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偽国戦記  作者: ブレヒトさん
魔晶戦争
81/131

ああ奈落

サラとブリギッタの禁呪エメトにより、ヤーヘンの極大魔術は防がれた。

しかし、ヤーヘンの攻撃は終わらない。

「炎獄、消失しました!!」


 通信兵が叫んだ。

 目に戸惑いと救いを浮かべて、口元を引きつらせている。兵達は迫り来る白い手に、身を縮ませて恐怖に正体を失くす。

 回線が混乱し、驚愕と指示を求める声が通信を媒介する水晶を震せた。


「フラーダリーの禁呪エメトだ、動じるな!!攻撃魔術ではない!!」


 将軍が通信に叫び、全軍に響き渡っても動揺は収まらない。


 当然だ。

 ヤーヘンの指揮官ウグニスは、一人ごちた。

 グラナトゥムのフラーダリー家に伝わる大禁呪。聖王を守る盾にして、神から賜った聖の証。ケルサス狂王の呪いを防いで現国王を助け、フラーダリーとともに失われたとされていた。その発動が意味するのは、失われたフラーダリーの血が未だケルサスの元にあるということ、奴らが神に守護されているということなのだから。


「エルフの次は、聖王の盾か。悪夢だな」


「なになに、これは好機ですよ。ケルサスは奥の手を使ってしまったのですから」


 隣で、商会から派遣されてきた蛇人が言う。

 蛇目がすぼまり、細い舌が覗く。冷静を保とうとしているが、口元に浮かぶ可笑しみは隠せない。


「好機か、貴様らにとってはそうなのだろう、思いがけないデータが手にはいったのだからな。しかし我々には面白くないことだ」


 ウグニスは、蛇人が応えるよりも先に通信兵の肩を叩き、『炎獄』を用いたことによる被害の報告を急ぐように指示した。そして、司令官としての声を兵に届けた。


 軍を落ち着かせ、振り向いたウグニスの瞳は血走っていた。


「『炎獄』を創るために、脳死、精神が崩壊した魔術士はどれだけいると思う?兵としては使えぬが、高い魔力を持ったものらを徴集し、国のためと言って無理を強いた。民に死ねと命じた我ら王族の苦しみなど、貴様らには分らぬだろう?」


 うっとりとエメトの光りを眺めていた蛇人は、悲しみの表情を作った。


「申し訳ありませんでした。私としたことが・・・。しかし、これで我らの勝利は決定的となりました。もはや、ケルサスに打つ手は無いのですから」


 けれど、その目に映る失望の色。冷酷で、つまらないものを見るその視線を、もはや気付かぬ振りはできない。


「・・・我らは一心同体と言ったな。ならばその言葉、確かなものにしてもらおう」


 ウグニスは軍服の胸元を開いた。

 くもの巣のように血管が浮かび上がり、心拍と共に大きく脈打つ。

 中心には、赤いこぶし大の宝玉が埋め込まれていた。

 送り込まれているのは、血液だけではない。

 ウグニスそのものが流入し、ろ過されて再び体全体へ流し込まれる。


 -竜の涙-


 ヤーヘンに伝わる神器。

 竜は、生まれて死ぬまでに一つの宝石を作り出す。死すと同時にそれは消滅するが、生の中で、忠誠を誓ったものに生前与えたものはそのまま残り、様々な奇跡を起こすとされる。

 ヤーヘンに伝わるのは、大陸最後の古代竜エルナニの涙。世界創生の際に飛来したカグツチの眷属であったエルナニから授かった神秘。

 ウグニスはその力を発動するために、自らの命を触媒にした。


「既に術はかけてある。俺ごときでは完全とはいえないが、貴様らの構成員の情報を全て探査して披瀝するには十分なはずだ。邪教徒と共謀した証拠も揃っている。これが公開されれば、貴様らは終わりだ。

 俺が死ねば展開される仕組みになっている。脳をいじくっても同様だ」


 蛇人は大きく目を見開き、嘆きの声を上げた。


「おお、王子よ!!そのような真似をせずとも、我らの誓いは果たされまする!!」


 大きな身振りで、頭を抱えて跪く。


「しかし、わたくしは大いに反省せねばなりませんな。ウグニス様にそのようなご決意を強いたのはわたくしの責任。ご不安を抱かせまして、重ね重ね、まことに申し訳ございませんでした」


