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偽国戦記  作者: ブレヒトさん
魔晶戦争
92/131

閑話 騎士の王 2 -母の思い-

 城に帰り、試験に参加した面々で、オーギュントをどう扱うか長い間話し合った。

 妻もザイールも、各騎士団の首脳も魅了されて、才能を生かすにはどうするかばかり、その美しさを歪めてはならないというだけで、重要なことは何一つ理解してはいなかった。

 俺は押し黙って、彼らの賞賛を聞いていた。

 浅い理解に歯噛みして、彼らの期待に満ちた視線の向かう先を凝視していた。


 そこに未来はない。

 死骸の腐臭が立ち込める地獄だけがある。

 オーギュントの穢れをそそぐだけの清浄は、この世界にあるはずがないんだ。

 お前たち、それが理解できないのか?


 曖昧な結論を下し解散した議場に残り、ただ一人思索する。

 俺は誰よりも息子のことを思っている。

 恐れていることは否定しない。だが、あいつがいなくなってしまったら、きっと俺は生きていけないだろう。大陸最強の騎士団の団長で、失うことには誰よりも慣れなければいけないくせに、俺は誰よりもそれを恐れている。

 みな、女々しいと笑うだろうか?

 騎士たるもの、親が切裂かれようとも戦い続けるべきだと、知ったような口を利くだろうか。

 そんな奴に俺は言いたい。

 兵と言うものは、大切なものが無事だから戦うんだ。切り捨ててしまったら、命なんて懸けられない。愛するものに危険が及ぶようなら、戦場なんて放っぽり出して、助けに行くに決まっているじゃないか。

 死に瀕した騎士達の声を聞いてみるがいい。

 彼らが口にするのは、母や父や、子らのことだけだ。たとえ、国民がどうだとか言ったとしても、それは彼らの大事な人たちを指す。決して見ず知らずの、顔も知らない連中のことじゃ無い。

 もし、違うというならば教えて欲しい。

 そんな夢見がちな戦争狂は俺の部下に要らない。すぐにでも追い出してやる。


 兵士とはそういうものなんだ。

 たとえ、息子がどれほど国のためになろうとも、それが息子自身を犠牲にするものならば、耐えられない。愛するものの屍の上に建てられた楽園なんて、クソくらえだ。

 だから、決断した。

 トドロフがいなくなってしまって、ずいぶん回り道をしてしまったけれど、息子のために何をなすべきか。

 親としての責務を果たさなければならない。

 あらゆるものを切裂いて、屍の中で絶望した高祖メリザンドと同じ苦しみに、オーギュントを突き落とすことだけは避けなければならないだろう?


 オーギュントを救う唯一つの方法。

 堕ちてしまえば、あいつは、もう戻れない。


 だから。


 オーギュントの両腕を切り落とそうと決めたのだ。


 ****


 俺たちから遅れて部隊と共に城に帰ってきたオーギュントは、歓声のただ中で微笑んでいた。

 兵たちの歓呼に応えて手を振り、騎士たちにもみくちゃにされ、抱きしめられて、はにかんでいた。


 俺はオーギュントに声をかけ、衛兵に人払いを命じた。

 誰もが、俺がオーギュントに騎士団の要職を任す命を下すのだろうと考えて、微笑んで見せた。

 俺はそんな彼らを無視して、オーギュントに向き合った。

 息子は理解していた。

 理解できないはずがなかった。

 自らの異質さが、受け入れられるはずがないのだということは、トドロフが教えていたはずなのだから。


 これからすることを詫びる俺に、あいつは寂しそうに目を伏せた。

 騎士としての命を奪おうとする父に、虚ろな目でつぶやいた。


「僕は、殺して、それだけなんでしょうか?」


 俺はオーギュントの頬を張った。俺自身がそのとおりだと思っていたにも関わらずに。


「馬鹿なことを言うな!!」


「でも、父上」


 俺を見上げる。


「だから、父上は、ずっと僕を殺したかったのでしょう?」


 気が付けばオーギュントの手を強く引いていた。力なく、クラゲのようになった息子を寝室に引きずっていく。暖炉の前に投げ捨てて、一枚の肖像画を指差した。

 その先、額のなかで、いなくなってしまった息子が柔らかく微笑んでいた。


「トドロフは死んだ。他の子らと変わらずに愛していた。剣の腕なんか、国の利益なんか関係ない。俺の息子だから。愛した妻との間に生まれたかけがえのない子だからだ!!」


 オーギュントの顔が歪んだ。


「・・・兄さん」


「こんなにも苦しいんだ。騎士だから、そういうことがあるだろうと心構えはしていたつもりだ。

 それがなんなんだよ、ちくしょう!!そんな気構えがなんになるっていうんだ!!

