらが埋め込まれ、かすかな燐光を放ち、ただの情景は幻想性を帯びる。大陸の頂点に立つ帝国の中枢は天上の世界にこそふさわしいという凄まじい(おごり)が見て取れる。しかしかつては驕りと断ずることが出来ないほどに、彼の国は栄え、大陸中の尊崇を集めていた。何時しかそれが陰り、多くの領土を失った今でも、そのプライドだけは失わなかったのである。

 生き急ぐ命を見下ろしながら、調和でもって大上段から世を治める、帝国のイデオロギーを帝王の間に大事に抱え込んで、国内を困窮に落としても彼らは依然絶対的であろうとしていた。

 その強固な精神性が礎である帝国にあっては皇帝ですら道具でしかなく、王者はあくまで調和のためのパーツであった。世界があって、住まう人々がいて、崇める神々が座して、初めて帝国は君臨を許される。完璧に設えられたバランスこそが帝国なのであった。


 帝王の間で、今、若き皇帝は大勢の大貴族たちに囲まれ、困ったような顔で微笑んでいた。

  

「・・・」


 皇帝の問いかけに言葉をなくし、ひざまずいていたのは、最近王宮に出入りしていた商会の初老の男。

 財力で貴族たちを懐柔し、こうして皇帝のお目にかかるまでになった。彼が進言していたのは、ケルサスとヤーヘンの戦いに参戦することだった。直接にそう言っているわけではないが、戦争がもたらす利益を丁寧に、わかりやすく示していた。

 だからこそ、男は皇帝の返答には言葉が詰まってしまった。

 彼がこれまでに調査したところ、理屈が分らない娘ではなかったはずである。それで皇帝が務まるのかと思えるほどに物腰は柔らかで、部下の言うことを無碍にせず辛抱強くことに当たる、あるいは馬鹿正直と言ってもよかった。

 根回しは済んでいて、あとはただ、この娘がよく言う「よしなに」という言葉を聴くだけでよかったはずだった。


 王冠を戴いた娘は窮屈そうに足を組み替え、貴族たちの顔色をうかがいながら彼の返答を待っていた。


「はい。帝国には、主に魔力資源の権益が期待でき・・・」


「それはもう聴きました」


 にっこりと微笑んだ。


「たりません。もっと、です」


 その言葉に、皇帝の脇に控える貴族の顔を見た。

 このたびの会見を仕組んだ女。帝国名家の出で、若輩ながら皇帝親衛隊の幹部を努める騎士は眉をひそめている。

 しかしその表情に、違和感があった。

 頬が緩んでいたのだ。

 過密な日程を調整してまで、つまらない商人などとの会談を仕組んだ。実りが無ければ立場が危ういというのに、口元を震わせている。

 居心地の悪さに辺りを見渡した男は気付いた。女どころか、居並ぶ者ら、すべてが笑っていることに。


 -いかなることだ-

 

 容易い娘だから、そう言う貴族たちの甘い見通しに惑わされずに、細心の注意を払って仔細にわたる情報を集めた。ウラニアの嗜好、散歩のコース、月のもののスケジュールまでだ。

 貴族たちに金をばら撒き、弱みを握り、商会の裏の顔である邪教徒として活動も行った。

 外堀を埋めて、内壁を固めて、準備は完璧だったはずだ。

 それが、いったい。


「さあ、差し出してください。もっと、もっとです。義務ですよ」


 周囲の嘲笑が遠くなる。

 ウラニアに見つめられて、息が出来ない。

 

 商人が遠い異国の地で見聞きした面白可笑しい話を、国政に疲れた皇帝に聞かせるという体のお目通し。

 東方の様子から、巧みに戦の話に持ち込んだ。もちろん居並ぶ貴族たちは承知のことで、参戦することはお互いの利益にかなっているはずだった。

 甘い皇帝陛下に、国際政治の何たるかをご教授してやろう、と言ったのは国務大臣。よろしく頼むと、大仰に手を握ってきたのは大物の外務官僚だ。

 裸の王、有力貴族たちの邪魔をするだけの理想主義者。

 剣を使うことが上手いだけの小娘で、巨大な帝国という怪物を制御するためのお飾りではなかったのか?


