閑話 その二の一、ワーカー・ホリック
閑話その二の前半です。
続きは、明後日か、明々後日予定。
後半の後、戦争に戻ります。
帝国の首都パアルブルクは世界で最も美しい都市として知られていた。
羽を広げた風精に例えられるその城は、外壁が白みがかった透明の結界に覆われ、日の光りを透かして七色に輝いた。
朝焼けを受けるその姿は、まるでドレスの裾を引き、ベールを被った花嫁のように無垢に輝く。昼には城壁に備えられた噴水口から放水され、虹がかかり、水浴びをする風精の清純な色気に満ちた。そして、夜、風精は月明かりの下でダンスを踊った。柔らかい月光りが結界で乱反射して、光点が暗闇に浮かんで揺らめいて、風精は正体を無くして踊り狂う。
だから、その城は風聖城と呼ばれた。
城下街は綿密な都市計画に従って、建物の高さ、デザイン、色調に至るまで管理され、城の造作にふさわしいようゴシック様式を意図的に崩し、アーチを多用して建物全体に幻想的な趣を与えられた。住まうものも限定され、ほぼ貴族か富裕な商人に限られていた。
しかし、大通りから一歩踏み出せば、そこにはスラムが広がっている。視界遮断の結界により通りからは見えなくても、その匂いや人いきれが、貧困の喘ぎを伴って漂う。
道の脇には、貴族街から追いやられた物乞いが座り込み、行くあてのない者らがたむろしている。誰かが誰かを殴る音が聞こえ、怒声と共に走り去る。怪しげな薬を売っている亜人が、若い人種の女に声をかけて、女はせめて負けてもらおうと落ち窪んでくまがひどい眼で色気を振りまく。
風精舞う貴族街とは対照的に、何処かしこもひどくうらびれて、懈怠と淫靡がはびこる。どんな国よりも格差がひどく、富みが一極に集まるのがここ帝国首都であった。
そんなスラムの雑踏の中、花街へと向かう道にその男はいた。
黒いマントに身を包むその背は低く痩せすぎている。けれども足取りは力強く、頭巾から覗く眼光はただ前に据えられ、急ぐことなしに足を運ぶ。誰からも返り見られることはなく、人の邪魔にならぬように人波を縫っていた。
男はとある酒屋に入った。カウンターで不機嫌そうなリザードの相手をしていた初老の男が眉を上げると、男は口元に笑みを浮かべ、そのまま奥へ抜けていく。裏口から出ると、とある売春宿の前に来た。そこがただの売春宿ではないことを知るものは少ない。普通の売春宿にしては屋号も掲げず、客引きもいないことを怪しがるのみであった。余計な詮索は命の問題に直結していたから、好奇心に逸るものもいない。
男が扉を開けて頭巾を取ると、ホールに集まっていたネグリジェ姿の少女たちが駆け寄ってきた。
「おじさん!!」
誰もがヒトではなかった。角があれば尻尾もある。体の大部分が柔毛に覆われている者もいれば、肌が鱗で光る者までいた。彼女たちは亜人であったり、また普段目にすることがない混血の者等だった。
その中の一際若い、まだ十を越えないだろう、薄青色の肌に桃色のベビードールを着た蛇人と人の混血の娘が手を伸ばした。
「お土産、ちょうだい!」
「リール、落ち着きなさいったら。キサラギ様が困っているでしょう?」
ダイニングからヒト種の中年の女が姿を現し、優しくたしなめるが、リールと呼ばれた少女は舌を出すと、構わずに男が首から下げていたずた袋を引っ張った。すると、他の少女たちも集まってきて男の荷物を覗き込む。
「お前ら落ち着いてくれ。十分買ってきたから、取り合うことなんてない」
無精ひげを撫でて、細く黒い眼を見開いた。
亜人専門の売春宿にあって、男もまた特殊だった。
後ろに撫で付けられた髪は黒く、瞳もまた同じ色。顔立ちそのものが大陸では珍しい東洋人種。腰から下げた剣は反りが大きく、柄は円形で独特の意匠が凝らされていた。