 失いたくない。俺は、誰も失いたくないんだ!!お前が、人でなくなってしまうのが怖いんだ!!」


「だから、ですか」


「・・・そうだ」


 剣を抜いて、己の深奥に沈み込む。

 世界たたずむ己という個を理解するために、心を占める感情を紐解いていく。


  -悲哀-


 そう、それが俺の心象風景。

 では、俺の悲哀はどこから来て、どこに宿るのか。

 神によって作られて、善性を有するヒトのどこに、その余地があるのか。


 神はそれを、全てを絶対悪、未だ神の祝福を受けない「素材」にあると言った。

 そして、ヒトは素材から出来ているから、引きずられて悪心を宿すのだという。

 ならば、この俺の悲哀は避けることの出来ない摂理ということになる。

 オーギュントが鬼になるのも、そう。

 一般より強い力を持ったために、ヒトにもたらされた祝福を超える力を与えられたが故の過ち。

 それを是正するのが、親としての使命。

 与えられた召命。


 ・・・だから、なんだ?

 神の思惑?

 知ったことか。馬鹿げている。舐めている、ヒトを。

 俺は、ただ息子の幸せのために剣を握る。

 ヒトを、甘く見るなよ、神よ。


 心眼を開く。

 カルブルヌスの剣は、激情の技。

 己を捨て去り、剣と一体化するのが、奥義の一。

 それを乗り越えて、剣を己に従えたところに、秘奥がある。

 だから、限界を超えるために、激情で持って己を解き放つ。剣をねじ伏せ、昇華する。

 神に与えられた剣技を振るうよすがは、神への反逆。 


 剣を掲げる。

 燃え上がる感情を広げて、なめして、四肢に溶かす。

 制圧した剣から意識が広がり、取り巻く世界を第三の眼で知覚して、一体となる。

 世界が、溶け込む俺を見失って、俺の剣気が世界を侵食する。

 二つの気の境はなくなって、神を惑わす。

 魔力は失われ、世界は真なる姿を現して、神気が広がる。

 現は溶けて、混じった俺の神気によって、世界に(ひび)が入った。

 神の作りたもうた世界に生まれる一瞬の隙。世界の混乱。

 神が水と大気を誤って、水におぼれる。

 その誤りこそが、秘奥。


 境界がなくなってしまった世界で、結果と原因を決めるのは誰なのか。

 惑った神の隙を突いて、俺が定めるのだ。

 息子の腕は、切りはなされているものなのだ。

 そう神が定めたのだと。


 在ったものを変質させて、無かったものを実在させる。

 神から与えられた、神を惑わす一撃。


 -天神誤水(てんじんごすい)-


 見ていろ、神よ。

 貴様たちが創造した摂理なんて侵してやる。

 ヒトの力で乗り越える、この俺の怒り。

 息子の両腕に誓う。

 死した後、神よ、貴様の首、切り落としてやる。


 -心段、月輪(がちりん)-


 *****


『?』


 此処ではない何処かで、何かが蠢いた。

 首をかしげて、世界を見渡す。

 ため息らしきものをついて、嘲笑った。


『蛆虫が、俺を惑わすか』


 巨大な鳥居の奥、神殿の中で、それが無数の眼を開く。

 蠢いて、億万の蛇が絡みあうかのような存在は喉を鳴らし、大気が震える。


寂滅(じゃくめつ)


 無限に沈黙する世界。

 切断すること以外何も知らない(まが)つ神が触手を伸ばす。


『滅び去れ』


 *****


 暖炉の炎が弾けて、親子の顔を照らした。

 父の掲げる剣が煌き、剣の鬼はその剣技に陶酔する。

 額の中の少年は、変わらず微笑んで。

 か細い声が聞こえた。 


 -貴方のお側に、参りたいのです-

 -ただ、その側に侍るだけで、私の心は満たされるのですから-


 奥の扉から影が伸びる。まるで這うように、(すが)るようにせまって二人に絡みついた。


 ケルサス王国秘術シャドウ・ウォーク。


 耳朶を打つ愛しい声。儚い彼女の詠唱。

 側にいてあげたい、そう願うマーテルの神秘。かつてケルサス王親衛隊にあって、その思いを利用され、暗殺を強制された側女の魔術。忍び、表に立つことを許されない、婢女(はしため)の過ぎた慕情。


 剣を握る手に白い手が添えられ、妻が微笑んでいた。


「お前・・・」


 いつから?