 (屑が・・・)


 ウグニスは、たまらず後ろを向いた。その瞳に宿った下品な同情に耐えられなかった。

 だから、彼は見逃してしまったのだ。

 蛇人の凄まじい歓喜を。


 ****


 オーギュントは暗闇の中に投げ出された。

 受身をとり、軍馬に駆け寄るが、軍馬は泡いて吐き絶命した。


「持たなかったか」


 軍馬に礼を告げ立ち上がったとき、空が朱に染まった。見上げると、新たに無数の火炎弾が自軍に降り注いでいた。先ほどに比べれば威力は比べるべくも無いが、数が多い。


「消耗戦を望んでいるのか?しかし、魔術士の数はこちらが上だぞ。先ほどの爆撃といい魔術士を使い捨てにでもしているのか?」


 着弾する光りの後方、長城の破壊された門の奥で無数の何かが(うごめ)いた。


 数千にも及ぶ、大小さまざまな亜人があふれ出した。

 まるで水中で空気を求めてもがくように、腕を前に前に掻きだして、前のめりに進む。

 口を開け放って、叫びながら、ひたすらに駆ける。

 陣形など無い。

 ただ、突撃する。

 吐しゃ物を撒き散らせながら、ケルサス軍に迫る。

 躓いたオークが大鬼に踏みつけられ、鮮血が広がった。

 小鬼が大型の亜人の頭を踏みつけながら、むちゃくちゃに小剣を振り回す。

 蛇人が、四つんばいになりながら、体をくねらせ進む。

 本能にしたがって、血を求めて獲物を求める。

 受け継いできた文化の育みを奪い去られて、彼らはけだものになった。


「そんな、嘘だ」


 その姿、何がそうさせたか、唯一の可能性に思い至り、オーギュントは涙を浮かべて叫んだ。


「これが、こんなことが、人のすることか、ヤーヘン!!」


 ****


「まったく、どうしてこうなるのかしら。量が多いだけの火炎弾なら対処のしようがあるけれど、亜人の突撃まで加わったらどうしようもないわ」


 副官のイヴァンがため息をつく。


「あれは、何なのでしょうな。生存本能が強い子鬼ですら、一目散に向かって来ますが?」


「キメラの技術の応用。自国民にすら用いたのだから、亜人にも当然使うわよね・・・。群れの意識が強い種は、主を捕らえてしまえば操りやすいし、知能が高いのは人質を取るなり、騙しでもしたのでしょうね」


 若い貴族が、唾を吐く。


「非道にもほどがあります」


 ブリギッタが、それには応えずに、振り向いた。


「魔獣はいる?」


「数匹、しかし、上位種ではありません」


「じゃあ、これが全力ではないわね。本営を射程に捉えたら使う気かしら?どの道、私たちでは対処できないわ。本営に撤退を具申すべきかしら?」


 ブリギッタはマントを羽織りなおした。


「ここで何もせずに後退しても、亜人は足が速いですから追いつかれるでしょうな。かといって火炎弾での被害が大きい他の隊は、魔術士を失っていますから対抗手段がありません。足止めすらできんでしょう」


 イヴァンがひげを捻りつつ、あたりを見渡す。歩兵は突撃を待ち構えて隊列を組んでいるが、見るからに戦意は後退している。


「サラの具合はどうかしら」


「命の危険はありませんが、すぐにでも専門の治療を受けなければ、障害が残りますな」


 ブリギッタがサラの避難を指示しようとしたとき、通信将校が本営からの伝令を伝えに来た。


「お嬢様、撤退の指示です!ですが・・・」


「しんがりを勤めろというのでしょう?!サラの術の基点であった私たちが一番被害の少ないのだから当然ね」


 肉々しげに言った。


「はっ。仰るとおりです」


「狂った亜人相手に撤退戦、何人死ぬと思っているのかしら。・・・でも、あなた、なんだか嬉しそうね」


 ブリギッタは通信将校が不敵な笑みを浮かべているのに気付いた。通信に特化した魔術を操り、身を守る手段に乏しい彼らにとって、死刑宣告を受けたのに等しいはずであるのに。