「いつもすみません」
人狼の娘がやってきて申し訳なさそうに眼を伏せるが、口元には微笑が浮かぶ。
「いや、なに。俺はこの子たちに何もしてやれないからな」
「この家を守って下さるだけでも有りがたいのに」
頬に手をやって、男の眼を見つめる。
男は、見た目からは想像がつかない、ひょうきんな顔をして彼女を笑わせた。
ここは亜人を扱った売春宿。特殊な性癖を持った金持ちの欲望を満たすため、全国から若く珍しい亜人が集められていた。亜人に拒否感を示す者らでも、彼女たちを見れば嘆息しないわけにはいかないだろう。自然が作り出した、ヒトとは異質な、生き抜くための機能美を彼女たちは備えていた。獲物を追う長くしなやかな姿態の中に、雄を魅了するための柔らかさがある。薬で強引に分泌されたホルモンによって蕩けた目には、群れの主への服従と無償の奉仕がある。
ヒト種では味わうことの出来ない優越感と快楽を予感させ、最大限魅力を引き立たされた姿に着飾って、彼女達は商品として並べられていた。
亜人の中でもとりわけ稀少で美しい彼女たちは、掴まるか両親によって売り払われ、多額の金銭で貴族の屋敷に引き取られる。営利を目的として買われた場合、こうして集められ、客を取らされた。家付きのペットとして飼われるよりも嗜虐的に扱われる分、彼女たちの生存率は低かったが、たとえ逃げ出したとしてもまた掴まって売られるのだから、同じ境遇の仲間たちで寄り集まって暮らすほうを彼女達は選択した。群れを形成する種も多数いたことから、本能的な理由もある。
男はその売春宿の用心棒として雇われていた。主国から逃げ出した黒騎士であった彼は、かれこれ三年以上も前、とある貴族に紹介されここに居場所を見つけた。
彼は黒騎士として人を殺すよりも、誰かを守りたかったのだ。たとえそれが汚れた命であったとしても、いや、そうであるからこそ守りたかったのだった。
*********
ヤーヘンとケルサスの戦争が始まった頃、とある男爵が売春宿の戸を叩いた。
お忍びであるにも関わらず、マントの下には帝国男爵の紋を見せつけ、参内用のサーベルを帯びていた。大柄で逞しく、一目で騎士と分った。神経質そうな茶色い目と、耳の下から口を覆うように丁寧に切りそろえられた髭は彼の人となりを表していた。
男爵は、下着姿でホールに集う娘たちに軽蔑の視線を送ると奉仕を求めた。
彼はこの宿の経営者であった貴族の友人ということだったが、初めての利用である。紹介者の同伴を求めるのがルールであった。しかし、それを説明する騎士を静かに恫喝して剣に手を置いた。たしなめるようで、有無を言わせない高位貴族独特の物言いに誰も反抗できなかった。
鷹揚に頷いた後、彼はおびえる娘たちを一通り乾いた目で眺め、リールの前に立った。蛇目に困惑を浮かべ、救いの視線を用心棒の騎士に送るが、若い彼は動けず、ただ視線をそらした。男爵は嫌がるリールの薄青色の頬を強く張った。それでも若い騎士は、そして他の用心棒たちも、引きずるようにして階上に上がっていく男爵の後ろ姿を見つめることしか出来なかった。
見下すことに慣れきった貴族が亜人の売春婦を丁寧に扱うわけがない。けれどもこの宿はそれなりの太いパイプを持ち、有力者からの支援もあったから、面倒ごとを避ける貴族も多かった。さらに、用心棒たちの腕は確かだったから、たいていの貴族は怖気づき、実際のところ用心棒達は面倒ごとには慣れていなかった。そして最も頼りになるキサラギと責任者の女将は、その日そこにいなかった。
その頃、キサラギは宿の女将の供としてスポンサーの下へ訪れていたのだった。上品な身なりの女将の後ろに立ち、仮面を被った男女たちの乱痴気騒ぎを眺めていた。つまらない社交だが、女たちを守るためには必要なこと、そう思っていた。