「オーギュント・・・」


 妻は、呆れたようにオーギュントに向き直った。


「ほら、嫌なら嫌といいなさいな。お父上は、貴方がそんななんだから痺れを切らしたのですよ」


 そう言って、背を押す。


「でも、僕は・・・」


「自信がないの?自分がご先祖のように悪鬼に堕すると?しょうがない子。本当、私そっくりね。勝手に決め付けて、臆病なくせに、誰も頼ろうとしない」


 そうだ。

 臆病で優しくて、誰も頼れず人知れず泣いてばかりいた。

 そんなお前がほっとけなくて、寂しさに震える眼差しを喜びに変えたくて俺は・・・。


 気丈に振舞う妻の手は震えていた。

 その眼差しも、怯えと諦めに揺れている。


 妻は最初からわかっていた。

 胎に宿していたときから、生まれいずるものが何なのか。


 じゃあ、何故、いままで俺を放っておいた?

 振舞うままに任せておいたんだ?

 ・・・俺が、オーギュントを初めて見たとき、怯えてしまったからか。

 お前は、俺がいつかオーギュントと真に和解する日を待ち続けていたのか。


 妻の唇が歪む。

 もう駄目なのか、腕が垂れ下がる。

 真っ青になって、必死に言葉を捜して、喉が上下する。

 怯えた瞳が揺れて、決して俺と眼をあわせようとしない。


 こんな顔は。


「なら、世界を見せてやろう!!」


 彼女が泣き出すより先に、俺は叫んだ。

 いつか見た光景のとおりに。

 殺すことしか、卑怯にも背後から忍び寄って刃を差し込むことしか出来ないから、誇り高いカルブルヌスの側にはいけないと泣いた彼女を抱き上げて、王宮から奪い去ったときそのままに。

 けれど、あの時と違い、差し出す手は二つだった。

 邪魔な剣を放り投げて、左手は息子に、右手は妻に。

 胸を張って、涙が流れるのをそのままに。

 おずおずと添えられた手を引いて、抱きしめた。

 鼓動が重なって、二人を理解する。

 妻の恐怖と、息子の諦め。

 (すが)りつきたい夫と父に縋れずに、突き放された絶望。

 助けたいと、応えたいと、心底思った。

 王ではなく、ケルサスに従う騎士でもない。男として嗚咽が漏れ出して、止まらなかった。

 抱きしめた耳元にオーギュントの幼児のような泣き声が響いて、妻の柔らかな体温を感じた。

 三人で肩を寄せ合って、ようやく俺はオーギュントと親子になった。

 妻と俺は夫婦になった。


 ****


 -夢は、描くべきものが描けばいい。私は彼女を助け、礎と成れるのならば、それでいいんだ-


 アルファスの言葉。

 カルブルヌスの信仰する醜いオークの王。最美のエルフ、アーティアを手篭(てご)めにした暴力の神。

 けれど、最古の神話が語るその実は、誰よりも争いを嫌い、自然を愛して牧歌を口ずさむ穏やかな男であったという。

 だが、運命は彼に穏やかな生活を許さなかった。彼は悲劇の末に立ち上がり、平和を求めて戦い続けた。やがて、血に沈み、その果てに楽園を築いた。

 カルブルヌスがアルファスを主神とするのは、暴力の果てに平和があるからに他ならない。血を浴び、呪いの言葉に心を蝕まれて、それでも剣を振るうのは、決して栄光のためではない。自分たち、死神が排斥される未来がきっと訪れるだろうと切望するからなのだ。だからこそ、度重なる国難にも立ち上がり、独自の倫理を保ち続けて、清廉潔白たりえたのだ。

