ケルサスの王 -軍人としての君主論- 2
土煙の中にきらめく刃の輝きを、ぼんやりと眺めていた。
津波のように押し寄せる数百の亜人がケルサス軍にぶつかって、上ずった怒声と鋼がぶつかる耳障りな金属音が届いても、もはやなんの感慨も沸かない。
背後の長城から閃光が見えたと思った瞬間、耳の奥がキンと鳴って、気圧を乱す突風が駆け抜ける。ごおっと、音が後から続いて、炎の尾を引いた魔槍が着弾する。
埋め込まれた魔石が解放されて、亜人もろともケルサス兵を吹き飛ばし、真っ赤な渦巻きがきらめきをかき消した。こだまのようだった敵兵の叫びも、すぐに飲み込まれた。
聞こえなくともケルサス兵の怒りと苦しと痛みが分る。戦場を解析して、亜人に適切な指示を送るのが自分たちの役割で、ノイズとして混じる彼らの断末魔は術式によって吐き出されるログにはっきりと刻まれる。遠くはなれていても、手に取るように解ってしまうのだ。
操り人形の亜人が流すはずのない涙を流すのを感じて、それでも自分達は為すべきことをしたのだと、術式一つで命を弄ぶ。
これが戦いなのかと自問することは既にやめてしまった。
あの日、ハイデンベルグ城の民を虐殺したときに、戦士としての誇りなど棄ててしまったのだから、そんなことを論じる資格などあろうはずがないのだ。
私たちはマーテル(法の神)を見限った。マーテル(法)など、アーティファ(慈愛)など、所詮は弱者の神なのだと、死に行くものの自己憐憫だと知ったのだ。
こんなことをしても、私達は生きて、殺し続けていられるのだから。
-神よ、私たちを見よ。この残虐を。流れる血で溺れるがいい-
-だが、神よ。貴女が、もし、少しでも我らのことを思っているのならば、お願いします。この苦しみを、我らが子らに負わせないでください-
ヤーヘン亜人指揮部隊のその男は、敵兵と亜人を飲み込む火炎竜巻に顔を照らされながら、胸の中で祈りを捧げた。
無駄だと知りながら、止めることができなかった。
まるでボードゲームのように命を弄ぶ傲慢を、許されていいはずがないのだからと罰を求めて、いつしか彼は跪いていた。
*****
「総員、傾聴!!」
一喝に、総軍が戦争を忘れて姿勢を正した。塹壕の中では通信兵が映し出した影像を前に、泥だらけの兵が正座をする。天幕内では急ごしらえの祭壇を前にして、睡眠不足で目を充血させた士官が整列し、本陣の広場では兵たちが直立不動で天に向かい唇をかみ締めた。
空が歪んで、紺に染まった。
中心から術式の帯びが四方八方に伸びてきて、立体的な魔法陣を形づくる。
ノイズが走って、光が収束し、魔法陣の中央に球体が形成される。
顕微鏡の焦点を合わせるかのように、ぼやけて、集中し、引き絞られて、きわまった瞬間、魔法陣が回転し始める。
球体は横長の楕円に引き伸ばされて、魔法陣の回転数がさらに高まっていく。
もはや回っているのか停止しているのか分らなくなった中で、楕円の中央に像が結ばれた。
薄青色の空間が見えて、ケルサスの紋章である、三日月に横座りする乙女が浮かんだ。
「敬礼!!」
頭を下げた総軍の耳に息遣いが聞こえた。
ため息が漏れて、金属を鳴らす音が響く。
ケルサス王国では王に謁見する際、頭を下げ、許しを得るまで上げることが出来ない。
通信経路の安全を確保するまで様々な魔術が展開されるため、この段階で顔を上げてしまえば、その影響を受けて魔術的なダメージを受ける。耐えたとしても、直ちに位置を特定され、問答無用で首を跳ねられてしまう。
「直れ!!」
顔を上げた先、大理石に囲まれた一室で、彼らの王は玉座に腰掛け、たった一人いた。
アッシュベージュの髪を後ろに撫で付けて、灰色の瞳は彼の軍隊を見下しながら、一点に据えられている。横柄に足を組んで、金色のマントを羽織り王笏を軽く握る。
「偉大なるケルサス王国臣民の諸君、大儀である」
たった一言、その言葉で、兵たちの間からすすり泣きが聞こえ始めた。崩れ落ちて影像にすがり付こうとするものまでいる。傷病兵たちは薄く目を開けて、声に出来ない呻きを絞り出す。
「諸君、私がケルサス国王、ルーメン・オムニブス・ケルサスだ」
決して大きな声を出したわけではない。しかし、どこまでも響き渡る。
戦場で血に濡れた兵らの体を洗い流し、新しい世界を設えてやるような、彼らを生まれ変わらせるような声だった。
戦争に来て、失ってしまった自分を再び与えてくれる、それこそがケルサスにとっての王のあり方だった。まるで空気のようで、気付いたときにはそこにあるもの。普段は意識しないが、遠く離れた今だからこそ偉大さが分る。どれだけ自分に深く結びついていているか、彼なしには自分は在り得ない。
だから、残虐のかぎりを尽くした狂王でも容易に倒れなかった。必須であったから、跪いてしまう。
