デューイ・パノステ・ラガルディッハ
この戦場において最強の騎士はオーギュントであった。
しかし、もう一人、彼に迫る騎士がいた。
それはミミの副官であり、魔術士とされていたデューイ・パノステ・ラガルディッハ。
その過去の話。
続きは、明日か明後日。
ケルサス王国・マルブ魔術機関およびグラナトゥム公国連合旅団所属デューイ少佐はこみ上げる笑いを噛み殺しながら通信を閉じた。
ケルサス本国にいる父から来た指示。
引き続きミミの信頼を得、神聖グローリアの情報を得ろという。
父は忠義に疎いと思っていたが、まさか馬鹿だとは思わなかった。
捨てられた子が、いつまでも血の忠誠に縛られていると?
自分の権力を守るために、必死でデューイの任務の重要性を訴える父の顔を思い出して、ついに噴出した。
(士官学校に入るまで私のことなんて忘れていたくせに)
私は、ケルサス本国の富裕な男爵が妾に生ませた子だった。
母は遠方の国からケルサスに来た女で、本人は魔力を持たなかったが、魔術士の家系だった。男子に恵まれなかった父は、メイドとして仕えていた母を誘惑して手篭めにした。しかしその間に身ごもっていた本妻の子が男子であることが知れると、母と生まれたばかりの私を、僅かな手切れ金を持たせて遠い寒村に追いやった。
それでもいつか迎えに来てきてくれると信じる母と共に生き抜いた。
狂王に使える貴族の子として排斥されながらも、手を取り合って、寄り添い合って懸命に。
-あなたは男爵様の子なのだから、みっともない振る舞いをしちゃ駄目よ-
-はい。お母さん-
幼い頃、母が懸命に働いて得た僅かな賃金で買った魔術書を、ろうそくの下で深夜まで読んで過ごした。
-耐えてデューイ。お父様がお迎えに来ないのは、何か訳があってのことだから-
-もちろん分っています。お母さんは休んでいてください-
矛盾に気付いたのはいつの頃だろう?
母が病に倒れ、代わりに働き始めた頃だろうか。
-御免ね、私の可愛いデューイ。貴方に苦労ばかりかけて-
-そんなことはありませんよ。ほら、卵が手に入りました。食べてください-
狂王の圧政により国の財政が逼迫し、農民たちはますます飢えた。その矛先は力の無い貴族に向い、各地で反乱が起こるまでになっていた。男爵家を追われた私たちも例外ではなく、病が進んだ母は繰り返される嫌がらせに消耗していった。せめて滋養のある物を食べさせようと、農民に頭を下げ汚物の汲み取りをしてようやくもらった卵を母に差しだした。
-いいえ、これはデューイが食べて・・・-
-僕はもう食べましたから-
-親に嘘をつくものではないわ。貴方は男爵家の子として国を担うのですから、しっかり食べなきゃ-
気丈に微笑む母の胸にすがり付いて泣いた。私の背を優しく撫でてくれる母、彼女がこのまま死んでしまうことが私には耐えられなかった。
そのときだったろう。父への諦観が憎しみに変わったのは。
****
僕はその夜、村のはずれにあった、人間嫌いと噂されていた老貴族の屋敷に向かった。
尖塔が月を突き刺すように延びていた。
門は鉄柵に閉ざされて、屋敷の中は良く見えない。うかがって見る庭には暗闇が多い。木々の枝に、下草の中に、ぼんやり見える井戸の傍らに、僕の知らない何かが潜んでいるような気がした。
カーテンが引かれた大きな採光窓に人影を見て、慌てて身を隠した。しかしそれが錯覚だったことを知っても、僕はしばらくそのままでいた。ぐるり塀に囲まれた大きな屋敷そのものが此処ではない何処かのようで、そのまま逃げ出してしまいたかった。
唾を飲み込みながら、塀のそばまでようやく来て、見上げる。
三日月だった。
蝙蝠が飛び交って、後ろの森からは獣の声が響く。
けれど、そんな物よりも、僕は怪物のようなその屋敷が怖かった。
暗闇の中で、生まれて初めて見た貴族のそれは、確かに僕を拒絶していた。
(僕は、貴族の息子なのに)
威圧感をもって迫るそれが貴族の象徴に思えて、憎しみにこぶしを握り締めた。
たまらず嘔吐したのは、怖かったからじゃない。
自分がする行為の汚らしさを知っていたから。
母が身を壊してまで働いてようやく手に入れた魔術書から得た力を、こんなことに使うなんて、きっと許されないだろう。
