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偽国戦記  作者: ブレヒトさん
魔晶戦争
88/131

母というもの

「サラさんはもう大丈夫でしょう。しばらくしれば意識も回復します」


 その女はブリギッタの手を取って微笑んだ。

 ブリギッタはうつむいていたが、顔を上げるとはっきりといった。


「感謝します。ラスコーシヌイ家は受けた恩は忘れることはありません。そして、あなた方の誇りある戦いを語り継ぐことをお約束します」


 謝罪はしない。謝ってしまったら彼らの戦いを穢すことになる。私の義兄さんのそれが、そうであるように。


 女は、マリヤはほつれた髪を直して微笑んだ。


「それで良いのです。わたくしどもがあなた方に命を賭けたのは、わたくしどもの意志。決して命令などではないのです。夫は、エゼキエルは呪いよりも信仰の道を選んだのですから」


 そう言って涙を流した。

 彼女はエゼキエルの用意した馬車には乗らなかった。部隊の中で最も秀でた回復魔術士であった彼女は、夫の役に立つめに危険を承知でブリギッタたちの馬車に乗り込んだ。そして、死にゆく夫や仲間たちを後に残して、サラに回復魔術をかけ続けたのだった。愛する命が昇華していくのを感じながらも、必死に、一心不乱に。

 サラを心配そうに見ていたレオーネは、マリヤに近づくと腰を九十度に曲げて何度も礼を言った。マリヤはグラナトゥムの公女の思いがけない低姿勢に困惑して、やめるように彼女の肩を抱いた。疲れて固まった顔に笑顔を貼り付けて、体を起こさせた。


「姫殿下、私ごときにそのような・・・」


 顔を上げたレオーネの目を見て、言葉を忘れた。

 とても、美しい少女だった。

 共に馬車に乗って此処まで来た金色の髪をした少女、ブリギッタも美しかった。

 必死にサラ殿を助けようと、闇夜にその髪をなびかせる様は情に満ちて、女である私も見とれるほどに可憐だった。その彼女を手がかりにして私もここまで折れずに来れた。いつしか崇めるように仰いで、聖女とはこういう人を言うのかと思ったほどだった。

 それなのに、目の前の少女は、グラナトゥムの、まさに聖女の血を引く少女は。

 気味が悪かった。

 蒼い瞳には、私の全てを映してしまいそうな静寂があった。

 どこまでも清らかで、混じる事を許さないような潔癖があった。

 陶器のように白い額に、白銀の髪がかすかにかかって、薄赤い唇が何か言おうとすぼまって、その言葉に私は言いようも無い恐怖を覚えた。

 殿下の背後に蒼い炎が見えて、私の世界がむき出しになる。


 -こんなものは、人ではない-


 貼り付けたはずの笑顔が消えてしまうのを必死でこらえる。頬が引きつる。その顔を見たくないと、まぶたが震える。

 聖王の血を象徴する色素の薄い銀色の髪が、私の心に絡み付いてくるようだった。

 逃げ出したい。

 どうしても、彼女から離れたくてたまらなかった。


「わたくし共の兵が生き残ってはいないか、尋ねて参ります」


 逃れるように外に出た。

 慌てて顔を逸らした私を悲しそうに見た殿下の、喜びから絶望に落とされた視線を感じても、私は彼女から離れていたかった。


 *******


 外には、戦場の匂いが満ちていた。

 血と火薬と金属が混じったような匂いが鼻につき、思わずえずいてしまい、助けを求めて辺りを見渡すが、誰も私を気にかけず、まるで言葉の通じない異国に来たかのように思われた。

 孤独を感じたからだろうか、乱れた頭に動悸が響いて、考えないようにしていた事実が、湖面をわたる波紋のように、何度も何度も押し寄せてきた。

 私には誰もいなくなってしまったのだと。


 ぬくもりをかき寄せるように、夫を思った。

 狂王の慰み者にされていた私を美しいと言ってくれた最愛の人。

 あの日、暖炉の傍で、私が好きなスノー・ドロップを組み入れた家紋を照れながら見せてきて、プロポーズしてくれた可愛い人。

 もう、愛し合えない。

 その兵たちを思った。

 汚れた私を、誇り高い虜囚の民の王妃と認めてくれた。

 傷は貴女がつけたものではないのだからと、傷ならば生きとし生きるもの誰もが負っているのだと、私を受け入れてくれた。

 首都から来た私に、辺境の作法は無骨だからと申し訳なさそうに言いながらも、酒を飲んでしまえば遠慮をなくして、顔をしかめる私に笑ってごまかしてばかりだった。

 もう、ダンスを教えてあげられない。


 そんな皆が、死んだ。

 どうして?

