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偽国戦記  作者: ブレヒトさん
魔晶戦争
78/131

愛しき者たちよ

魔晶戦争終わりの始まりです。


更新が遅くなり申しわけありませんでした。

 見晴らす荒野には何もなかった。

 起伏は少なく、岩肌が目立つ。生える草は貧弱で牧草地にも使えない。

 ヤーヘンとケルサス国境付近のこの場所は、まさに不毛地帯。穀物を育てるには土地が痩せすぎていて、魔石を採掘しようにも鉱脈が無い。

 ハイデンベルグ領の豊な土地とはうって変わって、ヤーヘン本国がどういった国であるのか、ここからでも容易に想像できる。

 かつてハイデンベルグ領はヤーヘンの穀倉地帯であった。ナハト河の豊な恵みが土地を潤し、ヤーヘンの穀物生産量の大部分を占めた。大型の魔物が蔓延る荒野の先にある港に物資を運び、そこから穀物を輸出することで、ケルサスまでとは行かなくとも、大陸でもそれなりの繁栄を誇っていた。しかし、ケルサスとの戦に敗れたことで全てが変わった。国防のために港を押さえる必要があったケルサスが、くだらない言いがかりでヤーヘンを踏みにじった。グラナトゥムという穀倉地帯を有しておりながら、必要のない現ハイデンベルグ領を押さえ、ヤーヘンをケルサスからの援助を受けなければ生きていけなくなるまで追い詰めたのだ。そして、盾としての役割を強要した。

 ここ国境沿いはその決戦の跡地であり、ヤーヘンの宿命の地であった。

 ケルサスの圧倒的な軍事力に倒れたヤーヘン兵の多くの血を吸い込み、打ち込まれた魔術によって穀物は育たなくなった。まるで焼印のように今なお癒えない傷を刻み込んだ。

 残存魔力が時を経て結晶することによって魔石は形成されるのだから、数千年もすれば、ここは大した鉱山となるだろう。

 その場所に、数百年前とおなじくケルサスは布陣していた。

 国境の長城をはさんで、ヤーヘンがまるで招くように扇形に陣を引く。


「ここまで、引くとはな」


 クリトンは、魔術で強化した目で戦場を見渡した。

 眼前には、攻め落とされた長城がある。

 当事の国家予算の大部分をつぎ込み、数十年もかけて築き上げられた長城は破壊されて巨大な穴が開いている。

 魔物と、港から船で攻め入った敵の侵入を防ぎ、いざとなったらヤーヘンを見棄てて結界で封じ込めるために、ここまで手間をかけた長城。ヤーヘンの民とケルサスの民を仕分ける絶対の壁。命の境界。


「ヤーヘンは進軍する一方で、背後では長城の城壁を破壊していたわけか。見ろ、数百年にわたり外敵の侵入を防いでいた城壁は無残に打ち砕かれている。魔術的な応答が無かったのはこのためだな?ケルサスのために布陣してあった多くの魔法陣は、もはや何の意味もなさない」


 (彼らが本当に壊したかったのは、ケルサスそのものだ)


 一人ごちて、話しかけられたニコライは空中に展開した地図からクリトンに視線をやった。


「ここを戦場に選んだのは恨みを晴らすための舞台にふさわしいから、というだけではないでしょう。士気は高揚するでしょうが、それよりもやはり地形でしょう」


 ケルサス軍の布陣したのは平野部であり、長城が邪魔となってヤーヘンの陣容が一部しか見えない。しかし、ケルサスの陣営は、残された長城の上から丸見えであった。

 加えて、布陣を探るために偵察の騎士、使い魔を送り込めない理由もあった。それは、国境がそれ自体、魔力遮断の結界の役目を果たしているからであった。あまりにも多くの血を吸い込み、怨嗟の魔力が染み込んだその場所では、紡ぐ魔術は乱れ、ありうべく効果は期待できない。

 そうである限り、侵略しようにも保護されない地帯を通過しなければならない。無理に通過しても、一度結界は乱れるのだから、また張り直す必要がある。勝ち戦ならともかく、撤退戦となればそんな余裕は無く、追撃されればとどめになる。

 だから、そのままにしておくことが不可侵条約の条件となったのだ。

 大国であるケルサスがいつまでも降伏しないヤーヘンのために慈悲をたれてやったのだ。

 逆にヤーヘンが攻め入った場合、長城さえ落としてしまえば今回のように致命的な打撃を被るが、そんなことはありえないと思い込んでいた。


 こんなに面倒なのだから、侵略なんてするわけがない。

 一度進軍したら撤退などできないんだから、何もしないから、安心して跪け。

 