「そなたたちの働き、私は見ていた。ハイデンベルグの民が虐殺され、憤った貴様らが振るった嘆きの刃。友を助けるために自らを犠牲にし、自我を奪われた亜人らの凶刃に倒れた我が子の誇り高さを」
カイはレオーネの背後でルーメンの言葉を聞いていた。
同じ天幕の中では、未だ本調子でないサラの体をブリギッタが支え、その脇でライラが食い入るように映像を見つめる。マリヤはソファの上で半身を起こして、距離を置くように無表情に眺める。
レオーネはどんな顔をしているのか、うかがい知ることはできない。ただ、その肩が強張って、手が固く握り締められていた。けれど嫌な感じは受けない。まるで、コールを見上げるミミとかいうライラの従姉妹のようだった。
「・・・さすがは狂王の圧制に耐え、打ち滅ぼし、新時代を切り開く誇り高き民よ」
誰もが聞き入るその言葉に、しかしカイは本当を感じなかった。上滑りするようで、体裁の良いことを選んで言っていると。
「お前たちの使命は・・・」
そこでルーメンは言葉を切る。頭を振って、ため息をついた。
目元にしわを寄せると恥ずかしそうに苦笑した。
「いかんな。お前たちが聞きたいことはこんなことではない。そして、俺が言いたいこともこんな形式ばったことではない」
映像の範囲外にいたのであろう、宮廷の高官たちが慌てる声がするが、王は手で制した。
立ち上がり、金色のマントを脱ぎ捨てる。王笏を片手に打ち付けて、両足を踏みしめた。
端正な顔が獣のようにゆがみ、顔を天井に向けて叫んだ。
何も意味しない雄たけびだった。ただ、どうしようもない怒りを吐き出した。
後ろを向いて、髪を掻きむしって、玉座を蹴り上げる。
「ヤーヘンのくそったれめ!!ケルサスを恨むのは理解してやる。ああ、飢饉で援助できなかったのはこちらの落ち度だ。追加の援助が遅れたのは、素直に謝るさ!!悪かったな!!だが、何だと?攻めるだと?ハイデンベルグ城の民間人を虐殺し、味方すら犠牲にしてケルサスを殺しに来るなんて、そんな政策、同じ王として認められるものか!!」
兵たちがあっけにとられて立ち尽くし、全軍を預かるクリトンは髭を撫でる。
王と共に内乱を戦い抜いたダミアン中将が腹を抱えて笑って、いつも振り回されていたアンナ憲兵大佐がため息とともに書類仕事に戻った。
シュナイデル家のフィルマンは、王の教育項目に演説のレトリックを追加することに決めた。
「民がいてこそだろうが!!守ってこそだろうが!!夫が妻のためにかせいで、ガキのために見栄を張って、親父とお袋にいいものを食わせてやれよう国を整えてやるのが、王族の義務だ!!それがなんだ!?」
ルーメンは兵に尻を向けたまま、玉座の肘掛に突っ伏した。肩を上下させて、せきをする。息を整え振り返った。
「おい、貴様ら。これは防衛戦ではない。俺達はヤーヘンの民を救うぞ。こんな腐った王の下にいては気の毒でしょうがない」
両手で髪を撫で付けて、足元からケルサスの青い魔力が立ち上る。
それは高貴でありながら、どこか土臭い。文化の中心で、一時は大陸のファッションをリードした大陸一富裕な国。精一杯気取ってはいるものの、所詮は帝国から見れば成り上がりで、格式は劣る。
けれど、その暖かさが人々をケルサスにひきつけるのだ。強烈に。
王の魔力は泉から湧き出る清水のように、こんこんと流れ出て、恵の水脈を戦場に届ける。
「そのためなら遠慮はいらない。俺たちの軍門に下ったほうが、妻子の腹が膨れることを知っているくせに、あいつら、ヤーヘン兵は王族への恭順を選んだ。俺達が狂王に出来たことを奴らにはやる勇気がないんだ」
そもそもヤーヘンを困窮に落としたのはケルサスであるのに、それを棚に上げて、あげくは侵略の正当性を訴える。しかし、兵達はそれまでの怯えをなくし、王の荒唐無稽な論理に従うのだ。なぜならば、歴史は断絶しているのだから。彼の、ルーメンの治世は、狂った父を民のために殺して始まったものだから。世界で最も恐ろしいものを討ち果たして、彼らが創りあげたものだから。ケルサスの傲慢を否定して、戦って、自らの選択を勝ち取ったものだから。その正当性は彼らの行いが保障していていると信じるのだ。
「亜人か、恐ろしいな。ただ力が強くて素早い。結界も耐久力を超えれば薄いガラスで、突破されれば貴様らはその脅威に晒されることになる。だけどな、いいか、恐れてやるな。あいつら亜人たちは、どうしようもなくて飛び込んでくるんだ。なぜか?助けて欲しいからだ。自我を奪われて、ヤーヘンの手駒となって、ケルサスに攻め入ることを強いられているんだよ。
彼らの望みに応えてやろうじゃないか。彼らの苦しみを終わらせてよろうじゃないか。それは義務だ!!