 ようやく見つけたぬくもりが。

 汚れた私に石を投げつけない優しい人たちが。


 -許せない-


 背後で、いつの間にか赤い馬が、桶の水をがぶがぶ音を立てて飲んでいた。

 いやらしく笑って、にじり寄る。


 (そうだよ。みんな死んじゃった)


 死んだ?違う、みんな、殺されたのよ。


 (うん。裏切られて、味方の砲弾でぐちゃぐちゃになっちゃった)


 誰がやったの?


 (誰かなあ?ヤーヘンじゃないよね)


 私から青春を、純血を奪ったケルサスが。


 (そうだね。で、この戦場でそれを命じたのは誰かな?君の大切な、愛した人を殺したのは)


 あいつだ!!


 (うんうん。師団長が独断から先走ったって?そんなはずがないよ。ケルサスはそんなに馬鹿じゃない。・・・馬の僕が言うのは変だけど)


 クリトン、あの男が。

 あの時、狂王に組み敷かれる私が助けてって叫んでいたのに。

 愛想笑いを浮かべて、私の具合がどうだとか、聴くにたえないことを。


 (怖かったんだろうね、軍人のくせに)


 私を見棄てただけじゃなく、最愛の人まで奪ったのか!!


 (とっておきの秘密を教えてあげる。・・・クリトンくんね、犯されて痛みに喘ぐ君を見て、勃起していたんだよ!!)


 呪馬が腹を抱えて嗤って、女は呪いに沈む。

 かつて大国ケルサスでも、治癒魔術において指折りの才能を持つと謳われた少女。ならば、いくら傷つけても壊れないと、狂王の贄にされた。

 終わらない狂気を浴び続けた彼女は、繰り返された悲劇に逃れられない宿命を感じ取った。


 殺さなければ終わらないなら、殺してやる。

 あの人が戦ってあげたから今この軍がある。

 その戦果を穢しはしない。

 けれど、あの男だけは、生きていることを許さない。


 -私の心を占める、唯一つの風景-


 心の中でつぶやいて、治癒の青色を呪いの灰色に転化する。

 膨大な魔力が彼女の中で海になって、風が吹荒れ、嵐が来る。


 天幕の脇で警戒にあたっていた剣神の目に梵字がうかぶ。


 (・・・・?!あわわわわ、カイ様、どうしてそこに!!でも、ご安心ください。目指すはクリトンくん!!貴方様にはなんらご支障ないことをお約束しますとも)


 -癒しこそが使命ならば、痛みこそが私を呼ぶ声-


 ならば、癒すために傷つけよう。 


-世界に傷跡刻む、暴風の叫び-

-押し寄せ侵食する、波頭の雄たけび-

-暴虐の果てに、癒しがある。癒しの果てに、生きる喜びがある-


 (どうしようもなくて諦めて、そうなって初めて君ことを思い出すんだろう?)

 (だったら、壊すしかないよね)


 -今こそ、声高く主張しよう-

 -壊れよ、世界!!壊乱して、私の名を呼べ!!-


 でも、そう簡単に癒してやるものか。

 私が助けてって泣いた時、あなた方は何をした?