 時がたち、そんな理念が失われつつあった今でも、やはりエルネスト、現国王は、それを夢想して止まなかった。


 ****


 オーギュントは、誰よりも妻に似ていた。

 臆病でいつも人の機嫌をうかがって、感情を押し隠して笑っていた。その瞳の優しさは、愛した妻そのものだった。

 髪の色も瞳の色もカルブルのものであったけれど、人としての高潔さは妻のものだった。

 そんなオーギュントを、どうして俺は恐ろしいと思ったのだろう。傷つけようなどと思ったのだろう。

 最強の鬼だというなら、優しい鬼に育て上げればいいのだ。虐殺者に成りうるから殺すなんて、道を奪うなんて、ヒトのすることではない。

 俺は父であり、友であるのだ。誰がなんと言おうと、オーギュントの味方でなければいけないんだ。


 オーギュントの母であった彼女は優しくて美しいのに、いつも目を伏せて、誰とも視線を合わせようとしなかった。

 それが許せなかったんだ。

 彼女をそうする世界にむかついて、なら俺の世界に連れて行ってやろうと思った。

 だから泣き落として、彼女の主、ケルサス王ルーメンの許可も取らずに(さら)って、彼女のための楽園を築こうと思った。

 けれど、俺は生まれてからずっと戦場にいて、これから先も人殺しの指揮を取るよう教育されてきたから、楽園の作り方なんか知らなかった。それでも、二人なら大丈夫だと思った。アルファスの教えを忘れて、ただの暴力機械に身をやつそうとしていたカルブルヌスの中でも、輝けると信じていた。

 だけど、愛する女が受け入れてくれた俺の前に開けたのは、広いと思っていた狭すぎる世界だった。

 カルブルヌス王としてなすべき責務は俺に自由を許さず、歪んだ倫理観を押し付けた。

 大陸の安寧のために血を流し、個々の命なんて民がのたまう平和らしきものの肥料でしかないと、誉れの言葉と共に民意という形で俺たちを鎖につないだ。

 俺は、俺たちの子は、平和という、民が実は望んですらいない幻影に踊る影法師に過ぎなかった。


 求められたのは強力な騎士、所詮は殺人鬼だった。

 戦争を続けて冨をもたらす、他国にとっての悪魔。自国にとっての生贄。

 彼女との子なら、それは素晴らしく殺人に長けた騎士が生まれるだろうと民は期待し、彼女の入城を喜んだ。

 そして、声高に殺人鬼の誕生を祝うのだ。

 おめでとう、誉れ高いカルブルヌスの騎士よ。

 おめでとう、殺人鬼の子の殺人鬼。

 おめでとう、私たちの腹を満たすために、沢山人を殺してね。

 そのためなら、貴方は死んでも構わない。代りはいっぱいいるんだから。


 誉れは呪い、殺した先に栄誉がある。

 楽園なんてほど遠く、夢の中にもありはしない。

 俺は彼女を裏切った。聞こえのいい言葉で騙して、惚れた女を地獄に引き入れた。

 愛していたのに、どうしてこうなったんだろう。

 泣かせないと誓ったのに、涙の道しかないのを理解していたはずなのに。


 俺は民が望むがまま、小柄で折れてしまいそうだった彼女を組み伏した。

 人殺しの遺伝子が重なりあって、子をなそうとした。

 任務のたびに、もう殺したくないと泣いていた彼女を慰めていたのは俺のくせに、最高の殺人鬼を作らせる責務を負わせてしまった。


 彼女はそれでも俺に何も言わなかった。

 懸命に耐えて、慣れないカルブルヌスの王宮の煩雑な決まりごとを学んで、后たるべく努力してくれた。

 けれど、ふとした瞬間に、ケルサスにいたころのような諦めの視線で俺を見るのだった。


 やがて、初めての子が生まれた。生まれてしまった。

 彼女を解放するどころか、縛り付ける血縁が紡がれてしまった。

 その子を抱き上げた妻の顔を、俺は見ることが出来なかった。

 手に触れられて、ようやく顔を上げた。

 眼が合って、手を絡めた。

 その瞳。微笑み。母となった意志の強さ。

 言葉は要らなかった。ただ引き寄せるだけでよかった。二人の間に生まれた子の顔を見るだけでよかったんだ。

 だけど、俺はそれを受けとめるには、弱すぎたんだろう。彼女の思いに応えなかった。ただ、王にふさわしいように振舞って、もの言いたげなザイオンやザイールを無視して、王としての仮面を被り続けた。


 俺は忘れていたんだ。

 人は世界が作るということを。

 それは変えられない仕組み。どうしようもないこと。

 じゃあ、何をすれば良いか。

 彼女を王宮から連れ出すとき、抱き上げた俺はそれを理解していたくせに、今まで忘れた振りして、王という立場に甘んじていた。

 そうだ、俺の世界が歪んでいたなら、俺がそれを正せばいいんだ。

 アルファスは、世界を変えようと隣人と手を取りあって戦い、アーティファと共に駆け抜けたんじゃないか。

 俺もそうしようとしたんじゃなかったか?

 狂王を討ち滅ぼし、友らと共にそれを成しえたばかりじゃないのか?