生きるものとして、マーテルに自由意志を与えられたものとして、ヤーヘンの背徳、許してなるものか!!」
兵にはルーメンが若返って見えた。かつて狂王の軍勢に立ち向かう彼らを前に激を飛ばしたそのままに、泥と血にまみれながら理想を掲げて、俺について来いと胸をはる。
「クリトン、さあ反撃だ!!貴様がいながら、なんという体たらくだ!!ケルサスが戦っているのだ、吉報以外ありえない。
グラナトゥムの兄弟たちよ、良くやった。お前たちこそ英雄と呼ばれるのにふさわしい!!」
一国主義者たちが気色ばみそうな言葉だが、彼らは口元をゆがめただけであった。
-グラナトゥム?ああ、今はどうでもいい。戦ってやるさ、それが王の望みならば-
彼らとて湧き上がる騎士としての欲求には逆らえない。
「見たんだろうが、グラナトゥムの輝きを!感じたんだろうが、母のぬくもりを!フラーダリーを!!」
総軍を睨み付けて、逆賊とされた名を声高に叫んだ。
「ああ、そうだよ。俺が生かしたんだ、彼女を。なぜか?あの子が国を愛していたからだ。そして、今、彼女はお前たちを、ケルサスを救った。ならばお前たちはどうする?お前たちの信じる国の名を聞かせてくれ」
王は大仰に耳に手を当てた。
「「「ケルサス!!ケルサス!!」」」
大唱和が巻き起こる。王を前にした礼儀なぞもはやない。ケルサス現王は軍人だから、誰よりも戦を知っていたから、絢爛な王衣を脱ぎ捨て自分に返って、振る舞いなれた王の姿を見せるのだ。
「そうだ、俺達はケルサスだ!!流れる水のごとく流麗に言霊を紡いで、敵を討ち滅ぼす!!」
ルーメンが友たる軍に、勢い良く敬礼をする。
「いざ、怨敵、打ち滅ぼしてくれよう。民を捨て、復讐に酔ったヤーヘンに法神マーテルの大地を穢させるわけにはいかない」
手を下ろして、脇に挟んでいた王笏を掲げる。
「法を司りし女神マーテルよ。汝の御名において我らケルサスは、創世の神竜カグツチの堕ちた民を救わん!!」
瀑布のごとくしぶきを上げる魔力と共に、眼前に突き出した。
「テトラグラマトン、世界の源流よ、最高善よ、いざ、その御名聞かせたまえ!!
聖典エネアデスに記されし、一たる者よ、一たるモノよ、善なるモノよ!!
我らケルサス、豊饒グラナトゥム、つるぎカルブルヌス!!
マーテルと共に、その御許に身を投げ出し、英知に至る!!
ケルサス王国に栄光あれ!!」
狂奔がうねりとなる。
殺意が誇りとまみれて、魔力となる。
各陣から魔力が津波のように高く盛り上がって、砕け散る。
流れて、押し寄せて、結界を乗り越える。
集まった兵達はお互いに掴みかかって、怒鳴りあって戦意を高める。
士官たちは微笑とともに尽きかかっていた魔力の炎を滾らせる。
傷病兵達は、動かすことの出来ない四肢を引きずりながら武器を取る。
魔力は心の力だから。王にねじを巻きな直された彼らの魔力は、時間という最適の治癒を超えて滾るのだ。
あらゆる天幕で、力が満ちた。
押されていた前線の兵たちは亜人を押し返す。
ケルサスの格式高い術の中に激情をこめて、極めて手際よく、情け容赦なく殺しつくす。
(これが、ケルサス王か)
カイはスクリーンから目をそらした。
サラは泣きじゃくってブリギッタに縋りついている。
お父さん、お母さん、お兄ちゃん、途切れ途切れの言葉の中に、彼女の悔いが初めて喜びに変わる。
認められたと、子供のように泣いて、笑って、友の胸に顔を埋める。
ブリギッタがその頭を抱いて、優しく髪をとぐ。
大した王だ。
消沈した兵たちの闘争心を引きずり出して、必要とあれば機密すらも放り投げる。
それでも、とカイは思った。
あれの父は狂王だったと聞く。
国内で殺戮の宴を繰り広げた父に対して、その子がどれだけの死骸を築くのか。
断言してもいい。
あの魔力の波動から明らかだ。
比べるまでもなく、ルーメンは大陸中を戦火に落す。
果たして、狂っているのはどちらの王なのか。
嘲笑い、剣の柄に手を置く。
まあ、いい。
こいつらがどれだけ殺しあおうと俺には関係が無い。
レオーネらに危害が及ぶようなら、あれも殺してしまおう。
剣神の神気がどろり漂って、鎌首をもたげて獲物を狙う蛇のようにルーメンを見る。
照尺距離はいかほどか。
王が狂って、神は目覚めた。
感情という火を導火線にくべて、破裂した先を戦争という。
法を司る紅い女は首を振る。
思いやりと恐れを込めた瞳で、迷う剣神を見つめ続けた。