 彼は敬礼して応えた。


「お嬢様、我々は未だ何もなしておりません。守ると誓ったお嬢様やサラ様に、逆に命を賭けて守っていただきました。これはそんな我らの花道であります。お嬢様とサラ様は急ぎ撤退を」


 ****


「亜人相手のしんがりだと、我らに捨て駒になれというのか!!」


 曹長の徽章をつけた、ジャガイモのような顔をした男が叫んだ。小隊の面々は皆、憮然としている。捨て駒、その言葉の意味をかみ締めている。本来これは難しくなるはずの無い戦だった。そう説明を受けていた。しかし、今、こうして死の間際にいる。納得できるものではない。戦地での華々しい死を誉れと思うのは貴族だけで、非魔術兵にとっての勝ち戦とは生きて帰ることに他ならない。自分が死ねば、誰が家族を養うのか。彼らのお上は義理堅かったから、年金も増額されるだろうし、遺族への保障もしてくれるだろう。しかしそれにも限界がある。子供たちは、父のいない悲しみの中で育たなくてはならない。そして死にゆく彼らにも、歩むべきはずだった人生があるのだ。


「曹長、貴様の娘、いくつだったかな」


 憤る曹長を見つめていた、未だ若い少尉が話しかけた。


「はっ。十九になります」


「ほう、サラ様と同い年か。ということは、お嬢様の二つ上で、俺の許婚の三つ下だ」


 少尉は声を大きくした。


「サラ様は焼け焦げ、傷はいえたが目を覚まさない。なぜだ?命を賭けて我らを守ったからだ。初陣のお嬢様は、恐怖の中で防壁を張り続けた。お二方も、自分だけ助かろうなどとは思っていない」


「しかし、二人は貴族だ!!」


 小隊から声があがる。


「だから何だというのだ?貴様ら、彼女たちを見捨てるというのか!?曹長、貴様は娘同然の小娘に助けられ、なんの恩も返さずに国に逃げ帰るのか?」


 小隊はにわかに、息を呑む。


「おふた方が捕まればどうなる。敵はうれしいだろうな。あんな美しい女が、二人も手に入るのだ。そして、捕虜は生きていれさえすればいい。言っている意味が解るな、ぼんくらども?これから先、嫁を抱くたび、娘の髪を撫でるたび、後悔と共に彼女たちを思い出すのか?俺はご御免被る」