けれど、戸惑いなんてしない。母を守るためならば何でもすると、今日、決めたのだから。
屋敷の脇に移動して、塀に隠れて術式を組む。
張ってあった結界を破り、足を強化して塀を乗り越えた。
そのまま身を低くして、目に付いた窓ガラスを音を立てないように肘で割った。
しのび入ったのは台所のようだった。
外から見て想像していたよりは小さい。足音を立てないようにして移動する。客間らしきところに入り、金目のものを探そうとした。けれど、どれが高く売れるかなんてまるで分らなかった。
(そうだ、僕は貴族の子どものくせにそんなことすら知らない)
唇を噛みしめながら廊下に向かうと、突き当たりの部屋から光りが漏れていた。暖かく、柔和な暖炉の火の光り。僕が当たることが出来ないぬくもり。
考える必要なんてなかった。
(分らないのなら、知らないのなら、聞けばいいじゃないか。教えてくれないなら、殺せばいい。それから奪えばいいんだ)
がたがた鳴る歯をせいいっぱい食いしばった。
手足を最大限強化して、台所から持ってきた包丁を握り締める。
扉の傍に来ると、ドアの隙間から身をすべり込ませた。
椅子に腰掛けて一人の男が暖炉の火を見つめていた。
気付いていない?
じゃあ。
こっそりと背後に忍び寄よる。
「年はいくつだ?」
突然の問いかけに、動けなくなった。
「聞いているのか?」
男の見つめる暖炉の炎の中には、俯瞰するかたちで僕が映っていた。
(始めから?)
男が振り向いた。聞いていたよりも若い。まだ、四十の中盤だろうか。短髪に刈り込まれた茶髪に、顔の輪郭に沿って伸ばされた髭を同様に刈り込んでいる。
威圧的に見下ろすその瞳に、僕はどうすることも出来なかった。逃げることも、謝ることも、襲い掛かることも。
ただ、その人が怖かった。
(何で、どうして、この人はこんなに)
貴族の目が僕の握る包丁に向けられて、無表情に言った。
「殺す気か?出来るかもしれんな、お前の魔力なら」
貴族が立ち上がり、僕は顔を上げた。
「―――」
そうだ、僕がここで捕まったらお母さんはどうなる?体を壊しているのに、僕も居なくなって、これからどうやって生きていくっていうんだ?
どんなにつらいときでも、抱きつけば優しく撫でてくれたお母さん。料理をしているときに声を掛けると、えくぼを作って笑いかけてくれたお母さん。大好きだった日の匂いがする髪を、死の匂いに染められてしまった可哀想なお母さん。
誰も助けてはくれない、大好きなお母さん。
(不幸になんて出来るはずがないじゃないか!!)
魔力を全力で解き放った。一気に体を沈みこませ、貴族の義足を水平に蹴った。包丁を逆手に持って、そのまま、倒れこむ貴族の胸に差し込んだ。
「馬鹿が」
胸を貫かれたはずの貴族に体を返され、髪をつかまれて地面に引き倒された。
うつぶせになった背に膝が乗せられて、肺にたまっていた空気が押し出され、息が出来なくなる。
「武器を強化しないでどうする。結界も張らずにいるはずがないだろうが。そんなことも知らずに盗賊の真似事をするなど!ガキが、不愉快だ」
首をつかまれて、力がこめられた。
視界が狭まり、涙が落ちる。
(そうだ、僕は何も教えられていない。教えてくれる人なんてどこにもいなかった。貴族としての心構えも、剣の振り方も、誰に剣を捧げるかも。父がどんなものかもしらないんだ)
「殺さないでください」
「命乞いか?はっ、殺そうとした奴がしていいことじゃないな」
苛立つ声で貴族が答えた。
「病気の母が居るんです」
手が緩むのを感じた。でも、すぐにさっきまでよりもずっと強く締められた。
「傑作だな!そんなもの三文小説の筋書きよりもひどいぞ!?それにだ、この腐りきった国で病んでいない奴がいるというのか?」
空中に放り上げられ、腹に衝撃が走った。壁に激しくぶつけられて、胃液が逆流する。手足が動かなくなって、おしっこが漏れ出した。
貴族が近寄ってくた。手には壁に架けてあったサーベルが握られている。
「最後だ。何か言ったらどうだ?」
靴で軽く小突かれた。貴族はまた無表情に戻っていた。何も見ていない瞳。
こんな冷たい目をした人なら、きっとこんな人生を終わらせてくれる、そう思った。