「新しいお仲間のご誕生、お祝いします。けれど、なにゆえ邪教徒がこの城に足を踏み入れているのですか?あなたの無礼を許すだけの対価を、さあ、示してください」


 まっすぐに男の眼を見て、皇帝は男の邪教徒としての洗礼名を呟いた。


 -誰も知らないはずなのに-


 ふらふらと立ち上がった。


「何故、私のことが?」


 貴族たちが笑いを消し、会談を仕組んだ女が大げさに肩を落とした。


「どうやら、もう貢物はないようですね」

 

 風精城の結界がきしむ音が聞こえた。

 ステンドグラスから差し込む陽の光がかげり、決して見えない天眼が、開く。

 皇帝の魔力に居並ぶ貴族たちが感嘆の声を上げて跪いた。

 ウラニアの、皇帝の目が鈍く光って、射すくめられた男はすべてを悟った。


 -これが、当代皇帝ウラニア・ホドース・ヘーリオス-


「あなた方に言われずとも、私は動くときは動きますのでご心配には及びません。

 ですが、貴方が下さった情報は有益なものではあります。せめてお礼を言わせていただきます。

 ありがとう。

 でも、残念ながら、貴方には無礼に見合った価値は無いようです」


 眉をしかめて脇の近衛の女を優しくにらむと、女は肩をすくめて舌を出した。


「ワーカーホリックから言伝があります。『俺のシマに手を出すな』だそうです。

 勝手な人ですね。けれど私は彼を頼もしく思っています」


 照れたような顔をしたかと思うと、すぐに表情を引き締めた。


「ああ、これは無駄なことでしたね」


 男は、皇帝が指をかすかに動かすのを見た。


 -剣聖、これが至高。人の極地-


 そして、男の体は立法センチメートル単位で綺麗に切断された。


 ******


「セシリアちゃん。今日もよかったよ」


 豊な髪をした姿勢の良い女に向かい肥満体の男が声を掛けると、女は汗で額に張り付いた髪を細く白い人差し指ではらい、口元に微笑を浮かべた。


 村の広場には簡単な作りの舞台があった。

 西日に照らされながら、満足げな表情を浮かべた村人がゆっくりと、後ろ髪を引かれる思いで家路に着く。

 舞台が始まる前、集った村人達は手に農機具を携えて、旅の一座が瀆神(とくしん)的な出し物をするのではないのか、注意深く疑り深く見つめていた。

 しかし演目が終わった今、彼らは満ち足りた顔で舞台を後にする。

 幼子が演目の真似をしてはしゃぎまわり、大人達はたしなめるどころか、夢心地に生活を忘れている。

 まばらに建つ家屋はどれも古い。屋根だけが()かれて、雨風を防ぐのがやっとというところ。田畑には奪われるための麦がたわわに実り、見晴らす山々にはうっすらと雪が積もり、のどかだけれども生きるのに惑ってしまう、大陸にありきたりな貧しい村であった。

 

 女に話しかけた男は旅の一座の座長で、話しかけられたその女は一座で歌を歌っていたのだった。


「本当、セシリアちゃんが加わってからお客さんが増えて。今日も子供たちに良いものを食べさせられそうね」


 男の妻で一座の家計を切り盛りしている女がおひねりを数えながら、うれしそうに微笑んだ。


 眼の肥えた街では自分たちの演目なんて無視されてとても稼げない。村々を渡って僅かな金銭や食物をもらうことで何とか生きている。けれど、村々は貧しいから、与えられるものなんて無いから、何も得られないことなんてざらで、そんなときは、せめて一夜を過ごす屋根を貸してくれるだけで満足しなければならなかった。それが、セシリアが加わったことで収入が増え、今日のように十分腹を満たすことが出来る。

 二人だけではなく、その日の公演の後片付けをしていた他の団員たちも彼女の歌がどんなに見事だったか、どんなに観衆の心を捉えたか褒めちぎって礼を言う。

 渡りの一座には考えられないほどの歌声、追い払われた街の演劇場から漏れ聞いたものよりもずっと素晴らしい歌声に彼らはめぐり会った。その幸運を、少ない語彙で懸命に自分の歌声を形容しようとする一座の思いに、セシリアは謙遜してはにかんだ。


 親族で形成された一座によそ者として加わり、はじめは距離を置かれていたけれど、セシリアはここまでの信頼を勝ち得ることが出来た。

 排他的であった彼らの心を溶かしたのは、やはり彼女の澄み渡るような歌声だった。

 細い体からどうして?と思えるほどの声量は聞くものすべてを圧倒し、命の輝きを歌う柔らかな声音は涙よりも喜びを誘った。

 しっとりと月を浮かべて、ふわり降りかかるような月光の優しさを、彼女自身の心象にのせて力の限り歌いきる。

 誰もが勇気付けられた。こんな世界に生まれて、辛いことばかりだけど、それを忘れるのではなく、受け入れる勇気を与えてくれるような歌だった。貧しい者や権力に翻弄され続けてきた弱者にこそ捧げられるもので、美麗な語句で飾られた恋の歌などとは違う、生命の根源を揺さぶる響きがあった。


