栄誉と死と
撤退戦の後のブリギッタ。
続きは明日。同じ時間。
前線から撤退してきた兵を収容した天幕は、負傷兵のうめきで満ちていた。
止まらない血を何とか止めようと、看護婦たちが絹の糸で手際よく縫合していく。衛生兵がろくに見もしないで看護婦に頷き、助けてくれと叫ぶ彼を無視して次の患者にむかう。
ぶらりと垂れ下がる腕を見つめてむせび泣く若い兵の脇に、無表情のいかつい蛇人がなたを持って立つ。麻酔を使ってくれと懇願する兵の口に看護婦が木の棒をかませ、蛇人がなたを振り下ろす。痙攣する若い兵を中年の衛生兵が止血した。
痛みにもだえる友に付き添った兵が治癒魔術士を呼ぶが、応える声はない。意識を失う友を叫び、励ますが、その背後では虚ろな目をした負傷兵がベッドの空きをまっていた。
治癒魔術士たちは数えるほどしかいなかった。
よくあることに貴族たちが独占していた、わけではないのだ。単に手が足りていなかったのだ。数千人にのぼる負傷兵を治療していては、治癒魔術士の魔力は枯渇する恐れがある。戦争は終わっていないのだから。これからも、負傷兵は増え続けるのだから。
そのために本営は魔術の使用を制限し、無慈悲にも救うべき兵に順位をつけた。魔術を使える者を最優先に、専門知識を持つものをその次に、それ以外は助かるものだけを救った。
遺体を乗せた馬車が出立する脇で、バケツを持った看護婦が中身を草むらにぶちまけ、赤く染まって鉄の匂いが広がる。浄化の魔術士が清めのために駆けずりまわり、死が事務的に処理されていく。
そんなありさまに、本営の決断を非難する声がところどころ上がるが、大きくなることはなかった。過酷な内乱を経験したケルサスの誰もが理解していたからだ。地獄はこれからなのだと、自分たちが生きて帰るには、そうするしかないのだと。
その天幕が並ぶ区画に、幾つか上質の素材で編まれた天幕があった。結界が施され、衛兵が立つ。通信用の水晶がおかれて、馬もつながれていた。
そのうちの一つにブリギッタはいた。
サラの枕元で組んだ両腕に顔をうずめ、その顔を静かに見ていた。
眠るサラは汚れてはいたものの、穏やかな寝息を立てて、かすかに聞こえる兵たちの苦悶の声が外からかすかに響く。
ブリギッタは、泥にまみれた自慢のブロンドを拭いもせずに、ただじっとしていた。
もうなにも考えられなかった。
いくつもの大事なものが零れていった。失われてはいけないものが、どんどん消えていって、心の中にいつの間にか空いた空洞が、途方もなく広がっていくような気がした。
レオーネを守るために従軍すると言った自分に父も養父も反対したものの、結局は国許に掛け合い兵を出してくれた。経験を積ませるには良い機会だと励ましてくれて、安心するようにと知った顔を沢山連れてきてくれた。
それがみんな私のせいで、私が戦争なんかに行きたいなんて言ったから。
頭の奥に熱した剣を突き刺されたような衝撃が走って、思考を止めた。
これ以上考えたら、きっと立ちあがれなくなる。
戦果なんかよりも、もっと大きなものに心が占領されて、私はきっと何も出来なくなってしまう。
「少し風に当たってきます」
サラに治療を続けるエゼキエルの連隊から着いてきた女魔術士の目を見ないようにして、天幕を出た。
空が白んでいた。
いつの間にか夜が明けようとしている。
普段と変わらない空が憎らしくて、大きな声を上げたくなったけれど口を固く結ぶ。吐き出してしまえば、考えなくてはならないような気がしたから。
ただ小さくなって、けが人でごった返す陣中を歩いた。何処か向かう先があったわけではないけど、何処かに行ってしまいたかった。
助けて欲しかった。
私をここから救い出して、連れて行って欲しかった。
でも、望むその人は此処にはいない。
いつも飄々として、ごまかしてばかりいて、とても卑怯な人。
私たちを守ってくれている人。
立ち止まって、唇を血が出るほどにかみ締めた。
こんなときに考えるのが、男のことだなんて。
みんなを、馬鹿にしている。
涙が溢れてきた。
路上に座り込んで、泥に濡れていく下半身の冷たさが生きていることを感じさせて、また自分のことを考えているのだと気づかせて、私は泥に、自己嫌悪に沈んでいくような気がした。
「泣いても構いませんが、ここでは具合が悪いでしょう」
顔を上げると、小隊がぐるり私を囲んでいた。
私から人を遠ざけるように、人目につかないようにしてくれている。
だれ?