「・・・僕を殺したら、村に行って、母も殺してあげてください」
「なに?」
「僕らのことは聞けばすぐに分かると思います。どうか、お母さんは、もう、いっぱい苦しんだんです。どうせ誰も助けてなんてくれない。父に何度も手紙を出したんだ。でも、何もしてくれない。返事すら返ってこない。僕たちは棄てられたんです」
棄てられた、初めて口にしたその言葉で、頭が泥の中のようにぬかるんでしまった。
そうなんだ、捨てられたんだ。僕も、お母さんも。
「楽にしてあげてください。貴族の手に掛かるなら、お母さんはきっと幸せです」
僕は、もう限界です、そう言った僕の声は、どうしてそんな声が出るのか分らないほどに乾いて、でも涙でしめって、全部やめてしまった、どうしようもない声だった。
暖炉の炎が揺れ、僕たちに陰影を付けた。鼻水と涙で顔がぐしゃぐしゃで、目を開けていられなかったから、見上げた彼がどんな顔をしているのかわからなかった。
「・・・気に入らん。まったくもって気に入らん。心中に俺を巻き込むつもりか?ガキ、貴様の名は?」
「デューイ・パノステ・ラガルディッハ。父は・・・」
「言うな、その名は知っている。卑怯者の背徳者だ。ああっ、くそっ!聞きたくもない名を聞いてしまった」
身をかがめて、目を合わせてきた。でも僕はもう満足に目を開くことが出来なかった。
かすかに靴の先端が見えて、鋭い衝撃と共に視界がちかちかして、意識が戻る。
「おい、まだ寝るな。そんなことは許さん。目を見せろ」
髪をつかまれて、無理やり目を合わせられた。胃液で口を汚した僕に顔を寄せて、薄い青い目が僕を見つめる。
「・・・あの男からこんなガキが生まれるとはな。わからんものだ」
貴族が立ち上がり、叫んだ。
「おい、アンナ、起きているんだろうが!こいつの手当てを頼む。あと、馬を用意させろ。村に行く」
扉が開き、太った女の人が入ってきた。
「承知しました。部屋は二つで?」
「こういった奴らは一所に押し込んで置け。誰も信じていないからな」
アンナと呼ばれた女の人が方眉を上げて、皮肉げに微笑んだ。
僕はそこから先のことを覚えていない。
目を開けると、朝の光りが見えた。そして、枕元にお母さんが居た。
僕の髪を撫でて、やつれた顔で笑っている。
僕はまた泣いて、薄くなってしまったその胸に顔をうずめた。
****
それから私と母は貴族の屋敷で過ごした。
貴族の名はカシウスといい、古くから仕えている老夫婦のほかには、アンナさんという二十手前の魔術士が住み込みで働いていた。
あまり自分のことを語ることはない彼だったが、かつては王国の近衛にいたらしい。そこでなにがあったのか、狂王の怒りを買い、足を切り落とされてこの地に落ちたとのことだった。
毎日、彼は私を働かせるよりも鍛えさせた。アンナさんから魔術を習い、彼自身から剣の手ほどきを受けた。
いつしか私は家人から坊ちゃんと呼ばれ、カシウスからはお前ではなく名前で呼ばれるようになった。アンナさんは見た目とは違って誰よりも厳しかったが、そのぶん誰よりも優しかった。
母は、カシウスが医師に見せてくれたおかげで急に体調を崩すことは無くなっていた。けれども、母の体はゆっくりとではあったが、確実に弱っていった。それは病もあるのだが、魔力を持った子を魔力を持たない体で身ごもったことによるのだと、後になって聞かされた。
そうしているうちに、アンナさんが狂王のレジスタンスに加わるために出て行った。ここに来て三年目のこと、私が十四のときだった。
アンナさんを見送るカシウスはいつもの無表情で、ただ、死ぬなよ、とだけ言ったことを覚えている。
それに対して、アンナさんはいつものように肩眉を上げて皮肉げに微笑んで、手を差し出した。
いやいや握るカシウスの隣には母が居た。
いつの頃からか母は父の話をしなくなった。その代わりにカシウスと話をすることが多くなった。カシウスもまた、母の前だけでは微笑んだ。私は、母に本当の笑顔を取り戻してくれたカシウスに心の底から感謝し、二人の幸せを思ってさらに修行に励んだ。母の子として恥ずかしくないように、カシウスの期待に応えるために。