 もちろん詭弁であり、大国ゆえの傲慢であった。

 戦争に嫌気がさした人民の不満を収めるための苦肉の策でもあった。その結果、莫大な予算を割いて長城を建設することになったとしても、戦争の美味しい汁にありつけなかった貴族たちに利権を与えてやることにもなった。

 そんな大国の身勝手な理由であっても、ヤーヘンは条件を飲まざるを得なかった。圧倒的な軍事力の前に、振り上げたこぶしを下ろすには、そうするよりほかは無かったのだった。

 それにヤーヘンの民達は知っていたのだ。そうしなければ、ケルサスはいずれ自分たちを滅ぼしてしまうだろうことを。


「それがケルサスには命取りだった。ふん、当然だな。国は生き物だ。ケルサスも老いる。いつかは逆襲されるときが来るのが必定。早めに手を打てなかった我らの怠慢だ。・・・違うな、内乱のときに攻めてこなかったヤーヘンの誇りを無視して、先の飢饉で援助せず飢えるに任せた報いだ。人道を軽んじた結果だな」


 ニコライはそれに応えずに、後ろを向いた。


「左翼後方は森に覆われていますから、敵が来るとすれば、ここでしょう。・・・よろしかったのですか?」


 ニコライが言うのは、敵の奇襲が予測される左翼後方の森林地帯内部にコールの旅団のみを置き、カルブルヌスの兵すら隠密さないことであった。もし突破されれば、本隊に多くの被害が出る。


「知っているぞ。貴様が密かにカルブルヌスと連携を取り、隠密を忍ばせていることは」


 クリトンがニコライを見つめる。ニコライは瞳をそらさずに言葉を待った。


「貴様とルシアーノが取った策は正しい。敵が送り出してくるのはカーモス傭兵団だ。奴らにとっても正念場だ。多くの兵を割くだろう。いかにコールといえども、例え神器を持っていたとしても単身では時間稼ぎすら出来無い」


「しかし、将軍や王は許可なさった。その根拠をお聞かせください」


 良い天気だ、そう言ってクリトンは空を見上げた。ニコライもつられて空を見上げた。

 秋空が広がり、雲はただ流れる。

 色づいた木々がそよいで、目の前の城壁が美しく映える。


「季節は違えど、こんな日だったな」


「・・・」


「そのとき、コールはケルサスの王宮にいた。内乱で傷つき、ようやく緑をつけた庭園を眺めて、心からの賞賛をくれた。民の意思が緑をもたらしたのだと、前王権で民の血を吸って花開いた瀟洒な庭よりも、今のほうが美しいと言った。王は奴の言葉に涙を流した。コールめ、あいつは昔から無骨な振りをして、どうして詩的な奴でな」


 クリトンは懐かしそうに微笑んだ。


「内乱の後、他国が様子見しているなか、グローリアはいち早く我らに使者を送ってよこし、他国に新王の正当性を訴えてくれた。その礼にグローリアの象徴であるマルティス騎士団から、副団長で外交権を持つコールらを招いていた」


 クリトンは身をかがめて草を一本抜き取ると、草笛を作り、高く響き渡らせた。

 応える動物達はいない。戦場がかもしだす殺気にどこかに行ってしまったのだろう。

 クリトンは地面を蹴った。

 まるで何かを踏み消すように。

 それは忌まわしい記憶だろうか?

 それとも、国境まで来るのに費やした犠牲だろうか?


「突如、通信魔術が作動した。貴様も知っているだろう?大陸中に送られてきた惨状を」


 ニコライは何もいえない。

 言う資格がない。

 その場に居たものにしか言えない言葉と、沈黙がある。


「映し出されたのは、グローリアの王と后である巫女が、今まさに炎の中に放り込まれようとしていた瞬間だった」


 そのときのコールの慟哭が耳を離れない。衛兵に押さえつけられて、涙を流し絨毯をかきむしる奴の怒りを忘れるわけにはいかない。


 クリトンは草笛を吹き捨て、ニコライの目を見た。


「だからといって、特別な配慮は・・・」


 しかし、クリトンの目は見たことが無い色に染まっていた。

 繰り返された軍議で充血した瞳は、全てを投げ捨てるように、神の前で全てを告白するかのような諦観に染まっていた。


「邪教徒がグローリアを攻めたのはなぜだ?いまさらどうして?その答えが、今、あそこにあるのだ。この汚れた世界にあって、純なる血が。貴様はその力の胎動を感じないか?」