見上げた胸元には、ケルサス軍でも急進的な一国主義者で知られる家の紋があった。
体が強張ってのけぞって、思わず後ろに手をついてしまう。
けれど、小隊を率いていたその中年の指揮官は手を差し出し、私を立たせて軽く微笑んだ。
そのとき、通りすがりの少尉が覗き込んできて、私は思わず顔を伏せる。
小隊の一人が鬼気迫る声を上げて追い返した。
情け無いことに、その声に私はめまいを起こして、よろけてしまった。
それを指揮官が支えて、手を取って道路の脇に誘導してくれた。
樽を引き寄せて、無様に涙を流す私を座らせ、泥の中にひざまずいた。
「我に貴女たちをお守りする許可をいただきたい」
「なにを?」
深みのある茶色い瞳で真摯に見つめられた。
どうしてグラナトゥムと敵対関係にあるこの人が、私を?
「貴女がヴィターリア中尉のために創り上げた魔術、お見事でした」
視界が赤く染まる。
「義兄さん・・・」
・・・ごめんなさい、義兄さん。
「あの輝き、中尉を包み込んだ術式。あれを生み出した貴女は守られるべきなのです」
言葉が耳に入ってこない。礼を尽くしてくれているこの人、受ける私は人形のように固まって。
「しっかりなさって下さい」
そっと手を包まれた。
「ヴィタリー殿は、まことの幸福の中でお亡くなりになったのです。彼は友を守り、誇りを示し、数多の兵の心を打ったのです。
断言します。彼は、生涯において最も幸せだった。彼の化身、黄金の獣は、それを満腔の意を持って示しておったのです。同じ騎士として、私もそう死にたいと思いました。
貴女がその力を彼に授けたのです。誇りに思うべきです。一人の貴族として、魔術士として」
ハンカチを差し出され、私は顔を拭った。
指揮官の真っ白で瀟洒なそれが泥に汚れ、赤色がにじんだ。喉が痙攣して、私のものではないような声がしぼり出た。
私は生まれて初めて、無力という言葉の意味を知った。
そのときだった。
私の上げる泣声が空に吸い込まれて、それに応えるように、何かが落ちて来た。
囲んだ兵たちが剣を取り、叫ぼうとするが、動けず声が出ない。
それが体を起こす。
銀の仮面。黒いマント。グラナトゥムの紋が刻まれた、長く漆黒の剣。
黒い目が、殺意を放射した。存在することを許さない、寂滅をもたらす意志が場を包んだ。
ああ、貴方と初めてあったときに私を見つめたその瞳。
今は、私を守るために見せてくれるの?