けれど。
急報によって舞踏会から帰ってきた女将とキサラギが見たのは、殴られすぎて顔を二倍にも膨れ上がらせたリールの愛らしかった顔と、その頬を伝う涙だった。
彼女たちが身を鬻いだベッドの上で、小さな彼女は、もっと小さくなっていた。
蛇人特有の小さなひれの付いた肩は骨折、脱臼して捻じ曲がっていた。
同じく踵にひれの付いた片足は切断され、その足を、彼女と仲の良かった獣人の娘が朦朧としたまま、抱いていた。
リールのプライドで、彼女を売春婦に落とした混血の証の小さな尻尾は、吊るされたのか、根元から引きちぎれそうになって、きっと、そこまで手が回らなかったのであろう、包帯も巻かれずに桃色の肉が覗いた。
そして、腹には深い刀傷が、赤黒い血を、リールの命を、べっとりと包帯に染み出させていた。
「あなた方が帰ってくるまでは、何とか持たせようとしたのですが」
残念です、と宿付きの医師の資格を持った魔術士が下を向いた。
女将はリールの体に縋りつき、わっと声を上げて泣きだした。
「キサラギ様、リールが貴方にお礼を言っておりました」
嘘をつくな、キサラギはつぶやいた。
人狼の娘が、そっとキサラギの手を握る。
彼女の顔には、仕方がないという諦観があった。
慰めているのではない。それが運命なのだと、キサラギに、そして自分に言い聞かせているのだった。
何故だ?つぶやいたキサラギに応える声は無い。ただ、かすかな泣き声と、一夜の快楽を求めて強くドアを叩く音だけがホールに響いた。
****
葬儀と言うには寂しすぎたのも無理のないことだった。彼女たち亜人、しかも売春婦のために追悼ミサを開いてくれる聖職者は、ここ帝都にはいないのだった。
彼女達は、唯一墓を立てることを許してくれていた貧しい教会の外から祈りを捧げた。亜人の売春婦の遺体を、神の家である教会に入れることを司祭が許さなかったからだ。けれど、それを理由に司祭を責める者はいない。墓を受け入れてくれることすら彼女たちにとっては過分な施しであり、司祭もまた、力の限り彼女たちに尽くし、出来る限りのことをしていたからだった。それが、限界なのであった。
もし教会にリールの遺体を入れでもしたら、教区からその聖職者は追放されてしまっただろう。
何故か?国ではない。民衆がそれを許さない。
目立たないよう墓地の隅にリールは埋葬された。碑銘にはファミリーネームもなく、ただ、彼女の国の言葉でリールとだけ刻まれた。
周囲には似たような墓がいくつもある。同じように迫害され、弄ばれ、戯れに殺された女たちの亡骸が埋まっていた。
キサラギと、若い騎士が穴を掘り、棺を下ろした。
女将は一心にリールの信仰していた慈悲の神アーティファに祈りを捧げ、人狼の娘は歯を食いしばって棺を見つめる。その他の女たちは、みな一様にぼんやりとしていた。嘆いても、恨んでも、叫んでも、なにも変わらない。悲しみなど、とうに感じなくなってしまっていた。
棺に向かい、一人一人、花を投げ込む。そこで、ようやく女達は涙を流した。
「リール、やっと、楽になれたね」
女たちの涙が土に染み込み、泣き声が帝都にこだましても、空は青いままで、神は応えてくれなかった。
棺に埋めるために女たちを見送り、キサラギは同じ用心棒の若い騎士と二人になった。
「リールは人なつっこくて、僕にもよく話しかけてくれたんです。とても優しい子でした」
零落した家の若い騎士で、売春宿に来たころは、彼女たちを軽蔑して眼すら合わさなかった。けれど、彼女たちもまた、ただの少女なのだと知ったとき、彼は彼女たちを愛してもいいのだと気付いた。