 -絶望切望し、うなだれて私をこそ求めよ!!-

 -私の痛みを知り、跪いて許しを乞え!!-


 傷つき、奪われ続けたかつての少女が顎を挙げる。

 軽快にステップを刻み、得意だったダンスを踊る。叶わなかった少女の夢をのせて、術式を刻む。

 昇る太陽に極大の呪いを吐いて、淫らな笑みを浮かべて、嬌声を響かせる。


 -負わされた私の罪、姦淫!!-

 -愛した天使よ、ソドムはゴモラはここに!!遥かなるパライソ、その眼前にこそ栄華を誇る!!-

 -吹けよ風、飲み込め海原!!-

 -現れたる穢れの街を滅ぼし、終焉の先に我が癒しを与えん!!-


 奪われた夢を見る。

 この力で傷ついた人々を助けて、褒められなくてもいい、笑顔を見られたらそれでいい。

 乙女だった日、願った気持ちは本当で、だからこそ極大の呪いとなる。


「テンペス・・・」


 最後の言葉が紡がれる瞬間、白銀が煌いた。


 目の前に聖女の末がいた。


「・・・」

 (・・・うわ)


「ここにお出ででしたの?」


 蒼い瞳が私を貫いた。

 意識が、私の脳裏に光りが射した。

 そう思ったのは、どうして?


「いかがされたのですか?」


 縋るように、まるで彼女が何か悪い事をしたかのように、泥にまみれたドレスを握る。


 そうじゃないの。

 私が、呪いを。

 ・・・呪い?


 頭が痛い。

 どうして私は呪いなんて、そんなことしていいはずが無いのに、しちゃいけない体なのに。


「大事なお体なのですから、どうか天幕でお休みになってください。部隊は私どもが探しますから」


 殿下は、恐る恐る口にした。


「え?」


「治癒魔術は胎教に良いと聞きます。でも、やりすぎは・・・」


「どうして、それを!?」


 殿下は、不思議そうに私を見上げる。


「いえ、誰も知らないはずです。夫にもまだ言ってなかったのです」


 困ったように、眉根を寄せた。


「そんなの見たら分ります」


 微笑んだ。

 蒼い瞳で、心をつかまれた。

 グラナトゥム。豊饒なる大地を統べる聖王。庇護するのは豊土神。その裏は、冥界の神サイレス。

 大狼の牙は罪あるものを引き裂いて、地獄の業火で浄化する。


 私が犯そうとした罪、呪い。

 殿下は私を、地獄に落すの?


「さあ、行きましょう。貴女はサラとブリギッタを救ってくださいました。私の大事な友達。二人がいなくなってしまったら、私、きっと生きてはいけないんです」


 だからと、せめて無事でいて欲しいと。

 真剣な眼差しで、おなかの子供を、そして汚れた私をも聖で包むかのように。


 唇が震えて、嗚咽がこぼれた。

 走りよって、その胸にすがり付いて、泣き声を上げた。

 膝が折れて、十近く離れた少女に跪いて、腹に顔を押し付けて、私は力のかぎり嘆いた。

 夫の名前を叫んで、仲間の力強い手を握れない不幸を訴えた。

 彼女は共に泣いて、私を抱きしめてくれる。

 髪を撫でられて、穢れが落ちる。

 涙を拭われて、思い出がよみがえる。

 お腹に手を添えられて、未来が見えた。


 泣き止んだ私は彼女と共に、私たちが助けた命がある天幕へと向かう。

 私の夫たちが為したこと、これから私が為すこと。

 意志を受けいで、この子に示す。

 貴方の父様は素晴らしい方だったといえるように。


 *******


「で、貴様は何をしていたんだ?目障りな」


 赤い呪馬がぶるぶると首を振る。


「剣神様、お久しぶりでございます。あの姫君は魂引きでございますね?さすが、御目が高い・・・」


「人に堕ちたから、虚仮にでもしているのか?」


「いえいえいえいえ。まずはご挨拶をと、えっと、要りませんですか。まっこと剣神様は実際的なお方で・・・」


 カイのこみかみに血管が浮かび上がった。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、生意気言いました。ええっと、ですね。僕は、ですね。ヴァルキュリア様の命に従って、眷属となりうる戦士を探していたんですよ。で、ずっと目をつけていた男が堕ちそうだったんですけど、結局駄目で、そうしたら、その奥さんと胎の子がいるじゃあありませんか。喜び勇んで、悪魔にしようと張り切ったわけです」