「何者だ?」
騎士がカイに尋ねた。
「・・・ほう」
カイは騎士が動けること、しゃべれることに少し驚いたようだった。
「いや、失礼した。その紋、グラナトゥム王家、レオーネ公女殿下の個人使い魔どのか」
「名乗れ」
「シュナイデル家、フィルマンと申します。レオーネ公女におきましては・・・」
「フィルマン卿、一国主義者が何のようだ?敵意はないようだが、それで貴殿がブリギッタに近づいていい理由はない」
フィルマンは私を見て一礼した。
「英雄にご挨拶をと思いましてな。戦場において最も輝かしい功績を残した方にお会し、お言葉を賜るのは武人の願い。なにとぞ、お分かりいただきたい」
カイが苛立つ。
マントが揺れて、詰襟の白い軍服のボタンが弾け飛んだ。
「カイ、いいの。フィルマン様は私を守ってくれているの」
カイがおかしそうに、嗤う。
「おいおい、こいつらがサラの家を潰したのだろうが。お前は決して許さないんじゃなかったのか?」
仮面の下から覗いた口に、まるで餌を横取りされた獣のように、唾液が糸を引いた。
噴出した殺気に、フィルマンの顔から笑みが消えた。
でも、剣に手は伸ばさない。
「斬りたいのであれば、けっこう。斬るがよろしい。私は、貴方には敵わない」
その言葉に、喘いでいた彼の部下がなんとか体を動かそうとする。けれど、失神することすら許されずに這い蹲る。
「確かに私はグラナトゥムに良い印象を持っていない。自治権など与えずに、ケルサスに飲みこんでしまえば好いのにと思う。だが、今、私は英雄を守りたい。これまでの葛藤などどうでもいい。
騎士として、ヴィタリー殿の末期を見たものとして、それが義務であると信じる。彼の黄金の意思を継ぐ、なんと高潔なる使命であることか、貴殿に理解できるだろうか。
それが果たせないとなれば、ここで死ぬまで」
義兄さん、貴方、一国主義者を、シュナイデル家を動かしたのよ。
あの、ケルサス最右翼の。
「カイ、お願い」
分かってる。斬りたいんでしょう?私のために、サラのために。
でも・・・。
それは、義兄さんの命を無碍にすることだから。
お願いよ。
銀の仮面の下から、歯軋りが聞こえた。
殺気がぬかるむように這い出して、時間が止まってしまったように周囲の色彩が消えた。
カイが空を見る。
その目に、なにか文字が、はるか古の文字が見えた気がした。
「道をお開けください!!」
遠くから、兵たちがかけて来た。
その背後で、何かが凄まじい速さでやってくる。
「っつ」
カイが舌打ちをすると、殺気が消失した。
動けるようになった小隊は嘔吐し、フィルマンはよろけ、膝を落すところで何とかこらえた。
近寄ってくるものは一両の馬車だった。
御台には騎士が乗っていた。しかし、彼は手綱を握らずに台にしがみついて悲鳴を上げる。その脇でメイドが道を空けるように叫びながら馬車を操っていた。
道上の兵たちが飛びのいて、くぼみで車輪が跳ねる。
馬車の屋根に刺さったハイデンベルグ領主の小旗と、グラナトゥム王族の小旗がたなびく。
鬼人のごとく眉をつり上げて、稲妻のように鞭を操って、よく見た顔が凄まじい速さでやってきた。
私を見つけたメイドは手綱を放して、両手をぶんぶんと振る。騎士が必死に手綱に飛びつく。
小麦色の髪を振り乱して、同じ色の瞳を大きくして、飛び跳ねる。
いつもの彼女だと思った。
私は、笑った。
目の前に止まった馬車の上で、オルディナがさわやかに汗を拭った。
「ここにお出ででしたか、ブリギッタ様!!」
ええそうよ、私はここよ。
ここに、いたの。
涙が出るが悲しみではない。初めての、生きて帰れた喜びの涙。
オルディナの言葉に、馬車が勢いよく開いた。
白銀と碧が胸に飛び込んできた。
「よかった、ブリギッタ、ああ、本当によかった!!」
「んー!!」