 天に昇ったアーティファとアルファスのように、隣にいる誰かを見つけることができたなら、俺たちは理を破戒して、イデアに至ることができると、信じて戦ったんだろう?


 だから。


「オーギュント」


 息子に目を合わせて、微笑んだ。


「お前の、愛する人を探しに行こう」


 きっと、お前の狂った世界を、いっしょに正してくれる人が何処かにいるはずだから。


 ****


『滅び去れ』


 何処かの世界で、凶神は神気を放出する。

 現世の神であるマーテルの法則と、それを守る次元が切断され、現世がむき出しになった。


『そこか』


 その先に家族がいた。

 有りはしたが、それでも存在していなかった家族。

 ようやく確かめ合った、互いの思いを認め合った家族。


『無限地獄だ。堕ちて、詫びろ』


 それは気付く間もなく切断される。

 瞬間は引き伸ばされて、永遠と同義になる。


 しかし、神技が振るわれる目前に、瀟洒(しょうしゃ)なスーツを身に纏ったオークが現れた。


 -待ってくれないか?-


 -・・・アルファス-


 中折れ帽を手にとって、胸の前に置く。


 -なにがお前の気に障ったのか知らないが、大目に見てやってくれ-


 -人間が俺の目の前でちょろちょろと、目障りなんだよ。死にさらせ-


 -今まで、ヒトを無視し続けてきたお前が、なんでそんな急に?-


 -それを俺に聞くか?頭にきたからだ。理由など無い-


 -お前らしくないじゃないか。飯でも食って落ち着こう、な?お前のお姫様たちは人間に生まれたんだ。こんなことでいちいち腹を立てていたら、一晩に何度殺すことになるか・・・-


 -俺に安寧をもたらすのが、奴らの役目だ。俺の望むように振舞わないのならば、那由他(なゆた)に至るまで殺すのみ-


 -またまた、そんな事言って。ヒトはいいぞ?かつてヒトだった俺が言うんだから間違いない。出来れば、また戻りたいくらいだ。とりあえずこのアルファスの顔に免じて許してくれないか?頼むからさ-


 アルファスは何度も頭を下げて、あれやこれやとヒトの弁護をはじめる。

 蠢くそれが、口をつぐむよう、いくら脅しても止めなかった。


 -・・・もうよい、興が冷めた-


 それは、うんざりしたような様子で身震いする。鳥居がきしみ、世界が歪んで、現世への道が閉じた。


 -ありがとう、礼を言うよ。・・・おや、もうこんな時間だ。そろそろ出陣じゃないか。ホクマが待っている。さあ、世界のために絶対悪を懲らしめに行こう-


  -ふん。はじめから時間稼ぎが目的だっただろうが、白々しい-


 戦神アルファスが、剣神を連れて落ちて行く。

 おっかなびっくり、剣神の怒りに障らぬよう、丁重に手を引く。

 無限の世界を維持するために、最高善から最も遠い悪を滅ぼす終わらない戦にアルファスは赴いた。

 嫌でたまらない戦を、弥終(いやはて)の先まで続けることが彼の使命であるから。


 -アレルヤ(神をほめたたたえよ)-


 アルファスのかすかなつぶやきは、混沌に飲まれて沈んでいった。 


 ******


 それから、失った時間を取り戻すように、家族と共に過ごした。

 すでにケルサスに召抱えられていた三男とは出来うるかぎり手紙でやり取りして、ことあるごとに国王ルーメンに言って休暇をとらせて国許に帰してもらった。

 普段から呼びもしないのに王宮に顔を出していた娘たちは、俺の変わりように驚いていたが、呆れながらも、いろいろと計画を練ってくれた。

 俺たち家族は、身分を隠して国内外を旅行して、暖炉を囲んで笑いあった。息子たちの手紙で伝えてくる近況と、現実との差、そこに秘められた真意を知って、俺がいかに駄目な父親であったことかを思い知った。子供たちのことを知らない俺を、やさしく非難する妻の満ち足りた顔が、彼女が本当はなにを望んでいたかを教えてくれた。