「このまま、うちの一座の一員になりなよ」


 この春ようやく九つになったばかりの夫妻の末っ子が笑いながら言った。

 視線の先には、彼の従兄弟で独り身の獣使いの男がいた。

 彼はがっちりとして物静かな男だったけれど、無口と言うわけでもなかった。よく人の言葉を聞いてくれて、求められたときは自分をしっかりと開いて見せる。

 セシリアは男を見ると、頬を染めて微笑んだ。

 少年はそんなセシリアを見て、うれしそうに口笛を吹いた。


 セシリアは男が大好きだった。愛していた。

 困ったときには手を貸してくれて、それでいて恩を着せるわけではない。

 一座に加わり、誰もが彼女を避けるなかで、話しかけてくれたのはいつも彼だった。旅の一座というだけで排斥され、雨の下で夜を明かすときも、体が冷えないように自分のブランケットをそっと差し出してくれたり、喉を休めるための薬湯を探して来てくれたりもした。

 若い女である自分に無理に言い寄ったりせず、たまに暖かい好意を向けてきた。

 力強く頼りがいがあって、街にはいない誠実な男。

 彼の好意に応え、二人が特別な関係になるのに時間はかからなかった。


 しかし、セシリアはうつむいてしまった。

 男の視線を感じたが、眼を上げることはできなかった。

 それを見た座長が彼女の肩に手を置く。


「どうした。辛いことでも思い出したか?」


「ちょっと・・・」


「じゃあ、飯でも食って忘れよう!今日の、メニューは何かな?」


 軽く言ってくれる。誰もが辛い経験をしているはずなのに、それをひた隠しにして、セシリアのために皆が笑って、本当に良い一座。


 だから、彼女はとても悲しかった。


 ごめんなさい。


「どうしたの、本当に辛そうだよ?」


 少年が覗き込んできた。


「御免ね」


 セシリアは微笑んだ。

 けれど、それは泣き顔のようであった。

 どうしようもない力に打ち負かされた微笑であった。


 ****


 この子の言葉に、私は幸せを感じる。

 あの人と歩む生。

 それを思うだけで、心の奥が暖かくなって、優しい気持ちが溢れてくる。

 人に応援してもらえる幸せ、こんなにも心地良い。


 だけど。


 それを嘲るように、私の(ごう)が血生臭いあぎとを開く。

 もう駄目だと、逃さないと首を振って、私の在りかたが罪を求める。


 鋭い爪で掬い取るかのように、花弁を開く。


 赤い、真っ赤な花が、私の心象風景を書き換えて。


 彼岸花が、あきらめの花が、咲いた。


 私は、この子に微笑みかけた。

 上手く笑えたか分らないけれど、せいいっぱい。


 -とうりゃんせ-


 そして、歌いたくない私の本当の唄を口ずさんだ。


 *****


 (とうりゃんせ)


 遠く、藤棚の奥で、色欲の声が歌姫の歌に唱和した。


 白い、絹のような肌が、雪洞(ぼんぼり)に照らされて暗がりの中に浮かび上がる。

 金色の神酒が女の口から滴り落ちて、蒲団(ふとん)にしみを作った。

 口紅の跡がついたお猪口(ちょこ)が転がって、ゆるく開けられた唇から艶かしい吐息が漏れる。

 狐女が、胸を露に寝転んで、こんっ、と鳴いた。


 縁をつむぎ、解きほぐす神。戯れる遊女。


 縁神、ホアン。


 (ゆかり)の君。

 かつて神話の古、現世の神、月の女神マーテルを食い殺そうとした神。

 歌姫の嘆きに応えた、ただ一柱の神。


 ****


 鈍い音がして、少年の体が裏返った。

 腹の中から、めくれるように胃がせり出して、血が噴出す。

 止まらずに腹から胸、股に広がって、あらゆる内臓が弾けて、少年はみるまに肉塊に変わった。


 何が起こったのかわからずに、みんなが笑顔を貼り付けたまま、私と少年だったものを見た。


 ああ、ごめんなさい。


 それでも、私は唄う。

 別れの唄を。

 この素晴らしい一座にふさわしく、優しい声音で。


「ひいいいい」

「きゃあああ」


 ようやく上がる悲鳴。高く響いて、私の唄を乱すノイズとなる。

 けれど嬌声が、絡みつくように、合いの手のように、神の声が応えろと。


 -ここは、どこの細道じゃ-


 悔やむことなんて出来ないから、せめて、この唄が彼らの旅路の道標となりますように。

 この唄声は背徳だから、逆しまに行けば天国に行けるはずなの。

 だから、私を憎んで、恨んで、罵って。


 (天神さまの細道じゃ)