 小隊長は部隊を見渡す。もはや、おびえたものは居ない。

 そうだ、我らは精鋭、精鋭とはどんな死地にあっても生き汚い。


「軍のことなど考えるな。ただ、一人の男として、父親として、夫として彼女たちを守り抜く。あらゆる手段を用いて邪魔な敵どもを殺し尽くせ。生きて帰るぞ!!」


 兵士は雄たけびをあげる。それに触発されたほかの小隊たちもそれに答え、大きなうねりとなった。


 ****


「駄目よ、許しません。たとえ飾りであっても、これは私の大隊です!!」


「もう、誰も飾りなどとは思っていませんよ。先ほどのご指示、お見事でした。やはり、あなたはこれからのグラナトゥムを背って立つお方です。ここで死んではならない」


 真摯な瞳にブリギッタは射抜かれて、気負される。


「でも、あなた達も限界よ。誰が歩兵たちに補助を掛けるというの?」


 ブリギッタの取り乱した声に、イヴァンが胸を張る。


「甘く見ては困りますな、お嬢様。我らがいつから戦場にいると思っておいでか。これしきの死地、経験済みでございます」


「だけど、いえっ、駄目!」


 下がっていた通信将校が、笑いながら、伝令を手に戻ってきた。


「追加の命令です。大隊長の任をイヴァン様に移し、お嬢様とサラ様は急ぎ本陣に戻り、手当てを受けるようにとのことです。厳命です。逆らえませんよ」


 ブリギッタがイヴァンをにらみつける。


「あなたの仕業ね?」


「小言は後で聞きます。サラ様がご心配です。お早く」


 唇をかみ締めたブリギッタは、部隊に向き直り、全体に響き渡るように喉を魔術で強化し叫んだ。


「援軍を連れてきます。それまで死ぬことは許しません。這ってでも生き延びなさい!!」


 ブリギッタとサラの撤退を見届けながら、イヴァンはため息をついた。


「とは言ったものの、さすがに厳しいな。騎士がいれば話は違ってくるだろうが、余分に連れてこなかったのは失敗だったな」


「しかし時間を稼がねばお嬢様達が追いつかれます。他の部隊はあてに出来ませんから、我々だけで何とかしなくては」


 ****


 厳しい父に育てられ、それでも曲がらず勤勉に励み、どんなに苦しくとも弱音を吐かなかった幼い頃のブリギッタを、イヴァンは思い浮かべた。

 生まれたときから綺麗で、まるで天使のように思えた。

 疲れきって、それでも、母となったからこそ美しい花嫁の微笑。寡黙だった主が父となり、大きな声で泣き出したあの日から、私は彼女を見ていた。

 素直すぎて、いつまでも魔術の勉強をやめずに倒れた彼女の小さな手をとって寝ずに看病した。目を覚ました彼女の微笑み。抱きしめた髪の柔らかさ。

 魔術の才を見出した家庭教師の紅い髪の老女に、どうか国に報告しないで欲しいと、連れていってくれないでくれと、主とともに懇願したときの涙の塩辛さ。

 私には、彼女が必要だったのだ。愛らしい彼女が、自分の知らぬところで涙を流すことなど耐えられなかった。おこがましくも、家族の一員と考えていたのだ。

 それでも、家の名を高めるために行ってしまった彼女は、毎週のように私に手紙をくれた。

 父が返事を寄越さないのだと、涙でにじんだ便箋で、魔術ではなく手書きで送ってきた。励まして、鼓舞して、共に悩んだ。いつも彼女を思い、執務に支障をきたしていた主の様子をおもしろおかしく伝えて、笑わせようともした。

 彼女の父を見てきたように、彼女を見て、慰めて、育て上げた。

 より影響力を高めるために、王家を支えるために、格を求めた彼女にシェストフ家を紹介したのは私だ。私の本家で、落ちぶれてしまったが、その名は歴史に深く刻まれている。彼女は喜んで、主は私を信じてくれた。

 彼女の父が私の子であるように、彼女は私の娘でもある。そう思えるように、尽くしてきたのだ。全てを賭けて。妻すら持たずに、子を持たずに。

 そんな彼女が、今、窮地にいる。

 汚らわしいヤーヘン如きに。


 ****


「お嬢様とサラ殿のために。ここが我らの戦場であり、死に場所だ」


 軍服の脱ぎ捨てて、若き頃身につけていたマントを羽織る。

 三銃士(マスケティアーズ)

 フラーダリー、ラスコーシヌイ(ブリギッタの生家)、そしてシェストフ家(ブリギッタの養家)の分家筋の私。グラナトゥムを守護するために、三つの名家の子息達が愚連隊を気取って戦場を荒らしまわった。


 他の者らは逝ってしまったが、私はこうして生きている。


 見ているか、友らよ。

 僕が生き残っていたのは、この時のためだ。

 美しい姫君を守り、死ぬためだ。

 うらやましいだろう?僕も誇らしくてたまらない。


 爆撃が収まり、土煙が上がる。亜人の群れが姿を現す。薬と魔術を組み合わせて脳を破壊しているのだろう、多くが正気を失い、血だけを求めている。生存本能は見られない。

 若い貴族が命を下し、準備が整った順にありったけの砲弾や術が亜人たちに降り注ぐ。撤退戦であるから、逃げるときは重い大砲は捨てねばならない。残弾を気にせず撃てるはずなのに、他の部隊からの援護射撃は少なかった。


「やはり、友軍で生きているのは少ないようです」


「大型だけでも数を減らしておきたい。ケルサスの連隊にも、大砲を撃てなければ持ってくるように伝えろ。応答がなければ、砲を向けろ。さすれば、動く」


「はっ!!」


 二度と唱えることはないと思っていた術式を起動し、不自由な足に施された封印を解放する。

 右足が、輝きを発する。

 義足の肉が削げ落ちて、膝から下が銀色に変わり、刃が光る。 


「我らは、グラナトゥム。聖王の民にして、最貴の王女の守人」


 守護魔術を得意とする彼らであったが、それだけでは敵の侵攻を防げるものではない。

 ただ守ることしか能がないならば、ケルサスはフラーダリーを嵌め殺さない。


「認識しろ。迫り来る気の毒な亜人どもは、グラナトゥムの障害であると」


 確かに、カルブルヌスやケルサスのような打撃力は持たない。けれど、王族が全てに勝る彼らは、決して敵を逃さない。体を引き裂かれようとも、呪いすらまいて、王を守護する。