 風が吹いた。

 鉄と火薬のにおいが鼻につく。けれど、その中にあるはずの無い芳しい花の匂いがかすかに香った。

 晴れていた空に、一筋の雨雲が垂れ込み始めた。


 ****

 

 雨が降っている。

 けぶるように糸を引いて私の顔に滴り落ちる。

 彼女は雨が好きだといった。

 その気持ちが私にはさっぱり分らない。

 衣服を体にはり付かせて不快で、詠唱のリズムが乱されて訂正するのに手間が掛かる。


 文章を書くのが好きだった彼女は、死を間際にして、雨を顔に受けたいと言った。


 なぜ?

 こんなにわずらわしいのに。

 厭わしいのに。

 それでも、病に犯されたから体に、最後にそれを感じたいと言ったのだ。


「カーモス傭兵団、生命反応ありません。・・・全滅です」


 魔術で強化した目で、彼女によく似たミミが言った。

 その瞳は深い碧。

 私にはない、グローリアの色。

 なんて美しい。


 果たして、この子の母は幸せだったのだろうか。

 分らない。

 神聖グローリアの巫女を姉に持ち、マルティス騎士団の副団長を兄とした。

 彼女自身、一般からすれば優秀だった。

 しかし、兄姉に比べれば見劣りがした。

 その血を利用され、同盟を確たるものにするためにケルサスに輿入れさせられた。

 兄姉ほどには役に立たないから、血を残すことで国に報いたのだ。

 それが彼女の幸せだと、神聖グローリアの貴族に生まれついた、なによりもの幸せであると私は思いこんでいた。

 しかし、婚姻が決まってうれしそうに私を見上げた妹の瞳に、劣等感からの解放が無かったと誰が言いえるだろう?

 秘めた心のうちを聞いてみたい。

 年を取った今だから、強く思う。

 お互いの手を取り、目を見つめて語り合いたいのだ。

 彼女の本当の幸せを、果たして私は見ていたのだろうか?


 彼女が求めたのが、優しい兄であったことを知っていた。

 彼女がひそかに記していた小説は、強く気高い兄が妹を守るとても優しい物語だ。

 そのようにありたいと私自身が思っていたのに、彼女のためと思い込んで、巫女の妹らしくあるように厳しく接してしまった。


 ミミが見つめる先には、彼女が引け目を感じていた姉の娘が、ただ一人、雨に打たれて空を見上げている。

 馬上で何を思っているのか分らない。

 その孤独を理解できない。

 私が駄目だから。

 資格を持たないから。

 あの子の母が、妹が、生まれてから死ぬまで見ていたものを決して理解できなかったのだ。


 もう一人の妹は生まれた瞬間に巫女として運命付けられた。

 巫女だから、使えるべき主だから、私は一歩引いて彼女のために尽くした。

 けれど、その距離感は家族ではなかった。

 兄ではなかった。

 うやうやしくその手を取って、あらゆる危険から身を守ろうとして、下の妹と一緒に外で遊びたいと言うのを、慇懃にたしなめた。

 敬語を使う俺に向ける目が、いつも寂しさで濡れていることを好ましくないと思っていた。

 巫女だから。

 御身は国のために、アーティファ信教のためにあるのだから。

 そんな目を、取るに足らない兄なんかに向けるものでは無いと思っていた。

 けれど、それは拒絶ではなかっただろうか。

 彼女の親愛から逃げていただけではなかったか。


 妹たちよ、俺は正しかったのか?