「どうして、こんなひどいことが出来るんでしょう」
土にめり込むシャベルの音が大きく響く。
「殺してでも、男爵を、奴を止めるべきでした」
引きずられて行くリールの引きつった顔、血に染まったシャツを隠しもせずに出てきて、金貨を投げつけてきた男爵のつまらなそうな顔。
「僕は、僕が許せない」
シャベルを取り落として、大粒の涙が伝い、騎士は顔をぐしゃぐしゃにした。
「泣くな、リールに笑われるぞ。・・・そういえば、お前の弁当に蛙を仕込んだのはリールだ」
力なく笑って立ち上がり、ふたたび土をかけだした。
「でも、もう、あの子は、いたずらも出来ないんです」
****
男爵になんのお咎めもないことを知り、若い騎士は激しく怒った。
そして、落ち着くように言う女将の手を振りほどき、外に飛び出した。後を他の騎士、魔術士が追ったが、見失ったようで、戻ってくるなり首を振った。
「キサラギ様、貴方は大丈夫ですか?」
何も言わずに、壁にもたれかかっていたキサラギに人狼の娘が尋ねた。
「ああ。いや、すまない。大丈夫だ」
「・・・そう、ですか。申し訳ありませんが、買い物に行くので、付いて来てくださいませんか?怖くて、すみません」
「ああ」
ぼんやりとしていたキサラギは、彼女越しに女将のきつい眼差しにぶつかった。
そうだ、いつまでも落ち込んではいられない。
リールは帰ってこないのだ。他のも女たちも気落ちしている。怖がっているだろう。用心棒の俺がしゃんとしないでどうする。
-この世界には不条理など、ありふれているだろう?-
古い友の声が聞こえた。
-ふざけるな!
神がこれを許したとでも言うのか?-
それは、いつかの光景。
-そうだとも言えるし、そうでないとも言える-
-違う。それは、違う。
俺の知る神は・・・。-
-神の愛は深すぎるんだ-
言い聞かせるように、気だるげに微笑んでいる。
-悪人すらも愛しているから、助けないんだ。助けてしまえば、欲望を満たしてしまえば、正義のためであったとしても、それは加担を意味する。神の愛に不均衡が生じてしまう。だから、神はただ見守るしかない。それを理解出来ないから、私たちの理念体系からすれば、正義の天秤は不釣合いに見えるんだよ-
したり顔でいう友人に腹が立った。
-その行いが、神の定めた法に背いていたとしてもか?-
-その罪は、死後、冥界の神サイレスによって裁かれる。現世の神マーテルの仕事じゃあない。まして、君の仕事でもね-
そうだ、それは誰もが知っている事実。この世界の絶対の理。
-しかし、サイレスの裁きは本当に公平なのか?そして現世で受けた苦しみに見合っただけの幸福が、本当に死後の世界にあるのか?
現世で正義の完遂を求めて何が悪いのか?そのために負った罪は罪といえるのか?
いや、むしろ、神が絶対だというのならば、現世そのものが無駄ではないのか?-
友は応えた。
-さあね。知らない。分らない。それこそ神だけが知っている-
椅子を蹴り、立ち上がった俺に、友は子どものように微笑んだ。
-だから、私はそれが知りたいんだ。神様が好きだから。この心が神を求めて止まないから-
出会ったときそのままに、病に犯された今でもなお、純粋に。
-神がどちらにも肩入れしないとすれば、天秤を正義に戻すのもまた、だれも止めやしない。答えが欲しいなら、死んだ後にでも聞いてみればいい。裁きの場では、サイレスと二人きりなんだから-
「キサラギ様!お給金の分は働いてもらわなくちゃこまりますよ!!」
女将のかん高い声が耳に響く。
友の声は胸に響く。
俺は、世界に戻ってくる。
そうだったな、友よ。
仕事をしなくては。
俺の、仕事(vocation)を。