 軍人として理想的ではあるが、事実ありえない。薄ら寒いほどの忠誠。グラナトゥムが他国からの侵略を受けない理由がここにあった。勝てはするだろうが、きっと殺される、彼らの戦場での働きは他国にそう思わせた。

 そんなグラナトゥムの術は、守護術。豊饒の女神マイアに愛された王の愛する民であることの強烈な特権意識と同朋意識が強力な魔術を創り上げる。

 王族さえいれば、幸福は訪れる。そのために、仲間が必要なのだ、己が死んだとしても仲間が王を助けてくれるから、友を守る術が必要だったのだ。

 これまでにパンデミックに最も迫ったのはグラナトゥムの魔術士たちであり、それゆえにケルサスは恐れ、自治権を与え続けた。

 その士気の高さは、諸国の哲学には理解不能だった。


「よく狙え。失敗は許さん。貴様らの一撃が聖王を守り、隣で剣を抜く友を助けるのだ」


 大隊が近距離射撃に備える。大型の亜人に小口径の銃や人間の剣は通じない。それでも、挑まなければならない。兵の中には泣き出すものもいたが、逃げようとはしなかった。共に死ぬことこそ義務であると撤退を拒んだ少女のために、女の身でありながら炎の前に立ち、皆を守った誉れ高い騎士のために。聖王の寝所を安んずるために。


「小銃一斉射撃の後、突撃。タイミングは中隊長に従え!!」


 叫んだイヴァンの前に、一陣の風が吹き荒れた。それが一人の金色の髪をした騎士だと気付く前に、騎士は怒声を上げた。


「サラ・マンスフィールドは何処にいる、答えろ!!」


「あ、あなたは」


 驚いた若い貴族が割って入った。


「カルブルヌス騎士団国軍、筆頭騎士オーギュント・デュルイ」


 貴族は息を呑んだ。敵軍の筆頭騎士ルーナアを打ち破った、名門デュルイ家の若君。


「サラ様は術の影響から意識不明ですが、命に別状はありません。先ほど本営からの命により、ブリギッタ様と共に撤退されました!!」


 オーギュントは、ため息をついた。しかし、安心するには早いだろう。


「なるほど、未だ撤退していないところを見ると、貴殿らが殿か。食い止めねば二人は死ぬか、捕まる。いいだろう、助太刀する。こちらの使える騎士は何人だ?」


「八人、いえ、五人は動けますが、もう三人は治療中です。我らは動けません」


 それを聞いたオーギュントは薄く笑った。

 全く、ジリ貧じゃないか。けれども、撤退戦というのがいい。迷わずただ斬ればいい。倫理観は後ろに置いておける。


「僕が大型の相手をする。皆殺しにしてやるから、あなた方の部隊は小型と誘導を頼む」


 絶句する二人を見て、オーギュントは笑いかけた。


「補助を頼む。痛みもけしてくれ。邪魔だ。しばらく戻ってこないから、そのつもりで掛けてくれ」


 味方が小銃を撃ち終わり、突撃に入るのを見て、オーギュントは亜人の群れに飛び込んだ。


 目の前に突如現れた人間を前に、亜人達は驚愕し、襲い掛かった。

 オーギュントは自分の胴ほどもある腕を切り落とし、足の腱を切る。倒れこんだ亜人の頭を魔術の弾で吹き飛ばした。群がってきた小型の亜人を大剣の真空波でまとめて切り刻むと同時に、自軍に襲い掛かろうとしていた大型の亜人に向かい跳躍し、頭のてっぺんに剣を突き立てた。頭上に乗ったまま、狂気に歪めた顔を敵にも見方にも見せ付け叫ぶ。


「宴は始まったばかりだ。全て食い尽くすぞ、前進!」


 狂気が伝染し、自軍が叫び声を上げる。死の恐怖よりも殺すことの悦楽を胸に、彼らは獣と化した。


「すさまじいな。あれがオーギュント・デュルイか」


 イヴァンが各部隊に念話をとばしつつ、つぶやいた。


「デュルイ家、剣聖メリザンドの血を引くカルブルヌスの王族にして、ケルサス本国にも多くの将官を輩出する名門。曽祖父は暁の衣をまとうことの許された、ケルサス歴代最強の騎士だそうですが・・・」