 どうか、教えてくれ。


 答えられるはずがない。

 聞く前に死んでしまったのだから。

 上の妹は炎にくべられながら、巫女として決して最後まで悲鳴を上げようとしなかった。

 本当は人一倍寂しがり屋な上に怖がりで、いつも私の手を求めていたくせに。


 下の妹は二人の子を産んで、満足げな顔を浮かべた。

 ただ子だけを求められ、自分なんてどこにもいなかったのに。

 つらかったはずなのに、不満どころか作り事の幸せさえ口にした。

 兄と姉に恥じないように、いつも誰よりも頑張っていたから。


 ライラは、一人、泣いている。

 ミミは、歯を食いしばって動揺を抑えている。


 そんな彼女たちに私はいつも手が届かない。

 どんなに力をつけても、権力を得ても。

 聖騎士と呼ばれ、神器を振るっても。


「大佐相当官、姫さまの下に行かなくて良いのですか?・・・大佐?・・・コール大佐!!」


 ミミが叫ぶ。

 雨に打たれて、赤毛が頬にこびりついている。

 目の前で起きた超越的な出来事に怯えながらも、やるべきことを心得ている強い瞳。

 指でその頬を撫で、こびりついた髪をどけてやると、瞳を大きく開いた。

 戸惑って、私から目をそらす。


 ああ、そうか、私は指揮官だったのだな。

 叔父ではなかったのだな。

 けれど、お前たちがそう認めてくれなくても、私はお前たちを一番に思っている。

 お前たちの母を救えなかった愚かな叔父が、いまさら愛していると言ったところで信じられはしないだろう?

 それでもいいんだ。

 許してくれなんて言わない。

 憎んでくれても構わない。

 けれど、お前達は守ってやるから。

 全てを犠牲にしても、世界を敵に回したとしても、必ず。


「おびえているのか、大佐?」


 ミミが頬を紅く染めて、私をにらむ。

 そうだ、私を憎むんだ。

 おびえた表情を、決してライラに見せるものじゃない。

 あの子はお前の、私を除いてただ一人の家族なのだから。

 後悔ばかりの私のほかには、頼るものはいないのだから。

 さあ、従姉妹を、家族を迎えにいくんだ。


「何を言っているんですか叔父上?!そんなはずはないじゃないですか。ほら、姫が泣いていますよ!!聞こえないんですか?貴方を呼んでいるんです!よくやったんだから、褒めてあげてください。ああっ、ほら!!私が先に行っちゃいますよ!!」


 ミミが私の馬の尻を鞭打った。

 憤った馬が走り出す。

 慌てて手綱を絞って、ライラの前でようやく立ち止まる。

 目を上げると、曼荼羅(楽園)を描いた翼に雨が降り注いで、波紋が広がっている。

 長く伸びた碧の髪が魔力を受けてたなびいて、世界にたった一人のエルフが泣いていた。


 目を上げたライラが両手を一杯に差し伸べてくる。

 彼女の母が幼い頃にそうしたように。そして、私が拒絶したそのときのままに。


 そうだ、聖巫女が、エルフがなんだ。


 転げるように馬から下りた。

 彼女が馬上から身を投げ出すようにして、私に抱きつく。

 ライラの涙が、私の頬を伝って、口に入る。

 塩っ辛さが、彼女がただ一人の少女であることを私に知らしめる。


 この子は、私の姪なんだ。

 守れなかった妹が残してくれた、私の家族なんだ。


 寂しい思いさせてすまなかった。

 本当は私も寂しかったんだ。


 ミミが追いついて、私たちを馬上から見つめる。

 彼女の母がいつも私を見ていた諦めの目は、とても優しいけれど寂しい。


 その意味を私は知っている。私の犯した過ちは、彼女の胸にも響いている。


 だから、せいいっぱい、微笑んだ。

 意識して微笑んだことなんて今まで無かったけれど、人を思いやって笑うなんて、私には考えられないけど。

 精一杯、この思いを伝えたいんだ。


 目じりにしわを寄せて、口角を上げて、言えなかった言葉を力の限り叫んだ。


 手を伸ばす。

 おそるおそる手が伸ばされて、私はその手をしっかりと握りしめて、力いっぱい引き寄せる。

 ミミの顔が崩れて、子どものように大声を上げて、涙がこぼれる。


 暖かい。

 温もりを、かつて応えることが出来なかった思いを抱きしめる。


 二度と、手放しはしない。


 何があっても、私は彼女たちのために生きるのだ。


 *****


「泣いているのですか?コール」


「・・・そのようです」


「戦場に立たせたくはないと思っていたのでしょう?ですが、それは・・・」


「承知しております、ナスターシャ殿。それは世界が許さない。グローリアの国是は慈愛。そのためには命の重さなど、容易に変化する」


「そうです。それが救うことのない神を拒絶したアーティファとアルファスの呪い。その子たちが望まなくても、戦わざるを得ないのです。逃げることなど許されない」


「私の思っていることが分りますか?」


「・・・」


「例えこの子達に過酷な未来が訪れようとも、私は世界を呪いません。納得などできないでしょう。泣きに泣いて、嘆きの言葉を吐くかもしれません。けれど、私は神を信じます」