 逃げ惑う大好きな人たち。

 でも、逃がさない。逃がすことはできないのよ。


 -ちっと通してくだしゃんせ-


 旋律が、私が信じる聖を祝福して、世界が信じる(マーテル)の祝福を嘲笑って、私は歩を進める。

 つま先に血が流れて、視線を上げた先に呪いが満ちる。命を求めて、這いずり回る。


 (御用のないもの通しゃせぬ)


 腰を抜かした座長に微笑むと、彼の頭部はたちまちイチジクのようにはじけ飛んでしまった。

 脳片をすくい上げて抱きしめる。


 ああ、あなたの寛容、この世界にはもったいない。


  -この子の七つのお祝いに、お札を納めにまいります-


 顔をゆがめて、私に掴みかかる女将さん。

 その勇気と力強さ、この一座の本当の主は貴女。

 愛おしくて、助けてほしくて、その胸にすがり付いてしまう。

 けれど、貴女は体中から血を噴出して死んでしまった。


「行きはよいよい、帰りはこわい。こわいながらも、通りゃんせ」


 一人一人、思い出をこめて殺してあげる。

 それが、私の恩返し。

 この世界への私の呪詛。私たちを救わない神への、せいいっぱいの叫び。

 貴方たちに、邪悪に殺されるという特権をあげる。


「通りゃんせ」


 いつしか座りこんでしまった私の目の前に、貴方がいた。

 大きくて、優しくて、いつも見守ってくれていた貴方。


「どうしてだ」


 それはね。


「貴方たちを愛しているから」


 立ち上がって、いつものように首に腕を回して抱きしめる。

 私の好きな汗と獣の匂いがする。

 二人の涙が交じり合うように、頬を擦り付けて、この塩辛さ、決して忘れない。


「俺とともに生きてくれるんじゃなかったのか」


 貴方のぬくもりは私の中で、永遠を生きる。

 世界のいやはてまで、私と罪を刻み続けるの。


「ええ、そうよ。貴方と私は逆流するの。神様が授けてくれた祝福を辿って、その先にいる最高の何かを拒否するために」


 彼は泣き笑って、私の胸に顔をうずめた。


 そのとき、狐女が腹を抱えて(わら)うのが聞こえた。


 ****


 月が高く昇る。

 隕石に顔を打たれ、醜く顔を歪ませた(マーテル)が、魔力という愛を満遍なく注ぎながら。

 見上げる私は、神に背を向けた背徳者。

 皮肉をこめて、軽い響きで名づけられた天使の歌声、エンジェル・ボイス。

 世界を恨み、辛みを嘆く邪教徒。

 唄う黄金の雌山羊。


 血に染まった口を空に、月に向ける。


 高らかに笑う。

 熱くなった下腹部がぬめりけを帯びて、そっと指を差し込んだ。

 愛液を掬い取って、口に運ぶ。


 私の愛。背徳。(よこし)ま。

 ここまで堕ちるんだ。


「お前のせいだ!!」


 叫んだ。

 息を切らせて、月を見る。

 だけど、どうして?

 あなたは、マーテルは応えない。


 ああ、そう。

 やっぱり。

 いつもと、変わらない。

 

 もう忘れてしまったはずの恋。

 もう一度、勇気をだして飛び込んだ人のぬくもり。

 すべてを賭けた恋ならばと期待した。

 

 でも、それも無駄。

 貴女は応えない。

 全部計画通りだから。

 残虐な、罪無き命の散華すら、方程式の解。

 この世界をより良いものにするための、ただの通過点。


 でも。

 許さない。

 絶対に。

 生きて、生き抜いた選択が、無駄であったなど。

 全てが決められているなど。

 たとえ罪深い者であったとしても、足掻いて耐え抜いた生は、聖人の生と何が変わるところがあるのか。


 神よ、貴女が価値を決めると言うならば、私はそれに背く。

 生きとし生けるもの、その全ての生に意味はあるんだ。

 救う価値があるんだ。

 自らが創り出した法に迎合して救おうとしない絶対神(マーテル)など、いらない。


 私たちが貴女の法を書き換える。

 そのためならば、罪なんていくらでも犯してやる。

 貴女が見棄てた命のすべてを私は覚えているのだ。

 やがて、滅ぼされたとき、貴女の前でそのすべてを並べて罵ってやる。

 泣いて慈悲を説く貴女に、貴女自信が見棄てた命の足跡の重さで、呪ってやるんだ。

 

 はるか東方で産声が聞こえる。


 さあ、貴女の法を穢す子がまた一人誕生した。

 貴女は何を思うのか。

 涙を流してくれるのかしら?


 愛した彼のぬくもり。そして命。

 私という存在を包み込むかのように、マントと共に羽織って歩き出す。

 たった今、生まれた子をむかえるために。

 二首の竜の誕生を寿(ことほ)ぐために、愚かで愛おしい命が舞い踊る戦場に向かって。


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