「うむ、末子の話はあまり聞こえてこなかったが、曽祖父の血を誰よりも強く受け継いでいるようだな。しかも、見ろ、頭に血が上っているようにで、きわめて冷静だ」


「この作戦、上手くいくかもしれません」


 若い貴族が、撤退経路を精査しながら、言った。


「当然だ。あの才能がこのようなところでつぶされてたまるか」


 折れた剣を捨て、新しい剣を受け取ったオーギュントはかつて無い幸福を感じていた。


 -彼女のために剣を振るう。胸が躍る。素敵だ!!ああ、この戦いが終わったら、思い切って求婚しよう。いい返事がもらえるかな。お坊ちゃんの気まぐれからの遊びではないと、解ってもらえればいいけど-


 幸せとともに、オーギュントは剣を振るう。

 筋肉が切れ、骨が悲鳴を上げても気にしない。サラとの来るべき生活を思い描きながら、亜人たちを殺し続ける。もはや左腕の感覚がない。先ほどごっそり肉を持っていかれたからのだからしょうがない。兵が叫び、近寄ると包帯を巻かれ、出血を止めてくれた。包帯を巻きながら、兵は何度も礼を言った。しかし、面映かった。彼らを助けるために来たのではない。それに、オーギュントこそ、サラやブリギッタを先に撤退させてくれた彼らに礼を言いたいのだった。

 再度、戦場に踊り入ろうとしたとき、念話が入った。


「足の速いのはあらかたつぶしました!付近の大隊の生き残りも加勢してくれています。大砲を回収しましたから、砲撃を開始します!!撤退を開始しますから、一度お戻りなって、治癒を受けてください」


 オーギュントは血にぬれた体を見渡した。なるほど、倒れずに入るのが不思議だった。


「承知した。急いで戻る。そろそろ相手も痺れを切らした頃だろう。我われが動き出せば、次の手に出る。・・・騎士がくるぞ」


 ****


 空中では、変わらずに紅い髪の女が戦場を見下ろしていた。ふと、何者かがその後ろに立った。黒色の髪と黒色の目、カイだった。


「あいつらが死んでは困るのではなかったか?」


 静かな口調だが、怒りは明らかだった。


「あら、死んでないでしょう?それに、困るなんて、私、言ってないわよ?」


 カイの背後に蜃気楼が立ち上る。それは凝固し、梵字が描かれる。


「確かに、死んでから招き入れるのが本来のやり方だろう。しかし、あいつらは未熟で、レオーネにはあいつらが必要だ」


 微笑んだマーテルはオーギュントを指差した。


「あなたは未熟と言いましたが、彼らはたいしたものですよ。今すぐ招いてもいいくらい」


「貴様」


 カイはマーテルを正面から睨みつけた。


「レオーネに彼らが必要?彼女を支えるのは、あなたの役目。本当のことをおっしゃいな。彼らとの平穏な生活が心地いいのでしょう?手離したくないのでしょう?」


「・・・だからなんだ。それが悪いとは言わせない。俺をこんなふうにしたのはお前らだろう?」


 女は微笑んだ。


「ええ、とてもいいことよ。あなたを送り込んで本当に良かった。見なさい、彼らは必死に戦っている。その思いをあなたに理解できて?誰かのためではありません。彼らは自分のためにこそ戦っているのです。

 サラは失うことに耐えられないから。

 ブリギッタは自分を高めるために。

 オーギュントは許可された殺害を行使する喜びのために。

 そして、ライラはなくしたものを手探りするために。

 理解しなさい、カイ。あれらが人間というものよ。私はそんな彼らがとてもいとおしいの。神の力で、彼らのきらめきを汚してはいけないの。

 だから、お願い、カイ。なにもせず彼らを見守ってあげて」


 カイは押し黙った。しかし、頭を振り言った。


「俺は、アーティファと一緒だ。ハッピーエンドよりも甘い話が好きなんだ。終わりよければ全てがいいなんて許せない。あいつらが汚されるのは我慢できない。それぐらいはいいだろう?現世における絶対神、月の女神よ」


 そして、剣神は闇に消えた。

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