「愚かですね」


 コールは苦笑した。

 しかし、ナスターシャは(わら)わない。


「私は心から彼女たちの幸せを願います。しかし、何かを信じないで行動するほど、私は無責任ではありません」


「それこそ無責任ではありませんか?神の救いは貴方が思う救いとは異なっているかもしれませんよ?」


「ならば全てが意味ないこととなります。どうせ、すべては神の思い通りになるのですから。違いますか?」


「そう、私とは違う道を歩むのですね。神を試さず、ただ信じぬくと?」


「はい。私は神を信じます。神が信じる私を信じるのです。私の友は、神を信じるために神を試しました。貴女は神を信じるがゆえに神を試そうとした。そして堕天した。メルキドも貴女も邪道に堕ちた。ならば私はただ信じる道を歩みます。盲目だと笑われたとしても構いません」


「なるほど、貴方は神の意思を感じたのですね?」


「はい。レオーネを極として、すべてが配置されている。出来すぎているのは、神の計画であるからに他ならない。その中で私たちは弄ばれているだけかも知れません。しかし、私は信じるのです」


「貴方が信じる神とは?」


「無論、アーティファ。彼女の愛はきっと私たち引き上げてくれる。この地獄(浮世)から」


 雷鳴が響く。

 風がうなって、雨が逆巻く。

 そして、世界が割れる音がした。


「いいわ。契約してあげる。これよりお前はこのアーティファの眷属となる。嫉妬深い、気まぐれな神、アーティファのお人形になるの」


 何処までも高慢な声が響いた。しかし、それは慈悲と嘆きに満ちている。


「他の神の声なんて聞かせない。絶対神なんかに操らせたりはしない。貴方は、あの子の幸せのために命を燃やし尽くして、地獄に落ちるの」


 コールは天を見上げるが、その声は地中から響いた。

 悔恨と、嘆き。愛と憎しみ。全てを抱いて、共に地獄を歩む。

 慈愛と言う、呪い。

 手を差し伸べるということは、引きずり込まれることと同義だ。

 共に歩むということは、おぞましい。

 自分を他者に預けるのだ。

 あるいは、他者を自分に飲み込んで、不確かな道を歩ませる。

 信仰を胸に、自由意志を歩むことを義務付けた絶対神の願いからは遠く離れる。


 だけれども、彼らアーティファ信教の信徒達は、それが正しい行為だと信じて進む。手に手をとって、共に地獄(愛)へと落ちるのだ。

 コールが冥界へ旅立つとき、前に現れるのは豊饒の聖女マイヤではない。断罪の大狼サイレス。

 その肉を噛み砕かれて、果ての無い苦しみにさいなまれようとも、それは殉教者の痛み。

 円環をなしてやがて再び現世に導かれる。そして、また、同じことを繰り返す。

 それは絶対神(マーテル)の痛みとなる。


 ああ、どうして、人の子は罪を犯して死に行くのか。

 私の命(願い)に背くのか。


 冥界の主サイレスが、また来たのかと呆れてものが言えなくなるまで、絶対神がもう耐えられないと嘆くそのときまで、彼らは何度でも繰り返す。


 叫び続けるのだ。

 絶対の力を持つのならば、救って見せろと。


 私たちは屈したりなんかしない。

 譲れないのだ。

 一人一人に命があり、願いがある。

 真なる世界を創る計画だって?

 そんなもの、今を生きる私たちに何の関係があるという。

 私たちに罪があると言うのならば、その余地を与えた、私たちを創りだした神の罪ではないのか。


 慟哭しながら死を思い、服従することなく剣の前に身をさらすのだ。

 その果てに、楽園があると信じるのだから。

 アーティファとアルファスが背いた神の法を、作り変えてこそ真の世界があるのだから。


 *****


「ばかな」


 そうつぶやいたのは誰か。

 

 ここは森の中にある小高い丘の上。

 たたずむ少女の背後に百を超える騎士たちが見事な隊列を組んでいた。 


「ありえん!!」

 