老夫婦はそんな二人を見て涙ぐんだ。その意味を私は良いものと取っていたけれども、今は彼らの本当の思いを理解できる。世界に何の希望を持てなくなった男と遠くない未来に死ぬ女。二人がようやく手にした幸せは、壊れる運命にあった。
私が十六になったその冬に母は死んだ。安らかに、彼女がようやくつかんだ幸せの中で、愛する人たちに見守られて冥界に旅立った。
息を引き取った母の枕元に腰掛けるカシウスは初めて涙を流した。別れを悲しむのではない。感謝の涙だった。
「イデアの世界で、安らかに」
頬をなでて、微笑んで。
「ありがとう。愛しい人よ」
カシウスは母の額に口付けした。
それから、私たちは母の思い出と共に過ごした。母と私とカシウス。三人のつながりをそっと抱えて、人目の付かない屋敷の中で、まどろむように生きた。
世捨て人となったカシウスは母に出会ったことで共にあることの悦びを思い出し、邪道に落ちかけた私は道を正してくれる父性に出会い、大きな手で支えられる悦びを知った。
母が愛してくれたという事実があったから、私たちは生きることを選択した。
****
母が死んで二年後、カシウスは私に一通の書状を手渡した。
「それを持って王都へ行け」
「何をすれば?」
「そこで、新王の作り直した士官学校に入れ。アンナがどうやら身分を得たらしいから、会いに行けば力になってくれるだろう」
「アンナさんがねえ」
書状に記された名に見覚えはなかった。
「この方は?」
「俺の元部下だ。今では近衛の隊長をしているらしい。そいつを頼れば、素性を隠すお前でも士官学校には入れるはずだ。他にも元上官だったじじいを頼る手がある。そいつはマルブの新しい学長になっているから、そっちがよければそっちでもいいぞ。だが、出世は難しいだろうな」
「士官学校にします。ただ、名はどうするのですか?」
「俺の亡命に使った名をそのまま使え。アンナたちのほかには、誰も俺の弟子だとは気付かんだろう」
私は腕を組んでカシウスを見つめた。
「てっきり貴方の名を継がせてくれるとばかり思っていたのに、それはないんじゃないですか?」
カシウスは苦笑した。
「俺の名などやめておけ。追放された身だ。それより、士官学校に居ればお前の本当の父から連絡が来るだろう」
見つめるカシウスに対して、私の心は冷え切っていた。
「あの男が?関わり会いたくはないですね。やはり、貴方の本当の名を使わせてください。縁を切りたいんですよ」
私は貴方の子なのだから、付け加えると、カシウスは手を額に当てて執務机に肘を突いた。
「あの男は、先の内乱でよほど上手く立ち回ったらしい。今では子爵の地位を手に入れた。しかし、本妻との間に生まれた子の出来が悪い。軍への影響力を持つために何とか士官学校に入れたがっているが、芽を出すのは厳しいだろうから、恥をかくよりは直接家の軍を継がせるはずだ」
「で、今さら僕を使おうと?貴方はそれに応じろと言うのですか?やめてください」
「子爵家の権力を甘く見るな。あまり無碍にすれば、どうなるかわからん」
体が熱くなるのを感じた。あの男のことなどどうでもよかった。ただ、道具にされるのがたまらなく嫌だった。また、あの惨めな思いをしなければならないというのか。
「どうした、デューイ。お前はもっと利口なはずだろう?どうせなら、しゃぶりつくして乗っ取ってしまえ」
「・・・ええ、そうですね。利用させてもらいましょう。ですが、力をつけた私が選択を迫られ、それでも貴方の名が欲しいと言ったならば、くれますか?」
「もちろんだ。誰がなんと言おうと、お前は俺の息子だ」
旅立ちの日、老夫婦は涙ながらに荷物をまとめてくれた。
手をとって礼を述べる。彼らは何度も頷きながら旅の無事を祈ってくれた。
カシウスは一振りのサーベルを投げて寄越した。
「俺が近衛に入る際に父からもらったものだ。持って行け」
「ありがたく頂戴します」
「仕えるべき主を見つけろ。己の理想が、彼の意志であるような、そんな主を。もっとも俺には見つけられなかったがな」
「見つからなかったら?」
「らしく振舞え。そして友と共に歩めばいい。主が見つからなくとも何とかなるもんだ。忘れるな、選ばれるのではない。お前が選ぶのだ。お前にはそれだけの価値がある」