 四本の足を、ひっちゃかめっちゃかに動かして、事情を説明する。


「ほう」


「こ、こればかりは、いかに剣神様といえども、じゃ、邪魔はできませんよ!!ヴァルキュリア様のご命令なんですから!!」


「なるほど」


「です」


 ほっとした呪馬の脇の空間が切裂かれた。

 マーテル(絶対神)の法が歪んで、剣神の世界が覗く。

 悲鳴を上げた馬が、泡を吐いて後ろ向きに倒れた。


「どうだ?人に堕ちたといえ、封印された力はいまだ天上にある。これくらいは出来るぞ。

 見上げるだけでしかなかった俺と言葉を交わして慢心したか?下郎が」


「ううううう。そんなつもりでは・・・」


「では、どういうつもりだったんだ?この俺が眷属なぞと会話し、時間をさくのだ。ヴァルキュリアが悪魔を望むだと?ふざけるなよ。俺を謀るとは、さぞかし崇高な目的があろうな?」


「は、白状いたします。そうです、サボっておりました。呪いに落として、悪魔にすれば手っ取り早く力が高まるだろうなって。

 どうか、お慈悲を!!マーテル様にはこのことは御内密に」


「気付いているに決まっているだろうが。いつから眷属なんだお前は。さっきまでそのマーテルがそこにいた。楽しんでいたぞ、あいつは」


「え?マーテル様もここに?嘘ですよね?」


「・・・消滅させるぞ」


「それは困ります!!まだ、人間を滅ぼすっていう大切な役目があるんです!!・・・うん?ということはですよ、僕、怒られない?」


「レオーネらに手を出すな。・・・それとだ、光臨の儀、それがなければブリギッタがどうなっていたかわからん。よくやった」


 馬が激しく瞬きして、跳ね上がる。


「け、剣神さまから、この僕がそんなお言葉を!!いえ、それどころか、貴方様がそのようなことを眷属ごときにおっしゃるのは初めてではありませんか?その初めてをこの僕が?童貞をいただいちゃった?」


「・・・」


「・・・どっか行きます」


 さいの目に切断され、ヴァルキュリアの神気で復活した呪馬は恭しく去った。

 姿を消して、新たなる主、女の胎の子の元に消えた呪馬を注意深く見送ったあと、カイはため息をついて、自問した。

 あれの言うとおりだ。

 どうして俺はヴァルキュリアの眷属なぞに声をかけた?

 ブリギッタたちに手を出させないよう釘を刺すためではない。そんなことは神気を示すだけで事足りる。会話をするなど今までなかったことだ。

 ナスターシャ時とは状況が違う。あれはレオーネの友人ライラの使い魔で、レオーネの試作品だ。そうする理由があった。

 しかし、あの呪馬はどうだ。

 まるで意味がない。

 ・・・まさか、心配しているのか、この俺が?

 初めて会ったあの女が、関わりあいなど無いはずなのに。

 胎に宿した子の幸福を願っているのか?


 混乱する思考を覚ますように、天幕から歓声が上がった。

 マリヤが身ごもっていることを知らされたブリギッタたちが手を叩いて喜んでいる。

 父を失ったというのに。

 レオーネがベッドを片付けて、無理に寝かせる。

 困惑するマリヤをハイデンベルグの騎士が言い聞かせて、みなが駆け回る。

 騒ぎに顔を出したシュナイデル家の魔術士が事情を聞いて、鷹揚に頷き、懐から高価な魔具を取り出して、枕元に並べ立てる。

 民を失った騎士も、一国主義者も、通りがかった兵卒も、彼女と生まれいずる命に奉仕しようと手を尽くす。

 涙ぐんだ彼女を、敵であった一国主義者の魔術士が診察する。

 笑いが起こり、呪いを起こそうとした女を励まして、マリヤは母になる。

 まるで戦争など忘れたように、命を称えて、彼らはヒトに返った。


 どうして、そんなふうに笑いあえるのだ?

 死が迫っているだろう?