 先ほどまで誰もいなかった。

 伏兵ではない。ここに至るまで、索敵は怠らなかった。そもそもこんな見晴らしのいい場所で見逃したりはしない。

 幻術の類でもない。幻想と現実の見分けが付かないほど馬鹿ではない。

 騎士団からうめき声がもれ、動揺が走る。

 カーモス傭兵団団長ゲイルは瞬時に頭を切り替えた。

 戦場で不足の事態が起きるのは珍しいことではない。飲まれればひとたまりない。


「われらが血に飢えた益荒男(ますらお)たちよ、喜ぶがいい。見よ、あの精強な敵兵を。さぞ名のある騎士団に違いない。今宵の獲物は彼らぞ。さあ、名をたずねよう!!」


 ゲイルが謎の騎士団を見据えた時、彼の騎士達は意気軒昂、戦意に満ちた。


「お手前方は、いずこの騎士か。名のられよ!!」


 表情を表すことなく佇んでいた先頭の少女が、笑った。

 幼女のように喜色満面に。戦場にはふさわしくない、場違いな笑みだった。

 少女が促すと、彼女の兵隊たちは鬨の声をあげ、一斉に団旗を掲げた。描かれていたのは赤地に三つ首の悪魔、しかしその中央の首は失われている。それはかつて大陸にあった最も聖なる国、その近衛。聖巫女を守護する直属騎士隊の旗であった。

 しかしその旗はグローリアとともに地図から消えたはずであった。

 かつてない呪いの中で、忌むべき邪教徒どもの狂乱のすえに。

 

 ゲイルたちはおののいた。

 団旗は魔術を帯びているがゆえに複製は不可能である。たとえ彼の騎士団に生き残りがいて、再び魔術をもって生成しようとしても、まったく同じにはならない。精査などせずとも違いは明白。まして、あれは千年以上の歴史を持つ。幾多の戦場を駆け抜けたその旗が纏う気配は神器の域に達している。間違えようも無い。彼の物は本物以外にありえない。

 ならば、とゲイルは自身に問うた。在りし日のそのままに、彼の騎士団は今、目の前にいるのである。


「亡霊めらが」


 ゲイルは毒づくと、団員に激を飛ばした。

 いかなるからくりがあろうとも、目の前の敵を打ち滅ぼすことにかわりはない。死に切れないのならば、何度でも殺してやるまで。

 

 神聖グローリアだと?母国再建まで、もう少し。この戦に勝てば商会から多額の金銭と装備が提供される。例え神に歯向かおうとも、我らの悲願を前にして撤退などありえん。

 我らの声を聞き入れなかった神などに用はない!


「恐れるな!!やつらが本物であるという保障はない。ばけの皮をはがしてやれ。ああ、本物であるほうが都合いい。あれらを打ち破れば我らの名は大陸に響き渡る。勝利をわれらが亡き祖国へ、さあ、やつらをもう一度、冥界へ送ってやれ!!」


 ゲイルは抜刀した。


 笑う少女は馬上で両手をいっぱいに広げた。


 ゲイルは死すべき好敵手に切っ先を向け、叫んだ。


「騎士団、抜刀!!」


 少女は、大好きな騎士団に振り向いた。


「みんな、まった?」


 少女の目が細められる。


「蹂躙しなさい」


 少女の声と共に、爆ぜた。

 現れた戦場に慈悲はかけらもなかった。

 ただ強いものが弱いものを刺し、貫き、引き裂いた。見る間に高台は血に染まり、ただ本能に従う叫びだけがこだました。そこでは流れる風も滑稽に、どこか上滑りするように騎士たちをなで、新緑の草木も戸惑うように鮮血にその身を浸す。

 雨を受けて微笑む少女だけが人間だった。他の誰もが何かであり、動物ですらなかった。殺戮人形の舞踏会、それがこの場におけるすべてだった。少女はいつしか微笑むのをやめ、寂しげにまぶたを伏せた。それが懺悔に見えたのは、決して見間違いではないだろう。ただ、なにに対しての懺悔であったのかは、うかがい知ることはできない。


「哀れだな」


 彼の騎士団をこの場に誘い、少女に対面させた少女の使い魔はつぶやいた。


「あれは良い騎士達だった。なればこそ」


 黒く細い翼が、もう少女のほか、生きている者がいない丘を羽ばたいた。


「あのような終わり方は無念であろうな」


 しかし、と使い魔は思う。誰よりも国を思い、それが踏みにじられた主の騎士たちが冥府に迷い、同じような境遇の騎士達を冥府に送るのはなんという皮肉か。


「迷うことの無きよう。この世界は、全てイデアの世界の仮りごとであるのですから」


 かつての聖女は、何処までも空を駆け上がった。


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