 楽園はこんな近くに、敵を排斥するのではなく、大事なものを囲ったさきにあった。


 そんなある日、一通の書状が届いた。 

 舞踏会の招待状だった。グラナトゥム王のご機嫌伺いで、周辺の大貴族を招いて親交を深める。

 オーギュントの指導者を探していた俺たちは良い機会だと、オーギュントにグラナトゥムの宝石レナータ公女とその婚約者でケルサスの王弟レークスを引き合わせようとした。

 オーギュントは、しかしそこでサラに出会った。私たちがみな心引かれ、それでも手に入れることが出来なかった太陽の娘に。


 人のいない部屋で、ホールから聞こえてくる音楽を頼りに踊るオーギュントとサラ。

 少女の細い腰を大事そうに抱えて、はにかみながら、大胆にステップを刻む少年。

 逆賊の汚名を着せられ、決して人前で仮面を取ることのない清浄なる少女。

 クライマックスに向かい輪を広げ、ステップは高まり、お互いの呼吸を感じ取って真剣に、それでも決して手を離さない。

 大輪の花のように手をのばした二人は、回りながら花弁を開く。

 ぎこちないステップは青春の儚さを超えて、永遠を目指す。

 終わる管弦の調べ、ピアノの残響が染み入るように響いて、二人の呼吸だけが残る。

 額をあわせて、笑いあう少年と少女の美しさ。

 

 のぞき見ていた俺の頬に涙が伝った。

 彼女と一緒ならば、オーギュントは壊れない。

 オーギュントの求めていたものは、彼女。

 こんなにもぬくもりに満ちたサラなら、きっと、息子を救ってくれる。

 オーギュントが此処に来た意味は、彼女にあったんだ。


 最後までサラは仮面を外さなかった。けれど、オーギュントの胸元に百合のマジックフラワーを差した。彼女の母、ビオンダの得意だったマジックフラワー。俺たち三王が、いつも胸元に忍ばせて、新生ケルサスの紋章に組み込んだ思い。ビオンダの花に負けない輝きが、二人の胸元に煌いていた。


 それから、私はオーギュントの希望に応えて、サラがいるマルブにオーギュントを入学させた。

 彼女と共にいるのはレオーネ公女だった。

 グラナトゥム公王であった親友の娘で、最古の王女ベリル様によく似ていながら、力ない少女。造花姫と貶められ続けてきた。

 若い学生が集うマルブで、二人はもたれ合いながら生きていた。

 決して歓迎されず、かといって国にも戻れない。いつ追い出されるかも知れない恐怖の中で、目立たぬよう肩を寄せ合っていた。

 そんな二人の生活を知って、俺はオーギュントに、俺の果たせなかった悔いを託した。サラの両親をみすみす死なせて、逆賊にしたてあげられるのを許した罪。サラを幸せにするという償いを。

 オーギュントは、よこしまな動機であったとしても、きっと彼女たちの助けとなるだろう。その力はある。そして、私達を照らし続けたビオンダの娘ならば、オーギュントを救ってくれるのだろうと確信していたのだ。

 神がたとえ意地悪い奴だったとしても、これ以上の不幸を二人に与えるはずはないのだから。


 *****


 俺はため息をついた。

 報告によれば、オーギュントが二度も重傷を負ったという。

 いっそのこと下がらせて、送り込んであった教導騎士団を代わりに前に出してはどうかと、部下たちから進言があった。


「あいつが死ぬはずがないだろう?」


「しかし、実際に二度も重傷を負っております。一度は、命に関わる傷で、危うく敵に捕らえられるところでした。殿下は筆頭騎士でありながら、前に出すぎです」


 まったく、こいつらはオーギュントがしばらく戦場に出ていなかったものだから。


「教導騎士団からはなんて言ってきている?」


「特にはなにも・・・」


「なら、こちらがどうこう言うことはない」


「しかし!」


「あいつは学び、成長している。邪魔することは誰にもできない。俺にもだ」


 部下は、納得いかない顔のまま下がった。


 カルブルヌスの血脈。ヤーヘンごときに失われてはいけない。

 しかし、と鼻で笑った。

 俺たちがオーギュントを心配する?


 手元にはサラが禁呪エメトを使用したこと。そして、そのサラがオーギュントの活躍もあって無事本陣に帰還したことが記された報告書があった。


 サラが無事なら、別に心配することなんてないじゃないか。

 それに。


 魔術で書かれた報告書にもう一度眼を通した。


 レオーネ公女殿下に関しての注記。

 オーギュントに随行させたオブザルからのもので、監視の中止を求めていた。


『もう無理です。殺されます』


 ・・・正直な奴だ。

 そうだよ。

 べりル様の娘が力ないなんてことが有るはずがない。

 豊饒神マイヤが、冥界の神サイレス様が、そんな慈悲を下さるわけがないんだ。


 使い魔のカイ、これだな。

 オーギュントの指導者。

 何者か知らないが・・・。

 いや、知ってはいけないのだろうな。


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