 砲弾がかすっただけで、剣を三センチ差しこまれただけで死んでしまうくせに。


 天幕をくぐったカイの手をレオーネが引いて、サラの脇に座っていたブリギッタが微笑んだ。

 マリヤがカイを見上げた、その眼差し。

 ああ、これが母か。

 ヒトがヒトを宿すということか。


「カイさんはとっても強いんです。敵は絶対ここに入ってこれないんです。だから安心ですよ。ゆっくりお体を休めてください」


 その頬に触れてしまう。

 銀の仮面を被った俺は、随分と怪しいだろう。恐ろしいだろう。

 でも、彼女はその手を取って微笑んだ。

 全てを受け入れる瞳。

 優しさが必要なくせに、優しさを振りまく。

 絶対的な弱者のくせに、強くて周囲を屈服させてしまう。


 気付くと俺の手は震えていた。

 彼女の体に宿ったあまりにも小さくてか弱い生命が、視界に収めただけで壊れてしまいそうで、見ていられなかった。

 それを宿す母という存在が理解できなかった。


 ただ斬ることを求める俺の世界に亀裂が走る。

 これを斬ることが出来るのかと、規範が混乱する。

 斬れないものなどないのだ。

 俺は剣だから。

 この世に現存するのは、俺が斬らないと決定したもの。存在しているということはそうなのだ。

 では、俺は、それを何時、何をもって規定したのか。

 この女を。

 母という存在を。

 分らない。

 なにも、分らない。


「じゃまなのです!!」


 メイドが叫んだ。

 騒いでいた皆が動きを止める。


「お母さんは休息を必要としているのですよ!!」


 平等ゆえに助けない神が、俺を見て、俺にしか分らない笑みをくれる。


 (マーテル・・・)


「そこの一国主義者!!あんたはご主人様に言って、滋養のあるものを持ってくるのです。レオーネ様はそろそろご飯の準備なのですよ!!ハイデンベルグ様の部下のあんたは、さっさとレオーネ様の天幕を設営して、この方の受け入れの準備をするのです!!ブリギッタ様も少しお休みになるのですよ。倒れてしまうのです。・・・ライラ様!!さっきからお腹を突っついてないで、ご自分のお仕事をするのです!!御つきの二枚目、あんたさっきから何をしているのですか?・・・ごまかさない!!後ろに隠したお菓子を返すのです!!主に似て、食い意地が張って!!」


 怒涛のごとく指図して、みなが散らばる。

 母を前にした無礼講。プライドや地位を脇において、母を中心に考えるから誰もそれをたしなめない。その空気、誰かが命じたわけでもなく、教えられたわけでもない無言の不文律が命あるものの連帯だった。

 カイが教えられなかった、理解できなかったものであった。


「カイ、あんたはブリギッタ様の大隊を探して連絡を取るのです!!通信が混乱しているから、直接行ってくるのですよ。きっと、心配しているのです」


 ブリギッタの顔が強張る。レオーネがその手を握って、ライラが目を伏せた。

 その意味をカイは理解しようと務めたが、出来なかった。

 やるべきことをやった彼女が罪の意識を感じていることなんて、分るはずがなかった。

 天幕を出て、ブリギッタを探しているのであろう、陣中に散らばる大隊の生き残りに接触することにした。

 出陣のさいにその気配を覚えていたカイには造作もないことだった。


 *******


 カイは、副官らしき人物がいる天幕の前に立った。

 耳を澄ますと、結界が張られたその中から怒号が響いていた。


「連絡が取れないとは、どういうことだ!!」


「現在通信が混乱しています。前線の兵に関しては、未だ生存の確認すら取れていない状況でありまして・・・」


 本営の兵とでも通信しているのか、しわがれた声が通信相手を責め立てている。


「ええい、らちがあかん、クリトンに繋げ!!わしの名を言えば、繋がるはずだ」


「将軍はただいま軍議中であります」


 嘲笑うかのような含みがある。


「貴様・・・」


 さてどうしたものかと、天幕の脇でたたずむカイの背後から、よく知った気配が近づいてきた。


 オーギュントはカイの肩に手をかけるとにっこりと笑った。そして、天幕の衛兵が止めるのにも関わらず、カイの腕を引っ張り中に入った。

 突然訪れた闖入者に老人が眦を上げるが、オーギュントは気さくな調子で彼に手を差し出して、強引に手を握った。そして通信の水晶に向き合った。


「デュルイ家のオーギュントだ。急ぎ、ブリギッタ子爵令嬢、もしくはサラ・マンスフィールド令嬢と連絡を取れ。出来なければ貴官を怠慢の咎で処罰する。軍法務部が止めても、デュルイ家の権限全てを使い必ず成し遂げる。分かったな?」