抱きしめられて、抱きしめた。
彼女たちの髪の匂いを胸いっぱい吸い込んで、心が戻ってきた。
私は戦場から、帰ったきたのだ。
「フィルマン卿、失礼しました」
カイがフィルマン卿に頭を下げた。
レオーネがフィルマン卿に気付いて居住まいを正す。
ライラは私の後ろに隠れて、疑わしそうにねめつける。
彼の家紋に気付いたレオーネが動揺して、硬直した。
当前のことだった。一国主義者にとってレオーネこそ付け入る隙であり、これまでも攻撃され続けてきたのだから。
「貴方のようなお方が手を貸してくださるのならば心強い。レオーネ公女殿下の使い魔として、先ほどの申し出、是非お願いしたい」
さっきまでの殺気がうそのように消えて、いつものカイだった。
「窓口は俺か、不足に思われるかも知れませんが、このメイドが。よく弁えておりますから」
オルディナがスカートの端をつまんで、それは優雅に礼をした。
「では、我らは失礼します。我々の天幕はご存知でしょう。お待ちしています」
仮面を取って、笑顔で礼をする。
フィルマン卿は頷いて、この場は下がるべきと判断したようで、レオーネに礼だけをした。
カイに馬車に乗るように促された私たちは従った。
レオーネとライラは事情が飲み込めずに戸惑っていたが、礼もそこそこに乗り込んだ。オルディナがそうさせたのだ。
その間、カイはフィルマン卿を見つめていた。
カイが仮面を取った意味。フィルマン卿はそれを理解したのだろうか。
彼は窓から顔を出した私にうやうやしく礼をした。馬車を見送る隊列は、一糸乱れなず王族に対するものであった。
そう。彼は分かっていた。使い魔が正体を明かす意味。それも、敵である一国主義者に、王族であるレオーネの使い魔が。
-裏切りは許さない。もし裏切ったならば、グラナトゥムが全力で貴様の生を地獄に変えてやる-
走り去る馬車が見えなくなると、フィルマンの若い副官が思わず声を漏らした。
「あれは、なんですか」
「レオーネ殿下の個人使い魔だ」
「まさかっ、レオーネ姫殿下が召還したのが黒騎士というのは本当だったのでございますか?」
フィルマンは笑った。
上位貴族の見本のような彼が、さも可笑しそうに、口からこぼれる声を抑えきれなかった。
「銀の仮面なぞ被り黒騎士のように振舞ってはいたが・・・。っく。副官、君にはあれが黒騎士に見えるのか?」
「黒騎士の身体能力は騎士を凌駕し、その剣術は岩をも両断すると聞き及んでいます。しかし、魔術を使えないゆえ、我らを超えることはないとも」
「そうだ、その事実は揺るがない。例外は邪教徒の首魁の一人、呪いを身に宿したワーカーホリックのみ。
しかし、あれはどうだ?呪いなど感じられない。そして、その力は騎士を凌駕している」
「私などには・・・」
「レオーネ殿下、恥の姫、か。ダミアンやハイデンベルグ殿が熱を入れているようだが、なるほどな。あんなものを使い魔として召還するとは」
フィルマンは馬車が過ぎ去った道を見つめて、笑みを消した。
「あんな気を受けたのは、以前まみえた邪教徒のエンジェル・ボイスだけだ。
グラナトゥムに放っている間諜は誰だったか・・・、目がないな」
「はっ、すぐに暇を出します」
「しかし、あれが何であるかは後々考えればよいことだ。我らの使命は変わらない。ブリギッタ殿とサラ殿を守り抜く。他の家になぞ邪魔させはせん。
知らせを出せ、彼女らに手を出すものはシュナイデル家が相手になると。父上はこの私に全てをお任せ下さっている」
「・・・盟約に反しませんか?」
「盟約?確かにグラナトゥムになんらかの始末をつけようとは誓ったさ。しかしだな、フラーダリーの生き残りや、ブリギッタ殿を害しようなどと誓った覚えはない。よいか、盟約に縛られて誇りを失うのならば、そんなものは貴族ではないのだよ」