「いや、それは・・・」


「僕はとても気が立っている。余裕がない。君の首なんてどうでもいいが、躊躇はしない」


「ひっ!!」


 オーギュントの迫力に通信兵が椅子から転げ落ちたのか、影像から消えてしまった。

 いらだったオーギュントの周囲に黄色の魔力が立ち上った。

 傷だらけの体のあちこちで傷が開き、包帯から血がにじみ出ているのだろう、血が強烈に匂い立った。


 ようやく立ち上がった通信兵が口ごもって、顔を引きつらせる。


「いい加減に・・・」


「不要だ。居場所は知っている。俺が案内する」


 そう言って、通信を切るようにラスコーシヌイ家の通信兵に頷いた。


 オーギュントは目を丸くして、老人は大きく息を吐いた。


「早く言ってくれよ」


 天幕に向かう道すがらオーギュントはカイを咎めるように言った。老人は気に掛かることがあるのか、無言だった。


「勇みすぎだ。いくらサラたちのこととはいえ、無駄な感情に流されすぎている。それでは余計な怪我増える」


 オーギュントの体を見ながら言った。


「うるさいな」


 そっぽを向いた。


「急いだほうがよろしいのでは?」


 それまで黙っていた老人が声を上げた。


「ブリギッタ様に連絡を取るのに、これほど時間が掛かるとは妙です。もしや、サラ様を手に入れるために一国主義者が暗躍しているのでは?」


 オーギュントが気色ばんでカイを見つめた。


 考えられることではあるが・・・。


「心配はいらない。天幕にはライラとその御つきの騎士がいる。ハイデンベルグの騎士に、レオーネ様もいるから、危害を加えることはできないだろう」


 それに、だ。


「シュナイデル家が協力を申し出た」


 老人が立ち上がった。


「シュナイデル家!!奴らこそグラナトゥムの宿敵です!!お嬢様の天幕にいるというのですか!?」


 オーギュントの目が据わって、唇をかんだ。


「不思議なことに奴らは本気だ。英雄に奉仕するのが貴族らしい。俺に首を差し出した。見ろ」


 カイは馬車の窓を開けて、外を指差した。馬車に先立って道を開けさせる騎馬隊がいた。

 紋章は件のシュナイデル家。


「この調子だ」


「信じられん。何ゆえシュナイデル家が・・・」


「ヴィタリーとか言う奴の意思を継ぐとか言っていた」


 その名を聞くと、老人は力が抜けたように席に崩れ落ちた。


「さようでございますか」


「その男、大したやつだな」


 老人は手で顔を覆った。その間から、嗚咽交じりの声が漏れ出した。

 褒め称えて、それ以上に悔やんで、死に切れなかった老兵の懺悔が響いた。

 オーギュントとカイは、それを黙って聞いた。

 何も言うことが出来なかったのだった。


 オーギュントは、ヴィタリーの喜びに溢れる顔を思い出していた。そして握った手の震えを。

 全てを解き放って、命を燃やし尽くした彼の意思が戦場に舞った美しさを。

 そして同時に自らの無力感を感じた。

 サラたちを救ったとはいえ、ヴィタリーから預かった大隊の多くを死なせてしまった。彼ら一人一人に未来があり、自分にとってのサラがそうであるように、彼らにも愛する人がいたのだ。


 僕は指揮官として正しい行動を取ったのだろうか。

 もっと、良い選択があったのではないだろうか。

 兵たちを愛する人の元に返すためにこそ、全力を尽くすべきではなかったのか。

 

 兄さん、僕は、沢山の人を死なせてしまったよ。

 どうか、教えてくれ。

 僕は正しいことをしたのだろうか?


 先導する騎馬隊が天幕の前で左右に分かれた。

 馬車がその間を縫って進み、停車する。

 知らせを受けていたのか、オルディナとハイデンベルグの騎士が出迎えた。

 英雄が休む天幕は朝焼けを受けて、まるで王宮のように輝いて見えた。

 まるで入るものを選別するかのように、排他的なたたずまいで、罪悪感を抱いた者たちに門を開いた。


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